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2006年5月31日 (水)

旧暦の端午の節句。ほんとは女の子の日

今日は何の日なのか?

実は今日は端午の節句、旧暦の五月五日。端午の節句は元々は中国のもの。楚の屈原(BC343~277)という優秀な政治家が、水に投身自殺し、それを供養しようと屈原の遺骸を魚が食べないようにたことから餅を作って魚のえさにと川の中に投げ入れ、始まったといわれてる。そのために、屈原を供養するということでチマキ餅を食べるようになったと言われている。柏餅を食べる風習が日本にある。これは中国にはない。柏は新芽が出るまで古い葉が落ちない。そこから「家系が絶えない」という意味の縁起物として広まり、柏餅を食べるようになったという。

中国では、数字が重なる奇数の日を大切にしており、三月三日は上巳(ひな祭り)、七月なのかは七夕、九月九日は重陽として重要視されてきた。五月は端午の節句。端午とは最初の五(または午)の日という意味。五月は語が重なるので、この日を特別に端午の節句というようになる。

この端午の節句は元々は女性の節句であったらしい。田植え前に女性だけが家の中に閉じこもる。それは田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式が必要だからだ。ここに神を祭る上で女性がいかに大切なのかが伺える。それを行うのを五月忌み(さつきいみ)という。宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い天皇から薬玉を賜った。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあったという。これがもともとの日本における端午の節句であった。

菖蒲は元々は薬草であり邪気を祓う神聖な草であった。

ところが、鎌倉時代ごろから「菖蒲」が「尚武」「勝負」と同じ読みであることから、女性から男性へと節句の意味が変容していく。貴族社会から武家社会に変わったまたことも大きな要因だ。菖蒲の葉の形も、武士にとって命ともいえる剣の形を連想させる。

そして男の子の成長を祈る節句になった後は、鎧・兜・刀・武者人形・旗・金太郎などを模した五月人形などが出てくるようになる。また庭前に鯉幟を立てるのは、鯉が滝登りをし龍になるという故事をちなみ、男子の立身出世を祈願するためである。

ちなみに典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹の鯉からなる。吹き流しの5色は木火土金水(青赤黄白黒)の五行説に準ずるという。

今日は旧暦に端午の節句。元もとの意味を考え、女の子に対しては神を迎えるために邪気払いをし、男の子に対しては強く逞しく生きるように祈りを捧げる、そんな日であることを強く念じたいものだ。

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2006年5月30日 (火)

仲良きことは良きことかな

B1010935 5月28日、美濃加茂市のわらべ村のEart Dayの最終日。MannazのスタッフのAさんに、「彼氏と写真を・・・」と言ったら、妙に照れて、最初は拒否をされてしまった。そこで彼氏のほうを捕まえてお願いしたら、左の写真のように実にしっくりした姿で写真に納まってくれた。こうした雰囲気の良い写真は嬉しい。

話は変わるが、私たち夫婦の共通のSさんから、あまり外に公表していなかったある隠密行動がばれていた。ビックリした。実は友人Mさんには報告してあったのだ。するとMさんよりKさんに話が伝わり、そのKさんが恋人のSさんに伝えたのだ。最初はビックリした。それでもKさんとSさんの仲のよさが分かっただけでも嬉しかった。

やはり恋人同士は仲が良いのは嬉しい。こうした姿を見ると安堵する。

私たち夫婦は?喧嘩はする。外から見るとかなり激しいと思う。お互いに感情を安心してぶつけ合える間柄だから安心して喧嘩できる。まぁ喧嘩しているときはお互いに激しい感情を燃え上がらせるが、その後はその感情は変化する。夫婦喧嘩は犬も喰わぬと言う。実はどこよりも仲が良いと思っているのは私だけではあるまい。

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2006年5月29日 (月)

日々これ好日なり

少し体調不良。昨夜は痙攣のようになり寝苦しかった。ここのところ、やむをえない事情で睡眠不足が続いていたためだと思う。朝、起きてからまず太陽に挨拶した。眩しかった。その後、洗顔し、お手洗いに。その後にいつものように体重計。最近、よく食べている割にはほとんど太っておらず、体重は維持されていた。やはり玄米をゆっくりゆっくり噛むことが良いのかもしれない。それでも、食事と呼吸だけでは睡眠不足を補うことはできないようだ。一晩二晩ならともかく、一週間近くの間の睡眠不足だった。夜中は痙攣。起きたときは本当に軽い喘息。それでも今日は一日中、法務であちこちに出かけなければならなかったが、大きく崩れることもなく動き続けられた。これも食事を整えてきたからか。今までの流れではたいていは崩してしまった状況だが、今回は最低限度ながらも健康を維持している。最後は寺子屋と皿洗い。今日も振り返れば、大きなトラブルもなく、気付きもそこそこあり、良い日だったと思う。感謝感謝。日々これ好日なり。

今から沐浴して、床に就こうと思う。風呂場の汚れが少し気になるので、歯ブラシで少し磨こうかとも思っている。では、今宵はこれまで。

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2006年5月28日 (日)

5月のお不動様

五月の月例不動明王護摩供養。今日は20人ほどの方がお祈りに来られた。まず最初に、三段階の「感謝します」を全員でお唱えした。初重、二重、三重。とても気持ちよく皆がお唱えした。そこでまず頭の回線を切って、心の回線につないでいただいた。そして、願いは護摩木で燃やしていただき、感謝の祈りを捧げていただいた。最初は、激しい火だった。ところがこの激しさが突然変身をした。右回転の炎が上がったのだ。浪切不動尊のお姿もその炎の渦の中にはっきり見えた。深く感謝した。護摩供養の後に法話。家事の手伝いの必要性とツイテイルわが妻の話。皆が洒水加持の後に、カミさんに触れて、そのツキをもらって行ったようだ。なかなか面白い護摩供養であった。来月28日は京都で大日経の講義がある。そのために七月一日の月曜日に日付を動かした。

護摩供養の後、一宮市博物館へ。大叔父故お佐々木敏郎が寄贈した作品展。鈴木八朗さんの展覧会だ。今日が最終日。八朗さんの作品でお薄もいただいた。この八朗さんの手紙の中で面白い言葉があった。

そして一路美濃加茂へ。昨日と同じ、わらべ村へ。終了しかけていた。カミさんはテンツクマンの講演も聴きにいった。

帰宅後、寺子屋の新入生の面接。

今日も面白い一日だった。感謝感謝。今宵はこれまで。

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2006年5月27日 (土)

わらべ村Eart Day に行く

今日は美濃加茂市のわらべ村へ。あるイヴェントがあって出かけた。詳しくは私の別のブログ「健康と環境」を見ていただきたい。http://mantra.way-nifty.com/healthecol/

昨日は高野山から夜遅く戻った。今日も朝から活動。少し眠気が襲ってきている。そろそろお風呂に入って寝ようと思う。

A1010934 ひょっとして足裏マッサージを受けたことにより身体がお休みモードになったのかもしれない。とても気持ちがよかった。(写真はわらべ村の親父様がマッサージを受けているところ)

そろそろお風呂に入って床に入ろうと思う。今宵はこれまで。

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日本初の女性天皇とは

01010919 昨日、高野山へ行く途中で奈良県葛城市の忍海(おしみ)というところに寄った。ここに不思議な古墳がある。写真を見ていただくと分かるのだが、天皇陵として宮内庁が管轄しているのだが・・・。

飯豊天皇・・・宮内庁・・・とされている。ところが、公式記録にはこの天皇は存在していない。公式記録に存在していない天皇陵が宮内庁管轄で存在している。ここに大きな矛盾がある。なぜなのか?01010923

この天皇の記録上の名前は、忍海部女王/青海皇女/飯豊女王/忍海部女王/飯豊郎女/忍海飯豊青尊/飯豊皇女/飯豊青尊/。

名前から類推すると、渡来系の忍海一族と関係があったものと思われる。忍海や青海とは「おうみ」すなわち「近江」つまり琵琶湖を意味する言葉。おそらく彼女は琵琶湖となんらかの関係があったものと思われる。滋賀県長浜市南部に田村山という丘がある。別名「諸神の岡」。この西の麓に「忍海神社」と呼ばれる村社がある。いくつかの神社が集められ、明治時代にこの名前となったといわれる。この神社との関係からも、飯豊天皇は近江琵琶湖と大きな関係があったと類推される。

しかし、彼女は女性。しかも推古天皇よりも古い時代の女性天皇。推古帝は今でこそ33代天皇とされているが、江戸時代は34代の天皇とされていた。たとえ短い期間であったおはいえ、自分の宮殿を持っていた天皇。それが第24代飯豊天皇。その天皇が公式記録から天皇として抹消され、それにもかかわらず天皇陵は存在し、天皇という名で宮内庁が管轄しているという矛盾。ここに何か秘められたものがるようだ。

日本で初めての女性天皇。この女性をどのように扱わねばならなかったのか、ここに日本史のミステリーがある。この天皇陵、実に入り口が分かりにくい。ここにも何かの意味があるのだろうか?単なる私の憶測に過ぎないのだろうか?

