« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月30日 (日)

名古屋弁・・・あまり使わなくなった

名古屋弁の話をしていた。やっとかめとか、だだくさという言葉を最近あまり使わなくなったねという話から方言で盛り上がった。

やっとかめ・・・八十日目・・・久しぶり   だだくさ・・・駄沢山・・・無駄に・いいかげんに   そのほかにも、机をつる、まわしする、あんばよう、えらい(疲れる)、じべた、ほかる、もうやーこ、ぬくとい、なぶる、とろくしゃあ、きんのう、おそがい、ごぶれいします・・・などなど分かる人にしか分からない言葉が一杯ある。そういえば、学生時代も東京でも通じなかったことが何度もあった。

私も、まぁいっぺん名古屋弁について見直してみようと思うけど、まんだまわしできとらんで、今度の機会に書こうと思うけど、どう思やぁす?

また、このブログにいりゃーせ、今宵はこれでごぶれいを・・・微笑

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月29日 (土)

大叔父佐々木敏郎と陶芸家鈴木八郎氏

愛知県の一宮市博物館で陶芸家鈴木八郎氏の展示会が開かれている。この展示会を企画したのが私の大叔父佐々木敏郎。祖父片山與四郎の実弟。佐々木大叔父は、今月初旬に逝去した。この作品展を企画し、その準備を完全にし、交流のあった鈴木八郎氏の作品を一宮市博物館に寄贈し、その作品展を行ったのだ。まさに大叔父の遺作である展示会となった。

鈴木八郎氏の作品は多義に渡る。自らが納得する作品を好々爺として納得するまで作られたようだ。そこにある作品は研ぎ澄まされたそれではなく、温かな柔らか味のある作品ばかりだった。お茶会は今日と最終日の5月28日に開かれる。今日のお茶会には私も参加した。大叔父の生前のことを思い出しながら、最期まで格好よく生きたその姿から「あいつもまだまだ修行が足らん」と言われているような気がする。

大正昭和平成の激動の人生を生き抜いた大叔父。そして、彼が支え続けた陶芸家鈴木八郎。さらに、大叔父は市川団十郎親子とも縁があり、葬儀には東京より団十郎夫人が駆けつけていたほどだった。そのほか花柳流とも縁があったという。大叔父の芸術文化に対する支援、これには私も胸を打たれる。この大叔父から学んだこと、そして鈴木八郎氏の作品から感じたこと、大きく活かして行きたい。

そういえば、結婚式のとき大叔父よりいただいたのがこの鈴木八郎氏の大皿だった。

http://www.icm-jp.com/ このアドレスが一宮市博物館のオフィシャルサイト。

また鈴木八郎氏や芸術に関することを書く日もあると思う。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月28日 (金)

どんなトンネルも必ず抜けるときが来る

060428_180634_m夕陽がきれいだった。オレンジ色に輝く太陽が実に美しかった。辛いことがあった直後の太陽だけにより美しく感じたのかもしれない。携帯カメラで撮影した。すると天と地を貫く光が映し出された。分析すれば、車のフロントガラスに映った日の光の影響だと思うが、それ以上に私には天と地を結びつけるものと感じた。

今日、週刊漫画雑誌『週刊コミックバンチ』の中の「心に残るとっておきの話」を読み、その中で二・二六事件の 安藤輝三大尉のお母さんのお話だが、とても心に残った。どんなトンネルも必ず抜けるときが来る。ほんとうにそうだと思った。その直後にこの太陽に出会ったのだ。涙が出るほど嬉しかった。

雑誌にも天にも感謝感謝。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平成18年4月28日護摩供養

今日は28日。お不動様の日。月例浪切不動明王護摩供養を行った。法話で『愛しのローズマリー』の話をした。映画では心の綺麗さということがピックアップされていた。見かけよりも心美人、そんなことが強調されていた。そこで、「信者さん自身は心の中はどうでしょうか?」と尋ねてみた。その他、「いろいろな見方をしたときに、自分自身は美人ですか?」と尋ねてみた。おそらくそれぞれの方にはそれぞれに答えがあったと思う。

あなたは見かけ美人、性格美人、心の中の美人、それとも・・・・

うちのカミさんは見かけも、心の中も、もちろん美人ですよ。(笑顔)・・私自身は、うーん、どれも美男子とはいわないけれど下種でもないと思っていますが・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月27日 (木)

マサチューセッツと縁があり

昨日、出会った人と家内が意気投合。その人はマサチューセッツと縁の深い人だった。実はマサチューセッツは私たち夫婦にとっても縁が深い。

高野山へ檀信徒を連れて行ったときに、家内が知り合ったアメリカ人のご夫婦はマサチューセッツの方々だった。そしてビックリしたのが、その数日後、家内は成田でアメリカに行く同じ飛行機で、偶然にもその後夫婦と再会した。

私はあまり海外旅行をしたことがないが、アメリカへ個人旅行をしたときに、最初の訪問地として選んだのがマサチューセッツ州のボストン。私の恩師の一人である栂尾祥瑞先生がボストン美術館に関わっておられた時期があるというので、そこへどうしても行きたかったのだ。このボストンには一週間ほど滞在してあちこちを歩いて回った。

友人知人にもボストン関係者が少なくない。ハーヴァードの大学院を出た二人とも仲良くしてきた。

更に、昨年6月に久司道夫さんというマクロビオティックの大家の講演会を聞き、そこから私たちもマクロビオティックに進み始めたが、この久司さんはマサチューセッツを拠点とされている。

このお弟子さんで、マドンナのプライベートシェフの西邨まゆみさんの講演も今年はじめに聴いた。今、彼女に講演依頼をしている。彼女の波乱万丈の人生は、マドンナのプライベートシェフでなくともとても惹かれるものがある。彼女もマサチューセッツを拠点としていた。

さらに、昨日観たDVDの『愛しのローズマリー』の中で、ある女性がボストン出身と言っていたシーンがあった。わざわざ、どこどこ出身といっていたのはあのシーンだけである。

まだまだ数え上げたらきりがない。どうもこのマサチューセッツには、私たち夫婦の大切なものがあるような気がしてきた。できる限り早い時期に訪れようと思う。ここへ行かねばならないのならば自然に時間も資金も集まってくると感じている。

今夜も共時性を感じさせていただいている。ありがたいことだ。感謝感謝。マサチューセッツの話はまたすることがあると思う。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事よりも家族

いつものMannaz。夕方に用事があって出かけた。すると時間前だが、店主のマーティンさんが店を閉めかけていた。「今日はゴメンなさい。早く終わる。」・・・・「祐子さんが病気だからすぐに戻る」。この言葉を聞いて心配な反面、嬉しくなった。仕事よりも妻を優先させている。ここに本音が垣間見られる。日本では、家族のことよりも公を大切にする習慣があり、家族の死に目にも会えずに仕事をすることが大切だというような風潮がある。でもこれが本当に誉められるべきことなのだろうか?逆に、そうした状況の人を受け入れることができない人々のほうが問題なのではないだろうか?もちろんそれは時と場合があろう。死を乗り越えてでもやらねばならないときがある。それは再度繰り返すことが困難なときは仕方あるまい。しかし、多くの場合はそこまでのことはほとんどないはずだ。日本の多くの男性諸君や仕事についている女性方に言いたい。「仕事より家族」このことをもう一度点検して欲しい。再度言う、もちろん例外はある。

祐子さんの病が早く治ることを祈ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

LB級の岐阜刑務所の実態はどうなっているのか?

刑務所はA/B/LB級という等級がある。Aが軽い刑務所、LBがもっとも重い刑務所といわれている。かつて検察審査会で、LB級の岐阜刑務所を訪れたことがある。驚いた。表面であの状態ならば、実際のところは・・・。とても人が全うに暮らす場所ではない。更生もいかがなものか。

そして情報が入ってきた。ひどい状態であることを。刑務官のほとんどが守秘義務を盾にその窮状を誰にも相談にできずに居る状態のようだ。個人情報は保護すべきだし、施設のセキュリティに関することはもちろん守秘せねばならないが、現状がどうなっているかは情報公開をする義務があるのではないだろうか?

