2021年8月25日 (水)

仏像雑感 欲望丸出しのものと祈りの対象のもの

机の横においてある市販の仏像を
ふと見て思ったこと。
FB友達のある仏師、彼は伝統を護っている。
細部に至るまで丹念に調べて仏像を創る。
いや掘り出すというのが妥当であろう。
だから彼が伝統から外れた作品を作っても
大きな伝統の中からはみ出ることはない。
その仏像の奥底には
伝統の流れがしっかりと息づいている。
だから祈りたい気持ちを興してくれる。
彼は仏像を作っているのではなく
樹木を始めとする素材の中に仏を見出しいている。
近い将来には彼に発注したい。
円空さんもそうで
あれほどデフォルメしてあるが
あきらかに円空さんは
しっかりとした仏さまのお姿を認識された上で
デフォルメしている。
だからこそ梵字の種子を後ろに記しているのであろう。
一方、最近、仏師ではない作家が
仏像や仏画を描く例をいくつも観る。
表面上は真似てある。
芸術的にはそれなりに優れたものもある。
しかし、祈る対象にはなりえない。
ただただ表面的に真似ているだけで
その仏像や仏画が大乗仏教の教えを
人で表しているということが伝わってこない。
丹念に調べたものではなく
単純に自我丸出しの作品。
そうした自我が誘引する煩悩を
引き起こしやすいからかも知れない。
伝統を無視して自分勝手に真似たものは
所詮はこのようなものなのかも知れない。
20210825-12-17-14
ただし市販の安価な仏像でも
祈りを何度も何度も施した仏像は
なぜだか表情を変えていく。
おそらくこうした市販のものは
作家の自我丸出しの欲望は
それほど濃くないからであろう。
大乗仏教を人の姿で表した仏像・仏画。
面白いものである。
だから単なる偶像ではない。

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2021年6月24日 (木)

とある国の真実 そこにあるのは忖度と賄賂、その基盤は個人的な欲望 国を憂う心はない

般若波羅蜜多を思う。
 
かなり生臭い話から、現実を見つめ、正しきとは何かを少し述べてみたい。
 
ある国に通じた弟子から伝えられたこと。
*****
その国に対する日本の外務省の役人は完全にピンボケているとのこと。
実際に日本の役人と交流を持った時期もあるので、それを明確に感じたと。
 
それはなにか?
 
首脳部の方針や命令に従って動いている・・・そう感じて対処をする日本の官僚たち。
その官僚の情報に従う政治家。
しかしそれは全く間違っているとのこと。
 
彼の国は、日本のように上意下達の国ではない。
ありとあらゆるところで忖度と賄賂で成り立っているという。
忖度と賄賂は一体化している。
そしてその基盤は個人と家族の欲望。
決して国を思うことはないとのこと。
 
自分の儲け、自分の出世のために、上位者の意思を忖度し、命令もなしに動く。
だからこそ上位のものは下位の者の成果を得ることができる。
個人の考えで勝手に動くので、事は速いしときにはとても優れた成果を出す。
しかし、そこには国家に対する、もっというと組織に対する忠誠心はない。
あくまでも個人の欲望を満足するために、上に忖度し賄賂を出すだけ。
 
本当はものすごくわかりやすいはずなのだが、底があまりにも浅いためにかえって疑ってしまいがち。
その底の浅さが逆に他になにかあるのではないかと他国の人々には疑心暗鬼を生む。
それがうまく行ってしまった。
だから考えられないような馬鹿な発言が出てくる。
彼らには外交という概念はなく、あくまでも国内政治のみ。
国内でどのような地位を得て儲けるかのみ。
 
ところが底が浅いので、その上が何かで失脚すると、簡単に上を裏切り次の上に忖度と賄賂を繰り返す。
 
繰り返すがそこには国を思う、地域を思う意思などない。
あくまでも媚び諂うのみ。
だから言葉巧みに人を口説こうとする。時には献身的にも成る。それに私たち日本人は騙される。
 
