日本初の女性天皇とは
昨日、高野山へ行く途中で奈良県葛城市の忍海(おしみ)というところに寄った。ここに不思議な古墳がある。写真を見ていただくと分かるのだが、天皇陵として宮内庁が管轄しているのだが・・・。
飯豊天皇・・・宮内庁・・・とされている。ところが、公式記録にはこの天皇は存在していない。公式記録に存在していない天皇陵が宮内庁管轄で存在している。ここに大きな矛盾がある。なぜなのか?
この天皇の記録上の名前は、忍海部女王/青海皇女/飯豊女王/忍海部女王/飯豊郎女/忍海飯豊青尊/飯豊皇女/飯豊青尊/。
名前から類推すると、渡来系の忍海一族と関係があったものと思われる。忍海や青海とは「おうみ」すなわち「近江」つまり琵琶湖を意味する言葉。おそらく彼女は琵琶湖となんらかの関係があったものと思われる。滋賀県長浜市南部に田村山という丘がある。別名「諸神の岡」。この西の麓に「忍海神社」と呼ばれる村社がある。いくつかの神社が集められ、明治時代にこの名前となったといわれる。この神社との関係からも、飯豊天皇は近江琵琶湖と大きな関係があったと類推される。
しかし、彼女は女性。しかも推古天皇よりも古い時代の女性天皇。推古帝は今でこそ33代天皇とされているが、江戸時代は34代の天皇とされていた。たとえ短い期間であったおはいえ、自分の宮殿を持っていた天皇。それが第24代飯豊天皇。その天皇が公式記録から天皇として抹消され、それにもかかわらず天皇陵は存在し、天皇という名で宮内庁が管轄しているという矛盾。ここに何か秘められたものがるようだ。
日本で初めての女性天皇。この女性をどのように扱わねばならなかったのか、ここに日本史のミステリーがある。この天皇陵、実に入り口が分かりにくい。ここにも何かの意味があるのだろうか?単なる私の憶測に過ぎないのだろうか?
近江の忍海神社は我が家の先祖がお祈りしてきた神社。そこに縁を感じ、今回この天皇陵を訪れ、心より冥福を祈ってきた。
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