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2006年7月31日 (月)

尾張一宮から名古屋市守山へ

宗教新聞Cをこの日で辞めるOさんに誘われて、尾張一宮真清田神社に行った。今日は朝まで語り合っていたので睡眠時間は二時間。かなり眠たい状況だったが、逆に頭で考えず感覚で捉えられたので良かったかもしれない。集まった方々とは不思議な縁があった。松本つながりの縁も面白い。また富山のアーユルベーダ関係の方や尾張一宮・尾張旭にお住まいの方などいろいろな縁があったように思う。この人の縁はまた後日に記したい。

実は今日は旧暦の七月七日。本来の七夕祭りだ。真清田神社には七夕祭りがある。我が敬愛すべき亡き祖父が数十年にわたり七夕の飾り付けをしてきたお祭り。そのお祭りは七月末に行われているため、かなり形骸化しているが、本来は旧暦の七月七日に行われるべき行事と思うのは私だけではないことを知った。この目でたき日に、私が生れ落ちた場所で祈りを捧げられたとは感無量だ。ちなみに私はこの真清田のすぐ裏で生まれている。昔の御神域内の産婆さんだ。

今日は宮司さんのお話も聞けた。彼はかなりの人物。こうした人が宮司でいただけるとは嬉しい。禰宜町という町で私の母方の祖先は室町期以前から住んでいたことが知られているが、そのご先祖様からの流れも今日のこの宮司さんのお話に歓喜していたように感じる。お水による手と口の注ぎ方。この型の中に大いなる意味がこめられていることを教えていただけた。私も神道のこうした作法を学びたいと感じた。

拝殿で玉ぐしを捧げ感謝した後、境内の服部神社・厳島などを参拝。その後、一宮市今伊勢町にある元伊勢の一つ酒見神社へ行き感謝の祈り。そして昼食。八人の方々とお食事をした後に、4人のみ名古屋市守山にあるチベットのお寺へ行く。ここの本堂で、釈迦如来の像と文殊菩薩の像の前で止まってしまった。意識的ではなく無意識に」、するとそこの住職が教えてくれた。二十体ほどある仏像の中で、その二体だけが壊れることもなくもとのままの姿で今に至っているということだった。うーむ、私自身がこの力をまだまだコントロルできていないが、直感はさえていたようだ。そしてここで思わぬ絵画に出会った。Bu-ston。プトゥン。私が最も敬愛するチベット仏教の学僧。彼の絵画に出会えた。嬉しかった。思わずはしゃいでしまった。

寺子屋があったので急いで戻った。今日は実に濃い一日だった。ただ寺子屋の時間に何もしないのに物が二回落ち、台所でも同じようなことが起きた。そして先ほどお腹を壊した。久しぶりの腹痛。いったい何が起きたのか。私自身は、今日訪れた場所に対しての自分なりのセーフティーがかかったのではないかと思う。私の肉体を包み込む大きないのちの意思が動いたような気がする。プトゥンにはしゃいでしまった自分、真清田で若い禰宜さんを勉強不足と感じてしまった傲慢な自分、そのほかいろいろあるがその煩悩をこうした落下物や腹痛により現象として出していただけたような気がした。深く感謝する。

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学生たちと4時まで話す

20代前半の学生たちと、朝の四時まで語り合った。彼らのライブを観て、彼らのバージョンアップの仕方を実感し、その意見を述べた後、0時くらいから語り合った。

心は肉体の内にあるのではなく、心の一部の表現として肉体があるとは考えられないだろうか?

相手と話すときに、肉体の自分と肉体の相手と話すのではなく、肉体を包み込む大きないのち同士で話し合っていただくという感覚はもてないのだろうか?

大いなるいのちが自己表現としてさまざまな姿を現しているとは考えられないだろうか?

現象に現れていることは、本来何の意味もないが、逆に全ての意味がこめられており、自分自身の見方や解釈でいろいろ自分へのメッセージを受け止められないだろうか?