彼らには誠意の美徳という考え方が基本的にはない。
彼らの美徳は儲けであり出世しか無い。
 
彼らの欲とは何なのか、それを満たすために、上に忖度し、上位がなくとも勝手に動く。
そこには深い考えはない。
 
そう考えると、全く違った景色が見えてくる。外交には知恵が必要。こうした真実を観つめる目が大切。
 
般若波羅蜜多、ありのままにものごとを観る、自分の経験や知識というフィルターを通すことなくありのままに観る、この件もまた般若波羅蜜多の大切さを知るものなのかもしれない。
 
此れを教えてくれた弟子に、正しきものごとを観ることの大切さを教えられた。改めて感謝したい。
 
絵は、忖度してください(^^;

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2021年6月23日 (水)

皇統の審議に見る神意の顕れ

神意はこんな形にも顕れているのでは・・・
いわゆるKK問題も含め皇統の存続に関する危機。
この危機はあってはならないもの。
しかし、少し角度を変えてみてみると
こうした危機があったから国民の一部は
日本の歴史、皇室のあり方を学び始めました。
女性天皇と女系天皇の違い。
 今までの女性天皇は必ず父が天皇であり
 その子がある場合も
 夫は天皇や皇太子などの皇族である。
源平藤(藤原)橘などの姓と
いわゆる私たちが現在用いている苗字の違い
 姓は生まれ持ったもの。
 苗字は家の名前、誤解を恐れずに言えば屋号のようなもの。
天皇制のあり方やその歴史
 欧州の王族と異なっている皇室。
男性性と女性性の違いの大切さ 
 男性は生まれ持っての皇族以外は皇族にはなれなく
 女性は誰もが皇族になれるというありかたは布に喩えられる。
 たて糸(経糸)は次世代へつないでいく男性的なもの。
 よこ糸(緯糸)は、多様な文様を紡ぎ出す寛容な女性的なもの。
 経緯があって布がはじめて織られる。
 天皇制は男女の違いが多様性を生み出す象徵でもある。
 そこは男女差別ではなく、むしろあり方の違いがあるだけ。
 均一ではなく、こうした違いがあるからこそ平等があるのではないか。
万世一系
 どんなに政治的な実力を持ったものでも
 天皇を越える権威を持てないし持たなかった。
 逆にこの万世一系があったからこそ
 女性の家からは多くの英雄の血が皇室に集まっている。
 信長の妹の流れ、秀吉の姉の流れ、家康の子孫。
 いずれにしてもどこから彼女系の流れが皇室に流れている。
 日本全体が皇室を中心とした太い綱となっている。
その他・・・
こうしたことを危機感から学ぶからこそ
戦後間もない頃にGHQによって無理やり解体させられた
旧皇族方の復帰を含めた皇室のあり方を
再検討できているのかもしれません。
楽観的かもしれませんが個人的には、
旧宮家の一部の皇室復帰による男系保持で落ち着くのではないかと感じています。
そこへ至るためにはまだクリアしていかねばならない問題もあるでしょう。
その問題解決に向けて国民の一人でも多くが歴史を学べば
落ち着くところに落ち着くように思います。
皇室継続への危機感は
私たち日本国民にあらゆる危機に瀕した時
歴史を学び知恵を絞り
大きな流れの中で次世代へとつないでいくことの大切さ
教えてくださっているようにも感じます。
私は宗教者なので敢えて言います。
こうしたことにも神意を感じざるを得ません。

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2021年5月23日 (日)

ハンドルネーム 遊歩和尚の意味

遊歩
私のハンドルネームの意味
それをYOUTUBEに上げました
ニフティサーブ・FBUDのお話も少し出ています。
タイムラインは
00:37 先輩に叱られる
01:15 マンダラ
03:10 大空位を遊歩す
04:39 プロムナード
05:57 UFO
07:23 遊歩
08:23 教導
09:58 真面目です
このお話は真面目なお話です

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2021年5月20日 (木)

クリスマスキャロルとコロナ禍


言いたい放題で本をYouTubeで紹介

今回はクリスマスキャロル

なんでこの時期に?