近江の忍海神社は我が家の先祖がお祈りしてきた神社。そこに縁を感じ、今回この天皇陵を訪れ、心より冥福を祈ってきた。

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師匠のお宅で勉強会

高野山の師匠のお宅へ行った。我が師の勉強会があったからだ。参加者は少数だが非常にレヴェルの高い勉強会になりそうだ。少なくとも大学院のゼミレヴェルの勉強会にはなると思う。扱う文章は『般若心経秘鍵』となった。今後は月に一回ペースで開かれる。来月は6月9日。おかげで高野山へ月に一回は上ることとなった。忙しくなりそうだが、こうしたことがあれば高野山へも赴くことができる。師匠の英断に心から感謝している。

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2006年5月26日 (金)

今から高野山へ

おはようございます。現在朝の六時。今から高野山へ行ってきます。

今夜のブログはかけるかどうか分かりません。報告をお待ち下さい。

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2006年5月25日 (木)

大きな転機にさしかかったようだ

今日の午後、ビッグニュースが飛び込んできた。内容はまだ告知できないが、いつものようにカミサンの直感から始まった内容だ。しかもビックリするような共時性。6月7日には発表できると思う。乞うご期待。

私たち夫婦には3~4年周期で、いろいろなことが起きてくる。出会ってから三年半で付き合った。別れてから3年半で再会した。結婚して半年後にカミサンが国会へ単身赴任。そして三年ちょうどで退職。それから半年した今。新たな動きが始まった。これから3年から4年の間は、おそらく食事の関連で動くと思う。毎回こうした転機が来ると思うのだが、大きな命は私たち夫婦を通して表現したがっていることを感じる。果たしてこの道がどこへ繋がっていくのか、ワクワクする。

今日も、夫婦共に共時性のすばらしさに感動した。大きな命に感謝感謝。

明日は高野山。先ほど沐浴をしたので今から着床する予定。今宵はこれまで。

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イギリスヴェジタリアンの祖

Mannazのマーティンさんのお宅を訪れた。彼に教えていただいた人物。TODD FERRIER。キリスト教の神父であったが、自らの気付きと共に教会を出て著述に専念。ヴェジタリアンの祖といえる人らしい。マーティンさんから、彼についていろいろ教わった。

帰宅して、早速ネット検索。彼の跡を継いだ人たちはOrder of the Crossというグループを作り今も活動をしているようだ。http://www.orderofthecross.org/ 残念ながら日本にはこの流れを受けたものはないようだ。このHPに掲載してあるBOOKLETを読んでみた。なかなか面白い。仏教の視点から見ても大切なことがいくつか説かれていた。私の英語力などでは理解不可能な部分もたくさんあるが、少しずつ読み、解きほぐしていければと思った。

今日も新たな本に出会い、新たな古人に出会い、感謝感謝。

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明日は高野山

明日は高野山。午前中は本山の宗務所に赴く予定。そして午後は師匠のお宅で勉強会。どんな勉強会になるのか?

そういえば、昨日は高野山で修行し、僧侶の資格を取ったお二人の方と出会った。二人とも僧侶をしているわけではないが、在俗の中で、密教の教えを胸に生きている。高野山に上る直前にこうした方とであったことはとても意義深い。私も昔はそうだった。僧侶という職業にこだわらず、密教の教えを胸に生きようとしていた。これでいい。僧侶という職業になる必要はない。密教者として生きるのが良い。たまたま私には縁があり僧侶になった。まさに導かれるようにここまで来ている。ただそれだけのような気がする。私には私に与えられた道があるのだと今更ながらに思う。

明日の高野山、また新たな展開になりそうな気がする。師に会えるのはいつも楽しみだ。感謝感謝。

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2006年5月24日 (水)

故Sさんが再会させてくれた。動きが早まってきている

一宮のSさんの葬儀。ここで久しぶりに出会う人が何人か居た。まるでSさんが引き合わせてくれたようだ。その中の一人が一宮にAngeloの社長平松さんだ。 http://www.angelo.co.jp/ イタリアの輸入雑貨を扱うお店で、4年半前の私たちの結婚式の引き物もこのお店にお願いをした。ご夫婦共に笑顔のすばらしい方々だ。Sさんとはまったく別のルートで知り合ったのだが、偶然にも平松さんととても仲のよい方だった。このAngeloは、とても磁場のすばらしい場所にある。いろいろな人が集まる。今日もここでいくつかの共時性があった。そのうちの一人が高野山真言宗で伝法灌頂まで受けた方と出会った(午前中に別のところで知り合っていた)。もう共時性に対しては偶然の一致とは思わない。必然に起こったとしか感じない。特に現在は中村滋さんの写真が展示してある。ここにはとても不思議な写真があった。すばらしいパワーの写真があった。今日、二回目のアジナチャクラの響きがあった。感謝感謝だ。

動きが早い。何か大きな重力に引き寄せられるかのように動きが始まっている。大きな命としての個の命。この個の命がネットワークを組み、大きなエネルギーになっている気がする。かつで大本教の出口王仁三郎氏が言った、「尾張美濃から本物が出る」とは、こうした個と個のネットワークのことではないだろうか。誰か一人が目覚めて、集団を率いるのではなく、一人ひとりが目覚めて、誰かが引っ張るのではなく、全体として動いていくネットワークこそ本物のような気がしている。そしてこのネットワークこそが、実は本物の命そのものなのではないかとさえ感じている。こうしたことを感じさせてくださった今日一日に感謝したい。

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2006年5月23日 (火)

一宮のS氏が亡くなる

先ほど、知人で一宮在住のSさんが亡くなったと聞いた。結婚式にも来て下さった方だ。あまりにも突然のことなのでショックを受けている。Sさんとはいろいろな場所で顔を合わした。Fというグループの会合で、Cというグループの会場で、またカミサンも舞った区別ルートからの付き合いがあり、共通の知人であった。とにかく心優しく、視野も広かったと思う。普段づきあいをしていたわけではないが、なにか特殊な場所でよくお会いする方だった。人の命の儚さと、これからそのSさんの思いをどのようにこの世に生かしていくかなど、今感じている。

明日は葬儀。心よりご冥福をお祈りする。今宵はこれまで。

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マクロビオティックマーケット

先日、久司道夫さんの講演を聞かせていただいた。「知ったものが責任を取る」という言葉。とても重みのある言葉。そこからいろいろ考えてみた。今、かみさんと話し合っているのがお寺の行事にマクロビオティックな市ができないかどうかということだ。

この27日28日に美濃加茂のわらべ村でアースマーケットという市が開かれる。年に一回のお祭り。mannazの桜井さんの思いから生まれた一大イヴェント。すでに何回か開かれ、お馴染みになっているようだ。こうしたものを全国あちこちで開催できれば良いと思った。良いと知ったことは責任をもって実行する。そこから生まれたのがお寺の行事の市だ。たんなる市ではあまり意味がない。偏りが必要だ。そこでマクロビオティックをベースにしたいと思った。

今年は、まずあちこちを視察し、それを商工会などに持ち掛けてみようと思う。一人一人の人が、その市で目覚めていただければこのアイデアは成功したのと同じだ。時間の合間を見つけてプレゼンの資料を作ってみようと思う。

これについてはまた報告するつもりだ。

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2006年5月22日 (月)

皿洗い

最近、皿洗いの担当は私がしている。カミサンは水仕事に弱いために手袋をしないとすぐに手が荒れる。私は皮膚は弱いのだが水洗いには割りと強い。そこでお互いに協力ということでの行動だ。

ある日、母がその現場を初めて見て「あんた、なにやってんの?」と呆れ顔。母の世代には分からないことらしい。

最近の離婚理由の最大要素は家事の手伝いがもっとも大きな理由。それは女性に対する日本人男性の甘えがあったからであろう。

この家事の手伝いは逆転にも繋がる。主婦の家庭の中での地位が下がってしまう可能性があるからだ。なんでも平等というのは、おかしい。性が異なる以上、また個体が異なる以上、お互いの役目があるはずだからだ。それを平等にすることによって、今まで女性が女性ゆえに保護されていたことも放棄せねばならないことが出てくるであろう。

私は今後も皿洗いをしようと思っている。お互いがお互いを助けることは悪いことではない。難しい理屈はさておいて、この皿洗いをしている最中にもいろいろなことを話すことができるからだ。私が水洗いをして、かみさんが乾拭きと食器棚へ。こうしているうちに、一日の話がいくつもできる。このように利用すると、また対話が進んでいく。

今日も皿洗いをしながら夫婦の会話。これは良い習慣を始めたと、私は喜んでいる。

今宵はこれまで。

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特化したもの

昨日は月例弘法大師。いつものようにお茶席も。お菓子は岐阜の玉井屋さん。先月今月と、とても美味しいお菓子だった。お茶は丸久小山園の雲鶴と金輪。今回のお点前は、Kさんというホテルの副支配人を勤めるキャリアウーマン。お薄の立て方は絶妙で、とても美味しくいただいた。午後の茶室は、人数的な問題で私は入らなかったが、ここでもとても美味しいお濃茶が出たようである。お茶は人の心を和ませるもの。このお茶のあり方をもっと研究してみたい。真言密教のお茶のあり方を研究して、文章で表したいと思っている。密教のお茶、こうした特化したものも必要なのではと感じている。

さて、今日のお昼もマナーズでVegan料理。マクロビオティック。実は明日からしばらくマナーズはお休み。わらべ村の本店がある美濃加茂市で、今週末27日28日とアースマーケットがある。 http://www.warabe.co.jp/ その準備があるためだ。一週間ほどいけないのが少し残念だが、私たち夫婦も27日は出かけようと思っている。このマナーズができたおかげで私たちの生活パターンも随分と変わった。他のお店にはあまり出かけなくなった。やはり良いもののところには出かけたくなる。ここまでこだわったお店は本当にありがたい。やはり世の中に求められるのは、こうした偏りなのだろうか。何かに特化した専門店こそ大切であると改めて感じる。

自分自身を振り返る。私自身は特化したものはあるのか?

お寺を振り返る。特化したお寺なのか?