私はすぐに、河野太郎衆議院議員のホームページから彼にメールを出してその窮状を訴えた。彼は今、法務副大臣だからだ。既に半月近く経つ。しかし無しのつぶて。彼は日本の国会議員の中では最も優秀な改革議員といわれている。私も今まで高く評価してきた。結局彼のあれはパフォーマンスなのか。もしそうならばとても残念だ。結局は古き自民党なのか。逆に今、彼のスタッフが調べている最中ならば、ぜひ急いで欲しい。多くの刑務官たちが、そして多くの受刑者たちが苦しんでいる。ますます状況は悪くなるばかり。急いで解決に向かって欲しい。もしよき方向に向かうならば、彼は自分の所轄を真に改革した副大臣として高く評価されると思う。

マスコミ各社に調べて欲しいものだ。日本のLB級の五つの刑務所の状態を。守秘義務などという壁を突き破って欲しい。情報公開をして欲しい。そこは既に更生施設ではなく、人間の最終処分場になってしまっている可能性がある。くしくも、岐阜刑務所はLB級。そしてその近くには不法投棄で有名な椿洞がある。あの一体は、ゴミも人も不法がまかり通った場所なのか。雑誌もテレビも新聞も取り上げて、日本人一人ひとりに知ってもらい、いろいろ感じてもらいたい。諸外国はどうなっているのか、あえて言えば外国のマスコミに調べてもらうのも一つの手かもしれないと感じ始めている。

刑務所や最終処分場を増設するのではなく、元を断つ工夫が必要だ。その一つとして、薬物依存症の人を刑務所ではなく治療所に送るという工夫が必要な気がする。これについてはまた後日。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

見た目よりも中身

『SHLLOW HAL』(邦題『愛しのローズマリー』)というレンタルDVDを観た。いきなりビックリした。あのアンソニー・ロビンズが自分自身の役で出ていた。彼についてはこのブログの書籍でも紹介している。またボストンという土地についても最近、やたらと前に出てきている。これは私たち夫婦には共時性を一杯詰め込んだ映画だ。夫婦二人して、この共時性には思いっきり微笑んでしまった。

内容的にはそれほど深みのある映画ではない。単純に、「見かけじゃないよ、中身だよ」と訴えている。逆にこの単純さが妙に心に残る。軽薄だけれども、心を楽にするラブコメディだ。途中、悲しい場面もあるし、社会の風刺的なところも出てくるし、この映画自体も見かけを大切にしているという逆説的な部分も出てくるが、全体として爽やかにさせられた映画であった。

気楽に観るには良い映画だと思う。アメリカのラブコメは単純で良い!!今夜はアンソニー・ロビンズの本でも読んでみよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月26日 (水)

ごみ減量化市民会議答申に対して申し訳ない思い

各務原市ごみ減量化検討市民会議が今日で終了になった。答申案がまとまった。しかし、何故なんだろうか?この空しさは。答申案は無難にまとまった内容だったし、市役所の方はよくやってくださったと思う。しかし、どうしてもこの空しさは隠し切れない。私は嘘吐きなのではないか?いまはそう感じている。本当にこれで良かったのか?心より疑問に感じている。聖徳太子の第十条を表面面の文字通り守り今回はイエスを出した。しかし本当にこれで良いと思っているわけではない。これでごみ減量化施策がうまくいくとは思えないのだ。十条の精神を生かしていないことは空しい限りだ。ここからが問題だ。これからできる限り積極的に行政のごみ減量化問題に顔を出したいと思う。少しでも前に進むように前に進むように。「各務原もったいない運動」これを推進していただけるように、もっと突っ込んでいこうと思う。今日は、自分の非力を知ったが、だからこそ今後のあり方に自分を正したいと思う。リボーン。それがこの5月の頭に訪れる予感が強くする。

今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

正直に生きる:映画『HOURS』(邦題『めぐりあう時間たち』)

映画『HOURS』(邦題『めぐりあう時間たち』)をレンタルDVDで一昨日観た。ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリルストリープの三人が競演。1923年のイギリスリッチモンド、1951年のロサンジェルス、2001年のニューヨーク。時と場所が全く異なるにもかかわらず、『ダロウェイ夫人』という一冊の本の作者と読者とその主人公と同じ名前を持つ者というラインで結びついており、いろいろなモチーフで重なり合っていた作品。一人ひとりが逃げずに正面を向いて生きていくのかということを突きつけられた作品だった。監督は「リトル・ダンサー」のスティーヴン・ダルドリー。2002年のアカデミー賞でニコール・キッドマンが主演女優賞を、またゴールデン・グローブ賞作品賞&主演女優賞、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞などを受賞している作品。かなりヘビーで、つらいときに一人で見ると余計に落ち込んでしまうかもしれないが、人間の心のうちを表に出させた逸品だと思う。

この作品全体を流れているのは、正直に生きるということ。私たちは、外面ばかりを気にして正直に生きていないことが多すぎる。それは自分を生きていないということに繋がりかねない。一方で正直に生きると社会との軋轢の中で自分が苦しくなる。どうすれば良いのか?

かつて「KOYA-澄賢房覚書-」という映画を観たことがる。この映画は煩悩ということをテーマに、正直とは何かを突きつけてくれた映画だった。またアンドリュー・ニーダマン著『悪魔の弁護人』という本があるが、そこに説かれるものとも似通っていた。良き母や良き妻を演じることが良いのか?倫理観とは何なのか?このことを突きつけられた思いだ。

ちょうど宗教倫理学会での発表の直後だっただけに、この映画は妙に心に突き刺さった。これも共時性だろう。感謝感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月25日 (火)

高野山での高校生の事件

高野山で殺人事件が起きた。犯行を犯してしまった学生の高校で、かつて教鞭をとっていたことがある。殺された写真屋さんには今まで何度も何度も写真を撮ってもらっていた。かなり身近なところで起きたことなので、正直言ってショックを受けている。

エリートがエリートから転げ落ちていくと、非常に弱い。心が崩れてしまう。そしてそれを助ける術が学校の先生にほとんどない。今回は塾の先生がそれを助けた。ここにもっと学校の先生は目を開いて欲しい。塾は技術を教える場所である。しかし、その先生に人間味があると、そこは単なる学習塾ではなく人間塾となっていく。学校は少し胡坐をかいているのではないか?また親も何もかも学校に押し付けては居ないか。行き場のなくなった生徒はいったいどこへ行ったらよいのだろうか?

うちの寺子屋の生徒が言っていた。「学校で配られる宿題のプリントがある。あれは無駄極まりない。紙の無駄遣いだし、内容も市販の教材より良いとは思えない。そしてそれに先生が使っている労力と時間は中途半端じゃない。だからこそもっと別のところに目を向けるべきなのでは?」これはまさに教え子から教えられた内容だ。そのとおりだ。教材のプロの作ったものを使えば良い。それをどう使うかが教師の役目なのではないか。野球の選手が、バットやグラブ、ユニフォームを作ることがないように、教師もまた教材作りではなくもっと別な技術に意を向けるべきなのではないか?

親もそうだ。親としての技術を棚上げして、学校や社会にすべてを任せすぎなのではないか。もっともっと親として自分を磨かなくてはならないのでは?経済ももちろん大切だが、その行為がこどもをおかしくさせていることになぜ気がつかないのか?

絶対的な敗者の居ない世界作りに私も手を貸したいと、更に強く感じ始めている。心ある政治家を後ろからとことん応援しよう。こころある親が一人でも増えるように私も尽力しよう。僧侶として、最大限できることをしたい、そのことを強く感じさせられた事件であった。

「HOURS」というDVDを観たせいもあるが、少しヘビーな気持ちだ。しかし、これにも感謝。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月24日 (月)

既成概念の突破:千葉補選の小沢一郎党首の命令

小沢一郎の民主党が、初めての選挙で小泉純一郎の自民党に勝った。たった一つの選挙区だったが、このシンボルは大きな意味を持つ。約1000票差。どこでこの差が出たのか・・・。

小沢一郎投手は秘策を出した。国会では毎朝8時から部門会議というのがある。各委員会に向けての党内での勉強会であり意見調整会だ。環境部会や厚生労働部会など、民主党内にもいくつもの部会がある。この部会は何よりも大切なものとして、今まで朝に鎮座してきた。ところが、前代未聞のことが今回起きた。小沢一郎党首が命じたこととは・・・。選挙前一週間の全部門会議を例外なく全部とりやめた。そして全国会議員、議員会館詰めの全秘書に命令した。「千葉の選挙区に出て応援せよ」。そして、国会議員と秘書は朝から千葉に入り、率先してチラシ配りをし、街頭演説を手伝った。こんな状態だから、応援者も手伝わないわけには行かない。これが1000票という差を生んだように思える。

もちろん「格差是正」という分かりやすい標語も大きな効果を生んだ。それを田舎で純朴に行うことで、マスコミに宣伝してもらい、より大きな評価を得ていったことも無視できない。

やはり小沢一郎党首は選挙はうまい。どんなに政策が良くても選挙に負ければただの人。選挙は勝たねばならない。それがたとえ数表差であってもだ。そのことをまざまざと見せ付けられた。

今度の選挙で格差是正が行われるわけではない。また当選者に何か特別なことができるわけでもないだろう。しかし、この選挙は新たな国作りに向けての第一歩であることは間違いない。それが正しいのか正しくないのかはこれからの動き次第だ。

何が大切で何が大切でないのか、既成概念を取っ払って動くことの重要さを見せ付けられた。朝の部門会議中止はこれからもシンボルとして語り継がれていき、この既成概念を超えることの大切さを国会議員を始め国民全員に伝わってくれればと思う。

今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月23日 (日)

若者たちの相談に乗る

20台半ばの若者たちが相談に来た。彼らにいろいろ伝えた。「良い子にならないように」「本音を大切に」「自分をより島に」「1から10のうち、3や4から9や10を得ようとするのではなく、3から10は捨ててでも1・2を得るように」
そのほか仏教の六波羅蜜と六種供養の関係を教えたり、一昨日の宗教倫理学会での発表を伝えたり、宗教的なお話も随分とさせてもらった。
彼ら自身でいろいろなものを得たようで、私が答えを出すまでもなく、自分自身で心の整理がついたようだ。特に、昨日私が学んだ、依存症のことはとてもよく理解していただけたようだ。お寺を仮の拠り所にしてもらえれば私も本望である。

死者のみを扱うのではなく、生きている人が大いに利用するお寺として今は機能していることが嬉しかった。今日も感謝感謝。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宗教倫理学会での発表の概要を掲載

宗教倫理学会での発表の概要を高家寺のブログに掲載してみた。興味があるかたは覗いて欲しい。 http://mantra.way-nifty.com/kokeji/2006/04/post_d7a8.html 約二十年ぶりの学会での発表。あるいみ再デビュー。これからもこうした実績を積んでいきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月22日 (土)