自分の心の表現として社会活動をする人も居れば、社会活動を見つめることで自分の心を深める人も居る。

そんな話をいろいろした。彼らから学んだことも少なくない。そして彼らに伝えた最大のことは、人が生きる目的とは、大いなるいのちの愛を表現すること。愛とは情欲の愛ではなく、大慈悲心。それが生きる目的だと思うと伝えた。朝9時にはお寺を出発。この寝不足の中、彼らは何かを感じ取ってくれただろうか?

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2006年7月29日 (土)

華氏911を観て

「華氏911」をレンタルDVDで観た。公開されて3年。あのときの熱で観るのではなく、冷静に観ることができる今だからこそ・・・というのは表向き。実はマドンナがムーア監督を熱烈に応援していることを知ったうちのカミさんが借りてきたのを、無理やり見させられたのだ。うーむ。思った以上に過激ではなかった。私の知っているブッシュ情報だともっと過激な内容だったのだが、かなり抑えに抑えた内容だったように思う。いや、それ以上に驚いたのはムーア監督が実に実践家だということだ。アメリカの強さをここに観た。権力に反対する人をここまで野放しにできること、またそれを応援する人がかなり影響力のある人であってもそれを放置しておく度量の広さ。さらに、権力に屈することなく果敢に攻めていくアグレッシブなジャーナリズム。この両者とも頭が下がる思いだ。日本はどうなのか・・・。改めて感じる。アメリカのよくない部分ばかり真似る日本。しかし、日本のお家芸は違うはずだ。他国のものを取り入れ、自分の国柄に合わせ本質までも変化させより良いものに改良することが日本のお家芸。この華氏911に観られるアメリカの度量の広さや、大きな壁に屈することなく進んでいく勇気、こうしたものを見習い、よりすばらしいものへとしていく必要性を感じた。私自身も何ができるのか・・・何がしたいのか・・・この心の欲求に耳を傾けたい。そしてそれに素直に従いたい。それが何なのか・・・今は秘密だが、いつかここで述べる日も来るだろう。

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2006年7月28日 (金)

悪霊の話

今日は二十八日。お護摩の日。なかなかよい火が上がった。今日、こられた方々はとても幸せだと思う。このよい火に出会えるとは。

さて今日の法話では、霊のお話をした。俗に言う悪霊のこと。これは99%までもが死者の霊ではない。あえて言えば、人の想いであり念。想念。女の念は岩をも通すという言葉があるが、まさに強い念がそこに何らかの影響を及ぼし、敏感な人やその念と同調してしまう人にあたかも例の如く映ってしまうもの。しかし、これは悪さをするものではない。よい念だと、その場所は清められとても心地よくなるのだが、怒りや悲しみ不安などのいわゆるマイナスの感情の念が残ると、そこは気持ちが悪いと感じることが少なくない。これは死んだ人の念だけではなく、生きた人の念も大いに関係する。

お店に行けば分かると思うが、店員が明るい場所は、雰囲気もよい。店員が暗い場所は雰囲気が悪い。それはそこに居る店員の念と、そこに訪れたお客の念が強く残るからである。

ではどうすればよいのか?とにかく明るい念でその場を満たすこと、それが第一。その明るさで暗い念を徐々に消し去っていく。これがベスト。

もし悪霊が・・・などと脅された人が居るのならば、その人は心配する必要はない。自分自身が明るい念を持って生きていけば、その暗き場所から縁が自然に消えていくし、またその暗き場所も徐々に明るさを取り戻していく。暗き念に負けることなく明るい念を出し続けて欲しい。あまりにも怖いと感じられる方は、どうか相談にお越しいただければと思う。悪霊商売に決して引っかからないことを切に願う。

今日はそんなお話をした。運がよい人は運がよい人の元に集まる。そしてますます運がよくなって行く。今日こられた信者さんたちはまさに運の良い方々なのだろう。

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2006年7月27日 (木)

八月十五日は「いのち感謝祭」

今年の八月十五日は例年通りお施餓鬼を行う。しかし、今年からヴァージョンアップ。名前も「いのち感謝祭」。私たちは他の「いのち」をいただき、他のいのちに支えられ生きている。それに深く感謝することを目的にしているお祭り。