今一度、自分を振り返るチャンスを与えられた。深く感謝する。

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2006年5月21日 (日)

政治は芸術・・・すべてを芸術の域に高める

21日の月例弘法大師。そして午後からはお茶会。このお茶会にある代議士秘書が参加した。そして彼の口から「政治は芸術です!」・・・おおおおおと思わず唸ってしまった。久しぶりに聞いた名文句。

ここから感じたこと。「宗教も芸術が行き着く先」とわが師松長先生もおっしゃっておられる。お茶の世界もそうだし、お花もそう。もちろん歌や舞台もそう。ひょっとするとビジネスも政治も芸術の域まで高める必要があるのかもしれない。

S代議士のT秘書に感謝する。「芸術」の大切さを改めて認識させられた。私もお寺や環境と密教に関わるもの、寺子屋などを芸術の域にまで高めてみたいと感じた。もちろん一人の僧侶として相談に乗り、周りの方々と共に生き、共に気付いていくということも芸術の域に高めてみたい。あなたの周りにあるもの、あなた自身が取り組んでいるものを芸術の域にまで高めてみませんか?そうすることで自分自身がこの世に生きている意義を見出し、最高に自分を生きることに繋がるのでは。

今宵もこれまで。

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小学校の同窓会

P1010916P1010909P1010910P1010911   今、小学校の同窓会から帰ってきた。一宮市立朝の小学校六年一組。担任は三輪先生。30年前に卒業。とにかくよく暴れたクラスだった。暴れたといっても、子どもらしい、本とにすばらしいクラスだった。

その同窓会。子どもが居て、地元に残っている友人たちは皆が子ども繋がりでれんらくを取り合っていた。それを横目で見ながら、地元に居ず、子どもも居ない私は、少しさびしい想いをした。

なるほど・・・。こうした思いもあるものなんだと改めて感じた。地元に居続け、子どもを育み、そして死んでいく。そうした生き方も人生。一方では、地元を離れ、子どもも持たず、静かに人生を送る生き方。また私たち夫婦のように、大きな世間の波と共にドラマチックに送る人生、みながそれぞれの中で生きている。『愛と喝采の日々』というドラマを思い出した。シャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトの映画。家庭に入った女性と家庭に入らずバレエダンサーの最前線で生きる女性、二人の親友同士の生き様を描いた映画だ。どちらが良くて、どちらが良くないという問題ではない。自分自身がどのように生きていくか、それはどちらでも良いと思う。自分自身に与えられた環境で、自分自身が何を選択し、何を捨てて生きるのか、ここに自分自身の学びがると思った。おそらく、今の私では、地元に根付き、子どもを育み、そして死んでいくという、静かな幸せを望む生き方では気付きがほとんどないのだろう。だからこそ、カミさんと共に、こうして毎日をドラマチックに生きているのだということを改めて感じる。

今日の同窓会のきっかけを作ってくださった三輪先生に感謝。そして幹事の労を取っていただいた同級生に感謝。そして今日来てくれたメンバーや、これなかったメンバーにも、また感謝。そして何よりも、この気付きを与えてくださったことに、大きな命に感謝する。

今から沐浴し、床に就こうと思う。今宵はこれまで。

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2006年5月20日 (土)

WEB更新を忘れていた

今月の守護尊カードWEB版をアップロードすることを忘れていた。先ほど気がつき、更新しておいた。http://www.kokeji.com/shugoson.html 待たれていた方には申し訳ないことをした。

今月の守護尊は如来部を普賢菩薩、菩薩部を般若菩薩、供養部を金剛香菩薩、守護部を不動明王、天部を火天と福禄寿。明日の月例弘法大師で訪れた方々は何を引くのだろうか?大いなる意志のメッセージがそこにあると私は信じる。

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2006年5月19日 (金)

他者へのアドヴァイスは実は自分向け

政治家を目指す、ある議員秘書さんとお話。いろいろ盛り上がった。彼にアドヴァイスをしているうちに自分自身がしなければならないことが見えてきた。

・明確なヴィジョンを文書に表すこと。
・誉め言葉の一覧表作成
・ブックレットの作成
・書籍の作成

これはほんの一部。

人へのアドヴァイスは実は自分へのアドヴァイスであることを改めて確認。私自身が逆に合掌をして感謝したい。

12時を過ぎそうだ。そろそろベッドインの時間。今宵はこれまで。

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超お薦め本!です『きみに読む物語 もう一つの愛の奇跡』

い上京をしてから、あちこちに出かけた。その電車の時間を利用して一冊の本を読み上げた。『きみに読む物語 もうひとつの愛の奇跡』(ニコラス・スパークス著 アーティストハウス)。この本、結婚をした人にも、結婚をする人にもぜひ読んでもらいたい逸品だ。確かに日本の文化には合わない部分もあるが、夫婦にはとにかく大切なことがある。仕事と家庭。義理と愛情。何を選択し何を捨てるのか?失敗に対するやり直しの方法。とにかく、読んでみれば、理解できるはずだ。つまらない書評よりも、百聞は一見にしかずの本だと思う。もしこれから結婚をしようという夫婦がいるのならば、また夫婦間の危機が訪れかけているのならば、この本を贈呈したい。実を言うとこの本は私にはあまりにも耳が痛かった。主人公のウィルソンの心の葛藤はまさに自分のことのように感じたのだ。また義理の祖父のノアと白鳥の関係。ここにも大きな意味を感じる。理性を超えた大いなる命とは何なのか?前作の『きみに読む物語』は映画としても大成功だった。私個人としては、この『もう一つの愛の奇跡』(原題:The Wedding)のほうを映画にしたいとさえ感じた。こちらのほうが身近だし、心に迫ってくる。最後のどんでん返しには参った。

女性は「これよ!」と叫ぶだろうし、男性は大いに反省させられる逸品だと確信する。

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中田主義:横浜市長が本を出版

横浜市中区山手の喫茶店エレーナ。横浜に行くと必ずここに行く。今はダージリンのファーストフラッシュが出たばかり。私はいつもはアールグレイを頼むが、昨日に限ってはダージリンだった。本当はあまりダージリンは好きではないが、なぜかこのお店のダージリンだけは別格。紅茶好きにはたまらない逸品だ。 http://www.yamate-elena.com/ 

ここのマスターと奥様、心優しく、しかも熱き思いを持っておられる。そして、横浜市長中田宏さんを子どものように可愛がられ、講演会の事務局長までされている。いつもいつも頭が下がる。

その中田市長が本を出した。『中田主義』。お薦め本に列挙しておいたので見て欲しい。私が解説するよりも実際に本をとってみていただければと思う。彼の人となりが見えてくる。彼は今、日本でもっとも有名な市長。横浜市議会が足を引っ張りがちだが、そうした抵抗勢力にも負けず、改革を断行してきた。その成果があちこちに現れている。政治家として本当に尊敬できる人の一人だ。選挙が終わったばかりなので、今年中はじっとされているだろう。しばらくは、作戦を練られると思う。しかし、今後の彼の動きには注目しておかねばと思う。日本を良くしようというこうい熱き思いを持った首長に心からエールを送る。

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2006年5月18日 (木)

海の見えるカフェで

横浜の海の見えるカフェで、マクロ美プロデューサーのKさんとお話した。こちらのコンセプトがまだはっきりしていなかったので、彼女には分かりづらかったことを反省させられた。イメージをまず持ち、それを実現していく。本当にその通りだ。彼女のおかげで私たち夫婦にこれから求められているものが何かが明確になった。本当に感謝している。マクロビオティックという食をベースとした哲学というか人生学。ここで私たちがこれから進んでいく道を改めて自覚させられた。言葉につくせないくらい、今日はKさんに感謝。今後も何かお互いに繋がっていければありがたい限りだ。

彼女の関わるホームページは http://www.organic-oasis.jp/ 。 

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2006年5月17日 (水)

「知ったものが責任を取る」久司道夫氏の講演と誕生パーティ

午前中に銀座まるかんを視察。昨日のひとりさんギャラリーほどの感動を覚えず。ちょっと期待はずれ。しかし、それも私の心がなせる業で、希望を持っていくには良いかもしれない。VEGANを目指す私には、豚のコラーゲンを使用していることに抵抗を感じてしまった。

20060517a 午後からはマクロビオティックの大御所である久司道夫氏の講演会(銀座マリオン)と誕生パーティ(ウェストンホテル東京:恵比寿にある)。彼は食の道から宇宙論に到達されたようだった(最愛の妻を癌で亡くし、その後自らも病に倒れられたそうだ。そこから彼は復活し、よりマクロビオティックの道を追求されることになる)。日本にもKIJ(KUSHI INSTITUTE JAPAN) http://www.kijapan.jp/ の代表理事として食の教育に携わっておられ、今は世界中を飛び回っておられる。今日で八十歳。、まだまだお若い。とても深くそして熱く感動した。これについては、私の別のブログ「健康と環境」で後日掲載しようと思う。 http://mantra.way-nifty.com/healthecol/  食事も美味しかった。これも後日写真とともに上記ブログで掲載しよう。今日も、食によって、そしてお話によって、大いなる恵みを得た。感謝感謝。

彼の言葉を紹介しよう、「知ったものが責任を取る」。この言葉、深く胸に刻み込みたい。

気づいたら11時半を過ぎている。もう寝る時間になった。今宵はこれまで。

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2006年5月16日 (火)

ひとりさんギャラリー

日比谷線に乗って出かけた。実はいきなり電車を乗り過ごしてしまった。本に夢中になっていたために、入谷に着いた。入谷は鬼子母神や福禄寿があることで有名。ひょっとすると、これはラッキーが始まった証拠かもと、希望を持った。秋葉原に戻り、JRで錦糸町に。そしてバスに乗り換え15分。北砂2丁目で下車。砂町銀座商店街。このエリア3というところに「ひとりさんギャラリー」がある。

日本の高額納税者でいつも話題になる斉藤一人さん。この人の本は数冊買って読んでいた。只者ではない。カミさんも好んで読んだ。そしてカミさんが本で読み、ネットで見つけ出したのが「ひとりさんギャラリー」。ここへカミさんと行った。なぜ行ったのか?カミさんが「ついている」人の関係を体験したいと言い始めたからだ。また始まった。彼女が感覚的に行くといったところには必ず何かがある。期待したわけではなかったが希望に胸を膨らませた。

ギャラリーと言っても、ここには絵が飾ってあるわけではない。芸術作品があるわけでもない。あるのは誉め言葉、前向き言葉が列挙された紙。一人さんの名文句。ギャラリーというよりは、ひとりさんのファンが集まるミーティング場所。あえて言えば、そこに集まる人々が芸術作品。

ジョークで作られた神棚もある。神棚では考えられない北向き。そして書いてある言葉も・・・まさにジョーク。まずその前で、お遊び気分で、礼拝二回、拍手二回、礼拝一回。お賽銭箱はない。拝む言葉は「ツイテイル」10回。お賽銭不要!でもご利益は・・・?ここが面白い。(カミさんとうちも賽銭箱を外そうかと、笑いながらでもちょっと真剣に考える)

御神籤もあった。私は40番。4と9を大切にする一人さんだから、思いっきりラッキー・・・かも!