このコロナ禍だからこそ
我々をを縛る鎖を
考える必要があるように感じます。

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2021年5月18日 (火)

ゼロと無限と真言密教


ゼロと無限と真言密教
というYouTube投稿をしました

無限の有限化
これが真言密教の面白さであり
ある意味、奥義の一つです。
その一端に触れさせていただきました。

宗教は異なっていますが
いつも色々とご示唆いただいている
同志社大学の落合仁司先生に
かつて教えていただいた
∞-∞=0ではなく
∞-∞=∞ということを視座に据えました。
私なりに真言密教と無限との関連性を見つめてみました。
落合先生にはこの場で深く感謝いたします。

ただまだまだ未完で
荒々しすぎる点がいくつもあるので
今後、このテーマは
徐々に洗練させていきたいと思います。

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2021年5月17日 (月)

密教と喩え


密教と喩え
という題でビデオを作りました。
YouTubeで公開

若干踏み出しすぎたかなぁという反省もあり
師匠について学ぶように促しました。

言いたい放題といいながら
言いたいことが言い切れていない反省もあります

言葉や教えをそのまま記すのではなく
自然とその教えを実行しているとか
その教えを用語ではなく自然に身に着けているとか
そうした事ができるといいなぁと
工夫を凝らしています。
まだまだ精進せねばなりません。

本日で73日連続のYouTube投稿でした。

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2021年5月14日 (金)

供養について

供養について述べました
過去精霊供養は供養のほんの一部です
供養はとても大きな物
現代日本語にあえてすれば
おもてなし
じゃないかなぁと思います
YouTube
遊歩和尚の言いたい放題
「供養について」
一見いただければ幸いです

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2021年2月16日 (火)