薬物依存・右翼思想・・・そのほか

関のCafeぷらなへ行く。園田康博代議士と何人かの市民との膝を交えた対話。岐阜ダルクの方から提起された薬物問題に花が咲く。今の日本では薬物依存症の所轄は主に法務省。罰則が先ずありとなっている。ところが、アメリカでは既に治療に主に目が向けられつつある。本当は日本でも罰則より治療に向けられるべきであり、所轄としては厚生労働省なのではないかという議論が飛び交った。依存症は簡単に治るものではない。しかし、薬物に依存する方向から別の健全なものへの依存に切り替えていくことは大切なこと。依存症の入り口は、タバコでありアルコール。それがシンナーやマリファナ、そして覚せい剤やコカインなどへ移っていく。そこから抜け出すには刑務所などでの監禁ではなく、やはり対話などの治療だと思う。時には瞑想や呼吸法も有効だ。その治療を通じて、人への依存に移り、さらに音楽や文学などに依存を移行させていき、依存症からの脱出を図っていくことの大切さを教えられた。刑務所に入れると一人当たり600万円ほど年間かかるらしい。それが薬物治療に回るとどれだけの人が助けられるのか。この薬物に対する理解はまだまだ得られていないので、依存症の方は自分から手を挙げられない状況のようだ。こうした人でも、治療を受けやすくする環境は大切だと強く感じる。宗教倫理学会でもこの薬物依存症をいつかとりあげてみたいと思った。

また、右翼思想に支配された若い子が居たのだが、私は彼と真剣に議論した。彼を褒め上げるのではなく、彼と向き合ったのだ。そして彼に負けないように、そして彼に道筋を伝えた。学ぶのならば真剣に学んで欲しい、中途半端な思想は身につけて欲しくない、その想いで十七条憲法の第十条と、陽明学を読むように提示した。あのように過激な思想の若者にはこの二つはとても大切だと感じたからだ。

十数人との対話で園田代議士がどれだけ取り入れて行っていただけるかは分からない。しかし、今までの彼とは何かが異なってきているのを感じた。彼にシンクタンクを作ってあげたい。それを心より感じている。

こうした話しの機会を作ってくださった、ぷらな店主小見山さんと、薬物のことを教えてくださった遠山さんはじめ、今回参加してくださった方々、そして園田代議士と秘書水野さんに感謝。また政治の話はしたいと思う。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月21日 (金)

どんづまりと素直な気持ち

今日のお茶会のお茶の話。昨日のことだが、今日のお茶会用のお茶を買い忘れていた。既に夕方の七時を回っていた。あちこちに電話し出かけたが、すでにお店は閉まっている。アピタにもジャスコにも求めるものはない。万事休す・・・と思った瞬間に、イトーヨーカ堂の映像が頭に浮かんだ。ひょっとするとと思い、イトーヨーカ堂に出かける。お茶屋があった。そこに美味しそうな抹茶が並んでいた。ホッとして購入した。

そして今日のお茶会。実はそのお茶は有名な小山園のお茶だった。知らずに買ったのだが、とてもよいものに出会えた。雑な苦味が全くなくとても美味しかった。自分でも驚くくらいに。万事休すが逆にとても良いものと出会わさせていただけた。感謝感謝。今後、この小山園の「金輪」をお薄のベースにしたいとさえ思ったくらいだ。良いお茶とめぐり合えたことに本当に感謝している。

どんづまったとき、素直な気持ちになると今まで以上にすばらしい出会いに恵まれる。そのことを体験させていただけた。大いに感謝。さて、今どんづまっている問題も大きく展開し、より良きものとなっていくことを強く確認した。

この文章を読んで、一人でも素直な気持ちを取り戻していただくことを強く願う。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宗教倫理学会で現場の立場からの発表

宗教倫理学会で発表を行った。現代の日本仏教の現場の問題点をいくつか挙げ、そこから異宗教間対話の話を展開したかったのだが、結果的には消化不良となってしまった。質問も結果的には末葉の部分に集中してしまい、本当に私が伝えたかったことではないところに焦点が行ってしまった。ただ高田先生・棚次先生のご指摘があったように信仰という部分をもっと注意点として入れるべきであったろうし、落合先生がおっしゃったように本覚思想との関係にもっと注意を向ける必要があった。少し残念。それでも、日本宗教が抱える問題を俎上に挙げられたことは大きかったのではないかと思う。これからの発表の中で、原理原則の話ではなく、この現場の問題点が今後注目されると思う。次回は専門の環境問題と曼荼羅を扱いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月20日 (木)

4月、守護尊カードとの縁

明日は21日。守護尊カードの最終チェックをしていた。http://www.kokeji.com/shugoson.html このカード、自分で言うのもなんだが、やはり大きなメッセージを与えてくれる。

今月の如来部は薬師如来。食事と呼吸の仏。前半は喘息で苦しんだこともあり、このお薬師様と縁があった。そういえば「皇居へ行こう」で宿泊したホテルの前にも薬師如来が居られた。

菩薩部は月光菩薩。月の菩薩。今月前半は身内の葬儀が3件あった。大叔父二人と叔母一人。月の満ち欠けは生死と関わりがあると聞くが、大叔父も叔母も干潮の直後に亡くなった。月はいろいろなことを教えてくれる。

明王部は降三世明王。心の毒を踏みつけ新たな生を生み出す仏。葬儀4件、結婚式2件。どちらも新たな出発、再生の場面。これはカミさんから伝えられたこと。ここに降三世のメッセージがあった。

供養部は金剛嬉戯菩薩。喜びの菩薩。悲しみも多かったが、反対に近い人たちの結婚式で悦びも少なくなかった。ありがたいことだ。

天部は梵天と弁才天女。大宇宙の創造の神と大自然の学芸の神。ローリングストーンズという芸事に縁があったし、明日は学術研究発表という学問ごとと縁がある。日本最古の神といわれる三輪神様をお祈りした後であるためか、大自然がとても大切になっているのも事実。

私は御神籤を引くことはない。それは毎月6枚のカードすべてに縁を結んでいるから。それが、僧侶の役目だと思っている。信者さん一人ひとりが一枚のカードを引き、一人の諸尊と縁を結ぶ。そして、その諸尊との縁をより深めていくのが私の役目。その深めるお手伝いをしながら、私自身も諸尊と縁をより深めていっている。自利利他。まさにそれを感じる。これも大いに感謝感謝。

明日も大いに学び大いに楽しむ日。今日は実に多くのことを学ばせていただいた。感謝。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

偏見と差別は身近なところに

昨日のこと。カミさんとある友人Aさんと私とで話をしていた。すると友人BさんがゲイであることをAさんより教えられた。するとカミさんが「えー!じゃぁあなたはモーション掛けられるかも。わたしはそういう人大好きだけど」と。

ええええ????カミさんのこの発言にはビックリした。「じゃぁ、男性が女性の前に居たら、その男性はいつもその女性を襲うの?」とAさん。私も「ゲイだからといって、飛びつくわけでもないし、その発想はおかしいと思うよ。」と。

ところが、しばらくよく考えてみると、このカミさんの発言は多くの方々が今も持っているのではないだろうか?自分と違うからといって他者を排斥するのはいかがなものか?他者を勝手に判断するのはいかがなものか?確かに私たち夫婦は同性愛者ではない。一般的な夫婦だ。しかし同性愛者であっても人間であり人権がある。そしてBさんはそれを隠すことなくに正直に生きているのだから、ある意味私は尊敬する。社会的なデメリットよりも自分の心を大切にしているのだから。この話を少しした後に、カミさんはその場で、「そうよね。」とすぐに気づいてくれた。今後はこうした発言はなくなると確信している。

この日本の社会はどうか?日本では身近なところに偏見と差別がゴロゴロしている。これは同性愛ばかりではなく、もっともっと他のことにもつながる気がする。障害者の問題もそうだろうし、同和の問題もそうだし、民族的な問題もそうだろう。仏教界の中でも、寺族の問題もこれに当たるだろう。宗教間の問題も大きな問題だ。もっと私たちがいろいろな偏見や差別に対して冷静に見つめる必要があると思う。そんなことを考えさせられる出来事だった。同性愛問題は、単なる同性愛問題ではない。ありとあらゆる差別に繋がる問題であることを改めて知った。

私にも大いなる偏見があるかと思う。そうした偏見を修正する機会を与えてくれたカミさんの発言とこうしたことを考えさせてくれるきっかけを与えてくれたAさんBさんに感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月19日 (水)

文章や図式化は自分を深める

明後日、宗教倫理学会での研究発表がある。血縁の葬儀の連続で、思わぬ時間をとられてしまったため、今日は籠って発表をまとめていた。自分の思いを文章化したり図式化すると、思わぬ発見ができる。曖昧なものが何かが見えてくるし、ぼんやり感じていたことが実は全く異なっていることにも気づく。また過激なことを望む自分と、そうではない自分も見えてくる。実に内面を見るのに面白い作業だ。この日記もそうで、こうして一日の終わりに文章を書くことで、いろいろな自分が見えてくる。特にこのブログという形式は他者に見せるという意味合いもあり、なかなか面白い。単なる自己満足の記録をするためだけの日記とは異なる。まだまだ自分が納得するだけのものが書けているとは言い難いが、一歩でも自分の内面を深め、それを表現することにより、更にまた内面が深められていくことに感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月18日 (火)

