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2006年3月31日 (金)

しばし猶予を

あまりにもいろいろなことが起きている。

体調も崩れているので、報告は今しばしご猶予を。

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2006年3月28日 (火)

平成18年3月28日不動護摩

20060328a 28日 不動護摩。今日の火はなかなか燃え上がらなかった。白い蒸気を含んだ煙が立ち上がり、なかなか炎が出てこない状態。とにかくこれも感謝と祈りをこめた。すると途中から優しい炎が上り始めた。今日の護摩の火は最初は障害があっても結果良しということと解釈している。法話でもそのような話をした。そして、宗教倫理学会で聞いた「どんな宗教を持つかが問題ではなく、どんな信仰を持つかが大切」ということを伝えた。

それと体調を崩していた弟子の窪田さんが初参加。これは嬉しかった。少しずつ経典の読み方や祈祷を学んでいって欲しい。

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2006年3月27日 (月)

大掃除中

現在、書斎を大掃除中。十年以上に渡るゴミの山になっていた。猛反省。昨日はPCを誰もが動かせるように設定。書棚も移動。今日はテレビの配線処理(もちろん固定はしていない)。ただ問題の書籍をどこにどう入れるかは確定していない。来月4日以降のこととなりそうだ。大掃除をしながら「ごみ減量市民会議」・・・うーん、これも共時性・・・。

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各務原市ごみ減量化市民会議。三回目。

各務原市ごみ減量化市民会議。三回目。今回は生ゴミなどが主な内容のはずだった。アイスブレーキングと思い、いくつか質問をしてみた。そこからいろいろ話題が展開し始めた矢先、ある委員の発言より、紙の減量化に話が展開。ただ正直、皆が何を言いたいのか分かりにくかった。議長はかなりしっかりされた方で、議事進行には問題はないように思われる。私の理解力不足なのか・・・。

そのような中で、環境部長から面白い話があった。「ゴミは各家庭、各個人により排出に差がある。それはなぜか無料が多い。一方、屎尿についてはそれほど差があるとは思われないのに、なぜか有料。ここに本末転倒があるように思える。日本の歴史を知りたい・・・」なるほどと頷かされた。

来月初旬に、議長と共に団地のゴミ事情を視察することにした。これについては来月中旬までに報告しようと思う。

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2006年3月26日 (日)

子どもに好かれる

お昼、いつものようにmannazへ。カミさんはここの二階でヴァイオリンのレッスン。今日のmannazは大忙しだったようだ。

お客が減った後に、マスターのマーティンさんと、カミさんの先生のブリさんと笑い話。ただあまり上品な言葉ではないのでここでは記せないが・・・。

このmannazで行くといろんなことに出会える。今日も、前に一度ここで会った親子と出会う。そこの子どもがカミさんにとてもなついていた。出会って二回目なのに。実は私もそうだが、カミさんは子どもに好かれる。それを見るたびにとてもほほえましく感じている。私たち夫婦は子どもが居ないが、きっと天は私たちにその分、どんな子どもとでも仲良くなる才を与えてくれたのではないかと、勝手に思っている。

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2006年3月25日 (土)

京都での夜

宗教倫理学会の後、カミさんのお兄さんと落ち合う。まずは神人さんから教えていただいた彌光庵でマクロな食事。カレーは絶品だった。来月もまた来たい。感謝感謝。

そしてその後、寺町三条に近いところでお兄さんとお話。なかなか面白いお店だった。バカラガラスのグラス。この口当たりはなんともいえない。ただ閉店後も居続けたので店員さんには迷惑を掛けてしまった。一部上場企業でサラリーマン生活を間もなく終えるお兄さん。次回はどこで会えるだろうか。

帰宅した時間は朝の4時になっていた・・・。

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宗教倫理学会

奈良の大神神社の後に京都駅前のキャンパスプラザへ。しかし、奈良はすごい混みようだった。途中、道を変更していったが、最終的には最短となった。また三輪さまに感謝。

この夜は宗教倫理学会の今年の第一回研究発表。マイケル・シーガル南山大学助教授。カトリックの近現代のお話を分かりやすく説明してくださった。内容は・・・まとめたいのだが私の理解した範疇でしか書けないので、ここでは割愛する。しかし、最後におっしゃった「私は新しい宗教を求めていない。形として統一することも求めていない。」「どの宗教を持っているかよりもどういう信仰を持っているかが大切」この言葉に集約されるような気がする。

この学会は面白い。深い信仰を持ち、社会と積極的にかかわりを持とうとする方々が多いからだ。ここに導いてくださった、生井高野山大学長に感謝。

来月は私が研究発表する。「異宗教間の人々の対話を実現するには  ― 宗教政治と宗教者の倫理を中心に ―」。21日・・・月例弘法大師の日。これもありがたいご縁だ。

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大神神社・・・(3)

20060324t 本殿を後にし、狭井神社へ向かう。体調が悪かったら、あの坂も上れなかったにちがいない。しかし昨日は実に体調がよく、サッと坂を上りあがった。途中、磐座で感謝のお祈りをし、甘酒をいただいた。そして池があり、そこに祀られているイツクシマ(弁天)さまにお祈り。なるほど、ここは龍神さま。狭井は神水が湧き上がる神社。その境内右には三輪山に上れる道があった。次回、友人のKさんを連れてきて、一緒に上りたい、強く感じた。次回は三輪山の御神域に足を踏み入れようと思う。さてこの狭井のお水だが、ちょっと近代化されてはいるが、とても美味しいお水だった。病気平癒を祈り来られる方々ばかりでなく、書道に用いたり、いろいろ使われていることも知る。こうした水が湧き上がっていることにも感謝感謝。水は龍神に繫がる。歓喜の水。ありがたいことだ。

