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2006年9月15日 (金)

月輪観の工夫

月輪観を11日に記した。心そのものを月として観想する方法だ。その内容をもう少し詳細にしようと思う。ただし何度も繰り返すようだが、瞑想は必ず師より学ぶことを忘れないで欲しい。

一肘ほどの直径の満月を胸の辺りに観想するのだが、まずその月を16分割する。その満月の16分の1の月を、最初に左辺から現していく。伝統読みをすれば、 オン シッタ ハラチベイトウ キャロミ 。この真言を通達心の真言という。その真言を随意に唱える。その真言の波動が月となると観じる。その16分の1の月が現れたら、その月の波動から青い光が発せられ、まず金剛サッタの三摩耶形(象徴)である五鈷金剛杵が飛び出してきて、自分の座った大きさになり、自分自身とその五鈷杵が一体となる。次に、金剛王菩薩で鉤。次に金剛愛で弓矢・次に金剛喜で喜ぶ姿。次に黄色い光が発せられ、金剛宝で摩尼宝珠。次に金剛光で太陽よりも輝く光。次に金剛幢では縦長の仏の旗。次に金剛笑で笑う姿。ここで半月が完成。次に赤い光が発せられ、金剛法で白い蓮の華。次に金剛利で何物をも切り裂く鋭い利剣(三鈷杵の真ん中が延びたもの)。次に金剛因で法輪。次に金剛語で話す言葉。次に緑色の光が発せられ、金剛業で羯磨金剛。次に金剛護で甲冑。次に金剛牙で何物をも噛み砕く牙。そして最後に金剛拳で二手で、左を仰向け、その上に右を下向けにする。ただし二手は引っ付くか引っ付かない程度に離す。ここまできたら満月が完成する。その満月をより明確にするために、今度は自分自身がなった象徴から波動が発せられ、再び小さな象徴になり、その象徴が16分の一の大きさの月となり、より明確なつきとなると観想する。それを十六大菩薩の分観想する。最初の四菩薩のときはアシュク如来の青い光の波動、次の四菩薩が宝生如来の黄色い光の波動、次の四菩薩が阿弥陀如来の赤い波動、次の四菩薩が不空成就如来の緑色の波動。そして満月がありありとなったら、最後の最後に伝統読みではオン ボウジシッタ ボダハダヤミという発菩提心の真言を唱え、その真言の波動が真っ白に強く光り輝く大満月となると観想する。

なかなか高度なようだが、実は霧に覆われた満月が徐々に晴れ上がって満月になると観想するよりも、こちらの十六分月の方が私にとっては観想しやすい。

月輪観は自分なりにどんどんと工夫を凝らして欲しい。伝統では、月が霧に覆われており、それを通達心の真言で晴れやかにし、最後に発菩提心で明確にするというものと、私のように十六分月を用いるものとの二種類がある。十六分つきに十六大菩薩を相当させるのは伝統的なものだ。ただし、そこから象徴が飛び出し、自身と一体化し、その象徴が再び明確な月を構成するというやり方は、伝統のものではなく私の工夫である。ここは越三摩耶の咎を恐れるところだが、ぜひぜひ伝統のものを練りに練って自分自身のものとして習得していただければと思う。

実を言うと、ここから本格的な密教の観法へと入っていくのだが、ここから先は直接師にに従って学んで欲しい。

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