すべての教えに「密教」があるのでは

「密教」この言葉にはいろいろな意味が込めらている。弘法大師空海も著作によって意味するところが異なっている。
(1)「請来目録」・・・大乗仏教を密教と顕教に分ける。
(2)「二教論」・・・仏教を密教と顕教に分ける。顕教の中に、大乗と小乗(最近は小乗という蔑称を使わないあ。上座部と呼ぶ。)がある。
(3)「秘蔵宝鑰」・・・全宗教全教えを密教と顕教に分ける。顕教の中に、仏教があり他の宗教や教えがある。
(4)「十住心論」・・・すべての教えが密教である。
細かい問題もありますが、およそこんなところだと思う。
最近、他宗教の方々とお話しする機会が増えている。そこで感じることなのだが、どんな宗教にも密教があるのではないかと感じるようになってきた。
イスラムにはスーフィーがあり、ユダヤにはカバラがある。おそらくキリスト教にも神道にもヒンディーにも密教があるのではないか、そう感じる。
もちろん、すべての教えがそのまま密教であるという即事而真に繋がる考え方も尊重する。しかし、各教えの神秘思想に目を向けると、すべては密教という(4)の弘法大師空海の考え方は、実はどんな教えもそれを追及すれば、密教として源流は繋がっているという解釈もできるのではないだろうかと感じた。
そう考えると、日本仏教を見つめてみても、真言・天台だけではなく、臨済禅にも曹洞禅にも黄檗禅にも、浄土にも、真宗にも、日蓮宗(法華宗)にも、南都六宗にも密教があるといえる気がする。
この考え方を推し進めていくと、中途半端に他宗の教えと自分を比較するのではなく、自分が縁があったり信じている教えをとことん掘り下げ追及し、いわゆる各宗の密教といわれるいわれる部分にまで掘り下げていくと、実はすべては繋がっているということが当たり前になるのではないかと思う。中途半端な比較が隔絶観を生み、ドグマ的な対立を生むのではないだろうか。
弘法大師空海が感得した「密教」とは、真言宗とか仏教にとどまるものではなく、それらを遥かに超えた宇宙規模の教えであったことに私もようやくたどり着いた。
これから自分をもっともっと掘り下げてみようと思う。自分に縁のあった真言密教の教えをもっと体得していこうと改めて心に刻んだ今日であった。感謝感謝。
また密教のお話は時折したいと思う。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

葬儀と結婚式

今日は叔母の葬儀と、招待していただいたお寿司屋さんの結婚式。全く同じ時間になりどちらにも参加ということが不可能になった。どうすれば良いのか・・・。迷った挙句、出した結論は、カミさんを結婚式に、私が葬儀に出ることとなった。今月は前半だけで、身内の葬儀3件、知人の葬儀1件、結婚式2件と、まさに冠婚葬祭月だった。ここに何のメッセージがるのか・・・?

カミさんが言ってくれた。「どちらも旅立ちだね」。なるほど。またカミさんは私の猿田彦をしてくれた。私自身も心の旅立ちをする時期に来ていることを感じ始めていたが、そのことを、結婚式や葬儀によって強く意識付けられたのかもしれない。私も今までの流れに身をおきそこに安住し、そこから抜け出すことを嫌っていたような気がする。この流れから出るときは思い切ったことが必要だが、最近の私にはその気力が薄かったような気がする。心の旅立ち。なるほど・・・・。

亡くなった方々のご冥福を祈ると同時に、新たな道を伴侶と共に歩み始める若いカップルの多幸を祈る。そして私自身の心の新たな旅立ちに向けて、感謝感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月17日 (月)

十七条憲法第十条・・・『大化改新』DVDより

NHKの特別ドラマで放映された『大化改新』。このDVDを観た。聖徳太子を聖人として宣揚しすぎるきらいはあるが、十七条憲法の第十条を表に出した功績は高い。

十に曰く、忿を絶瞋を棄て、人の違うを怒らざれ。人皆心あり、心おのおの執るところあり。彼是とするところ則ち我は非とし、我是是とするところ則ち彼は非とす。我必ず聖に非らず。彼必ず愚にあらず。とも凡夫のみ。是非の理、なんぞ能く定むべけん、相ともに賢愚なること、鐶の端なきが如し。ここをもって、かの人瞋ると雖も、還りて我が失を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙え。

これは面白い。まさに今の国々、個人個人に言えることではないだろうか。概略を説明すると、「怒りを捨てなさい。他者が自分が違うからといって怒ってはなりません。人には皆心があるのです。心は人それぞれに性向があるのです。他者が良いとするものを自分は良くないとし、自分が良いとするところを他者は良くないとすることがあります。自分が必ず正しいとは限りません。他者が正しくないとは限りません。良いとか良くないとか、定まったものではないのです。正しいこと正しくないことは輪に端がないのと同じです。他者が怒っているときは、自分に振り返って、自分に過失がないかを点検するのが良いでしょう。自分が一人、良きものを得たとしても、周りにしたがって同じように行動しなさい。」

この言葉、問題点も無きにしも非ずだ。それは「自分一人が正しいときは周りに合わせよ」という日本独特の道が説かれている。これは惰性に身を任せよと解釈されかねない。しかし、読み方を代えれば、独りではなく仲間を作れということに他ならない。良きことをする場合は独りではなく仲間を集えと教えているものだと私は解釈する。そう考えれば、やはりこの第十条はすばらしき教えに他ならない。

またこのドラマで蘇我入鹿に対するイメージが一新した。後代のイメージ作りの為に蘇我入鹿は敵役だが、このドラマではもっと人間味のある魅力ある人物に描かれている。少々、鎌足や中大兄皇子・山背大兄皇子を聖人君子にしすぎているが、人間の良き点に目を向けるという意味では、良い視点だと思う。あくまでもドラマだから、史実と異なっていても、むしろ史実と異なっているからこそメタファーとして伝わってくる気がする。このドラマを見たことで、南淵請安という稀代の学者を知ったし、この当時の時代背景も随分と映像でとらえる事ができるようになった。このドラマはぜひ寺子屋の生徒にも見せたいと思う。

間もなく宗教倫理学会で研究発表を行うが、この時期にこのドラマに出会えたことは私には大いに役に立った。感謝感謝。

今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

叔母の通夜で親戚が寄る

叔母の通夜からたった今帰ってきた。今夜は多くの親戚が残るようだ。久しぶりに私も「いとこ」たちと会った。冠婚葬祭がないとこうした機会はなかなか訪れない。人の死は悲しいことだが、この悲しみが人を寄せるという事実も知った。普段の付き合いはなくとも、たまに会うこうした出会いもまた大切なものと認識した。叔母は死によってこうしてメッセージを与えてくれた。感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月16日 (日)

「アマテラス」美内すずえ (2)

さきほどamazonで「アマテラス」「美内すずえ」を検索してみた。すると古本で、揃うことが分かった(このブログの左袖の下方に「お薦め古本」を掲載したので、そこからリンクをたどっていただければ見つかると思う。)。古本なので結構お値打ちに手に入るので、コミックが好きで精神的なものがお好きな方は手にとってもらうと良い。

第一巻で好きなシーンは「神さまはね拝むものじゃないの 感謝するもんなんだよ」という主人公のお祖母さんの発言。

第二巻で好きなシーンは傷ついた鳩を手からのパワーによって治癒し「あれくらいのことは誰にでもできる 素直に相手をよくしてやろうと思えばよいのじゃ もともと人間の魂は神から産みだされたもの 正しいことであれば素直にそう思えば神の力が働いてくださる」という神官の長老の発言。

第三巻で好きなシーンは、「みどりは愛と癒しの色・・  太陽はみどりの波動をもっているの すべてを癒し慈しみ育てる美しいみどりの色 誰も真実の姿に気づかないだけ・・」という巫女の少女の発言。

第四巻で好きなシーンは、「『音』は波動です」という前後のシーン。ここは弘法大師著の「声字実相義」「吽字義」に通じるものがあります。

倭姫幻想まほろば編で好きなシーンは「穢れを祓い 心清々しく澄み渡れば世界はすべてまほろばとなるのです」という豊鍬入姫の発言。

もっともっと好きなシーンは満ち溢れている。このコミックに関しては、また記したい。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

叔母の逝去

叔母(父の末妹)が先ほど逝去した。病院より連絡があり、すぐに駆けつけた。そして枕元で百字の偈、般若心経、光明真言、不動慈救咒をお唱えさせていただいた。07:47にドクターが心停止、呼吸停止、眼孔が開いていることを確認。叔母は肝臓が癌で冒され、足が壊死し、その毒素が脳に入ったことが直接の原因だったらしい。危篤状態になって二日間強。周りも本人も大変だったが、逝ったお顔は安らかだったことと兄弟姉妹が揃っていたことがせめてもの慰めだった。

少し疑問があった。その家族の各々の事情があり思いもあるだろうし方針もあるから口は挟まなかったが、最期の場面に、一人息子(私の従弟)の嫁さんと子どもが居なかった。本来ならば、人が逝く姿を子どものころから見つめなければならないと思う。人の死を目の当たりにし、そこから学ぶことは少なくない。ましてや近親者ならばなおさらだ。こうした生きることに対する知恵を伝えられなくなった学校教育にも家庭教育にも心の荒廃の要因があるように思う。これも人の逝去が病院という場所になってしまった結果なのだろうか。