20060324s  次に、久延彦。智慧の神様。ここへいたる途中で、絶景の展望台がある。そして三輪の杜。大神神社はまさに自然と共に生きていると改めて感じる。

久延彦神社には絵馬が並んでいた。学業成就のお祈りのようだ。ここでふと感じる。私たちは、願い事はするけれども感謝の祈りをほとんどしていないのでは・・・。祈りとは何なのかを、自分自身反省しつつ、久延彦神社を後にした。

20060324r そして、大神神社最後が若宮。大神神社の本地は十一面観音様。そういえば、私が高野山南院で加行をしたときの正面に居てくださったのは十一面様。また聖天さまの御本地も十一面様。いまのお師匠のお寺のご本尊も十一面様。この力強き十一面様に今まで守られていたことに改めて感じ入る。感謝。この若宮様はもともとはお寺だったそうだ。明治の神仏分離でお寺は廃寺になり本堂は若宮様となった。明治維新のひずみをここにも感じた。近いうちに、明治維新批判をせねばならないと、感じた。この若宮の鎮守様の一つは金比羅様。この金比羅様は実は大神神社の御主神の大物主神と一体であると聞いている。

今回の三輪さま、とても気持ちよくお参りさせていただいた。それ自体ありがたいこと。感謝したい。何か私たち夫婦の顔が一段と輝き始めたそう感じる、大神神社参りであった。ありがとうございます。

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大神神社・・・(2)

20060324q 参道を歩く。とても気持ちの良い空間。ふと左手を見ると、井戸。そこで先ず拍手。次にまた左手に何かが。夫婦岩とあった。二人とも手を合わせて感謝感謝。その説明版がありよくよく読んでみた。二人とも驚愕。「聖天岩」・・・おおおおお、こんなところで大聖歓喜天さまに出会うとは。最近、私の小さな書斎を整理して、聖天さまをお祀りした。ここでも聖天さまが歓迎してくださったのかと、嬉しかった。二人とも、再度感謝の祈りを捧げた。

20060324w そして二の鳥居をくぐろうとしたところで、私は躓いてしまった。アッ。帽子をかぶり、ポケットに手を突っ込んだままくぐろうとしたからだ。思わず元に戻り、ゆっくり礼し、再び二の鳥居をくぐった。とても気持ちよい。まず拝殿で祈り。ただ、期待したほどの力強さを感じなかった。期待しすぎた私が情けなくなり、もう一度ゆっくりと感謝。今度は期待をせずに、ただただ感謝した。お守りを授与していただき、椿の苗も手に入れた。ここにも椿・・・猿田彦。そして、授与所で知った。ウサギと三輪の神様の関係。三輪さまとウサギは縁があるのだそうだ。私はウサギ年。しかも三八年生まれ。おおおおお、ここでも小さな気づき。思わず、撫でウサギのお守りを授与していただいた。

20060324u20060324v するとどうだろう、カミさんがいきなり、「お神楽をあげてもらいたい。」と。そして祈祷所に赴いた。靴箱の番号は7に敢えてした。実は一昨日から7とおいう数字に縁が出ていた。コンビニでは777円。707円。ぶつかってきそうな車が7番。ぶつかってきたトラックが7番。などなど。そこで敢えて7番の靴箱に。そしてお神楽を。祈祷内容はなにも願望がないので神恩感謝とした。このお神楽は、とてもとても神聖だった。儀式のすばらしさを再認識。真言宗が儀式を重んじるルーツは、実はヴェーダではなく、神道にあるということも再発見。そして最後の鈴による祈祷にはビックリした。左右に振られる鈴。するとどうだろう。鈴の音はとても力強く、迫りくるように感じた。祈祷を受けてこのような感覚を得たのは初めてだった。あまりにものすごさに「おおおおお」と声を出してしまうほどだった。三輪さまのパワーは尋常ではないことを知った。そののち拝殿の奥に移り、三鳥居を目の前にして、金の玉ぐしを捧げお祈り。これまたビックリ。すばらしいエネルギー。外でお祈りしたときには感じなかった感覚を得た。そうか、気づきを与えていただいたからこそ、ここまで感じられるようになったのかもしれない。ただただ嬉しくて、感謝のお祈りをした。 三輪は大和を守り日本を守っている。これが実感だった。大和ととはほんらい「みわ」なのではないか・・・だから大和と書くのではないか・・・とふと感じた。私のご先祖様たちが三輪さまを大切にされていたことに改めて感謝。嬉しいことに受付をしてくださった方は、岐阜の三輪神社へお祈りに何度も行かれた方だった。

続く

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大神神社・・・(1)

20060324z 大和一宮大神神社(三輪山)へ。ここのところ、「三輪」「美輪」「三和」「琵琶」とビックリするくらい共時性(シンクロニシティ:偶然の一致?必然の一致)が続いていた。京都に行く用事があったので、大回りだが、大神神社にどうしても行きたくなり、カミさんと共に出かけた。天気はすばらしく、大和の山々が出迎えをしてくれたようだった。途中で、山々が神々しく見え始め、「すごいパワーだね。まだ日本の土地は守られている」とカミさんと話していると、そこには古い形式の神社があることが分かった。大和の神々はまだ活き活きしている、そう感じさせられた。

20060324y20060324x  そして大神神社の駐車場に。車で一杯であったが、私たちのためのように一台だけ駐車スペースが在った。まず感謝。参道入り口を前にしてまず写真。そしておなかが空きすぎていたのでお食事どころをと探すと、若宮に向かう参道の入り口に、なかなか風情のあるお店があった。私は釜揚げ、かみさんはにゅうめん。座席は全部屋外にあり、炭火が焚いてあった。釜揚げが来た。ふと見ると箸置に椿の葉が使用してあった。ここでも椿。大神神社に入る前にここでも猿田彦の導きを感じた。その上においてある柄杓をよく見てみた。竹でできた柄杓。自然なままの逸品。そして手である枝は二股の一方が切り落としてある。ここで夫婦揃って「分岐点を猿田彦の導きで越えたね。だから大神神社なんだ」と。大神神社に入る前に、このお店に入り猿田彦の導きを感じたのも故なき事ではなさそうだった。もちろん釜揚げうどんもにゅうめんも美味しくいただけた。今後は三輪に来たらこのお店を使いたいと感じた。さぁいよいよ三輪様に宮参り。