愛欲とはなにか? 大宇宙とのつながりの代替 だからこそ大切なもの

同志社大学の落合先生の愛の文章を読み
私なりにできる限り平易な文章で記してみようと思いました。
「愛欲とはなにか?」
以下は、真言宗を代表するものではありません。
真言宗の教えを学び修行している途上で感じ取った
私個人の感覚です。
仏教の僧侶は自由人ですから
あらゆる束縛からの離脱を求められます。
束縛を禁じられているといって良いので、
伴侶を持つことを禁じられていました。
 ※私が最も大切にしているのは自由です。
  だからこそこの頃の全体主義の風潮に違和感を覚えます。
大乗仏教であっても例外ではありません。
伴侶を持つことは束縛に繋がります。
夫婦関係も恋愛関係も、
共に伴侶から心身ともに束縛を受けてしまうもの。
大乗は、一人の人への愛情ではなく、
普遍的な慈悲が求められます。
では何故に現代の僧侶は結婚をするのでしょうか?
これを正面から見つめてみました。
愛染明王という仏がいます。
愛欲のマイナス面を射抜き
プラスへと変化させる
「煩悩即菩提」を説く明王さまです。
しかし「愛欲もまた覚り」というその理屈は
汚辱に満ちた肉体的なものに
縛り付けられることになりかねない危険なものです。
煩悩即菩提とはなになのでしょうか?
高家寺の不動堂には
愛染明王が不動明王の横に祀られています。
ある日、不動明王を祈っているときに
愛染明王を見つめた瞬間に
ふと意識が飛んでしまい、
胎蔵曼荼羅がいきなり意識に飛び込んできました。
パートナーを身体的にも心的(?)にも求める心は
大宇宙(胎蔵)の大慈悲の代替に過ぎないのでは?
それを強く実感した瞬間でした。
どういうことかというと
私達は、生まれる前は
母の子宮garbha(胎蔵)という宇宙の中にいて
安心感に包まれています。
そこは大宇宙としっかりと繋がった世界です。
そこから世の中に生まれ
胎蔵という宇宙から無理やり引きはがされます。
それでも安心感を身近なものとして覚えているので
母親や父親に抱かれ安心を感じ取ることは容易でした。
年令を重ねていくと
胎蔵の中での安心感は薄らいでいき
世の中の濁世にまみれていきます。
ここで結びつきという大切なものを徐々に失っていきます。
そこで家族愛や友情に、その代替を求めるようになります。
友情や家族愛という結びつきが濃いうちは良いのですが
その内に世俗的な恣意の中で
私達は繋がりを見失っていきます。
やがて他者に恋し、
心身ともに相手と「一つでありたい」と
求めるようになります。
その「一つでありたい」という想いは
実は胎蔵の中で感じていた安心感への渇望であり
この「大宇宙と一つでありたい」と願う気持ちの
代替であるのではないでしょうか?
「大宇宙と一つでありたい」という渇望は
目の前にいる肉体を持つ相手への恋愛である者もいれば
瞑想や祈りの中で、
直接に大宇宙に繋がることを求める場合もあるでしょう。
 ※ちなみに僧侶は、肉体にとらわれないように、
  後者であることが推奨され、
  だからこそ結婚も恋愛も禁じられるのだと思います。
私の場合は両者でした。
だからこそ気づいたのだと思います。
自分の伴侶との愛情は
その伴侶をこのように存在せしめた大宇宙と繋がっており
その奥にある深淵の向こう側に
大宇宙の本質である慈悲に満ちた光を見出すものだと。
目の前の単純な肉体は
大宇宙の一部なのだと気付かされるようになりました。
かみさんと縁があり共に人生を歩んでいくことは
大宇宙への繋がりという一部であることが
実感できるようになったのです。
愛欲は慈悲の一部であることが
実感できるようになっていきました。
愛欲は汚れたものではなく本来清浄。
宇宙と一体であることを知るために
伴侶を持たず独りで生きていくことは必要な人もいます。
 ※これはこれで貴重なことです。
  こうしたご縁の方は強い方が多いですね。
一方で、伴侶とともに歩んでいくことで
宇宙との一体感を感じるものがいます。
それはその人達の縁によるものであり
この大宇宙がその人に
独りでいるか、伴侶が居るかをしめしているだけであり
大宇宙の自己表現としての私達の性格や縁の違いにより
色々あって良いものなのでしょう。
だから恋愛も結婚も
お互いを通して大宇宙を感じ合うためのものであり
伴侶となった二人は
共に歩む戦友(?)のような存在なのだと感じます。
煩悩もまた覚りの一門であり(煩悩即菩提)
愛欲もまた大慈悲の一門。
恋愛も夫婦関係もまた、大宇宙とのつながりの一門。
その一門を通して、私達は大宇宙とつながっている。
この感覚に目覚めた時、
胎蔵曼荼羅が動き始めることも知りました。
だからこそ人は本能的に恋愛を求め
その恋愛に惹きつけられていくのでしょう。
その愛情を深化させると、
大宇宙の大慈悲へ繋がっていくからです。
ただしこの世の肉体だけにとどまると
大宇宙とのつながりに目覚めないままに
肉体も精神も縛り付けられていってしまいます。
それは時には病的になりやすい。
 ※密教は師匠がいないと誤りやすいのは
 こうした面があるからだと思います。
煩悩即菩提。
単純にこの世の愛欲を肯定しているのではなく
大宇宙という視点で見つめると
煩悩も覚りへの道の一門であり
その門にとどまってはならないのでしょう
向こう岸に渡れば、船も橋も必要なくなります。
それと同じようなものなのかもしれません。
かみさんという存在の大切さを実感しています。
それは愛欲という問題だけでなく
共に気づきを与えあっていく存在であるからです。
「覚りの道を共に歩んでいる」
その感覚がつよくあります。
いや、我がかみさんは
私の普賢菩薩であり観音菩薩なのだと感じています。
そして私は彼女の文殊菩薩であり弥勒菩薩なのでしょう。
 ※普賢・文殊・観音・弥勒は
  胎蔵曼荼羅中央八葉院の四大菩薩。
上記の感覚は、私個人の感覚であり
宗団の教えを代表するものではありません。
ただ私が祈りの中で強く実感しているものです。

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2020年9月11日 (金)

