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2006年5月 9日 (火)

蘇れユダヤ教、蘇れキリスト教

『ユダの福音書』に目を通したのでコプト語で書かれたという他のナグ・ハマディ文書の和訳本を手に入れて読んでみた。「トマスによる福音書」「フィリポによる福音書」「マリヤによる福音書」「エジプト人の福音書」「真理の福音」「三部の教え」。これらを読んで感じたのは、聖書の文章というよりはスッタニパダやダンマパダのような構成になっていることだ。歴史的な順序を追うよりも、そのことばの重要性を感じて集められたもの。仏教の結集のような感じがした。しかも、これは表面的な文字をサラっと読むべき文章ではなく、瞑想をしながら、一つの文章の塊を一つ一つ読んでいくべきもののような気がした。そこで実際にそのようにしてみた。私の推測は私にとっては正解であると確信した。これらの書は正当はキリスト教といわれるいわゆる昨今のキリスト教から見れば異端であろう。グノーシス派は非常に神秘に覆われている。しかし彼らの言わんとしていることを表面的にとらえるのではなく、もっと奥に潜むものが何かに注意して読むとき、神の隠された秘密が顕になってくるような気がする。彼らの思想は単なる異端ではなく、むしろ正統派の思想をより深く深めるものであるとかんじているのは私だけであろうか。これはナグ・ハマディだけではなく、ユダヤ教の異端とされた宗派の文書であろうといわれる死海文書にも言えると感じている。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四部も、黙示録やいくつかの書簡も、瞑想をしながら読むと全く異なる文章になってくる。旧約では特に「創世記」「出エジプト記」「ヨブ記」「エゼキエル書」「詩篇」は神秘思想の書であると確信が持てる。

ユダヤ教がノアやアブラハムやモーゼに戻り、キリスト教がイエスに戻り、モーゼやイエスの教えを深め、真の意味で人々の心に復活するのは、瞑想による聖書の熟読にあるような気がしている。カバラやグノーシスはユダヤ教やキリスト教にとって、単なる異端ではなく、秘密の扉を開く鍵のようなに感じる。

仏教の密教者である私が言うのは変かもしれないが、蘇れキリスト教。蘇れユダヤ教、心よりそう願う。

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