後で知ったのだが、このお店は神主さんがやっているお店だとか。ここでも導きをいただいていたようだ。感謝。

続く・・・

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椿大神社・猿田彦

  午前中は三重県の伊勢一宮である椿大神社に。本当は、最近縁のある琵琶をイメージして奈良の天河に行く予定だったのだが、途中で交通の時間的な制約もあり椿大神社にした。

20060324a着くと同時に目の前にしたのが猿の群れ。椿大神社の祭神は猿田彦。私とカミさんは思わず顔を見合って「お迎えが来てくれた」と、笑顔。ただし猿たちはカメラを構えるとサッと消えてしまう。ここがやはり神のお使いなのかもしれないという感覚を与えてくれた。ここの猿たちは私たちにはまったく凶暴さを示さず、むしろ愛嬌があったように思える。

20060324e20060324bまず磐倉で感謝の祈り。ここも面白い場所だ。とても熱き感覚のする場所。この岩には確かに何かを感じる。そして拝殿で、感謝の祈り。願い事は敢えてなし。とにかく有難うございます、感謝します、イヤサカイヤサカというお祈りをした。この空間は大好きな空間だ。大地のエネルギーを感じる。この隣にアメノウズメが祭られている。天岩戸開きの際に踊りを踊った神で、猿田彦の妻。芸能の神として尊崇されている。

20060324c20060324d 続いて茶室でお茶を一服いただいた。静寂の時間。美しいときの流れを感じた。茶室を出ると、目の前に椿の花。そういえば来月の頭はカミさんのお祖母ちゃんの三回忌。桜の季節だったが、お祖母ちゃんの火葬場での部屋が椿だった。そこから、お祖母ちゃんのご先祖の鎮守様が椿神社であることを知った。そしてそれからしばらく椿が続いた。今は、私たちにとってお祖母ちゃんのシンボルは桜と椿。だからこそ椿大神社は、とても思い入れのある場所。猿田彦は岐路の神でもあるので、今私たち夫婦は大切な分かれ目に居り、そこに猿田彦が導きに現れたと感じた。椿大神社を出るときも猿の群れと出会い、ここでも感謝した。

その後、午後は大神神社。奈良の三輪山。大和一宮に赴いた。もう時間が遅いので、続きはまた記そうと思う。

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2006年3月23日 (木)

美味しい食事と大掃除・・・そして論文

支所の会議から帰ってきたら、SさんTさんという二人の若い信者とカミさんとで食事を作ってくれたいた。パスタとつくしのおしたし。美味。特にパスタに納豆を混ぜたら絶品に。感謝感謝。その後、部屋の大掃除を昨日に引き続き。

私はコピー機などを動かしたが、ほこりを吸ってリタイヤ。その後の私は9月に国際学術会議で発表する要旨をまとめた。実は、私のJAPANESE ENGLISHを、こちらの意図を汲んでくれた友人のLeslie Birklandさんが大幅に改定してくれた秀作。こちらも感謝感謝。

そして今日も、三輪の神様が私の周りで輪舞していた。

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2006年3月22日 (水)

ツキを呼ぶ人たち

最近、面白いことが起きている。お寺に来て、自分を見つめなおすと、なぜが急激に共時性(偶然の一致?必然の一致?)を体験し始める人たちが増えている。この人たちは、今までと生まれ変わったように笑顔が生まれ、新たな出会いを得、メンター(師匠)と呼ばれる人たちに出会い、自分がしたい道をまっすぐに楽しんでいる。そう、ツキを呼んだ人たちであり、今もツキを呼んでいる。将来もツキを呼び続けると確信できる。

20060321c 昨日、来たS代議士の第一秘書も、このお寺に足を自らの意思で踏みいれた。そして、私が紹介した人々に会い、共時性を得て、mannazに足を運んだらしい。ついに彼もこの領域に踏み込み始めている。共時性を得て、新たな展開をし始めている。まさにツキを呼び込み始めた証拠だ。

一人でも多くの人が、このお寺で何かに気づき、ツキを呼び込み、自分らしく生きる道を見つけて歩んでくれることが私の生きがいでもある。そんなお寺が高家寺であると胸を張って言いたい。

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散らかった部屋

今日は銀行周り。前住職の後始末。なかなかこうしたものは難しい。

夕方はmannazでお昼・・・実は夕方まで何も食べていなかった。

そして夜、二人の若い信者さんが部屋の片づけを手伝ってくれた。あまりにもひどい状態だったので、とても助かっている。私の最大の欠点は自分のことを後回しにしてしまうこと。そのために自分の身の回りのことは後回しになり、どんどん散らかっていってしまう。これは病気としかいえないくらいひどい状態だ。カミさんからはいつも叱られている。そのたびに、自分が情けなくなる・・・まぁこうした欠点も私らしいのだが・・・少し開き直って、まだまだ自分には改善の余地がある・・・そう思うとこれを改善することで心も整理されるのではないかと感じ始めた。手伝っていただけたこと、カミサンからの注意、そしてこうした機会を与えていただいたことに感謝感謝。

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2006年3月21日 (火)