歴史の扱い方に人間性が現れる 暗殺者を英雄視することなかれ

「歴史の扱い方に人間性が現れる」
歴史を解明することは大切。
しかもその伝承が
間違ったものであった場合はなおさらです。
しかし、だからといって
今の時代にふさわしくないものを
無理やり解明し曲解することは
歴史に対する罪作りであるとも言えないでしょうか?
主人を裏切り主人を暗殺し
多くの同時代の者達により
特に裏切った人の身内とも言える人たちに
指示されなかった場合、
彼や彼女を英雄視することは
暗殺者を英雄視することに
ほかならないように思います。
具体的に言うと
明智光秀を英雄視することは
伊藤博文初代首相を暗殺した安重根を
英雄視することと変わりがないように思います。
テロリストを英雄視することが
まともであるとはいい難いのは当然です。
どんな事情があろうが
明智光秀を
テレビドラマの英雄的な主人公にすることに
反対なのはそのためです。
光秀を英雄視するのは
テロリストを礼賛することに繋がりかねません。
(もちろん彼に同情する部分はありますし
 彼の能力の高さ優しさは知ってのうえ、
 主人公・英雄視を反対しているだけです。)
また古き時代の神話の伝承にとらわれてしまい
過去の人物をむやみに礼賛または非難したり
今生きている私達を卑下したりすることにも
反対です。
歴史は事実そのものも大切ですが
それ以上に今生きている人の参考書たるべきもの。
その歴史を学ぶことにより
ときには反省し、ときには勇気づけられ
ときには繰り返さないように注意し
ときには歴史の流れを味方につける
そこに醍醐味があるように思います。
その歴史の事実そのものに
とらわれるべきでは無いように思います。
むしろ歴史の真実を追求すべきと感じます。
遠くは、白村江の戦い、
近くは日露戦争や太平洋戦争、
これを侵略戦争と一刀両断するのは
とても恣意的に
先祖を貶めることになるのではないでしょうか?
その時の方々の判断は
その時の歴史上の流れで
必要であったことも考慮せねばなりません。
ひょっとすると出雲族と天孫族の関係
天津神と国津神の関係
こうした神話も私達の浅い知恵で
恣意的に一方的な虐殺と見るのは
とてもレヴェルの低い
ものの見方のようにも思います。
歴史をどのように扱うのか
ここにも人間性が現れるのかもしれませんね。

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2020年9月10日 (木)

戦わないために二本鎖しがあった 「戦う」という言葉をむやみに使う野党に違和感あり


野党はすぐに「戦う」という。
それに反して、憲法九条改変反対。
なんなんだろうこのダブルスタンダード。

日露戦争や太平洋戦争は、
戦いたくて戦ったのではない。
戦わざるを得なくなったので戦った。

軍隊というものは戦わないためにあるもの。

かつて武士が腰に下げた二本の刀は
常に刀そのものを磨き
それを使う技を磨いた。
しかし一生涯抜かぬを誇りとした。

防衛用の軍隊というのは
そういうものなのではないのか。

「戦う」「戦う」を連呼する野党こそ
「戦う」ことを推奨している元凶なのではないのか?

国民のため世界平和のため
「知恵と交流で工夫をする」
という表現を使えない野党の政治家に
国民は決してついていくことはないだろう。

九条を死守したいのならば
まずはあなた方自身が「戦う」ことをやめ
知恵と交流で平和を実現すべし。

ただし私個人の意見では
隣の三つの国を現実に見つめると
「二つの刀を帯び
 常に技も武器も磨きつつ
 抜かぬを誇りとしていた
 武士の魂を思い出すべし」
と強く強く感じている。

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2020年9月 9日 (水)

封印や結界をみだりに解こうとするなかれ


アニメで時折、封印されたものを解いてしまったことにより、大災厄が起きる場面がある。

これを単なる物語と見るのか、何らかの啓示があると見るのか、場合場合だが、私はこうしたアニメを割合と支持することが多い。

封印というものは意味が有る。

特に怨念を封じるために封印がしてある場合、生半可なことでそうした怨念が消えるわけでは無い。だからこそ神として祀り、その怨念を浄化しようと工夫を凝らしてきたのでは無いのか?

最近、封印を解く旅ということを複数聞く。知人もまた、同じようなことをやっているという。

正直言えば、こうした愚かな傲慢なことを止めたい。中途半端な能力の人がおこなえば、その怨念は別の災厄をもたらしかねない。

ひょっとすると最近の災害というのは、人災であれ、天災であれ、こうした人々の傲慢な思いが引き起こしているのか、その災厄が傲慢な思いを引き起こしているのか、複雑な形なのかもしれない。