叔母は同じ各務原在住だった。お手つきの檀那寺があるのであまりでしゃばれないが、枕経だけは私が上げたいと思っている。これは甥として譲れない。父の実家の亡き伯父と約束しているからだ。叔母の冥福を心から祈る。

「叔母さんご苦労様。そしてありがとう。安らかに光り輝く冥土に旅立ってください。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月15日 (土)

「アマテラス」美内すずえ

「アマテラス」というレディースコミックがある。角川書店。作者は美内すずえ。代表作は「ガラスの仮面」。

この「アマテラス」を数年前に何冊か購入していた。たまたま部屋の片づけをしていたら、このうちの第二巻が棚から落ちてきた。無意識に手に取り読み始めた。そして一巻から四巻まで通読。スサノオやクシナダ姫、そのほか日本神話に関わる内容で惹き込まれてしまった。別巻では三輪山が扱われている。この中で言葉の使い方が面白いものがいくつもある。「人」=>「ヒト」=>「霊止」  「言葉」=>「コトバ」=>「光透波」 「祈り」=>「イノリ」=>「意乗り」など、学問的には?かも知れないが、とても学ばされる内容。祈りとは神の「意」に「乗る」こととはビックリしました。だからこそ感謝がいかに大切なのか、理解できる気がする。コミックも馬鹿にできないなぁと改めて感じた。

惜しむらくは、このコミックが4年前を最後に途中で終了し、この続きが出版されていないこと。内容がかなりマニアックなので角川があまりのり気じゃないのだろうか?amazonでも前の4巻+別巻が手に入りにくくなっている。角川に要望書でも出してみよう。

今の時期にこのコミックを読み直させてくださった、大いなる意思に感謝。私も「イノリ」の世界に入ったのか。ここのところ物質界よりも精神界へと道が進んで行っている。またアマテラスに関しては書く日もあると思う。またの機会に。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

檀家の双子の子が、寺子屋へ

最近葬儀が続いていたので、さすがの坊主の私も、ちょっと滅入っていた。しかし嬉しいお話があった。今日、檀家さんのKさんがお墓参りに来られた。そして、ちょっと立ち寄られお話を。実は、この冬休みに、小学校二年生の双子のお子さんを寺子屋に体験的に入学させたのですが、その後に学校の先生がビックリするくらいに成長したという。これは嬉しかった。実はお兄ちゃんのほうは特別クラスに入っており、どちらかというと晩生の子なのだが、大器晩成というのか、とても器が大きいと私は感じている。心優しく、泣き虫だが、彼の持っているエネルギーはとてつもなく広い。そしてそこに焦点を当てて、学習をした。すると九九もかなり早く覚え、理解力もとても高いものがあった。そして何にでも興味を示す。なるほど・・・・と思った。彼は正当な評価を得られなかったようだ。いわゆる異能の子ども。だから普通の大人には理解されない。しかし、私のように少し変わった大人ならば、その異能を見つけられる。だからこそ、この冬休みで大きく成長したのだろう。この五月から彼らは正式な生徒になることが決まった。檀家の子が成長してくれる姿を見るのはとても嬉しい。大きく育っていくことを確信している。彼らに会えたことにも、そして彼らが成長していることにも感謝

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月14日 (金)

「葬式改革!」を記し始めた

今月に入り、大叔父の葬儀が二件。知人のお宅で一件。そして今も叔母が危篤状態である。

書斎に祀られている諸尊に感謝の祈りを捧げた。すると、ふと頭に浮かんだ言葉。「葬式改革!」。早速、マインドマップ式にメモを取り、それをベースに文章を書いてみた。そして高家寺のオフィシャルブログに最初の部分をアップした。 http://mantra.way-nifty.com/kokeji/cat5764755/index.html 今月葬儀が身近に多いのもある意味私へのメッセージなのかもしれない。

亡くなった方々への菩提を祈り、そして今危篤状態の叔母の安らぎを祈り、大宇宙に感謝を捧げます。

今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月13日 (木)

桜・菜の花・伊吹山・白い龍の雲

060406_160217_m 今年は桜を見る機会が多かった。皇居や地元の境川、名古屋城、そのほかにも実に美しい姿ばかり。市のごみ減量化市民会議の後、役所を出たら桜吹雪。あまりの美しさに、カミさんに報告。夕方から知人のお通夜に出かけたので、その途中も桜の名所を通った。桜の舞う姿。若葉の芽吹き。菜の花の黄色のあでやかさ。そして今日は伊吹山に伏せた龍のごとき雲。ちょうど眼の辺りに夕日が沈み、あまりの姿に車を止めて夫婦で見とれてしまった。ここに臥龍あり。今日の美しさは静なる美しさではなく、動的なダイナミックな美しさだった。そうコンサートで言うと、マドンナやローリングストーンズかもしれない。この季節のうつろぐ自然の美を見て感じた。私はこのダイナミックな美を表現していきたいと。自然は本当にいろいろなことを教えてくれる。今日も感謝感謝。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第5回各務原市ごみ減量化市民会議

各務原市ごみ減量化市民会議の会合。今日はビックリした。部長室に全く知らない方が座っている?あれぇ?・・・会議室に行き、尋ねてみると部長と係長が転属になったとか。環境部長は市民部長に出世(?)。今までの部長は環境部の生え抜きだったが、今回の部長は教育委員会からの移動。学校教育という面からすればとてもよい人材だ。希望を持って見つめたい。ただちょっと感じた。行政の場合はこうした人事異動があり、それが市民会議や審議会に少なからず影響する。この辺りも、本当は行政にもっと考えてもらいたいものだ。今日の会議は少しやりづらさを感じた。ただ課長や担当官の方はしっかりやってくださっていたので安心した。

今日の審議は、市民会議の答申の素案作り。最終的には次回に持ち越されている。そのなかでインパクトのある言葉が欲しいというKさんの意見に私も同調した。すると多くの方々もそれに賛同していただけた。何かインパクトのある言葉を。キャッチコピー。良い悪いは別として、そう小泉首相が使うような短い言葉が必要だ。その言葉が独り歩きするくらいインパクトのある言葉だとこの答申は大きく評価され、また成果を出したことになる気がする。しばらくこのタイトルに気をかけてみようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戒名に関する問い合わせ

生前戒名に関するお問い合わせが最近増えている。今朝も一件、そうしたお電話をいただいた。高家寺ブログに少しそれに関する内容を記してみた。徒然なるままに雑然と記した文章はお許しいただきたいが、一読いただければと思う。http://mantra.way-nifty.com/kokeji/2006/04/post_6b8e.html 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月12日 (水)

結婚披露宴に出席

060412_134209_m 今日は昼から、大阪のスイスホテルで高野山南院のご子息の結婚披露宴。彼と初めて出会ったのは師匠の紹介で家庭教師をしたとき。そう、あれは今から20年ほど前のこと。彼はいまどき珍しいとても純真な子どもであった。そして今はやはりとても純真な青年に。自分のことのように嬉しかった。彼のような人物が高野山を担っていてくれることは、とても感慨深い。

この披露宴の会場で師匠にもお会いできた。久しぶりにお話をした。師と話をするのは本当に楽しい。来月からいよいよ、師匠を囲んでの勉強会が始まる。読み物は何になるかまだ未定だが、今からとても楽しみだ。この勉強会についてはいずれお話しするときが来ると思う。

今日の結婚披露宴はいろいろな意味でありがたいものだった。感謝感謝。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仕事内容を掲載しない言い訳

毎日、いろいろ経験をしているが、この日記には私的なことばかり記している。これを読んで何もしない坊主のように思われるかもしれないが、言い訳をする。このブログにはあまり仕事の内容を載せていない。行事は公開のものなので掲載することはできるが、相談ごと、供養、祈祷、法事、葬儀など、いろいろなことが毎日あるが、その内容を記すと個人情報に繋がる恐れがあるので、敢えて割愛している。公開しても良いという信者さんがいらっしゃったときは、できる限り公開していきたいと思っているが、読者にはこの点をご容赦いただきたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年4月11日 (火)

雑多な一日

東海各地での今日は久しぶりの大雨らしいが、ここ各務原市では平均的な雨模様。

カミさんと本屋に行き、その後、知人のcafeへ。そして床屋へ。本屋では寺子屋の教材と雑誌を購入。cafeではランチと深入りコーヒー。そして床屋では1mmに丸坊主。さっぱりした。そういえば、私が床屋に行く日は、なぜか必ずといって良いほど底冷えするか天候が崩れている。不思議なくらいだ。何か意味があるのだろうかと自問するがいまだに答えは見出せずにいる。

帰宅して後は、四国徳島の親友と電話で仏教の説法のことを1時間ほど電話でやりとりし、その後は寺子屋。寺子屋では勉強のほかに、様々な話をした。そして最後には美しき日本ということへ話題が展開した。寺子屋の彼ら彼女たちは優しい心の持ち主だった。とても誇りに思えるほど嬉しかった。彼ら彼女たちに出会えたことに感謝。

実は今日、日本の国の行政機関に関する大きな問題を相談された。あまりにも深刻な内容に絶句。寺子屋がありゆっくり話をできなかったので、土日に再び話をする予定。このことは後日書き込められればと思うが・・・。今宵はこれまで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月10日 (月)

