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2006年4月17日 (月)

十七条憲法第十条・・・『大化改新』DVDより

NHKの特別ドラマで放映された『大化改新』。このDVDを観た。聖徳太子を聖人として宣揚しすぎるきらいはあるが、十七条憲法の第十条を表に出した功績は高い。

十に曰く、忿を絶瞋を棄て、人の違うを怒らざれ。人皆心あり、心おのおの執るところあり。彼是とするところ則ち我は非とし、我是是とするところ則ち彼は非とす。我必ず聖に非らず。彼必ず愚にあらず。とも凡夫のみ。是非の理、なんぞ能く定むべけん、相ともに賢愚なること、鐶の端なきが如し。ここをもって、かの人瞋ると雖も、還りて我が失を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙え。

これは面白い。まさに今の国々、個人個人に言えることではないだろうか。概略を説明すると、「怒りを捨てなさい。他者が自分が違うからといって怒ってはなりません。人には皆心があるのです。心は人それぞれに性向があるのです。他者が良いとするものを自分は良くないとし、自分が良いとするところを他者は良くないとすることがあります。自分が必ず正しいとは限りません。他者が正しくないとは限りません。良いとか良くないとか、定まったものではないのです。正しいこと正しくないことは輪に端がないのと同じです。他者が怒っているときは、自分に振り返って、自分に過失がないかを点検するのが良いでしょう。自分が一人、良きものを得たとしても、周りにしたがって同じように行動しなさい。」

この言葉、問題点も無きにしも非ずだ。それは「自分一人が正しいときは周りに合わせよ」という日本独特の道が説かれている。これは惰性に身を任せよと解釈されかねない。しかし、読み方を代えれば、独りではなく仲間を作れということに他ならない。良きことをする場合は独りではなく仲間を集えと教えているものだと私は解釈する。そう考えれば、やはりこの第十条はすばらしき教えに他ならない。

またこのドラマで蘇我入鹿に対するイメージが一新した。後代のイメージ作りの為に蘇我入鹿は敵役だが、このドラマではもっと人間味のある魅力ある人物に描かれている。少々、鎌足や中大兄皇子・山背大兄皇子を聖人君子にしすぎているが、人間の良き点に目を向けるという意味では、良い視点だと思う。あくまでもドラマだから、史実と異なっていても、むしろ史実と異なっているからこそメタファーとして伝わってくる気がする。このドラマを見たことで、南淵請安という稀代の学者を知ったし、この当時の時代背景も随分と映像でとらえる事ができるようになった。このドラマはぜひ寺子屋の生徒にも見せたいと思う。

間もなく宗教倫理学会で研究発表を行うが、この時期にこのドラマに出会えたことは私には大いに役に立った。感謝感謝。

今宵はこれまで。

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