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2006年3月 8日 (水)

長良橋近辺の乱立する建物を見て

岐阜市の長良橋を渡る寸前で、両岸の建造物の乱立を見て、哀しみの気持ちが強くなった。ところが一方で心の中で声が響いた。「そうやって他者を批判しているお前こそ人間嫌いであり、環境テロリストなんじゃないか。周りと強調できない最大の要因はそこにはないか?」。厳しく悲しい顔が、思わず綻んだ。そして心の中で手を合わせていた。「そうだ、自分もその建造物を立てた人たちもそんなに違いがない。自分自身も彼らと同じ事を一杯している。そういう彼らもまた自分の一部として好きでありたい。」と。もちろん、ビルの乱立には賛成しかねるし、重力にひきづられ、物に振り回されることなく、もっと心優しく生きていたい。自分が気づいたことは他者に伝える。しかし、相した他者を非難するのではなく、大切なのは自分自身がどうやって生きていくかということなのではないか。そしてその状態を自分自身の心の顕れとして、そしてそこから自分自身が何を学ぶのか、そんなことが大切であると改めて感じる。

環境問題は、人の心の顕れ。心を整え、環境を整える。そのどちらか一方に偏寄るのではなく、相互に絡まっていることを強く感じた。環境問題は宗教者の問題であると、再認識させられた瞬間だった。

今日も気づかせていただいて、感謝感謝。

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