うちのお寺に出入りしている若い二人が奈良から帰ってきた。そしてその携帯でのレポートを見て、とても嬉しくなった。彼女たちは自分の師と呼べる人に出会ったようだから。自分の師と呼べる人に出会えることほど人生を豊かにできるものはない。私も何人もの師に出会い、心を耕されてきた。私の宝物はなんと言っても人生の師と多くであったことだろう。書物の中にも多くの師を得ている。あまり更新をしていない私の個人HPにその影響を与えてくれた人物について短いコメントを記してある。

影響を与えた歴史的人物。http://homepage3.nifty.com/tng/favorite/history.htm

好きな架空人物。http://homepage3.nifty.com/tng/favorite/fancy.htm

もちろん師松長先生は別格だ。言葉につくせない恩を与えてくださったし、言葉にならないほど縁を得させていただいた。現実でも空想でも歴史上でも良いから師匠と呼べる人物に出会えるということは幸せだ。二人の若い信者のレポートは師の大切さを改めて教えてくれた。

そういえば、つい先日、うちの檀家のFさん親子三代の話をmannazで聞いたばかりだが、今朝方ATMの前でFさんとばったり会い、短い時間だが路上でお話をさせていただいた(このFさんのご実家が実はうちのお寺を作ったお姫様のお兄さんたちの菩提寺の総代をされている。これも稀有な偶然というか必然というか、共時性だった)。こうした檀家さんたちの死に際しては私は師とならねばならない。彼らにとって師として胸が張れるように私自身も自分を深めて磨いていくことを改めて確認した。

今日もいろいろ気づかせていただいて感謝感謝。師については、また後日お話しする機会もあると思う。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生きることはオセロゲーム

朝からあまり調子の良くないことが連続で起きた。ビックリするくらい連続に。その場で、私は混乱しかけた。ちょっとだけ辛かった。ところが、夕方から一転した。その調子の良くない出来事が別件での私を助けた。その後、次から次へと逆転して行き、ふと今気がついてみると今日はまぁまぁ良い日になっていた。どこで潮の目が変わったのか?思い出してみた。私の書斎に祀ってある仏様と神様がある。その仏様と神様に、「この出来事よく分かりませんが、とにかくありがとうございます。」と祈りを捧げた。その瞬間に、思い出したことがあり、時間ぎりぎりに私を助けてくれた。そしてオセロゲームが始まった。

人の生きる流れには潮の目がある。その潮の目に逆らうとやはり苦しい。しかし、この潮の目に逆らうことにより、実は自分が鍛えられているということも今日は覚った。面白いものだ。悲しみは慈しみを育て、苦しみは忍耐力を育成する。もちろん過度な悲しみや苦しみは、育てるどころか樹木そのものを倒しかねないが、適度な負荷はやはり時折は必要であることを学んだ。それと同時に、私はどうも甘すぎるきらいがある。過保護な面がどうしてもある。それは自分に対しても言えること。それに気づかせていただいたことに感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 9日 (日)

「養生訓」 貝原益軒著

痩せたことにより見た目も健康そうになってきた。「その秘訣は?」と時折聞かれる。その際に、お勧めしている本が貝原益軒著「養生訓」。全てが良いとは言わないが、少なくともこの本は臨床的に日本の風土に良いというものがちりばめられている秀作だ。多食・肉食を否定し、タバコを銭失いと論じ、薬に頼ることは下策とし、酒の飲み方なども記されている。ファーストフードが幅を利かせ、肉食・乳製品・砂糖・卵が跋扈している昨今、一方では日本食の持つすばらしさが世界のセレブの間で広まりつつある。日本の伝統に基づく養生の仕方、今だからこそ見直すべきときのような気がする。

この「養生訓」は仏教経典論疏と共に、私の机の横の棚に常駐させている。この本に出合えたことに深く感謝している。

養生訓については、またの機会に。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

守護尊カード

Mandalashoson5 4月の守護尊カードを見直し、HPにアップロードした。http://www.kokeji.com/shugoson.html 毎月21日の月例弘法大師の日に御神籤を引いていただき、その番号で守護尊カードを手渡している。今月のカードは、薬師如来・月光菩薩・金剛嬉菩薩・降三世明王・梵天・弁才天女。一つ一つのカードを確認し、その諸尊の内容を大辞典などで確認する。その後に一枚一枚を手にして瞑想をし、フッと浮かんでくる言葉を記している。今までも、これからもそうであろうが、その人にとって必要なカードが毎月毎月来られる人に渡っていく。不思議なくらい、その人にとても縁のある諸尊やメッセージが手渡される。今月も、縁のあるカードが手渡り、導きや守護があることを、大宇宙に深く感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 8日 (土)

ブリさんのコンサートとマイクさんの料理

mannazで夕食。普段はcafeでランチや軽食のみで、夕方までなのだが、今日はマイクさんという店主マーティンさんのお友達が来ていて、特別な夕食会。マイクさんのマクロビオティックフレンチをいただく。舌鼓を打った。共に居たS君。椎茸が嫌いなはずだったが、椎茸独特の癖が抜けていて、美味しそうに食べていた。お肉やお魚、お砂糖、乳製品を全く使わなくても、前菜からスープ、メイン、デザートまで実に調和されたもので、会食した20数名が皆穏やかに、心行くまで楽しんでいた。

060408_204539_m メインとデザートの間にヴァイオリンの独奏。演奏者は、カミさんたちのヴァイオリンの先生であるスティーブンさん。愛称はブリさん。バッハを四曲。バッハについて面白い話しあがった。ダ・ヴィンチコードのようにバッハにもコードがあり、そこにメッセージが隠されていると。数秘学を用いた音楽のメッセージは練りこまれているそうだ。またヴァイオリンの4本の弦は、声に対応しており、ソプラノ・アルト・テノール・バスに対応しているということを初めて知った。

音楽も奥が深い。私の楽器は、法螺貝や太鼓・そしてお経だが、ここにも何かメッセージをもっと深く深く練りこみたいと感じた。いや音楽だけではない。様々な書き物の中に、こうしたメッセージを書き込めるように、声から研究してみたいと思う。こんなことを気づかせていただいたことに感謝感謝。もちろん美味しい食事と感性豊かな音楽にも感謝。

数秘学やバッハについてはまたの機会に。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大叔父の逝去2

四月六日に亡くなった大叔父、佐々木敏郎。享年87歳(満85歳の逝去)。私の亡き祖父片山与四郎の弟。一宮市で長い間、繊維工場を経営。

この大叔父は、戦争中に山西省に赴き、多くの戦友を失い、多くの中国人の死を目にしてきた。戦後、日本の復興に意を注ぎ、一宮市で活躍(私の個人的な思いでは政治家に向いていたような気もする・・・)。多くの女工さんたちと共に働き、その女工さんたちを嫁がせ、周りの信頼もとても厚い方だった。中国が開放政策に転換してからは、戦争で亡くなった方々の追悼の為に中国へ赴き、寺院や戦地を歴訪し菩提を弔いに回った。何度も何度も繰り返し中国に出かけ、民間外交を重ねて現地の方々と手と手を取り合ったという。一宮市の豊島図書館をはじめ、数箇所でその中国歴訪の旅の写真展を開催していた。一方、日本の伝統文化にも造詣が深く、陶芸家の鈴木八郎氏、歌舞伎の市川団十郎氏とも深い交流があった。

私の母方の片山家は、一宮市の真清田神社の禰宜町に室町時代以来地付きの家。そのために神社・お祭りを大切にしてきた。大叔父も、佐々木家に養子に行かれたが、お祭りのときには必ず居てくださり、私も子どものころから随分とかわいがっていただいた。今思えば、誰よりもお祭り好きな方だった。ある意味、神の子だったのかもしれない。

この大叔父は、鈴木八郎氏の陶芸作品を一宮市の博物館に寄付した。その作品展をこの四月二十九日より開催することになっていた。準備は万端。ほぼ出来上がっていたという。

先月末に大叔父の末弟が亡くなり、気落ちしたのか、また展覧会の準備に生命を注いだのか、体調不全となり、最後の最後まで周りに気を遣い、旅立っていった。

多くのことを教えてくださった大叔父。民間外交・日本文化の維持・戦争の悲劇・周りの人々への思いやり・人と人のつながり・お祭り・神事など様々なことを身をもって教えてくださった敏郎大叔父。ただただ頭が下がる。心よりご冥福を祈りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 7日 (金)

Keeping the Faith 僕たちのアナ・バナナ

一日の仕事を終え、カミさんとDVDを観た。タイトルは「僕たちのアナ・バナナ」英語タイトルはKeeping the Faith(信仰の維持)。久しぶりに腹を抱えて笑った。そしてその笑い以上に、この映画で訴えようとしている内容に心打たれた。カトリックの神父、ユダヤ教のラビが幼馴染で親友。そして一人の女性アナ・バナナ。この三人を中心として、信仰とは何かということを考えさせられるものだった。内容を書きたいのだが、多くの人に純な気持ちで観ていただきたいので、概略については記すことを控えようと思う。古い映画ファンなら知っていると思うが、アン・バンクラフトがラビのお母さん役でとてもすばらしい演技をしているのもこの映画の見所かもしれない。そのほかにも、バーのマスターの役どころや、ラビの上役や神父の上役の深みもなかなか良い。中国系(?)の東洋人の役どころも、若干日本を風刺しているところが面白い。映画としては、深みには欠けるかもしれないし、ラストシーンは安直過ぎる気もするが、心温まる映画であることは間違いない。宗教倫理学会で異宗教間対話の研究発表を今月する私にといって、すばらしい贈り物を得た。感謝感謝。まだまだこの映画について書きたいと思っているが、今宵はこれまで。またの機会に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 6日 (木)

