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2006年7月31日 (月)

尾張一宮から名古屋市守山へ

宗教新聞Cをこの日で辞めるOさんに誘われて、尾張一宮真清田神社に行った。今日は朝まで語り合っていたので睡眠時間は二時間。かなり眠たい状況だったが、逆に頭で考えず感覚で捉えられたので良かったかもしれない。集まった方々とは不思議な縁があった。松本つながりの縁も面白い。また富山のアーユルベーダ関係の方や尾張一宮・尾張旭にお住まいの方などいろいろな縁があったように思う。この人の縁はまた後日に記したい。

実は今日は旧暦の七月七日。本来の七夕祭りだ。真清田神社には七夕祭りがある。我が敬愛すべき亡き祖父が数十年にわたり七夕の飾り付けをしてきたお祭り。そのお祭りは七月末に行われているため、かなり形骸化しているが、本来は旧暦の七月七日に行われるべき行事と思うのは私だけではないことを知った。この目でたき日に、私が生れ落ちた場所で祈りを捧げられたとは感無量だ。ちなみに私はこの真清田のすぐ裏で生まれている。昔の御神域内の産婆さんだ。

今日は宮司さんのお話も聞けた。彼はかなりの人物。こうした人が宮司でいただけるとは嬉しい。禰宜町という町で私の母方の祖先は室町期以前から住んでいたことが知られているが、そのご先祖様からの流れも今日のこの宮司さんのお話に歓喜していたように感じる。お水による手と口の注ぎ方。この型の中に大いなる意味がこめられていることを教えていただけた。私も神道のこうした作法を学びたいと感じた。

拝殿で玉ぐしを捧げ感謝した後、境内の服部神社・厳島などを参拝。その後、一宮市今伊勢町にある元伊勢の一つ酒見神社へ行き感謝の祈り。そして昼食。八人の方々とお食事をした後に、4人のみ名古屋市守山にあるチベットのお寺へ行く。ここの本堂で、釈迦如来の像と文殊菩薩の像の前で止まってしまった。意識的ではなく無意識に」、するとそこの住職が教えてくれた。二十体ほどある仏像の中で、その二体だけが壊れることもなくもとのままの姿で今に至っているということだった。うーむ、私自身がこの力をまだまだコントロルできていないが、直感はさえていたようだ。そしてここで思わぬ絵画に出会った。Bu-ston。プトゥン。私が最も敬愛するチベット仏教の学僧。彼の絵画に出会えた。嬉しかった。思わずはしゃいでしまった。

寺子屋があったので急いで戻った。今日は実に濃い一日だった。ただ寺子屋の時間に何もしないのに物が二回落ち、台所でも同じようなことが起きた。そして先ほどお腹を壊した。久しぶりの腹痛。いったい何が起きたのか。私自身は、今日訪れた場所に対しての自分なりのセーフティーがかかったのではないかと思う。私の肉体を包み込む大きないのちの意思が動いたような気がする。プトゥンにはしゃいでしまった自分、真清田で若い禰宜さんを勉強不足と感じてしまった傲慢な自分、そのほかいろいろあるがその煩悩をこうした落下物や腹痛により現象として出していただけたような気がした。深く感謝する。

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