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2006年3月 7日 (火)

鏡磨き

真言宗は神事をとても大切にする。神事もまた仏法の延長線上にあるからだ。

当山の鎮守は真清田神(天火明命と国常立神)と摩利支天。後者は元々の当山の鎮守。インドの神様。忘れ去られていたものを私が復興。そして前者は日本の神で一宮市の真清田でお願いし、分社していただいたもの。そういえば、あの時は祖父も同行してくれた。

この鎮守様の鏡が緑黴に覆われてまったく物が写らなくなっていた。それにカミさんが気づいた。布ヤスリの目の細かいものを手に入れてきた。早速、それで鏡を磨いた、少しずつ見えるようになっていく。鏡を磨きながら自分を磨くことの大切さを再認識。

丁寧に丁寧に磨いた。こちらの顔が認識できるくらいになり、最後は太陽の光を当てて確認。そういえば、鎮守の両神様は太陽神。この太陽で確認取らせていただいたことに改めて感謝した。自らが光であり、それをあちこちに照らすのが心の鏡。

鏡磨きはシンボリックで認識しやすい。鏡磨きだけでなく、ありとあらゆる出来事が本当は様々な内面のシンボルになる。そしてそのシンボルも固定されたものではなく、時と場所と機会によってどんどん変化していくもの。自分の周りで起きていることもまたシンボル。自分にとって大切なこと。どんなことでも感謝感謝していくと、道はどんどん開けてくると実感。ありがとうございます。

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