大叔父の逝去

大叔父が亡くなった。今日の午前中にお見舞いに行ったときは冗談を言い、逆に私の家族に気をかけていただいた。その大叔父が夕方5時に永遠に目を閉じた。この大叔父には特別な思いがある。今日は、亡くなったばかりで、私も心の整理がまだついていない。死の床につきながらも最後まで様々なことを教えていただいた大叔父に心の底より感謝。今までありがとうございます。

近日中に、この大叔父のことを記したいと思う。今宵はこれまでに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ローリング・ストーンズ(2)

昨日の名古屋公演のローリングストーンズのasahi.comの記事が二つ。

http://www.asahi.com/culture/update/0405/016.html

http://www.asahi.com/culture/update/0406/008.html

やっぱりやることの凄さが違う、このグループは。良いとか悪いとか、そういうものを超越している気がする。うーむ・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 5日 (水)

ローリング・ストーンズ

ナゴヤドーム。ローリングストーンズのコンサートに行く。会場に行く前に、高島屋の地下で、お寿司とお結びを購入した。案の定、名古屋ドームには私たちが食べられないレトルト食品ばかりであった。先に購入しておいて大正解だった。

時間になり、見知らぬグループの演奏。演奏はうまいとは思ったのだが、あまりにものカリスマ性のなさに、面白みを感じず、私は中座。トイレに行ったりして時間をつぶした。私と同じような思いをした人が、グッズ売り場でたくさん屯していた。

休憩時間が終わると、ミックジャガーの歌声。その瞬間に、私の背中に電気が走った。スゴイ!歌がうまいとか演奏がうまいとは全く思わない。むしろあまりうまくないと感じる。しかし、このカリスマのすごさは何なんだろうか?スゴイとしか言いようがない。2時間半の間、大してしゃべるわけでもなく、ただただ歌だけで何万もの人を魅了し、興奮させ、熱狂させるあのお年寄り(失礼かなぁ?)たちのスゴサには敬服した。ローリングストーンズを全くと言ってほど知らない私たち夫婦も、すっかり魅了されてしまった。グッズはカミさんは光るバッジを、私はスポーツタオルを手に入れた。これは愛嬌。

さて、このストーンズを観て感じた。歌は歌唱力や演奏の技術じゃないってこと。あの情熱と、心から感じるあの感性。そして客との一体感。理屈を超えた大きなものを感じる。

もっと言えば、お寺の法要も、僧侶のお話もそれと全く同じことが言えるのではないか?寺子屋の授業にもいえる。ひょっとすると、商売をはじめとする人相手の仕事、地域のお祭りにも、夫婦間にも、親子間にも、友人間にも、政治的なことにも、人と人が関わるものならなんにでもそれが当てはまるのではないかと強く感じた。小さな技術にこだわるのではなく、その技術を遥かに凌駕する感性と熱く強く燃え上がる情熱。そしてその情熱と感性の共有。これこそが大切なもの。人が生きるということの意味の深みを垣間見ることができた。

実は明日はカミさんと今後十年の計画を立てようと話し合っていたところだった。このローリングストーンズのコンサートは、その私たちに計画に強く響くものになったことは確かだ。何を思ったのか、突然このコンサートに行きたいといって、私を無理やり連れ出してくれたカミさんに感謝。このコンサートに行き、帰りを送ってくださったKさんご夫妻に感謝。ナゴヤドームでの時間を共有してくれた皆に感謝。もちろんローリングストーンズには深く感謝。そして、このコンサートで様々なメッセージを伝えてくれている大いなる命に感謝。

また近日中に、ローリングストーンズについて書いてみたいと思っているが、今宵はこれまで。またの機会に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 4日 (火)

ロバート・フロスト

ロバート・フロスト。アメリカの感傷派の提喩詩人。恥ずかしながらつい先日まで私は全く知らなかった。アメリカの友人のレスリーさんに、詩人の代表者を尋ねたら、彼女のお気に入りがロバート・フロストということだった。レスリーさんが学生時代に学んだ詩のなかでも、特に岐路に立たされているときの詩は今も印象に残っているという。

ロバート・フロスト。はハーバード大学・アマースト大学などにも在職。ピュリッツアー賞を四度受賞。面白い逸話がある。八十六歳の時にケネディの大統領就任演説で「ニュー・フロンティア」という詩を朗読するはずだった。おりしも、強風。手元の原稿を吹き飛ばしてしまった。彼は手元に残った原稿を捨て去った。そして原稿無しで暗誦し始めたというのだ。名演説家のケネディが就任演説の際に選んだロバート・フロスト。ここにはアメリカの良心があるような気がする。

彼の詩の形体は、比喩表現、特にsynecdoche(提喩法)を用いた。提喩法とは部分で全体を、全体で部分を暗示するレトリック(修辞法)。なんとなく弘法大師の詩とか表現に通じるものがある。あえて言えば真言密教的な表現方法。彼は敬虔なクリスチャンだったが、彼の宗教ではなく、彼の信仰に詩を通じて触れることで、またレトリックに触れることで、私自身もより深められる気がしている。

今日、amazonから数冊の本を手に入れた。彼は1963年一月に逝去した。その年の11月に私は生まれ10日後にケネディはダラスで悲劇を迎える。小さな縁を、フロストに感じた。アメリカの心の一人であるロバート・フロスト。これから彼の心に触れてみようと思う。

彼に出会えたことに感謝。彼を教えてくれたレスリーさんに感謝。彼を調べることを通じて学んだことに感謝。大いなるメッセージに感謝感謝。

彼のことはまた後日。今宵はこれまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アンソニー・ロビンズ

アンソニー・ロビンズ 最近彼の著作を何冊か読んでいる。英語版を頼りにしているのだが、日本語版も何冊か出ている。彼の著作は面白い。人の心の中の枠を取っ払い、可能性を最大限に引き出し、その人がこの世に生まれてきた価値を最大限に気づいてもらおうというものだ。私はこれに大いに共鳴している。彼が人格者か否かは知らないが、彼のノウハウは見るべきものが少なくない。ここで私が概略を記すよりもぜひ彼の著作を手にとって欲しい。

宗教者が本来行わなければならないことを、こうした経営者が最近行っていることが少なくないように思う。宗教者は考え直さねばならない。実行をためらっているときではない。

私は気づきの多くを与えてくれている彼の著述に深く感謝している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 3日 (月)

薬師如来と呼吸

薬師の三薬といわれるものがある。薬師如来に関するお経のなかに説かれているもの。

下薬・・・いわゆるお薬。緊急時に服用するもの。

中薬・・・毎日摂る食事。

上薬・・・いつも起きてるときも寝ているときも絶え間なく行っている呼吸。

4月の高家寺の守護尊カードの如来編は薬師如来。あ、そういえば「皇居へ行こう」で3月29日に宿泊した宿の前に薬師如来が祀ってあったことを思い出した。もちろん手を合わせて感謝してきた。ここに意味を読み込んだ。

「皇居へ行こう」で体調を思い切り崩し、呼吸困難になった。その宿泊所のまん前に薬師如来がいらっしゃった。呼吸困難により車椅子を体験した。周りの協力なしで人は生きられないことも実感。テレビで呼吸法が放映された。手元にとった書物を開くと呼吸法が記されていた。そして4月の守護尊カードの如来さまは薬師如来。お薬師さまは呼吸を最も大切にされる仏さま。

しばらくの間、意識的に呼吸に関して追ってみようと思う。これも大いなる命の働きと思い。感謝感謝。そう強く感じた昨日から下薬を飲んだ。そして今日、かなり回復してきた。薬も使いようだ。こんなことに気づかせていただいたことにも感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 2日 (日)

呼吸法

「あるある大辞典」で呼吸の番組が組まれている。やはり吐く息を大切にしている。呼吸というくらいだから、まずは吐く息。

今、喘息を起こし、呼吸に関して意識を向けているとき。他の番組を見るつもりだったが偶然テレビチャンネルを動かしたらこの番組。めったに見ないテレビだからこそ、これも共時性と勝手に思い込んだ。

伝統を見つめなおし、現代の訓練を組み合わせて呼吸に関してもう一度調整してみようと思う。

そのことを思った直後に、アンソニー・ロビンズ著 邱永漢訳 『あなたはいまの自分と握手できるか』(三笠書房)が、カミさんの書棚に置いてあった。そして何気なく開いたページにあったのが「正しい呼吸法」。思わず笑みがこぼれた。大いなる命はまた私にチャンスをくれた。感謝感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高家寺のオフィシャルブログを整理

体力的に外出ができないので、今日は一日部屋で籠っている。そこで、今まで放置してあった高家寺のオフィシャルブログを整理した。 http://mantra.way-nifty.com/kokeji/  今まで時間軸がバラバラであったものを、いつに記したかをさかのぼり、登録しなおした。今読み直すと、青臭い表現もたくさんある。今の自分とは少し違う発想も随分ある。しかし、そのときの自分であったのは事実であるし、読み直して感じる部分も少なくなかった。こうした記録も大切であることを実感。

今後も月に一度くらいのペースで書き込んでいければと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年4月 1日 (土)