21日・・・外は寒いが熱く燃えるような日だった

今日は21日。月例弘法大師とお彼岸のお祈りの日。春分。暑さ寒さも彼岸までといいますが、毎年春の彼岸は寒い。今年も寒の戻りが厳しい。

今日の法話は、仏様の説明とアレクサンダーテクニークのお話。

20060321a20060321b 午後からは、茶室でお茶。S代議士と、お二人の秘書をはじめ12人で二畳台目の茶室へ。お茶の席はお茶を通した内容を参加者全員にいろいろ感じてもらえたのではないかと思う。その後に、お寺の信者のTさんがS代議士に厳しい意見を。これは私自身が言われているみたいだった。「これを欲しいのですが、いただいてもいいですか?」的な言い方ではなくて「これを得るにはどうしたらいいですか?」的な言い方が大切と改めて教えられた。また、自分に言い訳をして引くのではなく、もっと積極的に自分らしく生きることの大切さを教えられた。そのほかにもかなりあった。みな強く強く感じさせられた。今日も三輪の神様がお出ましになり、ひょっとするとTさんに三輪の神様が降りていたのかもしれない。三輪の神様が連続し始めたきっかけ作りをしてくださったのがTさんだからだ。S代議士もいろいろ感じていただけたのではないかと思う。少しでも前向きに進んでいければ嬉しい。

夜、二人の若い信者さんとカミさんと、私とで話が盛り上がった。次から次へと・・・。ここにも神や仏が降り立っていたようだ。私たち夫婦が大変身したのは昨年12月1日。そうだ、その日から私たちは思い切り変身した。その変身は、11月後半から「12月から変身してつきまくる」と強く信じたところから始まった。12月1日から今日までの間に、得がたい友人が増えた。本当にビックリするくらいの勢い。そしていろいろな出来事、特に共時性を多く多く味合わせていただいている。

今日も一日、面白く熱く燃えるような日だった。そういえば、WBCで日本が優勝してくれたのも、今日を熱くしてくれたようだ。ピンチの次には必ずチャンスあり。日本優勝万歳。そして今日、来てくださった方々が幸多いことを確信している。感謝感謝。

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2006年3月20日 (月)

高山へ

体調が優れない夜が多いので、午後から、かかりつけの病院へ出かけた。ナチュラルクリニック21高山にある。面白い病院だ。この病院のスタッフが主催し、4月6日にサイモント療法の講演会があるらしい。http://www.nc-21.net/info/c_note.cgi に詳しく載っているので、見て欲しい。ただ私は、宗団の支所の総会があって残念ながら参加できない。かなり残念だ。

ここの先生の一人N先生から面白いレジメをもらった。先生が実体験されてきたお話。患者さんたちとの心温まる交流。往診をされる今どき珍しい先生なのだが、その文章からも温かいものを感じた。このレジメが本になったら是非多くの方々に紹介したい。

さて、高山に行く途中、ひるがの辺りを通った。ここにはまだまだ雪がかなり積もっていた。途中雪が降ってくる場所もあったし、道路の最低温度は-2度というのも見かけた。もうお彼岸。寒さ暑さも彼岸までという言葉があるが、やはりここではまだまだ寒い。しかし、だからこそでもあるのだが、山々の美しさは目を見張った。偉大なる山々。雪化粧をしている山々は勇壮で、幽玄だ。ここには神々が居る、そう実感した。感謝感謝。

そうそう、病院へ出かけた診断は、やはり喘息。緊急時のために薬をいただいた。そして血液検査も。そういえば前回訪れたのは12月。そのときから比べると体重は5kg落ちている。血液検査の結果も少しは異なっているものと確信する。次回訪れるのが楽しみだ。

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21日の準備で・・・

21日の準備が間に合わず、今の時間までかかってしまった。これでようやく眠ることができる。

新しいパンフも完成した。ただ、まだまだ文字が多すぎて男性的。もう少しやわらかいものにしていきたいと思う。

また久しぶりに、高家寺ブログに新たなメッセージを入れた。http://mantra.way-nifty.com/kokeji/ テーマは「良い人は辞めよう」。実はこれ、ある政治家へのメッセージなのだが・・・。21日にそれを伝えるつもりなのだが、その前に予行演習をしてみた。そして、そのためには先ず文字化が必要だということで、ブログに記してみた。高家寺ブログを書くことも21日の準備をしていたことなのだ。

今月の守護尊は、アシュク如来。日光菩薩。金剛鉤菩薩。持国天。歓喜天。摩利支天。瞑想しながら得たメッセージはなかなか面白い。各仏からのメッセージ。一つ一つを祈りながら作っているのだが、どれも自分自身に当てはまるものだ。この守護尊曼荼羅、信者さんにはもちろんとても役立つものだが、実は作っている自分が一番ご利益をいただいていることに今更ながらに気がついた。人に物事を伝えるとき、大きく大宇宙と繋がっているときは、他者にも自分にもご利益がある。仏教ではそれは自利利他というが、まさにそれを実体感。食事もそう。人に食事を提供するときも、実は提供する自分もご利益をいただいている。人のお手伝いをするときも、お手伝いをしているほうもご利益をいただいている。サービスや奉仕・ボランティアなどの精神を実行に移すというのは実はそれをしている人も、それっを受ける人も大きな実益を得るもの。それに気づける人はまたそれで幸せが増す。ありがたいことだ。感謝感謝。

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2006年3月19日 (日)

原子力発電から明治維新までの話

午前中、ある政治家の秘書さんとお話。彼に横浜市長選で見てきた現実をお話した。そこにある真実とは何なのかを。何を得ることができるのかを。

午後、関市にある友人のお店「cafeぷらな」でちょっとした話し合い。ちょっとした・・・原子力発電に始まり、明治維新の問題等、多義に渡る結構ディープなお話だった。そこに一人の21歳の若者が居た。彼は自分の説をまくし立てた。彼の意気込みは良かった。熱き思いも良かった。しかし・・・自衛隊ではなく、しっかりした軍隊をもって、力で外交相手を抑えるべし・・・的な論調。ビックリした。彼のような若者たちにこのような芽吹きがあるとは・・・。私は危機感を感じすぐさまに矛盾点を批判した。維新は決して正しいものではなかったと。悪かったとは言わない。しかしあまりにも問題点が多すぎると。そしてその延長線上に靖国神社があることもお話した。さらにその考えそのものが日本的ではないことも伝えようとした。

