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2006年5月 6日 (土)

株式会社アップ時代の生徒が来る

今から15年前、西宮の学文の、とある大手学習塾で、教室長をしていた。その一年前に学習塾に入ったのは動機が不純だった。僧侶にしては人前で話すことが苦手だった。それはお寺を持たない私には致命的な欠陥であると思われた。そこで、自分を追い込むために学習塾に就職したのだ。学校ではどんなに下手でも生徒は逃げない。学習塾では確実に生徒は減る。まさに崖っぷちに自分を置いた。ところが、なにを勘違いしたのか、私は教師が向いていた。そして生徒たちから慕ってもらえた。その教室は順調に生徒が増え、そして一年後には学文の教室長になっていた。私が転勤したそのころの学文校は生徒数が167人だった。前任者のTさんが前半は後見人として一緒に居てくださった。おかげで、滑り出し順調。二年間で298名まで生徒が増えた。そのころ小学校5年生だった生徒が今日、西宮から遊びに来る、何度か遊びに来たことがるのだが、今回は赤ん坊と旦那を連れてくるという。嬉しい話だ。この学習塾、当時の名前はアップ教育企画。今は株式会社アップとして開進館となっている。社長の木下さん、副社長の北島さんには心から感謝している。この方々のおかげで今の私がるといっても良い。しかし、逆のことも言える。当時の直接上司だったM氏に対しては本当に複雑な思いだ。本人は励ましているつもりだったのだろうが、教室長になってからは虐めにあった思いだった。辛かった(結果的に私は最大の教室を任された途中で退社した。彼の言葉に着いていけなかった。もちろん今はそんな彼にも感謝している)。だからこそ彼の方針に反して、私は徹底して放任主義を貫いた。生徒たちと人間関係を重視し、交流し、開放的にした。スパルタとは正反対だったと思う。それゆえに、多くの生徒たちは今も私を慕ってくれているのだろう。ただの学習塾の先生なのに。私の後任者Y氏がスパルタだったために、私が辞めた後に何人かの生徒が窮状を訴えてきた。それでも私は「彼を信じろ」としか言えなかった。「M氏を信じろ。」としか言えなかった。二年目の部下だったT氏も変身してしまったようだった。突然のスパルタに。「あいつ殴ってやりたい」とまで訴えてきた生徒も居た。悲しかった。しかし、そうした思いそのものに問題はないかどうかを諭しつつ、私が教えた生徒たちは途中退学したり卒業したりしていった。数年前、私のヒゾッコの1人の生徒がアップの先生と結婚した。私は彼女に大きなものを伝えようとした。木下社長の言葉。「五つ以上の漬物を用意する嫁さんを探せ」「赤ペンに安いものを持つな」。結構深い意味がある。これを手渡した。しかし、それを理解してもらえなかった。私の拙速か。そのためにアップとのつながりもついに消えることとなる。

生徒のうち何人かは結婚式に来てくれたし、今も親しく付き合っている生徒たちも大勢居る。東京への寺子屋の旅行にも参加してくれたものも居る。舞台女優になり、今も私は応援している生徒も居る。ほかにも大勢の得がたい生徒たちとの交流を得た。これには本当に感謝している。

今日、子供をつれてくる生徒ともいろいろな思い出がある。彼女が大きく親として前進してくれることを希望する。

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