もし、このブログを見て、こうしたことに関わっている方がおられるならばお伝えしたい。

千年二千年と封印されたものを、こじ開けるのは避けて欲しい。そんなに簡単に浄化できるものでは無い。むしろ封印されたままに、ゆっくりと時をかけて、人をかけて、浄化していく方法が大切。小さな個人や能力が伴わないもの達の能力では限界があることを自覚して欲しい。むしろ悪化させる可能性の方が高く感じる。
今のその愚かな行為が、災厄をもたらし、人々に不幸をもたらしかねないという真実を見つめて欲しい。

結界には結界の、封印には封印の意味がある。無理に開けるのは不安定になる元。もっともっと大きな視点で、流れを見つめて欲しい。一部の人の言葉に振り回されないで欲しい。

行動的に派手好きな人や、イエスマンが多いグループは特に気をつけるように\(//∇//)\

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2020年9月 8日 (火)

器量を大きくするチャンスは失敗した時に訪れることが多い。










器量を大きくするチャンスは失敗した時に訪れることが多い。

深く懺悔するのか?はたまた恨み節を告げ続けるのか?

宗教は最初に懺悔から始まることが多い。大乗仏教もまた然り。

その懺悔から、他者の失敗に寛容になっていく。

ただし単純な許容ではない。失敗を恐れず前に進むことの大切さを他者に語れるようになる。

器量の大きな人の若い頃の話しを聞くと、失敗の連続だったことがままある。その失敗を糧にできるか否かは、その人の思い次第。

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2020年9月 7日 (月)

名画『二百三高地』をアマゾンプライムで観る 偶然にも日露戦争の終結の日九月五日であった

かみさんがお茶の先生と相談をして、
九月十三日にお茶の練習をすることになった。
その日のテーマを求められたらしく、
調べると乃木希典将軍の忌日であった。
かみさんが私に尋ねた。
「乃木将軍ってどんな人、
 そういえば乃木坂の乃木神社の祭神だよね。」
私は答えた。
「『二百三高地』という映画があるから
 それを観ると分かるよ」
九月五日、Amazonプライムで
『二百三高地』を観ることができることを知り
二人で映画を観た。
私は久しぶりのこの映画である。 
今日六日にかけて映画を観させてもらった。
そして、この九月五日が
二百三高地に描かれた
日露戦争の終結の日であることを知った。
この偶然の一致に夫婦共に涙顔で
目を合わせた。
涙無くして観ることができない映画。
心の奥底に染み渡る映画。
凄惨さと次への生きる喜び
それらが入り混じった映画。
映画が終わったのち
この日露戦争がどういうことをもたらしたのかを
かみさんに講義した。
すると
今のようにつまらないことに
 振り回されている暇はないんじゃないの。
 それだけのことを知り、
 それだけのことに気付いているのならば、
 大切な人材を育て、
 その大切な思いを
 より多くの人に
 知ってもらうようにしなくちゃ。
と叱咤激励されてしまった。
かみさんは何かが降り立ったように
導きの菩薩さまになっていた。
今から本堂に行き
明治天皇、乃木希典、はじめ
日露戦争に関わった
有名無名の方々の菩提を弔おうと思う。
そして、自分自身の「あるべきようわ」を
見つめ直したいと思う。

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2020年8月 6日 (木)

流行病は歴史に学べば秋から冬こそ要注意 今の状況から判断すべきではないのでは?