この神棚、「ついている神社」というそうだ。遊びだけれども結構大きな意味。私は神棚にあった神鏡を見つめた。私の顔がそこにあった。なるほど、ここにも意味があるのか・・・と感心。きれいに磨かれた鏡だから、腰を下ろしてぜひ見つめて欲しいものだ。私はこの鏡を覗くことができた。超ラッキー!ついている!

このギャラリーに着いたのが11:50くらい。12:00・14:00:16:00から始まる「斉藤ひとりハッピーリーダー塾」がある。これに参加することにした。電車に乗り遅れたことにより、面白いパフォーマンスに出会うことができた。やっぱりラッキー。ついている!このパフォーマンスにはビックリした。着ていた人が皆で大声を上げる。表情豊かに、全身を利用して、お腹の底から人を誉め、自分を誉める。これが凄い。頭で考えるのではなく、心で感じること。心の奥底から感じ、心の奥底からの雄たけび。これは今まであった自分の壁を稲妻で破りさる効果があることを感じる。参加した人は、5分もしないうちに仲間意識が生まれる。そればかりでなく、どんどん身体の中からエネルギーが湧き上がる。ここでは頭で考えて何もしないことのほうが恥ずかしい。面白い場所だった。経験する価値はある。ここでいろいろなヒントをいただけた。まさに素晴らしいとしか言いようがない場。人の心の壁を破る方法をまさに実践。ある意味、仏教の修行である礼拝行や滝行に似ている。頭で考えることをぶっ飛ばし、心で感じること。この実践の場だと感じた。「これは他にも使える!」そう感じたのは私だけではあるまい。

外的には、あれだけの大声を出すと周りの商店に迷惑をかけるが、その商店も協力的。しかもギャラリーでは、その商店で買い物をするように勧められるわけだから、まさに敵を作らず協力する方法。おおおおお、と唸らされた。

(こうしたファンがいる斉藤一人さん。彼は神秘体験をしている。そう感じる。)

ここに時間良く行けたことに感謝。人に出会い、感じさせていただいたことに、心より感謝。

今、彼のCDを聞き終えた。やはり只者ではない。明日は銀座まるかんに行く予定。

今宵はこれまで。

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砂町銀座商店街

P1010293 カミさんと東京江東区にある砂町銀座商店街に行った。錦糸町まで電車で行き、バスに乗る。そして約15分。北砂2丁目で下車。商店街に入る。ここはすごい。昭和中期の商店街がいまだにそこにある。お魚屋さんの前ではズラッと人が並んでいた。皆に活気がある。

このような雰囲気はスーパーではなかなか味わえない。出入りしている人たちは皆笑顔。そして商店主たちの声が聞こえるのがまた良い。八百屋さんの並べ方も一種独特だった。

P1010295

この街の雰囲気は、これからの街づくりには欠かせない人と人の触れあいを深く感じさせられた。これは地元の市会議員にも報告したい。

この商店街については http://www.k-net.koto.tokyo.jp/sunagin/ を覗いて欲しい。

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車道と歩道

20060514d 5月14日松本市を歩いていると妙に感覚が異なることに気づいた。何が違うんだろうか???ふと足元を見つめた。するとそこは車道と歩道の段差が全くないことに気づいた。バリアフリーなのか?雪のせいなのか(各務原市の市民部長の指摘で:感謝)?それともまったく別の理由なのか?車が通ると、突っ込んでくる可能性を感じて少し怖かった。しかしこれも慣れだろうか?しばらく歩いているうちに、この段差も気にならなくなった。

道路の形も地方地方でいろいろあって良い。いやむしろ各地域の個性があるべきなのでは。各務原市にも個性ある道路作りを、それを強く感じた。

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2006年5月15日 (月)

市民部長とお話

市役所の市民課に用事があり出かけた。市民部長の部屋を訪れた。昨年までは環境部長だった方だ。いろいろなことを教えていただいた。役所と民間のこと、お薦めの本、物の見方、水道や下水道とゴミのことなど、実に示唆に富む話だった。こういう方が役所の管理職にいていただくことに感謝できる。またお時間を割いていただいたことに深く感謝している。内容は、またおいおいお話していくつもりだ。 今宵はこれまで

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松本城と高家寺

200650514a 昨日、松本に出かける。松本城。思い入れがここにはある。高家寺を創建した戸田松平家の二の丸殿。父は加賀守忠光、母はその正妻阿波蜂須賀家政公の四女。この二人の長女として二の丸殿は生まれる。父忠光は、跡を継ぐことなく逝去。そのために叔父が跡を継ぐが、その叔父にも子がなかった。彼女の腹違いの兄光重が跡を継ぐ。光重の代に明石へ転封。その後に岐阜加納へ。彼女は、一度は加賀前田家の支藩の上野七日市藩へ嫁ぐが、離婚して実家に。そして岐阜加納城の二の丸に住んでいたために、二の丸殿と呼ばれるようになる。

彼女が生まれ育った場所、松本城。どうしても行きたかったがなかなか行く機会がなかった。そして今回偶然にも行く機会を得た。

200650514b 松本城の天守閣に上った。一つ一つの柱を見つめながら、そしてその場所をゆったりと見回しながら、天守閣を歩いた。するとイメージが。祖父康長公(徳川家康の異父妹の夫)に連れ添われた幼女のイメージが。思い込みから生まれたイメージなのか、別のものなのかは分からないが、彼女の無邪気な笑い声が聞こえてくるようだった。階段を上って最頂部に上がる寸前にふと感じた。「二の丸殿が癒された。」ただただそう感じた。嬉しくて涙が出てきた。

200650514c 松本城の天守閣から降りてくると、外はとてもすばらしい天気だった、藤の花が咲いていた。私が高家寺の住職として果たさねばならなかった仕事の一つがここで終わったと感じた。ここまで導いてくださったことに、感謝。

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2006年5月14日 (日)

松本から帰宅

今、松本から戻った。高家寺を創建した二の丸殿が生まれた松本城。そして、お蕎麦を二件梯子し、三輪明宏さんの『愛の賛歌』を舞台で観た。それぞれの報告は、また後ほど。今日は少し疲れぎみなので、これで休むつもり。今日も一日すばらしい体験をありがとう!今宵はこれまで。

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2006年5月13日 (土)

ピアノとヴァイオリン

060513_154421 今日はヴァイオリンとピアノのミニコンサート。ヴァイオリンは家内の先生の通称ブリさん。使われたヴァイオリンは、その購入過程を知っているだけに特に興味深く聴いた。まずはヴァイオリンのソロでバッハ。そして次にシンセサイザーとの競演でヘンデルのソナタ。これには驚いた。ヴァイオリンが大変身して、すばらしい音を出したのだ。このヴァイオリンはまだ若いために低い音はまだストレスがあまりかかっておらず、深みはないが、高い音はピカイチといっても良いくらいすばらしい音が出ていた。感動ものだった。このヴァイオリンはどう九層向きというよりも競演向き。それほどシンセサイザーとの競演はすばらしかった。モーツァルトのヴァイオリンのソナタは二部構成でかなり変則だったが、興味深く聴けた。ただピアノの音にはマイクがついており、そのためにピアノが勝りすぎてしまい、ヴァイオリンが比較的に弱くなったのは残念だった。ただし、聴き方によっては、このヴァイオリンは、ロマン派よりも古典は向き、古典派よりもバロック向きだナァと感じたのは私だけだろうか。

ブリさん、さすがに岐阜響のコンサートマスター。改めて、その音のすばらしさに感動した。感謝感謝。

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離婚の最大の原因は?・・・

先ほど、法事が終わった後に檀家さんと話をしていたら、昨日放映していた離婚の原因の話が出た。今、女性側から離婚した場合の最大の原因は何か・・・借金・ギャンブル・女・酒などが原因かと思ったのだが・・・実は「家事手伝いをしてくれない:特に台所仕事を手伝ってくれない」というのが最大の離婚原因だったそうだ。さらに二番目は、「小言を言いすぎること」とか。お互いがゆったりと話し合うということを忘れてしまい、馴れ合い凭れ(もたれ)あいが強くなって距離感が出来るということを改めて知らされた。

そのお話をしてくださった檀家さんは、奥様が現役の役人で、ご主人は定年退職をされている。そこで、ご主人が思い切って奥様に仕事に打ち込んでもらおうと、旦那さんのほうがお食事を作り、料理教室にも出かけたりするそうだ。その話を聞かされ、私も大いに反省させられた。私は家内に完全に依存している。そこで、今日のお昼ご飯から早速皿洗いを手伝った。

このことは家事のみに言えることではない。役所でも仕事現場でも、ボランティアの場所でも、声を掛け合うことがいかに大切か、こんなことは言わなくてもではなくて、どんな場でも確認を取ることはとても大切であることを教えられた思いだ。

そのお話以外にもいろいろ良い話を聞かせていただいた。それはまた別の機会に記そうと思う。今日も感謝感謝で始まった。

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2006年5月12日 (金)

