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2006年5月 4日 (木)

二十二年前の昨日、修行の一歩

昭和五十九年五月三日昼前、高野山の麓にある慈尊院というお寺の門の前に立った。この日は天気もよく、大学も休みで、意を決して高野山を歩いて上ることにした。早朝に電車で下山。駅より慈尊院まで歩く。空は清々しい天気だった。慈尊院のご本尊弥勒如来(弘法大師のご母堂の写しといわれる)にお祈りを捧げ、階段を上り、いざ出発。緑に包まれる山々は美しかった。途中には自動販売機はない。のどが渇いてきた。そこにあったのは、紀伊の国らしく蜜柑があった。夏みかんだったのかどうかは忘れてしまったが、小銭を入れて二回ほど食した。汗をかき途中で諦めたくもなったが、引き返すわけにも行かず、ただひたすらに歩いた。いろいろな思いが脳裏をよぎった。。どんなことだったかは覚えていないが、いろいろなことが脳裏を横切ったことだけは覚えている。町石を一つ一つ見つめながら、仏があちこちにいることを確認した。途中でトイレに行きたくなった。しかしトイレがない。里に下りる小道があった。そこで思い切って里に下りていった。ところがお店もトイレも何もない。愕然とした。しばらく歩くと、そこに神社があった。神社で用を足し、手を丹念に洗ってからその神社にお礼をと思い、拝殿に向かった。田舎にしては立派過ぎる建物だった。太鼓橋もある。「ここは?」。神社にあるパンフレットを呼んで愕然とした。この神社こそ天野大社。高野山一山の総鎮守。嬉しくて涙がこぼれてきた。拝殿でゆっくりとお祈りをした。感謝の念をこめて。とても気持ちの良い空間だった。あのときの興奮は、今も時折夢を見るほどだ。天野に挨拶をして後は、再び町石道を登った。途中、有料道路(現在は国道)になっていたり、道が分かりにくくなっていたりしたが、とにかく山上を目指して上っていった。足の裏が痛くなっていた。足の裏の皮が少し破れていることに気づきながらも、ただただ歩み続けた。山上を目指した。山々の美しさをめでる余裕がないほどに身体は疲れていた。そして大門に。ここまでに4時間半かかった。さらに壇上伽藍をお参りし、御影堂と根本大塔でゆっくりとお祈りを捧げ、奥の院に向かった。奥の院に着いたときはすでに五時間を越えていた。ここでもなぜか涙が出た。

これが私の高野山での修行の第一歩だった。二十二年前の昨日、まだ色白の眼だけはぎらぎら輝かせていた青年は、今は各務原の田舎寺で住職をしている。あのときの思い、まだ消えたわけではない。天野に導いていただけたこと、今でも心より嬉しく思う。加行が終わり、天野にお札を納めに行ったとき、あの最初に立ち寄った新鮮な気持ちがより強いものに変わっていた。そしてこれを書かせていただいている今日もあのころの強き思いの炎が再び起き始めている。眼に見えない力強き担い手により、小さくなっていた炎に息を吹き込まれたような気がする。神々の導きに今も感謝している。

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