その概略をチラシにした。その内容を以下に少し記してみる。これを見て何かを感じていただければ嬉しい限り。

いのち感謝祭の功徳は何?
・重荷を下ろし心的平安と勇気と元気を得ます。
・亡くなったあらゆる「いのち」の追福菩提を祈り、功徳を回し向けていきます。
・真言密教のお経によると、自身は衣食に事欠かなく寿命を延ばし、
 有縁過去精霊たちを救います。
・あらゆる「いのち」を大切にする広く優しい心を育み、福徳を得ます。

高家寺の施餓鬼は他のお寺と何が違う?
・食事などでいただいた「いのち」に感謝し供養できます。
・御先祖様も、有縁の方々も 動植物も含めすべての「いのち」に感謝し祈りを捧げる
 ツキを呼び込む感謝祭です。
・夜の部は真っ暗な空間ですので、 静寂と荘厳さを味わうことができます。
・終戦記念日だからこそ平和祈願ができます。
・形式・意味共に経典の内容を守っています。
・高家寺の檀家であっても檀家でなくても、参加できます。どんな宗旨宗派の方でも
 ご参加いただけ、ひろい心を養えます。
・心的平穏・所願成就なども祈願することができます。

初めてで参加しづらいのでどうしたら良いの?
・最初はなかなかお寺の門をくぐりにくいですね。誰もが最初はそうなんです。
 だからまずは最初の一歩。この最初の一歩が、勇気と元気を与えてくれます。
 思い切って、お電話058・371・2821
 メール osho@kokeji.com
 Fax    058・383・6328
 郵送、直接訪問などで
 「初めての参加でどうしたら良いのか?」と、問い合わせてください。
 無理な勧誘は行っていませんので安心して参加下さい。
・一歩、踏み出せば簡単です。
  お寺や仏教を身近に感じられるようになります。 
  大いなる「いのち」への連なり心の平安などにご活用ください。

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2006年7月26日 (水)

久しぶりにDVDでTNGを観る

昨夜から今朝の6時にかけて、郵送物をパソコンで作り、印刷をかけた。パソコンは二台。一台は古いパソコンで使いかけてもう六年にもなる。そのパソコンでDVDをかけながらの作業である。

久しぶりにスタートレックを観た。八話分を堪能。もちろんThe Next Generation(TNG)。私の一面はトレッキー。オタクとまではいかないがかなりのものだと自負している。もちろんDVDは全部持っている。だから好きなときに見れるのだが、最近はあまり見ていなかった。久しぶりに覗いた。やはりいろいろ考えさせてくれる。スタートレックの面白さは人間とは何かを考えさせてくれることだ。特にアンドロイドやホログラムなど非人間を扱い、人間を考えさせる。また、論理中心・感情中心・戦闘中心・交渉中心・商売中心・裏技中心など、シンボリックな宇宙人を登場させることで、人間のいろいろな側面も覗かせる。そして、どこに向かっていくべきなのかも案じさせる。仏教的な思想がにじみ出ていて、TNGは面白い。

時折、このブログでスタートレックのことも書いてみたくなった。今後これも一つのテーマとしよう。今宵はこれまで。

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2006年7月25日 (火)

カミサンの誕生日

七月二十五日 カミサンの誕生日。

この日は朝から相談があったり、電話があったりと忙しく、彼女に「おめでとう」が昼まで言えなかった。案の定、機嫌が少し斜め。大きなドジをしてしまった。それでも、もちなおし、友人の cafe ぷらな でお食事。そして床屋。お寺に帰ってみると相談に訪れた人がお二人。そして寺子屋と怒涛のごとく流れてしまった一日だった。今もお施餓鬼の準備をしている。その合間を縫っての日記だ。

この埋め合わせをどこかでせねば、今は強く感じる。

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2006年7月24日 (月)

師が次期管長に決定

今日のお昼に高野山真言宗の管長の推戴受付が終了。推戴されたのは我が師匠である寶壽院門主松長有慶先生だけだったそうだ。これでこの十月十五日からの高野山真言宗管長金剛峯寺座主に師匠が就任される。心よりお祝い申し上げたい。