喘息の発作による気づき

1日。車椅子に乗り始めていろいろなことを感じる。優しい方々、冷たい人々。香水の害もタバコの害も改めて感じる。

ここで、優しくしていただけた方々に対しては、こうした方々のためならば、国を守りたい、世界を守りたい、環境を守りたいと感じる。一方で、冷たい対応をされる人たちには、このような人たちの為に自分の命を犠牲にはできないと感じてしまった。ところが、それを感じると同時に、別の感情も湧いていた。こうした荒々しい気質の方々が増えている今だからこそ、少しでも和やかで柔らかい感情を持っていただけるように尽力したいと。自分の中の二つの側面。それを見つめた第三の私は、自分の中にも優しい自分と冷たい自分が居ることを穏やかに観ていた。荒々しい感情に荒々しく対応していては、いつまでたっても何も変わらないどころか過激になっていく。自分自身の心の中を見つめるという意味でも、車椅子での生活は私に大いに気づきを与えてくれている。

手助けを無私の気持ちで行ってくれているカミさんに大いに感謝。そして今回の喘息の発作は大きな気づきを与えてくれていることにたいしても「ありがとうございます」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

車椅子で横浜綱島から代々木へ

31日。カミさんが港北区役所から借りてくれた車椅子で電車の移動。喘息の治療のためだ。

まず、東急東横線綱島駅。切符を乗り継ぎで代々木まで窓口で購入し、車椅子係りを手配していただいた。懇切丁寧に誘導。電車の時間を指定して渋谷駅に連絡をしていただき、車椅子用のボックスのある2号車へ。7号車にもあるが、乗り継ぎに便利な2号車へ案内していただけた。感謝感謝。

東横線渋谷駅。女性の誘導員がホームで待っていてくれた。そしてJRまで誘導。実に丁寧な応対で気持ちが良かった。感謝感謝。ところが、二つ難点。JRまでに行く際に、いったん構内を出ねばならず、吹きさらしの外はとても寒かった。車椅子の人には寒さは響くことを実感。そして渋谷駅のゴミ。ファーストフード系のゴミが実に多い。このゴミ対策は必須かもしれない。

JR渋谷駅。ここでも丁寧に案内していただけた。山手線には車椅子用の車両はないが、代々木駅のエスカレーターに近いところへ誘導していただけたことはありがたい。

JR代々木駅。ここはエレベーターがないので、エスカレーター。これが実はちょっと怖かった。途中でスピードが上がるのだが、前を見ていると、立っているときには感じない恐怖心を感じた。ただ誘導員は丁寧で感謝。

喘息治療。

帰り、JR渋谷駅にはビックリした。まず改札に出るまでに3つのエレベーターを乗り継がねばならない。そのために係員さんがずっと着いていてくれた事は嬉しかったが、構造上の問題は否めない。

結局、JR渋谷駅について東横線に乗るまでには4つのエレベーターを乗り継がねばならなかった。車椅子の方々がいかに大変かを実感。

今回の喘息の発作は私に新たな気づきを与えてくれている。仏教の仏のルートはbudh。すなわち、気づきとか目覚めを意味する。仏教は仏陀の教えであるが、広く言えば目覚めの教え、気づきの教え。そのことを再認識させられたし、車椅子のこと、人々の動きなど実に多くのことに気づかせていただいた。感謝感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

車椅子

20060330z 30日、東京タワーも車椅子で見学。公的な場所には東京では必ず車椅子が設置。ありがたいことだ。昼食は残念ながら私が食べられるものはほとんどなかった。その後、27名が載ったバスを東京タワーから送り出した。動けない私はタクシーで横浜へ。国際タクシーで禁煙車。途中でカミさんが機転を利かせてくれて、港北区役所へ連絡。港北区役所で3日まで車椅子を借りられることになった。ありがたいことだ。数日の間は、車椅子生活になる。新たな発見を楽しみたい。その間、カミさんには負担をかける。感謝感謝だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居へ行こう(2)

30日 皇居へ。

P1010244P1010248 まず外苑で車椅子を借りる。この車椅子はなかなか面白い形。タイヤがフワフワで、自分で動かすことはできない車椅子だが、段差の部分や砂利道では非常に役立つ車椅子であった。こうした形式の車椅子が観光施設にいくつも設置してあると、とても役立つように思う。

P1010250 皇居入り口で車椅子を乗り換える。ここでは自分で動かすことのできるタイプ。まず、桔梗門より中へ。石段を見てみると、いくつかの家紋が彫られている。各大名が自らが組み立てたと誇示するためのものだとか。よく目立つところに島津のものがあったのは、なかなか面白い。続いて窓明か館で、説明を受ける。この日はなんと480名の参観。ただ、私が車椅子であったためと、お一人目の不自由な方が居たおかげで、私たちのグループは最前列へ。喘息の病はこんなことで役立ってしまった。元の生徒がいわく。「先生、身体を張って僕たちの為にしてくれたみたい」。・・・・絶句(笑)。

P1010249次に枢密院。この建物は現在は使われていないそうだが、明治から昭和初期にかけてこここそが政治の中心だった。いろいろな方々がここで何を思い、どんな行動に出たのか。天王の最高顧問機関で、大臣以外には公務上の交渉は禁じられていたという面白い役所。あえていえば何かあったときの知恵袋的な場所。ちょっと熱いものを感じた。ただ、歴史が好きなものにとっては感動の場所だが、参加者のほとんどがあまりピンと来ていなかったようだ。残念。こえも私がもう少し皆に伝えておかねばならないことだったのかもしれない。反省・・・。

P1010252 続いて、富士見櫓。江戸城の天守閣が焼けてからは天守閣の代わりをし、将軍はよくこの櫓に登ったという。加藤清正公による石組みは丈夫そのもので関東大震災でもびくともしなかったとか。さすがに城作りの名人。こんなところで尾張出身の方の偉業に出会えるとは嬉しい限り。私にも同郷愛があるということを改めて感じさせてくれた。それにしても、テレビでやっている時代劇で将軍が天守閣に登っているが、あれは姫路城や彦根城。作り物だから仕方がないが・・・。ただ思った。炎上後の歴代将軍は天守閣を難題にも渡り作ろうとしなかったこと。威厳を示すためには必要なものだが、ここにも歴史の面白さを感じた。

P1010254P1010258  次に宮内庁。現在1030人の方々が働かれているという。そして宮殿。およそ100mの幅があり、ここで様々な公式行事が行われる。ふと気づくと、鶯が「ホーホケキョ」・おおおお。私たちを迎え入れてくれている。宮内庁の方もこの場所で鶯が鳴くのは初めてとのこと。嬉しい限りだ。空にはカラスも一羽舞っていた。ヤタのカラスと私は勝手に思い込んだ。

P1010271P1010272  ただかなり残念なこと。この宮殿を見下ろすように、高層ビルが乱立している。あまりにもみっともない風景。多少は皇居側で外から見えないように樹木を配置しているが、それにも限界がある。セキュリティ上にも問題があるような気がする。今の日本の法律にこれを規制するものがないというが、海外の要人をおもてなしする場所だからこそ、もっと特別措置があっていいのではないだろうか。世界広しといえども、こんな馬鹿なことを放置している国は日本くらいなのでは。

P1010265P1010260P1010261P1010267    桜の季節。桜満開。美しく私たちを迎え入れてくれた。そして今回案内をしてくださった宮内庁の桜井さん。この方にも心よりお礼を言いたい。実に適切な解説。心配り。温かさ。しかも厳しさも兼ね備えておられた。後ろ向きに歩かれながら、大変なお仕事だと思う。心より感謝しています。

皇居へ行き、改めて思う。こうした施設は外国からの賓客をお迎えするには大切な場所。皇室のあり方を私自身も考え直してみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居へ行こう(1)

P1010238 29日朝6時半。高家寺に中学生から大人まで30人の人が集まる。「明日の教育を考える会」主催、『皇居へ行こう』(代表浅野健司)。6時45分出発、バスで東京まで移動。関インターから東海北陸自動車道へ、美濃から東海環状自動車道で土岐へ、そして中央道。恵那峡SA、諏訪湖SA、八ヶ岳PA(弁当積み込み)、談合坂SAで休憩。途中はカラオケ大会。準備していたビデオを観ることがなかったのには驚いた。実は談合坂で私はまったく動けなくなってしまった。喘息の発作。車椅子を借りての移動になった。SAで借りることができたので、とても助かった。高井戸JCに予定より20分早く着いたのだが、花見のためか首都高速が異様な混雑。結果的にホテルに着いたのは当初の予定通りの時間になってしまった。新宿から本郷三丁目まで一時間もかかってしまったのだ。ホテル側でも車椅子を用意していただき、私は助けられた。

Meido20060329a ホテル到着後は、夜の九時半まで各自自由。私は鍼灸院へ治療に。カミさんは国会へ。そのほか秋葉原、渋谷、靖国、お台場、神保町、東京ドーム、池袋など、それぞれ思い思いのところに行ったようだ。夕食は各自自由だったが、私とカミさんのグループは、表参道のBROWNRICEで待ち合わせて会食。なかなか楽しかった。

自由行動としたのは、実は自由行動に慣れていない人にとって自由行動とは逆に制約の多いものになってしまうことを自覚してもらいたかったからだ。私たちは普段の生活の中で多かれ少なかれ自由行動を制約されている。そしてその制約の中だからこそ気楽に生きているのだが、一方では皆が自由を望む。しかしいざ自由になると、案外制約されていたときと随分と異なる行動をすることは稀のようだ。自由を楽しむにはやはり普段から自分に責任をもつことを知ることが大切だと改めて思う。この体験を普段の生活の中に活かしてもらえると嬉しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »