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2006年4月10日 (月)

うちのお寺に出入りしている若い二人が奈良から帰ってきた。そしてその携帯でのレポートを見て、とても嬉しくなった。彼女たちは自分の師と呼べる人に出会ったようだから。自分の師と呼べる人に出会えることほど人生を豊かにできるものはない。私も何人もの師に出会い、心を耕されてきた。私の宝物はなんと言っても人生の師と多くであったことだろう。書物の中にも多くの師を得ている。あまり更新をしていない私の個人HPにその影響を与えてくれた人物について短いコメントを記してある。

影響を与えた歴史的人物。http://homepage3.nifty.com/tng/favorite/history.htm

好きな架空人物。http://homepage3.nifty.com/tng/favorite/fancy.htm

もちろん師松長先生は別格だ。言葉につくせない恩を与えてくださったし、言葉にならないほど縁を得させていただいた。現実でも空想でも歴史上でも良いから師匠と呼べる人物に出会えるということは幸せだ。二人の若い信者のレポートは師の大切さを改めて教えてくれた。

そういえば、つい先日、うちの檀家のFさん親子三代の話をmannazで聞いたばかりだが、今朝方ATMの前でFさんとばったり会い、短い時間だが路上でお話をさせていただいた(このFさんのご実家が実はうちのお寺を作ったお姫様のお兄さんたちの菩提寺の総代をされている。これも稀有な偶然というか必然というか、共時性だった)。こうした檀家さんたちの死に際しては私は師とならねばならない。彼らにとって師として胸が張れるように私自身も自分を深めて磨いていくことを改めて確認した。

今日もいろいろ気づかせていただいて感謝感謝。師については、また後日お話しする機会もあると思う。今宵はこれまで。

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