私は改めて感じている。明治維新批判をしっかりとすべきではないかと。正しかったこと、間違ったこと、これらをしっかりと明確化すべきではないかと。これをしなかった日本・・・だからこそ戦後も同じような目をした。敗戦はある意味日本の神々が日本人に目を覚ますように仕組んだものであったような気がする。敗戦しても国が滅びなかった日本。日本の神々は敗戦後の日本にチャンスを与えてくれた。しかし、そこには歴史の断絶が生まれてしまった。連綿として流れていた美しき流れさえも断絶させることに躍起になりすぎてしまった。そして今、そのツケを私たちが担っている。高度経済成長やバブルのツケではない。それは既に明治維新に始まっている歴史的なツケ。だからこそ、今の私たちは根本的に精神を立て直さなければならない気がしてきた。日本の神々の復活・・・私が神々に縁を得て生まれ育ち、そして真言宗の僧侶になった理由の一つが何となくここにある気がする。今日はこのことに気づかせていただいたことに深く感謝する。

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2006年3月18日 (土)

アレクサンダーテクニック

横浜からの帰り、新幹線の中で、アレクサンダーテクニックの復習をしてみた。使った本は『アレクサンダーテクニークの学び方  体の地図作り』(誠信書房 バーバラ・コナブル+ウィリアム・コナブル著 片桐ユズル+小山千栄訳)。翻訳語ということもあり、分かりにくいこともいくつかある。しかし昨日実際に教えていただいたので、本はとても役立つ内容だった。言葉だけでは理解できなかったことも読み込めたと思う。

頭から動くこと、下から関節を意識して動かすことなど、実際に行ってみるとビックリするくらい面白い。人は普段何気なく動かしている身体も、実はとんでもない習慣になっていることが多いことを自覚した。

これは子どものころから学ぶ必要があると実感。早速寺子屋に取り入れていこうと思う。

このアレクサンダーテクニックは身体のことだけではなく、ありとあらゆるところに応用できる。私たちはあまりにも無意識にいろいろなことをしている。しかもそのほとんどが、子どものころからの何気ない習慣によるものだ。そしてその積み重ねがいろいろ弊害をもたらしているようだ。身体の動かし方・姿勢など身体に関わるもの、言葉遣い・言葉の抑揚など言葉に関わるもの、慈悲の思い・智慧による照覧など心に関わるもの、そのほかさまざまな学習や食事・呼吸・・・もっと言えば政治に関わることも無意識に行いすぎている気がする。時折、このアレクサンダーテクニックによりチェックし、弊害を除去し、自然が求めるあり方を取り戻したいものだ。

このテクニックに出会えたことに感謝。

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2006年3月17日 (金)

アレクサンダーテクニック横浜から、お茶の水の聖地へ

午前中、アレクサンダーテクニックを学びに行く。このテクニックは実に応用性が高い。身体の細部を意識していくものだが、とても勉強になった。体験が大切であることを確認。ここの講師のKさん、実はカミさんのヴァイオリンの先生であるBさんと知り合いであった。岐阜と横浜、この遠い場所なのにマクロビオティック、アレクサンダーテクニックを通して結びついた。これもなかなかの共時性に思わず夫婦でニッコリ。しかも、この場所、横浜の私たちのアパートから実に近いところにあった。縁は本当に楽しい。

東京医科歯科大学付属病院へ出かける。7月4日に親知らずの手術を受けることに。結構大変な手術になるようだ・・・。担当医のS先生を信じるしかない。

その後、御茶の水近辺を巡る。まずは江戸の総鎮守といわれた神田明神。ここの祭神は平将門が有名だが、彼は三ノ宮。実は一ノ宮に大己貴命、二ノ宮に少彦名命。大己貴命は大国主命の別名。また少彦名命は大国主命と共に国造りをしたといわれる神。共に出雲系。先日からこの大国主命を調べていたので、ここでも共時性を感じた。ちなみに、境内に大きく祭られている大黒様。本来はインドのシヴァ神の暴れる姿であったのだが、大黒と大国という言葉の近似性と、共に死を司る神であったことから混交されている。そして同祖神とも一体化していったとのこと。ただ気になったのは江戸総鎮守の神田明神のパワーが減っている感覚がしたこと。コンクリートで覆われているのも大きな原因かもしれない。境内ではこの日本の首都東京を守ってくださっていることに感謝の祈りを捧げてきた。この神田明神前の甘酒屋でしばし休憩。ここの甘酒はアルコールの入っていない、麹と米からできた人気商品だそうだ。

060317_162943 神田明神の後は、その南側にある湯島聖堂。江戸時代に朱子学の高揚を目的に建てられた孔子廟。ここはほかの場所と違い、少し異国の大陸の匂いがした。どちらかというと、日本の神社がからっとしているのに対し、湿気の多い重厚な感覚の場所だ。

そして最後におまいりしたのが湯島ニコライ聖堂。

お茶の水は面白い場所が多い。ただ私はなぜが天神さんとの縁は薄く、湯島天神は行くことができなかった。神道、儒教、キリスト教の聖地を仏教の坊主である私とそのカミさんがお祈りして回る、これもまた日本らしく、私たちらしいのではないかと思う。

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2006年3月16日 (木)

アメリカ人の友人と

代々木の赤ひげ堂で身体のメンテナンス。喘息の発作もおかげで改善。ちょっと恥ずかしい話だが、冷えから痔になっていたが、これも鍼で改善。鍼灸は実に私には相性がいいようだ。スピリチュアルなお話も赤ひげ堂のスタッフと話せたことも大きな収穫だった。

060316_192935 その後、20年来の友人レスリーさんと落ち合う。カミさんとレスリーさんとで、鳥てつ綱島店に。店長が腕によりを掛けて特別メニューを作ってくれた。野菜中心のヘルシーなもの。レスリーさんの助言により、マネージャーを今後はGM(ジェネラルマネージャー)と呼ぶことに。フロアスタッフのOさん、なぜか今日は緊張気味。Bさんとは一ヵ月半後に新たなメニューを考案していただくことを約束。楽しい食事ができた。その後、マンションで高家寺のホームページの英語版を校訂していただいた。英語らしい表現・・・なるほど・・・。英語を直していただくことによって、お寺のコンセプトをより明確に認識できた。レスリーさんに深く感謝。