ただちょっと複雑な気持ちもある。弟子としては身体のことが気になるので、激務は控えていただきたかった。後進の指導に専念していただきたかったのだ。しかし真言宗全体のことを考えると我が師が管長にならねばならなかったのも事実だ。大いなる流れがまさに師を選んだように思える。

師匠には弟子が十数人居る。しかし、兄弟子は単立寺院の住職であって高野山真言宗のお寺ではない。兄弟弟子の村上高野山大学教授は今は高野山真言宗の内局の教学部長。そのほかの弟子は住職になっていない。結果的に高野山真言宗のお寺で住職をしているのは、村上先生と私だけになってしまっている。自分に何ができるのかはわからないができる限りのお手伝いはしたいと思う。

この縁を我がお寺の信者様方にも触れていただきたい。そのように強く願う。

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2006年7月23日 (日)

一つの細胞 多くの細胞

最近、いろいろと実感しはじめている。社会に起きていることも、個人に起きていることも、基本的には同じであると。今日は若い信者さんに話しをしながら感じたことがあった。それはマドンナのコンサートの際に流れた映像によるものだ。その映像では、一つの細胞が二つに別れ、四つにわかれ、八つに、16個に、32個に、64個に、そして無数に。それらが、各宗教を作り上げ、最後はそれらが分解して一つの大きな細胞になるというもの。実はこれは宗教だけではない。大いなる一つのいのちが、自分を表現するために、小さなな無数の細胞を生み出した。そしてそれらの細胞が、あちこちで集まり、さまざまないのちを作り上げていく。それらのいのちはバラバラになったり、またかたまったり、さまざまに変化していく。さまざまないのちを作り上げていく。しかし、最終的にはあらゆる対立を乗り越えて一つの大いなる命へと統合され、大いなるいのちとして大きな一つの細胞となる。これは個人の意識の流れにも関わるものだし、輪廻にも関わるもの。社会にも関わるものでもあるし、子の大いなる宇宙にも関わるもの。あのマドンナが発してくれたメッセージはまさにいのちのシンボル化であった。このシンボルはありとあらゆるところに適合されることを改めて気づかされた。私が学生時代に取り組んだ五相成身観という瞑想があるが、この瞑想もまさにこのことを表したものの一つであることを感じさせられた。

社会に起きることは自分の個人の中でも起きていること。社会活動も個人の活動も実は密接に繋がりあっている。自分を見つめて社会を考え、社会を見つめて自分を考える。宗教者の役目とはこれを多くの方々に伝えていくことであると改めて実感した。

この若い二人が今日お寺に来てくれたことに深く感謝する。

今宵はこれまで。

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2006年7月22日 (土)

懺悔とは単なる告白ではない

在家勤行次第を見つめていた。そしてその後に、僧侶用の次第を実修。するとハッと気づいた。。在家勤行次第にも、次第にも文章こそ異なれ、最初の部分で懺悔がある、この懺悔とは何なのか?私なりに感じた。それは大いなるいのちに自分の愚かしさを単に告白することではない。自分を導くいのちの流れも、自分を見守る大いなるいのちも、そして崇高のいのちも、自分の愚かしさなど当にお見通しである。自分が犯してきた罪業もお見通しだ。懺悔とは、この愚かしさや罪業を羅列して告白することではない。今までに犯してきた罪業という重荷を下ろし、大いなるいのちにその重荷を預けてしまうことこそが懺悔なのだと感じた。この重荷はあまりにも重くあまりにも大きい。だからこそ自分ひとりでは背負うことなどは無理なのだ。だからこそ我々は苦しんでしまう。しかし、大いなるいのちを実覚し、その大いなるいのちに重荷を預けることで、軽やかになる。本当に軽やかになる。そしてこの軽やかさのおかげで大いに喜び大いに悦べる。これこそが懺悔なのだ。

信仰の最初は懺悔が肝要。その懺悔は単なる告白ではなく、自ら背負った重荷を下ろすこと。このことを知れば懺悔の大切さがより実感できる。これからは懺悔文や五悔をもっと丁寧に読んでみようと思う。いや、その文章を身体にも言葉にも心にも刻みこむように進めていくつもりだ。

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2006年7月21日 (金)

