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2006年7月22日 (土)

懺悔とは単なる告白ではない

在家勤行次第を見つめていた。そしてその後に、僧侶用の次第を実修。するとハッと気づいた。。在家勤行次第にも、次第にも文章こそ異なれ、最初の部分で懺悔がある、この懺悔とは何なのか?私なりに感じた。それは大いなるいのちに自分の愚かしさを単に告白することではない。自分を導くいのちの流れも、自分を見守る大いなるいのちも、そして崇高のいのちも、自分の愚かしさなど当にお見通しである。自分が犯してきた罪業もお見通しだ。懺悔とは、この愚かしさや罪業を羅列して告白することではない。今までに犯してきた罪業という重荷を下ろし、大いなるいのちにその重荷を預けてしまうことこそが懺悔なのだと感じた。この重荷はあまりにも重くあまりにも大きい。だからこそ自分ひとりでは背負うことなどは無理なのだ。だからこそ我々は苦しんでしまう。しかし、大いなるいのちを実覚し、その大いなるいのちに重荷を預けることで、軽やかになる。本当に軽やかになる。そしてこの軽やかさのおかげで大いに喜び大いに悦べる。これこそが懺悔なのだ。

信仰の最初は懺悔が肝要。その懺悔は単なる告白ではなく、自ら背負った重荷を下ろすこと。このことを知れば懺悔の大切さがより実感できる。これからは懺悔文や五悔をもっと丁寧に読んでみようと思う。いや、その文章を身体にも言葉にも心にも刻みこむように進めていくつもりだ。

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