「頑張れる」から「顔晴れる」

頑張らなくて良い。頑張らなくて良い。

今まで頑張りすぎた。背伸びをし、100のものを120やってきた。そうすると人は今度は120以上を要求するようになる。そして次が140だ。しかし、100しか能力のないものに140は不可能に近い。しかし、幸か不幸か私は140ができてしまった。それは私の力というよりは目に見えない不思議な力に支えられて。しかし、140が次は160になる。これはもう完全に無理な状態。そして心身を壊してしまう。私のアレルギーの症状の悪化はこうしたことが遠因としてあることにやっと気づけた。なぜ頑張ったのか。それは見栄っ張りな部分があるからだ。頑張るのが見栄っ張り。そう、ありのままに自分を見せることができないのだ。それは夫婦間にも言えた。親子間にも言えた。すべてのことに言えた。頑張りすぎた。それが疲れてしまうことにやっと心の底から気づくことが出来た。

そのことに気づいた瞬間に、脱力感が生まれた。頑張らなくて良いんだ。「頑張れる」から「顔晴れる」に変化した。口から大きな息が出た。フーッ。

地球も頑張っている。人間も頑張っている。だからこそ地球にも限界がある。私たち人間が頑張ることを辞めれば地球も穏やかになる気がしてきた。頑張るのを辞めて、自然に生き自然に死んでいこう。そう思う今日この頃だ。

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弟子との対話

弟子のKさんが来られた。本堂で彼は読経をした。その間、私は溜まっていた仕事をこなし、後に久しぶりにゆったりとしたお話をした。師匠の松長先生や修行の師の故内海前官様から伝えていただいたお話など、大河がゆっくり流れるようなリズムで、緩やかに緩やかにお話した。普段の私はどちらかというとテンポ良くお話をする。だからこそ、こうした緩やかなお話もたまには良いもものだなぁと感じた。私もまた、師たちより、世間話をしながら、ゆったりとじっくりといろいろなものを染み渡らせていただいた。本当に深く感謝している。

反省がなかったわけでもない。今の仏教界や宗教界の問題点をいろいろ指摘してしまったことだ。私もやはり例外ではないと途中で反省。そこからは大切なのは自分自身であることを強調した。

「密教」というブログを立ち上げている。http://mantra.way-nifty.com/esoteric/ これはKさんのために作ったものだ。そしてこれをきっかけに私自身に身についたものを表現しようと感じている。

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2006年5月11日 (木)

写真撮影のひと時

今月でパスポートが切れてしまうことを知り、今日はパスポートの更新に行って来た。海外に出るわけではないが、切れる前にと思い出かけた。岐阜県民ふれあい会館。そこの売店で写真を撮りに行った。すると私より前に写真を撮っていた若い人たちが、写真の出来不出来や、いろいろなことに文句を言っていた。ちょっと悲しかった。機械が悪いんじゃない。あくまでも説明が気を読まずに撮影を行った本人たちの問題なのではと疑問に思った。ふと考えてみた。実は自分に非があるのに、機械のせいにしたり他人のせいにしたり、いろいろなことをしている自分がそこに居た。そうするとその若者たちの文句も悲しみではなく、自分自身へのメッセージと聞こえてきた。ここで改めて知る。他者の行為は他者のものではなく自分がそれをどう解釈するかということが大切であることを。

昨日、ヴィジョンのことを記したが、かつて修行の師匠故内海有昭前官さまより言われたことがある。加行といわれる修行の最中に、いろいろな映像が出てきてしまった。そのことを告げると、「マーラだから無視しなさい」という一言。そしてそれを乗り切り、見えなくなると、逆に気持ちよく修法ができた。映像は使い方によっては毒にもなり薬にもなる。あのころの私には確かに毒だった。師はそれを見抜いていたようだった。ヴィジョンやサウンドなど人によって様々だが、ときおり通常の状態を超えるものに出会うことがある。そうしたものにとらわれると、波が荒くなり、心の奥底にあるもっとも微妙な波がかき消されてしまう。本来はこの微妙な波が大切なのだが。この微妙な波も、荒い波も、やはりそれをどうして行くかが大切なのだということを感じている。

写真撮影のことも、昨日記したヴィジョンのことも、すべては一本に繋がっていた。他者をも自分をも、ごまかさずに生きる。それがいかに大切なのか、それを教えてくれる出来事だったのだ。写真撮影のひと時に大きく思いが飛んでいった。感謝。

追伸:ちなみに写真の出来は・・・   ふれあい会館からの帰り道、道を間違えた。ところがその道は岐阜県の神社本庁の前だった。先日ここの職員さんと知り合ったばかりだ。ここでも共時性(偶然の一致)に出会えた。思わず夫婦でニッコリ笑って合掌した。感謝します!

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2006年5月10日 (水)

ヴィジョンとアドヴァイス

若い人にアドヴァイスをした。彼女たちの近い将来のヴィジョンが見えてしまったからだ。ヴィジョンは必ず二つ見える。私のアドヴァイスどおりの場合とアドヴァイスを蹴った場合と。

かつて高野山に居たころに、ある先輩が交通事故に遭うヴィジョンを見た。彼に注意をした。ところ、なぜか口論になってしまった。そして彼は山の崖から落ちて大怪我をした。

学習塾で働いているときに、生徒が高校に合格するヴィジョンを観た。一方で、その高校を受けなかったことで後悔しているヴィジョンも見た。その高校は彼の志望校だったが、そのころの彼にはレヴェルが高すぎた。しかし私は彼をバックアップした。彼はその志望校を見事に合格し、周りを驚かせた。

他の生徒の例もある。優秀な生徒だった。あるひ彼女が受験に合格するが、苦しんでいるヴィジョンを見た。そして、別の学校を入学して、喜んでいるヴィジョンも並行して観た。私は直接自分で言うわけにも行かず、部下にそのようにアドヴァィスさせた。しかし、学校の先生を始め回りのものが大丈夫だと言い、彼女は希望校を受けた。そして合格した。しかし一年後、彼女は精神的な症状の為にその学校を退学した。

こんな例を挙げたらきりがない。私はこのアドヴァイスを一時期封印した。しかし、気づいた。このヴィジョンとアドヴァイスを選ぶのは本人たちの問題であると。そこで、できる限りのアドヴァイスをすることにした。不思議なもので素直にアドヴァイスを聞く人たちと、いったんは抵抗しつつもアドヴァイスを聞く人たち、アドヴァイスをきいたふりをしながらも結果的には反対の道を歩む人たち、最初から聞かない人たち。このなかで最も歩みが早く、もっとも高い効果示しているのが、実はいったんは抵抗しながらもアドヴァイスを聞く人たちだ。そういう人たちは自分で考え自分で判断することを知っている。一方、そのまま素直に聞く人たちは、自分で考えることをしない傾向があり依存症になりがちだ。もっとも難しいというか、二度とアドヴァイスをしたくなくなるのは実は、受け入れた振りをしながらも反対の道を歩む人たちだ。そういう人たちは、輪廻から抜け出すことを嫌がっているのだ。そういう人たちにアドヴァイスするのは私自身の時間の無駄になってしまう。そういう人にアドヴァイスをする時間があるのならばほかの事に時間を費やせばよかったと思うことが多い。先に述べた若い人たちへのアドヴァイスは、結果的にはこの最後の例になってしまった。アドヴァイスをした後に、彼女たちがどういう行動をとるのかが見えてしまった。悲しかった。頑張らなくてもいいのに頑張ってしまっている姿に涙が出てきた。しかし、それはその若い人たちが選んだ道だから仕方があるまい。結果よりも過程が大切だ。ただただ見守ろうと思う。彼女たちが大きく成長していく過程で必要なことなのだと私は自分に言い聞かせた。

ヴィジョンとアドヴァイス。まだまだ私も学ばねばならぬことが多い。お節介とアドヴァイスの違いをもっと知らねばならない。私のすべき仕事は、道を指し示すだけ。道を選び、扉の塵や埃を取り、扉を開け、中に入っていくのはすべて本人次第なのだ。私もまたそうしてきた。大いなる命が私の次のステップとして用意してくれたのかもしれない。大いなる命に感謝する。

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本物の改革、それは人づくり

税理士さんとお話しする機会を得た。そこで伺ったのが、技術者のこと。町工場の天才的技術者が消えて行っているという事。世の中がハイテクになればなるほどローテクの技術者が消えていく。ハイテクは90点をつくる機械を誰もができるようになるが、100点を取る技術者を消してしまう。技術者は、50点も自らでは取れないものになってしまう。果たしてこれで良いのだろうか?

そこで話し合ったのが以下のこと。

(1)学校教師の採用において、免許で合格する人と、地域推薦・学校長推薦・PTA推薦・地方自治体推薦などの推薦採用の人の拡充をする。社会を観てきた人とそうでない人との差は大きく、技術者確保のためには、学校優先型の今の教育では不可能。学校の教育現場から価値観を転換させなければならない。

(2)マイスター制度の確立。技術学校に学士と同じ権威を与え、さらに一定の技術を身につけたものには修士号に相当するものを与える。ある意味職人芸というか、神がかり的な域に達した人には博士号に相当するものを与える。これは技術者の確保に不可欠。

この(1)(2)を同時に行わなければ技術立国日本に未来はない・・・ということになった。これは工業における技術だけではなく、他の伝統文化に関するものも同じ。お茶やお花の世界が保たれているのは、やはり免許制度のためだろう。この免許がよいかどうかは別として、少なくとも自分を磨かなければ、皆伝や教授にはなれないはず。歌舞伎の世界も、もちろん問題はあるはずだが、徒弟関係が比較的しっかりしていることが保たれている要因だと思う。

ただ資格が良いかというとまた問題も多くある。学校の先生のような資格はあまり良いとは思えない。害のある資格は、政策担当秘書制度。この制度のおかげで政策秘書が秘書のまとめ役としての秘書としての機能を失ってしまいがち。もし今の制度を残すのならば、主席秘書、政策広報担当秘書、次席秘書という名称に代えて給与の順位も入れ替える必要があるように思う。資格は一度取れば永久的にというものではなく、定期的に更新するものが重要に感じるのは私だけか?