七月二十一日月例弘法大師法話

今月の守護尊カード 金輪佛頂・地蔵菩薩・金剛鬘菩薩・軍荼利明王・閻魔天・寿老人。我が母とカミさんには金輪佛頂が渡り、長老の方には福禄寿に引き続き寿老人。食事が大切な方には軍荼利明王と、やはりその方々に必要なカードが今月も渡った

さて、今日の法話は真言宗の教理に説かれていないことまでお話をした。私自身が感得し、最近になり私とまったく同じ感得をされた方が居ることを知り、ようやくこの話ができた。それは、まず生まれ変わりのことと輪廻のこと。

生まれ変わりは一対一だけではない。多対多だ。一対多の場合もあるし多対一の場合もある。複数の人間の意識の流れがその縁により集まり一人の人間を形成することもある。一人の人間の中に多面的な要素があるのは、こうした場合が多い。また一人の人間の意識の流れがその縁により複数の人間に分かれることも少なくない、同時にあちこちに存在するのだ。だからこそ、別人であるのに過去世の記憶として同じものを共有することもある。この意識の流れと縁によって生じることをお話した。

そして輪廻のこと。それは過去世の業を引きずって、今生でも同じようなことを繰り返してしまうことと一般に捉えられている。それも否定はできない。しかし、そればかりではなく、今世でも同じようなことを繰り返してしまうことも輪廻の一種なのだ。この同じことを繰り返してしまうという流れから自由になることが求められている。まずは今生で同じことを繰り返さないように意識を払うことだ。そして、過去世からの業を、大きないのちに引き渡してしまうこと。ここに過去から背中に背負った荷物を置くことが大切なのだ。そのことを語った。

さらに、大いなるいのちのこと。これは守護尊カードをはじめたことにも繋がるが、これについてはまた稿を改めようと思う。

今日の話は、真言宗の経典に記されていることそのものではない。真言宗の行をすることにより、私自身が感得したことを記している。今、それを経典の中に証明できないかを探している。今年九月、高野山に一ヶ月こもるが、できればこの間に、この証明と、この感得した内容を文章にまとめたいと思っている。そしていつか、我が思いを誰かに伝えようと思う。縁が満つればその人もまた目の前に現れてくるのだろう。

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2006年7月20日 (木)

西邨まゆみさん講演会準備委員会事務局会議

マドンナのプライベートシェフの西邨まゆみさんの講演を企画している。その事務局会議をお寺で開いた。日付こそは、マドンナのスケジュールのためにはっきりしないが、この年末年始にかけて実施しようと思っている。各務原で行うのは「給食とハリウッドセレブの食事」というテーマ。各務原市は給食センターを作っている最中でもあり、まさにこの時を得たりという感じだ。

この事務局会議で決まったこと。日程が決まったら実行委員会を立ち上げること。そのときの代表と副代表の候補者。協力を求めるところ。そのほかいろいろと話が出た。

さぁいよいよ、実施に向けて行動だ。もう私たちの中では答えは出ている。その答えから見つめて、今何をすべきなのか、ここをどんどん追って行きたい。そして単なる講演ではなく実行の講演へと結び付けて行きたい。

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2006年7月19日 (水)

食を考える

今日はMannazで、食を考えるボランティアの会があった。会の名前は近いうちに決まる。私は事務員なので、カウンターにいた。十七名の方々が和気藹々としていた姿はなかなか良いものだった。小さな宣伝しかしていないのに、食に関してこれほどの人が集まるとは・・・食に関して今私たち夫婦が取り組んでいることはやはり大きな流れなのだろう。

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2006年7月18日 (火)