さらに、今日の共時性は「岐」。カミさんと、電車の中で岐阜の「岐」の話をした。その後も、「岐」の話をしていた。そして、レスリーさんからも、ロバート・フロストの詩について教えていただいたが、それは「岐」の話題がテーマだった。これは大きなメッセージのようだ。まさに今、私たち夫婦は岐路に居るのかもしれない。物質に生きるか精神に生きるか。前回レスリーさんにお会いしたときは、宗教性の大切さを、認識させられた。そして、今回は精神の道を歩もうとしている私たちへの大きなメッセージだったように思える。もう後戻りはしない。深く強くこのの道を歩もう。そうだ、「岐」の神とは縁があった。カミさんの母方のご先祖様がお祈りしていた神様。そして私の第二の母とも言える大叔母(母方の祖父の妹)が信仰してきた神。椿神社・・・そう、猿田彦。猿田彦こそ、「岐」の神だ。こうしたことを感じさせていただいたことにも感謝。

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2006年3月15日 (水)

横浜で メッセージを得る

横浜で・・・

カミさんの元の上司の元へ出かけ、いろいろお話をした後に、今日は一人で「濱新」へ。http://www.hamashin.net/ 以前から気になっていた「ひつまぶし」。今日は一人なのでちょっと贅沢を・・・と思い、横浜で名古屋名物を食べる。薄味で、量も適切、とても美味しくいただいた。あえて言えば、これは名古屋名物ではなく、横浜名物の味なのでは・・・と感じた。名古屋のものを真似したのではなく、濱新オリジナルの味になっていたからだ。外のものの外形は取り入れても、そこに活かすのは自分を活かしてきた基本。換骨奪胎の精神。そこに私が真言で学んできた教えを見つけた。これも仏からの私へのメッセージを感じた。感謝。

その後、いつものように横浜山手の「エレーナ」へ。http://www.yamate-elena.com/ ここのマスターは現役横浜市長の後援会の事務局長さん。13日より市長選が始まっており、大忙し。そんな中を訪れても、ご夫婦共に歓迎してくださった。ありがたいことだ。そして驚きの選挙戦を教えていただいた。スゴイ!!日本一有名な市長のすることは、ここまでとは・・・。決心一つで、心意気一つでここまで変えられるという現実を見せていただいた。内容は選挙戦ということもあるので、ここでは公開できないが・・・。これは地元に帰って、心ある政治家たちにも伝えねば・・・。早速、彼らにメールした。一方、私自身も大きく学ばされた。当たり前と思っていることを当たり前としない・・・ここに大いなるヒミツがあるようだ。ここにも真言で学んできた教えがあった。常識を常識と見るのではなくありのままに見ると、いろんなことが見えてくる。この横浜市長選挙は、ある意味私への大いなるメッセージでもあることに気づいた。感謝。

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2006年3月14日 (火)

とり鉄綱島店 店長とお話

横浜市綱島駅前にある居酒屋「とり鉄綱島店」で食事。ここの店長は、フランス料理のシェフ。今日もわがままを言って、野菜中心のメニューにしてもらった。野菜のグリル、メニューにはないが、特別に作ってくれた。これは特にお気に入りになった。http://www.premiere-y.com/toritetu/toritetu.html 

今日は店長とゆっくり話しをした。彼の熱き思いは学ばされることが多い。若いスタッフたちも、そしてマネージャーもみな、それぞれの熱い気思いで歩んでいる。エネルギーをいただける美味しいお店だ。

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2006年3月13日 (月)

お灸をすえられる

お灸をすえられた・・・

少し身体に悪いことをしてしまった。とたんに体調不良。運よく、その直後にいつもの鍼灸院「漢方赤ひげ堂」に行くことになっていた。そこで喘息の発作を急激に起こした。吸入を入れようとしたが、息の出入りが極端に少なくなっており、吸入ができない状態に。そして緊急の鍼。発作は軽減。ありがたかった。そこで、さらに追い討ちを掛けられた。生まれて初めてのお灸をすえられたのだ。もちろん本物のお灸。これは効いた。喘息の発作もおさまったし、身体に悪いことは二度としませんと宣言したくらい熱いものだった。http://www.h7.dion.ne.jp/~akahige/

ここで感じた。子どものころに、何か病気をしたときに、特別に効くお灸をすえることが必要なのでは・・・と。そうすると「お灸をすえる」という意味も理解できるし、それによって効果ある治療もできることを身体が覚えてくれる。これは大いに訴える必要があると感じた。

今日は、お灸をすえられることで、心身ともに効いたようだ。このことに気づかせていただいたことに深く感謝。

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2006年3月12日 (日)

神人さんのライブ

今日もお昼からmannaz。アメリカ人のブルースさんやイギリス人のブリさんたちと楽しく談話。ブルースさんには、お寺に出入りしている農業を目指す若い二人の女性を紹介。その後、寺子屋のためお寺に。

そして夜は神人さんのライブ http://blogs.yahoo.co.jp/hihumikamihito すばらしいライブでした。まるで動的な祝詞のようでした。一緒に行ったメンバーは涙を流したり、乗りに乗ったり。カミさんの手踊りがあれほど上手だったとは、私も知りませんでした。ライブの後に楽しく談笑。そして帰る間際に、神人さんの奥様とお話。ここまでに、数限りない共時性が・・・。まさに神々が降臨したように共時性の連発でした。皆驚きの数々だったと思います。次回は神人さん夫婦と京都でゆっくりとお話したいものです。DVC00024 DVC00025

今日も大いに感謝感謝。

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2006年3月11日 (土)

「cafeぷらな」で

友人のお店「cafeぷらな」(関市)で、越前琵琶の演奏があった。私は町内会の会合があり残念ながら参加できなかったが、カミさんはしっかりと聞いてくれたようだ。町内会の後に駆けつけたが間に合わなかった。それでも、演奏者も、そのご主人もとても仲の良いお友達だったこともあり、最後は神の話で盛り上がった。諸神の岡、三輪、ハヌマーン、猿田彦、シヴァ、そして弁財天。演奏者が「まるで弁天様だった」というのがカミさんの感想だった。最近、神づいている。これもカミさんのおかげかも?

