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2006年9月26日 (火)

ある学会の環境と宗教の発表への感想

今日、自分なりのメモを整理していてあることを思い出した。

とある学会の研究発表でのこと。この学会は非常にリベラルで、なんでも発表できる場であったのだが・・・。

日ごろの研究では尊敬できるK先生の発表。しかも、環境問題と宗教がテーマ。私は忙しいのを万障繰り上げて、片道3時間の行程を掛けてその学会に向かった。
そして、発表を聞いて愕然とした。そこで以下のような質問を投げかけた。
(1)「アルネ・ネスをご存知ですか?」
ディープエコロジーという言葉を出した場合、最初に当たらねばならないのが、その言葉を生み出したアルネ・ネスの論文。エコソフィーという言葉をも生み出したのだが、それはあまり注目されず、ディープエコロジーという言葉のみが独り歩きしている。ディープエコロジーとは、一つの問題解決に焦点を当てるシャローエコロジーに対する言葉。アルネ・ネスはその両者が大切であること、そしてその考えに至った経緯、そして社会学的な見地からの見解をその著書『ディープエコロジーとは何か』で述べている。さらにその後に、追加するようにしてプラットフォーム理論というものを出して、宗教と環境のかかわりに関しても言及。このアルネ・ネスの研究はディープエコロジーを語る場合欠かせないもの。これなくしてディープエコロジーを語るのは、聖書を読まずしてキリスト教を語るのと同じくらいの問題である。
「アルネ・ネスをご存知ですか?」。ところが、K先生は全くその存在すらご存知なかった。そこでディープエコロジーを批判されるような発言をされていることに愕然とした。ここで頭に血が上ってしまった。有名大学の教授であればこんなことも許されるのか・・・と。
K先生は優秀な方であるのは分かる。だからこそ基本文献に当たられず、アルネ・ネスが何十年も前に批判的に述べたような社会学的な見地からの切り口に終始されていることに驚きを隠せなかった。。

(2)「環境問題は演繹的にではなく、帰納法で語るべきなのでは?}
環境問題を、社会学などの一理論を元に演繹的に語ること、そのものに問題がある。一般論から具体論を導き出すことは、環境問題のような自然科学と領域を共有する学問の世界では、一種のタブーではないか。一般論はあくまでも仮定であり、その仮定が崩れ去ると全ての具体論が崩れ去ってしまう。自然科学は、実験が行われたり、仮説を立て、それを検証していくことで、答えが導き出される世界。地球上の生命の絶滅という緊急事態を迎えているからこそ、具体的な例に着目し、そこを切り口に他のものも同じ問題を抱えており、そこから仮説を立てて、その解決に向けて論を進めていく帰納法的な考えをしなければ環境問題を論ずることはできない。アルネ・ネス以外のディープエコロジストを自称する方々にソーシャルエコロジストなどから批判が集まったのは、演繹的な考え方に終始し結果的には何も解決する方法を提示しないことに対する怒からだった。私はソーシャルエコロジストほど過激な人間ではないが、環境問題の基本がなされていないK先生のお話に悲しみさえ覚えた。皮肉で「演繹的な方法では意味がないのでは」というような発言をしたが、その皮肉さえ理解していただけなかった。社会学から見る環境問題は、やはりアルネ・ネスの論文は無視できないものだ。

(3)「内が充実すればこそ、自然に外に向けて活動ができるのではないか?」
一人の人間として、K先生の論理の構成そのものに矛盾が含まれていることそのものを批判したくて、私自身が何をしているのかを語った。ある方向へ進んでいく必要があるとおっしゃりながらも、自分自身が何もされていないという矛盾を強く感じたからだ。「宗教は第三者的ではいけない」といいながら、ご自分は環境問題に第三者で居られた。ここを思いっきり皮肉ったのだが、これさえ理解していただけなかった。ある意味、学問の場の限界かもしれない。その学会に集まられている先生方は皆それぞれの信仰を持っている。ある先生などは偏狭だが、その信仰ゆえに逆に深い説得力もある。ところが、K先生には全くそれを感じさせられない。何か自分とは全く関係のない世界のことを語っておられるようにしか聞こえてこなかった。

ただ私個人も、かなり感情的になり、時間も気になって、論理的な話をしなかったことに深く反省している。それ以上に、論理的な話をする以前の問題だったように私には感じさせらた。ただK先生のおかげで、他の先生方の宗教心のあり方を教えていただくことができ、とても嬉しく思えたのも事実だ。信仰を持たない方の話は、論理的であるにせよ、それが人を強く動かすことはあまりない。ところが信仰を持っておられる方々の話は、論理を超えているがゆえに、深く人の心を撃つ。こうしたことを知る場でもあるこの学会は実に面白い場。
K先生のような方も居られてしかるべし、そのような立場になっていなかった自分が、まだまだ未熟であることも知らされた。
K先生のほかの研究に関しては私も注目しているし、あくまでも環境と宗教という今回のご発表に対する私の個人的な見解が上記のようなものだ。

今読めば恥ずかしい文章だが、自分の感情が溢れ出ている文章なので、あえてここに転記しようと思った。

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