今から290年前(約300年前)、日本中である流行病が蔓延しました。将軍継嗣の徳川家重や御三家当主も罹患。ついには尾張徳川六代目の継友は薨去してしまいました。ときに享保15年11月27日(西暦1731年1月5日)です。このとき同じように罹患して、すぐに復活した徳川宗春が尾張徳川第七代当主となりました。
歴史書を紐解くと、何度も訪れたウィルス性の病は、九月から波が起きはじめ、十月には大きくなり、十一月には爆発し、十二月一月から二月頭に多くの人が亡くなっていく傾向にあったようです。この歴史は我々に何を語りかけているのでしょうか?
プロイセンドイツの鉄血宰相ビスマルクは「愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ」という主旨の発言をしています。
このところのマスコミや、知ったふりする識者(?)たちの発言を聞いていると、流行り病の第一波という自分の経験を元に、ハッタリの話しているように聞こえてしまいます(^^)それは購買数や視聴率を上げるために情報操作しているのでないかと感じさせるものです。
いま、すでに第二波が起きているといいます。一部の横着者から広がりが始まりました。しかし毒性が弱い可能性が高い。だからそんなに怯える必要はない?確かにこれは間違いとはいえません。ただしそを洗う・うがいをする・あまり人に近寄らない・つばきの飛ぶようなことをしない・息を吹きかけない・食事もお膳として他者と距離を置くれは今のこの時点におけることです。
そんな経験則をよそに、歴史の流れから見ると、これから本格的な波が押し寄せてくる可能性が高い。
政府が緊急事態宣言を出さないのは、この十月くらいから起きる可能性が高い大波に備えているからのような気がしてなりません。
だからこそ、それに備えて今から準備する必要があるのではないでしょうか。いまは罹患数は多いといえども強毒化しきってはいません。そうした今だからこそ、次に訪れる可能性が高い波に備えて、さまざまなことでいろいろと今一度工夫が必要に思えます。
流行病の多かった日本では、昔から知恵を出しました。手などなど。こうしたことを今一度見つめ直す必要性を感じます。
集まらない(密集)・近寄らない(密接)・閉ざさないという(密閉)という3密を避けることを始め、手洗いやうがいの励行、マスクなどの着用、歌を歌ったり大声を出さない、リモートの活用など、誰にでもできることを皆が励行すれば、その大波もかなり小さなもので済むように思います。
経済活動もそれに合わせて知恵を出し合い進めていけば、経済的に淘汰されることなく継続できるものも少なくないように思います。
コロナの撲滅をするために科学的手法を用いることは大切ですが、それ以上に私達自身の生き方を見直すほうが、行疫流行神はおとなしくしてくれるようにも感じます。
愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ
この言葉を今一度噛み締めたいものです。

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2020年5月13日 (水)

危機に強い政策であるBasic Income実証のチャンスだったのではないだろうか?

危機に強い政策を調べていたらBI( #BasicIncome )を知った。

国民全員に一定の金額を振り込み、社会保障をこれに一本化して、シンプルにする政策。

危機の時に一人一人が補強されているので、終身雇用や累進昇給が必要なくなり、企業も解雇をしやすくなる。

資格の問題で働かない生活保護受給者も意欲的に働く機会が与えられる。

お金に縛られず、自由意志で働くチャンスにもなる。

稼ぎたい人は自由に稼げる。基本は資本主義。

貧困層がなくなり、中間層が分厚くなる。


こうした良き点を、このコロナ禍下が実証実験のチャンスだったのではないかと感じる。


もしも三ヶ月、この4、5、6月と実施してみたらとても有用なデータが取れた。


もちろん、国によって事情が異なるので #BI が全てとは思わない。また適応の仕方も国々の環境によって異なる。


しかし、複雑化しすぎた官僚機構をガラガラポンして、官僚も束縛なく活躍でき、シンプルにするにはとても面白い発想。


こうした危機に強い政策が何かを研究することはとても大切。いまはわずかな実証しかないので、これがベストとは思わない。しかし、ベターである可能性は非常に高い。


世界が飛躍するチャンスを一つ逃したかもしれない。


まだまだチャンスはあるだろう。自分の目が開いているうちに、こうした思い切った政策を目の当たりにできるように、自分もなんらかの行動を取りたいと感じる。


BIは、革新にはできない、保守にしかできない改革。色々な方々の意見を聞いてみたいものだ。

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2020年4月16日 (木)

まさか!北極圏のオゾンホールが過去最大級に。ヨーロッパ主要国全体ほどの大きさに

ショック!#北極圏 の #オゾンホール が最大級?五月くらいが一番破壊されやすいので、もうしばらく経過を見ないといけないが・・・。

コロナ禍の影響で南極域の #オゾン層 が回復しているというニュースが有ったばかりなのに、今度は全く逆の北極圏のホールが過去最大とか。

160万平方キロというので1000km✕1600kmの大きさ。


国の面積で言うと
デンマーク本土・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・フランス・スイス・ドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロバキア・ポーランド
の各国を合わせるとおよそ160万強平方kmとなるので、ヨーロッパ主要国の大きさの穴があるということ。


南極のものに比べれば圧倒的に小さいが、それでも無視できない大きさ。

今後の推移を注視していたい。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35152487.html

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2020年4月15日 (水)