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2006年3月10日 (金)

黒大豆

お気に入りのCafeのMannazで農薬不使用の黒大豆のことを知った。一昨年は不作だったらしいが、昨年は豊作で、かなりの在庫がだぶついているとの事だった。いろいろヒントをお話できたと思う。個人的な希望では黒大豆の豆腐や納豆ができれば嬉しいのだが・・・。この黒大豆が活用されることを深く祈る。このような商品に出会えたことに感謝!

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2006年3月 9日 (木)

事務作業のお手伝いをして

高野山真言宗岐阜支所の事務局長さんのお寺で議事録や書類の作成を手伝った。事務作業をしてくださっていることに先ず感謝。忙しいさなか、よくやってくださっている。私は迷惑ばかり掛けているので、こうしたした作業のお手伝いをすることしかできないが、その苦労のいったんは理解させていただいた。

表の舞台に立つことを好む人が居る。一方では裏方で支えることを大切にする人が居る。特に前者は後者の苦労をねぎらわねばならない気がする。人にはそれぞれ与えられた場所があり、その場所で活躍することは重要だが、他者も精一杯尊重してこそ成り立つように思う。

自分を大切にするとは、他者を尊重すること。そんなことを教えていただいた事務作業であった。

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2006年3月 8日 (水)

長良橋近辺の乱立する建物を見て

岐阜市の長良橋を渡る寸前で、両岸の建造物の乱立を見て、哀しみの気持ちが強くなった。ところが一方で心の中で声が響いた。「そうやって他者を批判しているお前こそ人間嫌いであり、環境テロリストなんじゃないか。周りと強調できない最大の要因はそこにはないか?」。厳しく悲しい顔が、思わず綻んだ。そして心の中で手を合わせていた。「そうだ、自分もその建造物を立てた人たちもそんなに違いがない。自分自身も彼らと同じ事を一杯している。そういう彼らもまた自分の一部として好きでありたい。」と。もちろん、ビルの乱立には賛成しかねるし、重力にひきづられ、物に振り回されることなく、もっと心優しく生きていたい。自分が気づいたことは他者に伝える。しかし、相した他者を非難するのではなく、大切なのは自分自身がどうやって生きていくかということなのではないか。そしてその状態を自分自身の心の顕れとして、そしてそこから自分自身が何を学ぶのか、そんなことが大切であると改めて感じる。

環境問題は、人の心の顕れ。心を整え、環境を整える。そのどちらか一方に偏寄るのではなく、相互に絡まっていることを強く感じた。環境問題は宗教者の問題であると、再認識させられた瞬間だった。

今日も気づかせていただいて、感謝感謝。

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2006年3月 7日 (火)

四季・・・オペラ座の怪人

今日の昼間、カミさんはレンタルDVDを観ていたらしい。「オペラ座の怪人」。とても感動したことを夕食時に説明してくれた。

その後、二人で「舞台のオペラ座の怪人も観てみたいね」という話になり、早速チケットぴあでオンライン申し込みをした。6月に劇団四季の舞台で良い座席が予約できた。

その瞬間ふと気づいた。夕食時からその予約した時間まで流れたいた曲は、ヴィバルディの「四季」だったのだ。

思わずニッコリした私たち夫婦であった。

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鏡磨き

真言宗は神事をとても大切にする。神事もまた仏法の延長線上にあるからだ。

当山の鎮守は真清田神(天火明命と国常立神)と摩利支天。後者は元々の当山の鎮守。インドの神様。忘れ去られていたものを私が復興。そして前者は日本の神で一宮市の真清田でお願いし、分社していただいたもの。そういえば、あの時は祖父も同行してくれた。

この鎮守様の鏡が緑黴に覆われてまったく物が写らなくなっていた。それにカミさんが気づいた。布ヤスリの目の細かいものを手に入れてきた。早速、それで鏡を磨いた、少しずつ見えるようになっていく。鏡を磨きながら自分を磨くことの大切さを再認識。

丁寧に丁寧に磨いた。こちらの顔が認識できるくらいになり、最後は太陽の光を当てて確認。そういえば、鎮守の両神様は太陽神。この太陽で確認取らせていただいたことに改めて感謝した。自らが光であり、それをあちこちに照らすのが心の鏡。

鏡磨きはシンボリックで認識しやすい。鏡磨きだけでなく、ありとあらゆる出来事が本当は様々な内面のシンボルになる。そしてそのシンボルも固定されたものではなく、時と場所と機会によってどんどん変化していくもの。自分の周りで起きていることもまたシンボル。自分にとって大切なこと。どんなことでも感謝感謝していくと、道はどんどん開けてくると実感。ありがとうございます。

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2006年3月 6日 (月)

ピンチはチャンス

ピンチはチャンス。このことをとても思い知らされた一日だった。今日はバックギアが入った一日。顔が青ざめる出来事ばかり。とても精神的に辛かった。しかし、これにも感謝感謝。「有難うございます」と叫んだ。ギリギリのラインで何とか乗り切ることができた。このピンチがなければ前に進むことができなかった。新たな動きが始まった。大いなる命は動かないものに対しては、動けるようにあらゆる手段を使ってくる。特に私の場合、カミさんがいろいろな態度で出てくる。ここに大いなる命からの最大のメッセージがあるようだ。