師匠が管長に推戴

我が師匠の松長有慶大僧正が高野山真言宗の管長に推戴された。24日までに他の方が推戴された場合は選挙人による選挙になるが、推薦がない場合は師匠に決定する。師匠の経歴を少し記そう。高野山浄菩提院の住職松長有見高野山大学教授の長男として昭和四年七月二十一日(旧暦六月十五日)に大阪に生まれる。二十一日は高祖弘法大師の法恩日、六月十五日はお誕生日。その後有見教授は高野山別格本山南院の住職となる。師匠は物理学を勉強すべく伊都高校へ進学。ところが有見師が戦後間もなく没したため、旧制高野山大学へ進学する。東北大学大学院に国内留学。そこで、斎藤昌子女史と出会い結婚。二人の男の子をもうける。高野山へ戻り大学の助手。南院の東北にある補陀洛院住職となり、上綱職に。一方では、大学の助教授、教授となり、高野山大学の学長に選出。密教文化研究所所長などを経て、高野山寶壽院門主兼専修学院長となり、検校法印職を経て今に至る。専門はインド後期密教と弘法大師。曼荼羅を世間に広めた功績は多大。多くの著書を著し、わかりやすい説明は定評がある。

私は昭和六十年に師の弟子となった。押しかけ弟子である。あのときに師に言われた「和光同塵」は今も深く胸に刻んでいる。また善財童子の師匠巡歴の話も今の私を支えている話だ。その師匠は学者として有名になり、今も学者と思われている。しかし、そばに仕えてきたものとして感じるのは、師匠は学者ではなく学侶であるということだ。よく拝まれている。だからこそ、学問的な話の中にも師匠独特の感性を感じ、信仰の深みを感じさせられる。

この師匠が管長に推戴された。弟子としては、本当は身体のことが心配で管長職という激務には着いて欲しくない。しかし、真言宗の僧侶としては、この人しか居ないというのも本音だ。だからこそ私は弟子になった。そしてそのご恩は深く強く感じている。あえて言えば、私は不肖中の不肖のでしであるのだが・・・。

24日に今後どうなっていくのかがほぼ決まる。弟子として、影となり支えさせていただければと思っている。

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2006年7月17日 (月)

海の日

所用があって買い物に。すると子供たちが何人も。
あれ、今日は学校が休みなのかなぁ?
その後に郵便局に出かけた。すると隣の銀行が閉まっており、郵便局も・・・。
カミサンが気付いた。
今日は海の日だ。

少し調べてみた。明治九年(1876年)、明治天皇が東北を巡幸された。
それまでは軍艦を使用されていたが、その時には灯台巡視の汽船「明治丸」を使用。
そして7月20日に横浜港に帰港された。
それをちなんで、昭和十六年(1941年)に逓信大臣村田省蔵の提唱により制定されたのが
海の記念日だそうだ。
祝日法によれば「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを
趣旨としている。

本来は七月二十日になるが、平成15年(2003年)から第三月曜日になった。
だから今日は海の日なのだそうだ。

ちょっと考えた。最近の祝日は、曜日で制定されるようになってきた。
ということは本来の意味を離れてしまうことになる。
こうした安易な考えが今の日本人の軽薄さと繋がっているのではないかと感じた。

祝日にしても行事にしても、
本来の意味をしっかり持ってこそ意味ある祝日であり行事となる。
安易に日にちを動かすことに、この海の日のことで疑問を感じた。

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2006年7月16日 (日)

お盆

新盆が終わった。本来お盆というのは7月15日前後のことを言う。元々は旧暦だった。しかし目地になり新暦が使われるようになり、その差を埋めるべく、一ヶ月遅れの8月15日前後をお盆というようになった。今年ならば、旧暦の7月15日が新暦の8月8日に相当する。高家寺では一ヶ月遅れのお盆を採用しているが、自分自身としてはこの旧暦のお盆にお祈りを捧げようと思っている。

さて、昨日新盆のお祈りをした。そこで出た法話。高家寺のオフィシャルブログに載せた。食事に関わる内容だ。食事は面白い。単に食事にとどまることなくありとあらゆるところに繋がっていく。しばらくこの食事を見つめていこうと思っている。

お盆、西邨さんの講演会、収穫祭、私自身の研究・・・この流れがどこまで行くのかとても楽しみだ。

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2006年7月15日 (土)

五井昌久氏の著作を読み始める

縁があり五井昌久氏の著作を数冊手にした。今読んでいるのは文庫本で『神と人間』。なかなか面白い。面白いというと不遜だが、彼の宗教観がよく伝わってくる。彼の人間観は確かに的をついている。一般の人々はどうであり、天国に居る人など実に興味深い内容だ。深く信仰を持っている人はやはりどこか違う。彼の奥深い洞察は私にも大きな影響を与えそうだ。彼のことを教えてくださった京都府立医大のT先生や中外日報のOさん、大垣のM寺のご住職に深く感謝したい。

