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2006年8月 7日 (月)

今日はカミさんと大喧嘩。結論的には私に非があるのだが、男は対面を傷つけられると火山噴火してしまうことを実感させられた。女は愛がないと生きていけない。男は面子がないと生きていけない。これはどこまで行っても平行線。今回のカミサンとの喧嘩はやはりこの平行線が原因だった。

この愛という言葉が曲者だ。「あなたは何のために生きるのか」と問われれば、「大いなるいのちの愛の表現だ」と応えるようにしている。しかし、この愛と女性が求める愛とは実は相反している面もある。大いなるいのちの愛とは人類愛であり普遍の愛。これは仏教用語で言えば大慈悲心。ということは女性の求める個人的な愛情とは相反するものともいえるのだ。

あえて言えば、その両者を包み込むもっと大きな愛を想定する必要があるのかもしれない。どちらの愛も否定しない愛。理屈ではなんとなく創造できるようになった。さて次はそれの体現だ。カミサンと喧嘩がなくなったとき、まさにその体現なのだろう。

私の頭の上のほうで、何人かの「いのち」が笑っているように感じるのは、私の勘違いだろうか?

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