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2006年7月28日 (金)

悪霊の話

今日は二十八日。お護摩の日。なかなかよい火が上がった。今日、こられた方々はとても幸せだと思う。このよい火に出会えるとは。

さて今日の法話では、霊のお話をした。俗に言う悪霊のこと。これは99%までもが死者の霊ではない。あえて言えば、人の想いであり念。想念。女の念は岩をも通すという言葉があるが、まさに強い念がそこに何らかの影響を及ぼし、敏感な人やその念と同調してしまう人にあたかも例の如く映ってしまうもの。しかし、これは悪さをするものではない。よい念だと、その場所は清められとても心地よくなるのだが、怒りや悲しみ不安などのいわゆるマイナスの感情の念が残ると、そこは気持ちが悪いと感じることが少なくない。これは死んだ人の念だけではなく、生きた人の念も大いに関係する。

お店に行けば分かると思うが、店員が明るい場所は、雰囲気もよい。店員が暗い場所は雰囲気が悪い。それはそこに居る店員の念と、そこに訪れたお客の念が強く残るからである。

ではどうすればよいのか?とにかく明るい念でその場を満たすこと、それが第一。その明るさで暗い念を徐々に消し去っていく。これがベスト。

もし悪霊が・・・などと脅された人が居るのならば、その人は心配する必要はない。自分自身が明るい念を持って生きていけば、その暗き場所から縁が自然に消えていくし、またその暗き場所も徐々に明るさを取り戻していく。暗き念に負けることなく明るい念を出し続けて欲しい。あまりにも怖いと感じられる方は、どうか相談にお越しいただければと思う。悪霊商売に決して引っかからないことを切に願う。

今日はそんなお話をした。運がよい人は運がよい人の元に集まる。そしてますます運がよくなって行く。今日こられた信者さんたちはまさに運の良い方々なのだろう。

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