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2006年8月11日 (金)

個人の深化・泥田に咲く蓮の花

明日からお盆参りが始まる。今日はゆっくりさせてもらった。時が流れるのが実にゆったりとしていた。こうした日は久しぶりだ。人はたまにはこうした日を持つことが大切だと改めて思う。

さて、今日信者さんが来られていろいろ話をした。その中で、私自身が思わず口にしたこと。

1)社会的な出来事や個人的な出来事、さまざまなことが世間では起きている。しかしどれもが実は個人個人への複合的なメッセージになっているということ。ニュースを知った人にはいろいろな思いを抱かせる。その視点こそが実に大切なこと。社会的な出来事にも個人的な出来事にも、それに意味を持たせるのは個人の思いであり経験であり思想である。その視点で読み解くことが大切。普遍的な意味を得ようとすることも重要だがそれ以上に、個人的な意味を得ようと努めることは個人を深化させるにも大切なこと。

2)仏教の花といえばロータス。蓮の花。蓮の花は泥田に咲く。そして何物にも染まらず美しく咲き誇る。仏教も泥田であるからこそ役に立つ。肉体を持っている限り人には苦が伴う。悲しみが伴う。これは避けられないこと。この苦であり悲しみの世間だからこそ、蓮の花のように何物にも染まらない仏教の花が咲く。蓮は大慈悲(慈愛)を表し、清浄さを象徴する。世間から離れるのではなく、世間に染まるのではなく、世間の中にあってその泥に染まることなく花を咲かせるのが仏教の花である。

そんなお話をした。この話をしたのは他者であったのだが、私はそれ以上に自分に言い聞かせるように話をした。私自身を導いてくださるいのちからのメッセージだと感じている。深く感謝する。

明日から数日は忙しくなる。今宵はこれまで。

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