そういえば、高野山で彼に関わるポールが抜かれた話があった。例の「世界が平和でありますように」という白いポールだ。宗教団体と関係あるということで高野山上のそれを全て抜いてしまったということだ。このあたりから高野山の幅広さが失われたように思う。高野山はこうしたものまでも包み込んでいた宗派だ。これからの高野山が、かつてのように懐深く、包容力のあるお山に戻ることを深く願う。それこそが世界遺産に登録された信仰のお山の姿であると思う。

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高野山で素典輪読会

高野山の師匠のお宅で素典輪読会。今日で三回目。題材は『般若心経秘鍵』。弘法大師が著した書を丁寧に読んでいく勉強会。参加人数は5から6名。皆なかなか鋭い切口を持っており、なるほどと頷かせられることが少なくない。般若心経秘鍵は般若心経の秘密を解く鍵なのか、般若心経を解き明かす秘密の鍵なのか、こんな話もあり、なるほどと感じさせられることが少なくない。

帰り道、大阪のAさんに大阪まで送っていただいた。その車の中で、高野山大学の大学院を卒業された優秀な方々が居るが、今はあまり活躍の場を与えられていない。その人たちを集めて後世へ繋げていく何かできないかなぁという話になった。ここはちょっと思案のしどころ。私自身は講師の任ではないが、こうしたことを仕掛けていくのは任のような気がする。メンバーをAさんと話し合っていたら、現在の高野山大学よりも魅力ある人が揃っていることに気がついた。大学という器のためにも、高野山教学という中身を大切にするためにも、優秀な講師を集めた大学林のようなものができればと思う。Aさんと今後話し合っていこうと感じた。

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2006年7月13日 (木)

ブログ再開

やっとブログが再開できる。NIFTYの皆さんにご苦労様といいたい。

7月5日(水)カミサンの友人のジュンチャンの出版記念パーティ。
カミサンは一宮の馬宿さんへ。
プレゼントはユニーで手に入れたガジュマルの木。
私は、車の中で書類作成。良い時間をいただけた。

6日(木)は寺子屋。本当は7日なのだが、七夕が町内であるというので前倒しに。
この日は聖書の話をした。お寺の本堂で聖書の話、私自身も生徒も楽しんた。

7日(金)稲沢へ。カミサンの独身時代の郵便貯金の名義変更をしに行った。
カミサンの母代わりの叔母さんのお宅へ行く。
そして帰り道。何気なく一宮を通っていこうと感じ、グルメ通りに
そしてAngeloに入る。イタリアの輸入雑貨のお店。
社長は平松さん。この平松さんに、食の改善のお話をした。
するとマドンナのプライベートシェフ西邨まゆみさんの記事をお持ちになっていた。
なんという偶然。興に乗り、随分と話し込んでしまった。
こんなところでも話の流れがあった。

8日(土)上京。まず新宿の伊勢丹7階にあるCHAYA MACROBIOTICへ。
このレストランは砂糖乳製品お肉なしのマクロなお店。
アイスクリームもケーキも美味しい。十分に味を堪能。
この日は妹宅にお世話になるので、ここでお菓子を購入して行った。
その後は代々木の鍼灸の漢方赤ひげ堂で身体のメンテ。
股関節が痛かったが、ここの治療のおかげですっかり改善。
そして西新宿の妹の家へ。子供たちとも楽しむ。

9日(日)横浜へ。カミサンの元の上司のところへ。
パソコン関係の打ち合わせに。
カミサンは元秘書仲間でストップフロンのモモチャンと代々木公園へ。
その後、山手のエレーナで待ち合わせ。ここでも話が盛り上がる。
夜、11時ごろ妹宅へ。ここで妹と私は2時まで話。
久しぶりに妹といろいろ話した。