そして今日、私は新たな道を歩み始めた。感謝感謝。

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2006年3月 5日 (日)

忍海神社 諸神の岡

20060305d20060305a 私の家の先祖元々長浜市の大戌亥町に居た。八代目の祖父が尾張一宮に出て、父が子養子に入り九代目に。私で十代目。その元々の土地の氏神様が「忍海神社」。そこへカミさんと友人のKさんと出かけてきた。夕方に出かけた。なぜ行ったのか・・・実は訳も分からず突然行きたくなったからだ。その神社の裏には田村山という岡がある。別名「諸神の岡」。そこへ上った。あたりは暗くなりかけていた。足元には落ち葉の絨毯。見事だった。驚いたのは、前回訪れたときには干上がっていた鯉ケ池に水溜りが数箇所出来上がっていたことだ。嬉しかった。そして感謝した。

20060305b この場所は実にパワフルな場所。大好きな場所でもある。血のつながりはないけれども、わが先祖はこの場所を大切にしてきた。ある意味、ここの神々が私をここへ導いてくれたような気もする。くしくも、わが友人が言った。「縄文時代のように古い時代からの信仰の場所のような気がする」。実は前回訪れたときに別の友人がまったく同じ言葉を言っていた。この地に行かせていただいたことに感謝。この丘に縁を持たせていただいたことに感謝。

この後、長浜市の黒壁に出かけて食事をした。ここは面白い地だ。

20060305c

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2006年3月 4日 (土)

三つのお話

今日はなかなか面白い日だった。共時性・宗教・環境・・・いろいろなことを考えさせられた。

法事で聞いたこと。Tさんが、中国に行って写真を撮って帰ってきた。帰国後、どこかで見た光景だなぁと思いながら写真を整理した。ふと思い出すようにしてTさんはお父さん(戦死されている)の写真集を見た。するとそこには、ほとんど同じ場所で、同じ角度で写した写真があった。カラーと白黒の違いはあれ、六十年の歳月を経て、くしくも親子で同じ場所の写真を撮っていたと言うのだ。その写真を今日は見せていただいた。まさに同じ角度で同じ場所を写した写真がそこにあった。この共時性には私も感動を覚えた。

法事の後、いつものようにmannaz(http://www.warabe.co.jp/mannaz/mannaz.htm)というカフェに行った。市会議員の浅野さん(http://www.asanokenji.com/)と待ち合わせ、しばし歓談。すると店主のマーティンさんがお友達のブルースさんを連れて帰ってこられた。その後は、宗教論議。楽しかった。彼らは実にニュートラルな宗教観を持っている。私とも非常に近い。宗教と宗教政治の違いという面白いテーマにまで話が及んだ。このブルースさんは、奈良の田舎の小さなお寺で留守番をしながら生活をしているとのこと。こうしてお寺を守ることも大切なことだなぁと感じる。近日中に彼のお寺を訪れてみたいと思う。

夜、町内会の班長の受け継ぎがあった。この四月から町内の班長になることになっている。そこでごみの収集問題について話をした。雑誌や新聞の量を減らすだけで、ごみの量が減るということ。ごみを有料化した場合に、不法投棄があればその自治会自身が迷惑をしてしまう恐れがあるということ。そのほか、いろいろなお話を聞けた。

今日は実に学びの多い日だった。感謝感謝。

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2006年3月 3日 (金)

本屋・ビデオ店で

夜10時ごろにカミさんと本屋に行った。カミさんがどうしても借りたいビデオがあるというので、送っていったのだ。私も欲しい本があったので手に入れたかった。

そこでビックリした。夜の十時に数多くの中学生がウロウロしていたのだ。不良っぽくないごく普通の学生たち。学校のジャージを着たまま。しかも大人がついているのではなく、子どもたちだけで。最近の親はどうなっているのだろうか。学校の方針は?

私は子どもたちだけで動くことは推奨している。大いに考え大いに動くことは構わない。しかし、そこには一定のルールがあると思う。夜の十時を過ぎてまでウロウロするのは異常なのではないか。こんなことがまかり通ることじたいが、狂っているとなぜ気づかないのか。あまりにも普段は学校で窮屈なことばかり言うのでその反動のような気がする。もっと子どもたちに考えさせ、自分たちでルール作りをさせられないものか。より感じさせられた。教育をもっともっと真剣に考え実行していく必要性を強く思う。

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2006年3月 2日 (木)

3・・・共時性

朝から共時性の連発だった。特に数字の3。私のラッキーナンバー。

カミさんはカミさんで、西国三十三ケ所の共時性が起きている。この春から再度、挑戦しよう。前回は3年ほどかかったが、今回はどうなるか?ここでも「3」が連発している。

しばらく3を追う予定。昨晩も三つの神社に行ったことだし、この3を追求してみる予定だ。そういえば、明日は3日。本当に感謝!感謝!

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2006年3月 1日 (水)

三つの神社

20060301a 今日は般若心経講座。輪廻転生をはじめいろいろなことをお話させていただいた。その後、参加者の方々と雑談。これも楽しかった。話は占いにまで転じた。

その後、ちょっとした出来事があり、一人で外出した。そう、岐阜の三輪神社に出かけた。あの雄大なエネルギーはここにもあった。ただただ「ありがとうございます」「感謝します」とお唱えしてきた。その後、わが父の実家のある岐阜市太郎丸へ。ご先祖様たちが守ってきた諏訪神社に。夜の神社はなかなかすごいものがある。上諏訪さま。雄大な感覚。下諏訪様。清楚な感覚。特に下諏訪さまではどなたかが居てくださる感覚を覚えた。もちろん両諏訪様共にお唱えしたのは「ありがとうございます」「感謝します」。この三つの神社。父方のご先祖様方が何百年という長い間お守りしてきた神社。ここにはわが一族の祈りが込められている。私もそれに育まれてきた。お祈りをさせていただいたことに、ただただ感謝。このきっかけを作ってくれたカミさんにも感謝!

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