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2006年9月18日 (月)

法爾と願い事

高野山はすっかり涼しくなった。半袖では夜はもう寒い。足も裸足では冷たいほどだ。今年の高野山は日中が34度を越すこともあったそうだ。温暖化のせいなのだろうか。それでも秋を迎えると涼しくなる。日本には今も四季は現存している。自然の流れの大きさに改めて感じ入っている。この二日ほど奥の院へお参りに行っているのだが、往復一時間四十分の間に途中でいろいろと季節を感じ取ることができる。法爾とはなんなのか、現象も真理の現れとはどういうことなのか、いろいろ考え感じながら足を進めている。台風の影響の風を感じ、西に沈む太陽を感じ、ありのままにある自然に法爾を思う。そういえば、スピノザだったか、こんなことを言っていた気がする。神とは自然の法則そのものであり、奇跡を信じたり、奇跡を願ったりするのは、その神の法則を捻じ曲げることに他ならないというようなことだ。なるほど、と今は思う。自然の流れそのものが法爾であり、それを大日如来と見るのならば、スピノザが言うように神?=大日如来に願いをすることそのものが実は法爾ではないのではないかと感じる。だからこそ、真言宗では大日如来を本尊にすることは少ない。やはり願い事ができるのは、それぞれの性格を特化した神仏。願い事は、真理の中心よりも少しはずれた神仏の方が祈りやすいのかもしれない。そんなことを思いながら、今日の奥の院の参道を歩いた。

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