« 本物の改革、それは人づくり | トップページ | 写真撮影のひと時 »

2006年5月10日 (水)

ヴィジョンとアドヴァイス

若い人にアドヴァイスをした。彼女たちの近い将来のヴィジョンが見えてしまったからだ。ヴィジョンは必ず二つ見える。私のアドヴァイスどおりの場合とアドヴァイスを蹴った場合と。

かつて高野山に居たころに、ある先輩が交通事故に遭うヴィジョンを見た。彼に注意をした。ところ、なぜか口論になってしまった。そして彼は山の崖から落ちて大怪我をした。

学習塾で働いているときに、生徒が高校に合格するヴィジョンを観た。一方で、その高校を受けなかったことで後悔しているヴィジョンも見た。その高校は彼の志望校だったが、そのころの彼にはレヴェルが高すぎた。しかし私は彼をバックアップした。彼はその志望校を見事に合格し、周りを驚かせた。

他の生徒の例もある。優秀な生徒だった。あるひ彼女が受験に合格するが、苦しんでいるヴィジョンを見た。そして、別の学校を入学して、喜んでいるヴィジョンも並行して観た。私は直接自分で言うわけにも行かず、部下にそのようにアドヴァィスさせた。しかし、学校の先生を始め回りのものが大丈夫だと言い、彼女は希望校を受けた。そして合格した。しかし一年後、彼女は精神的な症状の為にその学校を退学した。

こんな例を挙げたらきりがない。私はこのアドヴァイスを一時期封印した。しかし、気づいた。このヴィジョンとアドヴァイスを選ぶのは本人たちの問題であると。そこで、できる限りのアドヴァイスをすることにした。不思議なもので素直にアドヴァイスを聞く人たちと、いったんは抵抗しつつもアドヴァイスを聞く人たち、アドヴァイスをきいたふりをしながらも結果的には反対の道を歩む人たち、最初から聞かない人たち。このなかで最も歩みが早く、もっとも高い効果示しているのが、実はいったんは抵抗しながらもアドヴァイスを聞く人たちだ。そういう人たちは自分で考え自分で判断することを知っている。一方、そのまま素直に聞く人たちは、自分で考えることをしない傾向があり依存症になりがちだ。もっとも難しいというか、二度とアドヴァイスをしたくなくなるのは実は、受け入れた振りをしながらも反対の道を歩む人たちだ。そういう人たちは、輪廻から抜け出すことを嫌がっているのだ。そういう人たちにアドヴァイスするのは私自身の時間の無駄になってしまう。そういう人にアドヴァイスをする時間があるのならばほかの事に時間を費やせばよかったと思うことが多い。先に述べた若い人たちへのアドヴァイスは、結果的にはこの最後の例になってしまった。アドヴァイスをした後に、彼女たちがどういう行動をとるのかが見えてしまった。悲しかった。頑張らなくてもいいのに頑張ってしまっている姿に涙が出てきた。しかし、それはその若い人たちが選んだ道だから仕方があるまい。結果よりも過程が大切だ。ただただ見守ろうと思う。彼女たちが大きく成長していく過程で必要なことなのだと私は自分に言い聞かせた。

ヴィジョンとアドヴァイス。まだまだ私も学ばねばならぬことが多い。お節介とアドヴァイスの違いをもっと知らねばならない。私のすべき仕事は、道を指し示すだけ。道を選び、扉の塵や埃を取り、扉を開け、中に入っていくのはすべて本人次第なのだ。私もまたそうしてきた。大いなる命が私の次のステップとして用意してくれたのかもしれない。大いなる命に感謝する。

|

« 本物の改革、それは人づくり | トップページ | 写真撮影のひと時 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65354/10007198

この記事へのトラックバック一覧です: ヴィジョンとアドヴァイス:

« 本物の改革、それは人づくり | トップページ | 写真撮影のひと時 »