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2006年4月 1日 (土)

皇居へ行こう(2)

30日 皇居へ。

P1010244P1010248 まず外苑で車椅子を借りる。この車椅子はなかなか面白い形。タイヤがフワフワで、自分で動かすことはできない車椅子だが、段差の部分や砂利道では非常に役立つ車椅子であった。こうした形式の車椅子が観光施設にいくつも設置してあると、とても役立つように思う。

P1010250 皇居入り口で車椅子を乗り換える。ここでは自分で動かすことのできるタイプ。まず、桔梗門より中へ。石段を見てみると、いくつかの家紋が彫られている。各大名が自らが組み立てたと誇示するためのものだとか。よく目立つところに島津のものがあったのは、なかなか面白い。続いて窓明か館で、説明を受ける。この日はなんと480名の参観。ただ、私が車椅子であったためと、お一人目の不自由な方が居たおかげで、私たちのグループは最前列へ。喘息の病はこんなことで役立ってしまった。元の生徒がいわく。「先生、身体を張って僕たちの為にしてくれたみたい」。・・・・絶句(笑)。

P1010249次に枢密院。この建物は現在は使われていないそうだが、明治から昭和初期にかけてこここそが政治の中心だった。いろいろな方々がここで何を思い、どんな行動に出たのか。天王の最高顧問機関で、大臣以外には公務上の交渉は禁じられていたという面白い役所。あえていえば何かあったときの知恵袋的な場所。ちょっと熱いものを感じた。ただ、歴史が好きなものにとっては感動の場所だが、参加者のほとんどがあまりピンと来ていなかったようだ。残念。こえも私がもう少し皆に伝えておかねばならないことだったのかもしれない。反省・・・。

P1010252 続いて、富士見櫓。江戸城の天守閣が焼けてからは天守閣の代わりをし、将軍はよくこの櫓に登ったという。加藤清正公による石組みは丈夫そのもので関東大震災でもびくともしなかったとか。さすがに城作りの名人。こんなところで尾張出身の方の偉業に出会えるとは嬉しい限り。私にも同郷愛があるということを改めて感じさせてくれた。それにしても、テレビでやっている時代劇で将軍が天守閣に登っているが、あれは姫路城や彦根城。作り物だから仕方がないが・・・。ただ思った。炎上後の歴代将軍は天守閣を難題にも渡り作ろうとしなかったこと。威厳を示すためには必要なものだが、ここにも歴史の面白さを感じた。

P1010254P1010258  次に宮内庁。現在1030人の方々が働かれているという。そして宮殿。およそ100mの幅があり、ここで様々な公式行事が行われる。ふと気づくと、鶯が「ホーホケキョ」・おおおお。私たちを迎え入れてくれている。宮内庁の方もこの場所で鶯が鳴くのは初めてとのこと。嬉しい限りだ。空にはカラスも一羽舞っていた。ヤタのカラスと私は勝手に思い込んだ。

P1010271P1010272  ただかなり残念なこと。この宮殿を見下ろすように、高層ビルが乱立している。あまりにもみっともない風景。多少は皇居側で外から見えないように樹木を配置しているが、それにも限界がある。セキュリティ上にも問題があるような気がする。今の日本の法律にこれを規制するものがないというが、海外の要人をおもてなしする場所だからこそ、もっと特別措置があっていいのではないだろうか。世界広しといえども、こんな馬鹿なことを放置している国は日本くらいなのでは。

P1010265P1010260P1010261P1010267    桜の季節。桜満開。美しく私たちを迎え入れてくれた。そして今回案内をしてくださった宮内庁の桜井さん。この方にも心よりお礼を言いたい。実に適切な解説。心配り。温かさ。しかも厳しさも兼ね備えておられた。後ろ向きに歩かれながら、大変なお仕事だと思う。心より感謝しています。

皇居へ行き、改めて思う。こうした施設は外国からの賓客をお迎えするには大切な場所。皇室のあり方を私自身も考え直してみたい。

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