とにかく今のままでは日本の技術立国としての地位は失われるであろう。その後に、伝統文化立国になるにせよ、そのほかによるべきものを持つにせよ、はたまた技術立国として維持するにせよ、教育改革と制度改革は必須である。小泉首相の改革は、確かに一定の評価をすべきではあろうが、やはり根本治療をしたというよりは対処療法に過ぎなかったように思える。対処療法は緊急時には大切だが、根本治療には繋がらない。「本物の改革は人づくり」このことを真に理解した指導者がこの国をリードすることを心より望む。

今宵はこれまで。

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2006年5月 9日 (火)

蘇れユダヤ教、蘇れキリスト教

『ユダの福音書』に目を通したのでコプト語で書かれたという他のナグ・ハマディ文書の和訳本を手に入れて読んでみた。「トマスによる福音書」「フィリポによる福音書」「マリヤによる福音書」「エジプト人の福音書」「真理の福音」「三部の教え」。これらを読んで感じたのは、聖書の文章というよりはスッタニパダやダンマパダのような構成になっていることだ。歴史的な順序を追うよりも、そのことばの重要性を感じて集められたもの。仏教の結集のような感じがした。しかも、これは表面的な文字をサラっと読むべき文章ではなく、瞑想をしながら、一つの文章の塊を一つ一つ読んでいくべきもののような気がした。そこで実際にそのようにしてみた。私の推測は私にとっては正解であると確信した。これらの書は正当はキリスト教といわれるいわゆる昨今のキリスト教から見れば異端であろう。グノーシス派は非常に神秘に覆われている。しかし彼らの言わんとしていることを表面的にとらえるのではなく、もっと奥に潜むものが何かに注意して読むとき、神の隠された秘密が顕になってくるような気がする。彼らの思想は単なる異端ではなく、むしろ正統派の思想をより深く深めるものであるとかんじているのは私だけであろうか。これはナグ・ハマディだけではなく、ユダヤ教の異端とされた宗派の文書であろうといわれる死海文書にも言えると感じている。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四部も、黙示録やいくつかの書簡も、瞑想をしながら読むと全く異なる文章になってくる。旧約では特に「創世記」「出エジプト記」「ヨブ記」「エゼキエル書」「詩篇」は神秘思想の書であると確信が持てる。

ユダヤ教がノアやアブラハムやモーゼに戻り、キリスト教がイエスに戻り、モーゼやイエスの教えを深め、真の意味で人々の心に復活するのは、瞑想による聖書の熟読にあるような気がしている。カバラやグノーシスはユダヤ教やキリスト教にとって、単なる異端ではなく、秘密の扉を開く鍵のようなに感じる。

仏教の密教者である私が言うのは変かもしれないが、蘇れキリスト教。蘇れユダヤ教、心よりそう願う。

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『きみに読む物語』・・・涙がボロボロと流れてしまいました

レンタルビデオで、なんとなくカミさんに観せたいと思うビデオがあった。『きみに読む物語』(原題:THE NOTEBOOK)。初老の老人とその妻の愛の物語。

アマゾンで本と映画を早速注文した。読みたいと思う小説は久しぶりだ。ストーリーは、後日に記そうと思う。

映画としてはすごいローテク。だからこそすごい。大きな展開もなく、日常的に流れていく物語。しかし、徐々に引き込まれていき、最後には大粒の涙が出てしまった。もしこれを夜中に見ていたら、声を上げて泣いたかもしれない。愛の本質とは何かをまざまざと見せ付けられた。

この映画を観て思った。「カミさんと結婚してよかった!」と。

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2006年5月 8日 (月)

蛇が渡り廊下に

本堂での修法瞑想の後に庫裏に向かって渡り廊下を歩いていると、そこに一匹の蛇が居た。10分ほどかけて、外に出ていただいた。ただの蛇といえばそれまでだが、最近は三輪神をよく拝んでいたので、その兆しとして感謝した。

昔の人は動物を畏れた。その異形などから蛇はその中でも最も畏れられた。毒を持つものも少なくないというのも大きな理由だろう。蛇の動きは独特だ。蛇の動きをゆっくり見つめた。すべる廊下では動きにくそうだった。鎌首を上げ舌をチョロチョロ。じっと見つめてしまった。

ふと気づいた。最近、悪魔に関する書物や映画・音楽を目や耳にしている。そういえば、『聖書』では蛇は悪魔の象徴だった。ここにも共時性があるのだろうか。しかし、蛇を見ていて畏敬の念こそ湧いたが、悪魔とは思えなかった。

蛇の持つ一種独特の力、河川の流れにも似るそのパワーを今日は感じさせられた。

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2006年5月 7日 (日)

瞑想と眠り

先日、寺子屋の生徒たちに、何をしているときが楽しいかを書いてもらった。ビックリしたことがあった。すべての生徒が「眠ること」と書いてあるのだ。眠ることが楽しい・・・少し悲しい思いをした。睡眠をできる限り押さえよというのが仏教の教えだ。眠りが仏道を邪魔するとさえ言う。一例としてあげると『天台小止観』。この書には「それ眠はこれ無明の惑覆なり。これをほしいままにすべからず。」とされている。

眠りは心地よいのも事実だ。私自身の睡眠不足が続くと体力を落とし、身体がいうことをきかなくなる。喘息の発作が起きるのもこういうときだ。ところがふと気がついてみると、そういうときに限って、修法の時間が短くなっている。瞑想の時間が短いのだ。修法の時間が長く、瞑想している時間が長いと、不思議と睡眠も少なくて済む。体力も落ちないし、朝も爽快に目が覚める。睡眠と瞑想の相関関係は実に興味深い。

また精神的に落ち込んでいるときは、眠りの中に逃げたくなるのも事実だ。そういうときに限って夢の中に逃避したくなる。そうした夢の世界に浸ると、現実からより離れてしまい、より夢を貪り、自分の道から遠ざかっていくという悪循環を起こす。やはり眠りというのは必要なものであるが、コントロールすべきものである。それが今の私の見解だ。

生徒たちが眠りを貪ることなく、コントロールしてくれるようになることを私は望む。そのための方策を考えてみたい。

今日は所要があり、夜中まで起きていなくてはならない。明日の朝はいつもより瞑想の時間を長くしようと思う。

今宵はこれまで。

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『ディアボロス(悪魔の弁護人)』

『The Devil's Advocate(邦題:ディアボロス)』(悪魔の弁護人)をCSおよびDVDで観た。親友のW師より教えてもらったドラマだ。キアヌ・リーブス扮する若手有望弁護士ケヴィンが、アル・パチーノ扮する企業家であり悪魔であるミルトンに雇われる。そして、話題が展開していき、最後にどんでん返しが二回起きる。内容は、映画を観て欲しい。この映画の中で刺激的な言葉が何度も出てくる。考えさせられる内容だ。虚栄心・・・自分だけが儲かりたいと思う気持ちも、また自分だけが正義であろうとする気持ちも、実はどちらも虚栄心に基づいていることが曝け出される。自分の愛する家族よりも、大切なもの、それが自分であるということも指摘される。神とは何か?悪とは何か?自由とは?束縛とは?解放とは?崇金主義とは?・・・20世紀の世界の醜悪な部分がどんどん表に出てくる。

アル・パチーノはすごい。彼以外にこの悪魔役ができただろうか?キアヌ・リーブスが「スピード2」を蹴ってでも、この映画に出たといういわくつきの映画だが、実に奥深い。人の深層心理を描き出したような気がする。

西洋の考え方では、悪と正義がはっきりしている。しかし、どんな人の中にも悪魔は居るし正義もある。誰が正義で誰が悪魔ではない。むしろアル・パチーノ扮する悪魔は、不完全な人間のすべてを受け入れたとてつもなく幅が広い存在だ。それを単に悪魔と呼んでしまってよいかどうか、考えさせられる。この映画を観た後に『聖書』特に「ヨブ記」を読むと、深く考えさせられる。正義とか悪といった、極端な二元論に疑問のある方には、この映画を観て欲しい。

原作はアンドリュー・ニーダマン、庭植奈穂子訳。ソニー・マガジンズから『悪魔の弁護人』というタイトルで出版されている。私は古本で手に入れた。映画と原作とではかなり展開が異なる。実際、場面設定も登場人物も随分と異なってくる。まったくの別物としたほうが良い気もするが、どちらも相当面白い。

この映画や本を推奨はするが、もちろん私は悪魔崇拝教徒ではない。

映画の最後に、ローリング・ストーンズの「Paint It Black」が流れていた。シンボリックな曲だと思う。

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カッコイイ・・・いつの時代も求められるもの

スマステ5をテレビで観た。世界で活躍する日本人女性を特集。ワイン作り、ボクシング、F3レーサーなどなど。私が時々取り上げる西邨まゆみさんも出演。嬉しかった。彼女たちに共通するものは何か・・・みなが揃ってカッコイイ。そういえば、先日カッコイイ(kakkoii)が英語として認識されつつあるということを耳にした。英語ではcoolがそれにあたるそうだ。でもcoolよりもカッコイイのほうがしっくり来るのは私だけか。

先日、観たローリング・ストーンズは60歳過ぎてもカッコイイおやじたちだった。マドンナもカッコイイDansing Singer。おそらく釈尊もイエスもムハンマドも空海もきっと当時としてはカッコイイ人たちだったのではないだろうか?