10日(月)帝国ホテルで鳩山幸さんと打ち合わせ。
これは追って別稿で記そうと思う。
そして歯医者に行き、その後は西麻布にあるフレンチのラ・レゼルブへ。
ここで、シェフの池田さんやフロントマネージャーの高橋さんに
マクロの提案をさせていただいた。
次回はここでもマクロが食べられる可能性が出てきた。楽しみだ。

11日(火)中外日報の荻原さんが寺子屋の取材に。
これも、寺子屋のブログのほうで記そうと思っている。
その後は荻原さんと9時から12時半まで対話。
彼は記者にしておくにはもったいないほど信仰心のある人。
とても楽しくお話をさせていただいた。
この内容を記したいが、機が熟したら記そうと思う。

12日(水)いつものごとくMannazへ行き、マーティンさんと対話。

13日(木)今日は市役所へ所用で出かける。
市民部長とお話をさせていただく。
臼井市民部長とお話しするといつもいろいろなことを教えていただける。
バランス感覚に優れている一方で、自分の視点をしっかり持っておられる方。
その後にMannazへ。奥様の桜井さんと対話。
そして、マドンナのプライベートシェフ西邨まゆみさんの講演の話が進展。
とてもとても楽しみが広がっている。

こんな一週間だった。
ご供養やご祈祷もこの間にあったが、プライベートなことなので
今回はその件については記さずにおこうと思う。

詳しい内容は、また追って記すつもりだ。
明日は高野山へ勉強会に行く予定。

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2006年7月 7日 (金)

鉄は熱いうちに打て niftyのブログが書き込めない

この数日、夕方方から夜の時間にブログが書き込めなかった。どうもniftyのサーバーに過負担があるようで、残念なことだ。いくつも面白いことがあったのだが、時間が経つとどうもそのときの熱が出てこない。思い出して書こうとしたのだが、どうも文章に熱が入らない。うーむ。

ふと気づいた。やはり「鉄は熱いうちに打て」。そのときの思いを一気に書き込まないと、ブログさえも書き込めない。これは他のことにも言えそうだ。先延ばしにするのではなく、今だ!今行う必要がある!

それを気づかせてもらえた。niftyのサーバー負担により書き込めなかったこともまた感謝だ。

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2006年7月 3日 (月)

英語

2日お昼、アメリカから電話があった。もちろんネイティヴ。英語の連続だった。この方はEIJUNさんというお坊さんで、アメリカ人。師匠より紹介を得た。またこの九月は高野山で共に勉強をすることになっている。

さて電話がかかってきたときの私がどうなったのか。体中から汗が出て、したたり落ちるほど。気づくと、手の先から汗が零れ落ちていた。あまり英語が得意でない私は、やはり英語を理解しようとするととても緊張してしまうようだ。辛かったが、内容は楽しかった。

これをきっかけに英語を学ぼうと思った。今年はアメリカづいている。20年来の友人のLESLIEさんに再会。CAに住む方に日本で会い、ついにはLAにも行ってしまった。そしてまた、CAに住む方がお寺に遊びにこられ、そしてCAに住むEIJUNさんから連絡。ここまできたら苦手を克服しなくてはという気持ちになっている。小学校時代の純粋な気持ちに戻り、英語を学ぼう。

それにしてもすごい汗だった。

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2006年7月 2日 (日)

めまぐるしい一日

7月1日。六月二十八日の代替で午前中に護摩供養。今までになく燃えない火。くすぶり続ける。湿気が強いということもあるが、かなりショックだった。そしてあきらめかけた瞬間に炎が立ち始めいつものようにきれいな火に。願いに執着するのではなく、一度それを手放すことの大切さを改めて教えられた思いだ。

その後、信者さんの相談。そして、地元の代議士と二時間ほど話し合い。その後、ご祈祷一件。それから親友がやってきて、彼に聖書の外典およびナグハマディ文書の翻訳版を貸し、彼と共に食事へ。

その後、いろいろ作業をした後に、テレビの前に。サッカーが見たい・・・。イングランド対ポルトガル戦。十二時半ごろ父親が観に起きてきた。一緒に観戦。ベッカムの号泣に、私も思わずもらい涙・・・。

めまぐるしい一日で、ふと気づくと眠りが襲っていた。

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