生きることはオセロゲーム
朝からあまり調子の良くないことが連続で起きた。ビックリするくらい連続に。その場で、私は混乱しかけた。ちょっとだけ辛かった。ところが、夕方から一転した。その調子の良くない出来事が別件での私を助けた。その後、次から次へと逆転して行き、ふと今気がついてみると今日はまぁまぁ良い日になっていた。どこで潮の目が変わったのか?思い出してみた。私の書斎に祀ってある仏様と神様がある。その仏様と神様に、「この出来事よく分かりませんが、とにかくありがとうございます。」と祈りを捧げた。その瞬間に、思い出したことがあり、時間ぎりぎりに私を助けてくれた。そしてオセロゲームが始まった。
人の生きる流れには潮の目がある。その潮の目に逆らうとやはり苦しい。しかし、この潮の目に逆らうことにより、実は自分が鍛えられているということも今日は覚った。面白いものだ。悲しみは慈しみを育て、苦しみは忍耐力を育成する。もちろん過度な悲しみや苦しみは、育てるどころか樹木そのものを倒しかねないが、適度な負荷はやはり時折は必要であることを学んだ。それと同時に、私はどうも甘すぎるきらいがある。過保護な面がどうしてもある。それは自分に対しても言えること。それに気づかせていただいたことに感謝。
| 固定リンク
« 「養生訓」 貝原益軒著 | トップページ | 師 »
コメント