カミさんと「カッコイイといわれる存在でありたいね」と談話。そう、私もthe kakkoii priest, the kakkoii monk, the kakkoii teacherでありたいと思う。いつの時代も求めるもの、それはカッコイイ

Let's be Kakkoii ! 今宵はこれまで。

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2006年5月 6日 (土)

株式会社アップ時代の生徒が来る

今から15年前、西宮の学文の、とある大手学習塾で、教室長をしていた。その一年前に学習塾に入ったのは動機が不純だった。僧侶にしては人前で話すことが苦手だった。それはお寺を持たない私には致命的な欠陥であると思われた。そこで、自分を追い込むために学習塾に就職したのだ。学校ではどんなに下手でも生徒は逃げない。学習塾では確実に生徒は減る。まさに崖っぷちに自分を置いた。ところが、なにを勘違いしたのか、私は教師が向いていた。そして生徒たちから慕ってもらえた。その教室は順調に生徒が増え、そして一年後には学文の教室長になっていた。私が転勤したそのころの学文校は生徒数が167人だった。前任者のTさんが前半は後見人として一緒に居てくださった。おかげで、滑り出し順調。二年間で298名まで生徒が増えた。そのころ小学校5年生だった生徒が今日、西宮から遊びに来る、何度か遊びに来たことがるのだが、今回は赤ん坊と旦那を連れてくるという。嬉しい話だ。この学習塾、当時の名前はアップ教育企画。今は株式会社アップとして開進館となっている。社長の木下さん、副社長の北島さんには心から感謝している。この方々のおかげで今の私がるといっても良い。しかし、逆のことも言える。当時の直接上司だったM氏に対しては本当に複雑な思いだ。本人は励ましているつもりだったのだろうが、教室長になってからは虐めにあった思いだった。辛かった(結果的に私は最大の教室を任された途中で退社した。彼の言葉に着いていけなかった。もちろん今はそんな彼にも感謝している)。だからこそ彼の方針に反して、私は徹底して放任主義を貫いた。生徒たちと人間関係を重視し、交流し、開放的にした。スパルタとは正反対だったと思う。それゆえに、多くの生徒たちは今も私を慕ってくれているのだろう。ただの学習塾の先生なのに。私の後任者Y氏がスパルタだったために、私が辞めた後に何人かの生徒が窮状を訴えてきた。それでも私は「彼を信じろ」としか言えなかった。「M氏を信じろ。」としか言えなかった。二年目の部下だったT氏も変身してしまったようだった。突然のスパルタに。「あいつ殴ってやりたい」とまで訴えてきた生徒も居た。悲しかった。しかし、そうした思いそのものに問題はないかどうかを諭しつつ、私が教えた生徒たちは途中退学したり卒業したりしていった。数年前、私のヒゾッコの1人の生徒がアップの先生と結婚した。私は彼女に大きなものを伝えようとした。木下社長の言葉。「五つ以上の漬物を用意する嫁さんを探せ」「赤ペンに安いものを持つな」。結構深い意味がある。これを手渡した。しかし、それを理解してもらえなかった。私の拙速か。そのためにアップとのつながりもついに消えることとなる。

生徒のうち何人かは結婚式に来てくれたし、今も親しく付き合っている生徒たちも大勢居る。東京への寺子屋の旅行にも参加してくれたものも居る。舞台女優になり、今も私は応援している生徒も居る。ほかにも大勢の得がたい生徒たちとの交流を得た。これには本当に感謝している。

今日、子供をつれてくる生徒ともいろいろな思い出がある。彼女が大きく親として前進してくれることを希望する。

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2006年5月 5日 (金)

PAY IT FORWARD

映画『ペイフォワード』を久しぶりに観た。自分が受けた恩を、その人に直接返すのではなく、他の三人の人に何かをしていくというもの。寺子屋の教師として、僧侶として考えさせられる内容であることを改めて確認。この映画を観て、多くの人が誰かに何かをしたと思う。しかし、それはブームに終わってしまった。本当は連鎖的に何度も何度も繰り返されていくものなのだが・・・。

真言宗では相互供養・相互礼拝とおいうことが重んじられている。まさにPay It Forwardの精神だ。曼荼羅というものがあるからこうした発想が生まれると思うが、果たして今のお寺にその機能があるのかどうか・・・。他のお寺のことは分からない。それでもこのお寺は何とか繋いで行きたいと思っている。

寺子屋の生徒にもこの映画を観せた。6年前の映画であったからか、誰も観たことがなかった。彼らはこの映画に魅了されてしまった。「今日から何かしよう」・・・その心が芽生えたようだ。私は感じた。私が直接教えなくとも、こうしたものを提供していくことで彼らの心が豊かになっていくのならば、こんなに嬉しいことはない。こうした映画をどんどん観せたいと思った。彼らに大きな息吹が吹き始めたことを心より祈り感謝する。

今日、寺子屋の生徒ばかりでなくお寺を訪れた若い人たちも、きっとこのことは理解してくれたと思う。今宵はこれまで。

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2006年5月 4日 (木)

感謝・・・ボランタリーハウス尾崎コスモスの里

今日はボランタリーハウス尾崎コスモスの里で話をした。八十八夜のこと、十七条憲法第十条のこと、大叔父のこと、神のことなど、このブログで記している内容のことをいろいろお話した。そして最期に伝えたことが、「ありがとう」「感謝しています」「ダンケシェン」「サンキュー」「アプリシエイト」「ナマステー」などの感謝のこと。ケネディは就任演説で「この国に何をしてもらおうかではなくあなた方が何をするか・・・」これを皆にもお願いをした。「ボランティアの方々に何をしてもらおうではなく何ができるのかを、尾崎団地の方々に何ができるのかを考えて欲しい」と。そして最後に、「優しくボランティアの方々に声をかけるだけでもとても大切なことなんですよ。それも何かをしたことになるんです。自分にできる簡単なことから始めたいですね。」と締めくくった。

帰り際、多くの方々が優しい顔で見送ってくださった。大いなるお布施をいただいた思いだ。私もこの方々に話をすることで、自分自身を見つめることができている。大いに感謝する。今宵はこれまで。

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二十二年前の昨日、修行の一歩

昭和五十九年五月三日昼前、高野山の麓にある慈尊院というお寺の門の前に立った。この日は天気もよく、大学も休みで、意を決して高野山を歩いて上ることにした。早朝に電車で下山。駅より慈尊院まで歩く。空は清々しい天気だった。慈尊院のご本尊弥勒如来(弘法大師のご母堂の写しといわれる)にお祈りを捧げ、階段を上り、いざ出発。緑に包まれる山々は美しかった。途中には自動販売機はない。のどが渇いてきた。そこにあったのは、紀伊の国らしく蜜柑があった。夏みかんだったのかどうかは忘れてしまったが、小銭を入れて二回ほど食した。汗をかき途中で諦めたくもなったが、引き返すわけにも行かず、ただひたすらに歩いた。いろいろな思いが脳裏をよぎった。。どんなことだったかは覚えていないが、いろいろなことが脳裏を横切ったことだけは覚えている。町石を一つ一つ見つめながら、仏があちこちにいることを確認した。途中でトイレに行きたくなった。しかしトイレがない。里に下りる小道があった。そこで思い切って里に下りていった。ところがお店もトイレも何もない。愕然とした。しばらく歩くと、そこに神社があった。神社で用を足し、手を丹念に洗ってからその神社にお礼をと思い、拝殿に向かった。田舎にしては立派過ぎる建物だった。太鼓橋もある。「ここは?」。神社にあるパンフレットを呼んで愕然とした。この神社こそ天野大社。高野山一山の総鎮守。嬉しくて涙がこぼれてきた。拝殿でゆっくりとお祈りをした。感謝の念をこめて。とても気持ちの良い空間だった。あのときの興奮は、今も時折夢を見るほどだ。天野に挨拶をして後は、再び町石道を登った。途中、有料道路(現在は国道)になっていたり、道が分かりにくくなっていたりしたが、とにかく山上を目指して上っていった。足の裏が痛くなっていた。足の裏の皮が少し破れていることに気づきながらも、ただただ歩み続けた。山上を目指した。山々の美しさをめでる余裕がないほどに身体は疲れていた。そして大門に。ここまでに4時間半かかった。さらに壇上伽藍をお参りし、御影堂と根本大塔でゆっくりとお祈りを捧げ、奥の院に向かった。奥の院に着いたときはすでに五時間を越えていた。ここでもなぜか涙が出た。

これが私の高野山での修行の第一歩だった。二十二年前の昨日、まだ色白の眼だけはぎらぎら輝かせていた青年は、今は各務原の田舎寺で住職をしている。あのときの思い、まだ消えたわけではない。天野に導いていただけたこと、今でも心より嬉しく思う。加行が終わり、天野にお札を納めに行ったとき、あの最初に立ち寄った新鮮な気持ちがより強いものに変わっていた。そしてこれを書かせていただいている今日もあのころの強き思いの炎が再び起き始めている。眼に見えない力強き担い手により、小さくなっていた炎に息を吹き込まれたような気がする。神々の導きに今も感謝している。

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2006年5月 3日 (水)

密教のブログを立ち上げる

新たなブログを立ち上げた。タイトルはずばり「密教」。 http://mantra.way-nifty.com/esoteric/ 今まで教えていただいたこと、自分なりに体現してきたことを記して行こうと思っている。密教の奥深さに少しでも触れていただければ幸いだ。

縁をいただいた祖師方に感謝。見守っていただいている命に感謝。そして大いなる命に深く感謝。

今から沐浴し、身を清めながら言葉と心も清めようと思う。今宵はこれまで。

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憲法記念日に十七条憲法を思う

憲法記念日。私は憲法に対して一つの思いがある。それは九条の問題ばかりに眼が行き、憲法全体の哲学が見えないことに対する憂いだ。憲法という言葉の日本の初出は、官僚のあり方の規範を垂れた『十七条憲法』。かの聖徳太子が心よりの願いを言葉に表したものだ。今の憲法とは、その憲法という意味合いも随分と異なっており、この中には今の時代に合わないものもたくさんある。君臣のあり方などは今の時代とにそぐわないものであると思う。しかし、有名な第一条の前半部分と第十条は、この日本のあり方を示す上で、最も大切な哲学ではないかと思う。この第一条と第十条の精神を、前文に記すことで、日本という国の哲学的な基盤ができるのではないだろうか?この文章に反対するものはまずいないのではないか?憲法論議が盛んになり、国会でも特別委員会が出来上がった今だからこそ、この十七条憲法を見直して、国の哲学的基盤にすべきではないかと思う。

己のみが正しいと思うな。他者には他者の考え方があり、それを尊重することはとても大切なことである。国際協調の時代、まさにこの第一条と第十条の精神が重要だと思う。むしろ私たち日本人は胸を張って、この第一条と第十条を世界に向けて発信すべきときではないだろうか。

中国や韓国との問題にしても、アメリカとの付き合い方、アジアとの付き合い方、欧州、アフリカ、南米、オセアニアとの付き合い方、その哲学的な基盤に基づいて、日本の考え方を主張すれば、もっと大きな流れが出来上がると感じているのは私だけだろうか?

