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2006年7月31日 (月)

学生たちと4時まで話す

20代前半の学生たちと、朝の四時まで語り合った。彼らのライブを観て、彼らのバージョンアップの仕方を実感し、その意見を述べた後、0時くらいから語り合った。

心は肉体の内にあるのではなく、心の一部の表現として肉体があるとは考えられないだろうか?

相手と話すときに、肉体の自分と肉体の相手と話すのではなく、肉体を包み込む大きないのち同士で話し合っていただくという感覚はもてないのだろうか?

大いなるいのちが自己表現としてさまざまな姿を現しているとは考えられないだろうか?

現象に現れていることは、本来何の意味もないが、逆に全ての意味がこめられており、自分自身の見方や解釈でいろいろ自分へのメッセージを受け止められないだろうか?

自分の心の表現として社会活動をする人も居れば、社会活動を見つめることで自分の心を深める人も居る。

そんな話をいろいろした。彼らから学んだことも少なくない。そして彼らに伝えた最大のことは、人が生きる目的とは、大いなるいのちの愛を表現すること。愛とは情欲の愛ではなく、大慈悲心。それが生きる目的だと思うと伝えた。朝9時にはお寺を出発。この寝不足の中、彼らは何かを感じ取ってくれただろうか?

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