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『ユダの福音書を追え』を読んで

『ユダの福音書を追え』(日経ナショナルジオグラフィック社)を読んだ。ドキュメンタリーとしては、事実は小説より奇なりということばがよく当てはまるものだった。この書籍がこの世の日の光を再び与えられるまでの紆余教説が描かれている。だからこそ、6月に出版されるという翻訳書が楽しみだ。その中に記されるイスカリオテのユダとはどういう人物なのかを。

実は、私は以前から聖書を読んでいて気になっていた。なぜユダが裏切り者ならばイエスは彼を自らの弟子にしていたのだろうかと。ユダが最期に弟子に引き渡したときの状況があまりにも不自然なのはどうしてなのだろうか?人の罪がイエスの死により清められ、彼の復活こそがキリスト教において大切なものであるのなら、それを導いたユダは、人の贖罪を導いた功労者ではないのか?なぜユダヤという言葉に近いユダをそれほどまでに人は憎むのか?汝隣人を愛せよというイエスの言葉に、ユダを憎む行為は反していないのか?などなど、イスカリオテのユダに関しては疑問だらけであった。この本は、ある意味、私の疑問に対して側面から応えてくれるようなものであった。もちろん私は『ユダの福音書』を読んだわけではないので、全面的に認めているわけでもないし、グノーシスの教えを100%受け入れているわけでもない。ただ学ぶべき点は多数あるのも事実だということは否めない。

私は神とルシファー、イエスとユダの関係が、実はとても重要な相関関係にあり、ここに本当の意味での深い教えの秘密が説かれているような気がする。ルシファーが居るからこそ神が引き立つ。ユダが居るからこそイエスはこの世で永遠の存在となった。あまりにも酷似している気がした。悪魔崇拝といわれるかもしれないが、私は決して悪を良しとするものではない。しかし、善とか悪とかいうものは、時代により変化し、地域により変化する。

私はよく喩え話をする。イスラムとユダヤ、相対立する人たち。もし、イスラムの軍人が、ユダヤの軍事施設を徹底的に破壊したら彼は義の人なのか否か?イスラムから見れば彼は神の義勇軍、もしくは神の使者。ユダヤから見れば、彼は悪の化身、魔党の尖兵。では彼は、神の味方か悪の味方か?これに対する応えを私は持ちえていない。そこにあるのは哀しみだけのような気がする。

聖徳太子、十七条憲法の第十条「忿を絶瞋を棄て、人の違うを怒らざれ。人皆心あり、心おのおの執るところあり。彼是とするところ則ち我は非とし、我是是とするところ則ち彼は非とす。我必ず聖に非らず。彼必ず愚にあらず。とも凡夫のみ。是非の理、なんぞ能く定むべけん、相ともに賢愚なること、鐶の端なきが如し。ここをもって、かの人瞋ると雖も、還りて我が失を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙え。」。ここには、善悪を決めているのは自分自身であることが説かれている。自分と考えが異なるものを押さえつけ、弾圧することのほうが本当の意味で悪なのではないかと私は感じる。

『ユダの福音書』翻訳本が出たら、この話の続きをしたいと思う。

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2006年5月 2日 (火)

魅せる・・・プロレスの堕落より学ぶ

格闘技。私自身は実践しないが、TVでよく観てきた。ところが最近あまりにもショーアップされすぎて、観ていても感動しなくなってきた。逆に、技を進化させすぎて、自分たちの世界にはまってしまっていることも少なくない。プロレスもそうだ。私は新日本が好きだった。学生時代より、アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、タイガーマスク、前田明など、新日本をずっと応援してきた。しかしこのところの騒動で、大好きだった西村修までもが退団。そして藤波辰巳までも退社騒動。棚橋は好きだが、そのほかの選手にはあまり身が入らない。そうなると見ることもなくなる。一昨年、愛知県体育館までG1クライマックスを見に出かけたほどなのだが、今は岐阜に来ても観にいく気がしない。これは何故なのか?それにひきかえ、ローリングストーンズが来たら、今の私なら東京でも観にいきたいと思う。彼らは技術を極めた演奏者ではない。しかし魅せることには妥協しない極め者であるには違いない。これは何なのか?

今のプロレスも格闘技も客と対話していない気がする。自分自身の戦いに熱中するあまり、魅せることを忘れているのではないか?プロレスに関しては勝負は二の次である。客に見ていただくという中ではガチンコ勝負である必要はない。しかし、人を魅せつけるのは勝者ではない。時には敗者のほうが勝者よりも観客を魅了する。

客が居るということは、そのものを極めることよりも魅せるということを極めたもの。これはプロレスばかりではなく、ほかの商売にも言えるだろうし、ショーにも、演技にも、もちろん教育現場でも宗教社会でも同じような気がする。魅せることを徹底して極めることの大切さを、プロレスの堕落によって、そしてローリングストーンズによって改めて教えられた。感謝感謝だ。このブログもこれからは魅せることを大切にしたい。

月の美しさに魅せられ、今日はこの「魅せる」をテーマにした。今宵はこれまで。

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八十八夜

今日は八十八夜。夏も近づく八十八夜・・・という歌があるように、今日は茶摘みの日。ところで八十八夜ってどうして?正月から数えると120日を越えているのに・・・。逆に調べてみるとは、その起点となるのが節分立春であることが分かった。立春から始まった春から、夏に移る節目。縁起のよい日らしい。霜もなくなり気候が安定し米をはじめとする農作物など種撒きに最良の時期。一方では、遅霜が発生しやすい時期で、逆に気をつけなければならないという説もある。

そういえば、「米」という文字は「八十八」という字を組み合わせたもののように見える。字の系譜からすると、この説は間違っている。穀物の実がなっている甲骨文字からの変化のようだ。いずれにしても、八十八夜は農業者にとって特別重要な日なのだろう。

立夏も間もなく。いよいよ夏到来か。そういえば、昨日は既に猛暑のごとき30度を越える日だった。ただし部屋は涼しかった。夏ももう目の前に来ている。夏よいらっしゃい。春よありがとう。

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2006年5月 1日 (月)

黄砂飛来・・・今年はひどすぎる

黄砂がすごい勢いだ。山がうす黄色く見える。太陽がかすんでいる。これほどひどいのは観たことがない。車にも黄沙の汚れがひどく残っている。思わず哀しくなった。この黄砂は、タクラマカンやゴビなどの砂漠から飛んできているという。もし中国がこの無人の地域で核実験や化学兵器実験を行っていたとしたら、日本はどうなるのだろうか?とても悲しく感じてきた。

今日は昼間の温度が30度を超えたという。しかし、その太陽は5月のそれではなく、なにか映画で見た荒れ果てた大地のそれに似ているような気がした。そして、それを想い私は涙した。この涙、ひょっとすると黄沙が目に入ったためかもしれない。それとも地球が泣いているのかもしれない。日本列島が慟哭に包まれかけているのかもしれない。

維摩居士の「衆生病むゆえわれもまた病む」をもじれば「地球病むゆえにわれまた病む。地球涙するゆえにわれもまた涙す」。

涙を流したいので、この辺りで湯浴みをしに行こうと思う。今宵はこれまで。

追伸:黄砂のニュースが以下にも出ている。

http://www.asahi.com/international/update/0502/001.html

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オゾン層と紫外線の現状

冬が終わり春になる3月から4月。北半球ではオゾン層が最も薄くなる、南極大陸のようにオゾンホールが空くわけでもないからあまり騒がれていないが、結構大変な問題である。国内で観測した紫外線量は1990年以降、長期的に増加傾向にあり、その原因として雲量や大気中のエーロゾル量の減少があげられている。しかし、それは気象庁の発表。同じ気象庁の発表であるが2005年度のオゾン層のオゾン量は平年よりも低くかったということだ。この両者が結びついて当然のデータ。オゾン量が減れば当然紫外線も増える。特に北半球の中緯度、つまり日本の上空では4月から11月に最もオゾン量が減る。そして、夏の季節でもあり紫外線がより強く降り注ぐ。紫外線の影響はどんなものなのかまだはっきりとは分かっていない。クリントン時代のアメリカでは、5人に1人が皮膚がんになりつつあると政府のHPでも掲載されていた。だからこそ、サングラス、長袖、つば付の帽子、UVカット製品が多く出回った。今も状況的には変わっていない。環境省の言葉を信じるのならば、むしろ紫外線は徐々に増えており、よりUV対策が必要となっているといえる。五月は一年のうちでも日焼けをしやすい時期。それは太陽の日差しが強くなり、一方では冬の皮膚から夏の皮膚への移行期間でもあるために、日焼けしやすくなっているようだ。こどもを持っておられる親御さんは、特に気をつけて欲しい。こどものDNAは傷つきやすい。

このオゾン層破壊は私たちに多くを語ってくれる。近日より、私の別のブログ「健康と環境」http://mantra.way-nifty.com/healthecol/ でこのオゾン層を語ってみたいと思う。

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