敵を作らなければ自分を保てない人はこの世で輪廻する

「神仏と共にあるのか、見せかけよく生きるのか?
 正々堂々と生きる高家寺の檀信徒のあり方にホッとする」
(長文注意)
 
コロナ禍の情報を収集している中で、ネット出演している方々を見ての雑感。
特に左傾している方々に、もしくは右翼を演じている方々に見受けられること。
 
誰か敵を作らなければやっていけない人が多いのではないだろうか。
その敵を攻撃するために周りに声を掛けている。
声を掛けられた人の大半は自分で物事をあまり考えない。そういう人たちに自分に都合の悪い情報の大半を隠し、敵にとって都合の悪い情報を、時には捻じ曲げて周りに伝える。
そうやって歪な情報を共有して仲間づくりをしていく。
 
自分にとって都合の悪い情報が入ると、時には感情的になり、時には悲劇のヒーローやヒロインを演じ、時には情報を捻じ曲げる。
 
しかし、時を経ていくうちに仲間と思っていた人はは消え去っていく。
 
仲間が消え去ると、そういうひとはまた別の場所に移る。そこでも同じことを繰り返し、また場所を去って同じことを繰り返す。
 
短い期間で自分を中心とした仲間づくりをしている人、他者の噂話をやたらする人、やたらと秘密を共有しようとする人。話題をよく変えようとする人。こういう人に敵を仕立てる人が多い。
 
 
これは人ばかりでなく組織にも国にも言える。
 
 
どこかの国(組織)を敵視してマスコミを煽る。敵視している国の歪んだ情報を他の国に流し、自国に都合の悪い情報の大半は隠す。
 
自国に都合の悪い情報が入ると感情的になり、時には悲惨な過去があったことをやたらと強調し、話題を変える。
 
しかし、そうした国は他国から敬遠されていき、いつのまにかその国の政権が全く異なるものとなっていく。変わった政権はまた同じことを繰り返す。
 
 
人も国も、何故に敵を造ろうとするのか?
何故に、他を貶めようとするのか?
 
単純な心理かもしれない。
他者を貶めることで、自分の地位を相対的に高めようとするから。
ただそれだけなのではないだろうか。
薄っぺらい生き方は悲しい。
 
自分の見せかけを良くするために他者との比較をするのは筋違い。他者との比較で大切なのは、自分のを磨くときのみ。
 
正々堂々とまっすぐ道を歩むことのほうが楽(らく)であり、楽しい。
 
国も組織も個人も、
自らの幅を広げ、
自らを深く掘り下げ、
高潔にあることを
意識していたほうが、
自分のためにもなり
他者のためにもなる。
 
 
宗教心の問題がここにも現れているのかも知れない。
 
国家にしろ組織にしろ個人にしろ、隣や後ろに神仏が居る、神仏に包まれて生きている、神仏が自心にいることをなんとなく感じていられることは幸いである。
もちろん、そういう国家や組織や人は、誤解をされやすい。ただ存続するためだけに薄っぺらく存続している国や組織や個人に敵視されやすい。
それは、欲を超えた世界で生きており、不思議な出来事が日常茶飯事であるから、時には常識から外れているから、欲にまみれた生き方をしている人には理解できない。
本当は神仏とともに生きるほうが楽であり楽しい。正々堂々と生きられる。
 
うちのお寺の檀信徒には感謝したい。長いお付き合いが多い。ヒエラルキーを作ろうとせず、他者を貶めることもない。その方々のためにも、私個人もお寺そのものも、自らの幅を広げ、自らを深く掘り下げ、高潔にあるようにしたい。
 
※写真は人の運命(さだめ)を解き明かす星曼荼羅

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2020年4月13日 (月)

マクロとミクロ それぞれが自分の立場で工夫工夫工夫! その上で補助を

今回のコロナウィルス禍で
疑問に感じることが多々ある。
そのうちの一つを記す。

マクロとミクロ。

日本政府が「大根一本が何円」などとやり始めたら、
既に末期症状。

国全体をまとめるのはマクロ視点。
このコロナ禍後を見つめ
産業のあり方そのものを
変化させていく政策を取るのが
日本政府の役目。

各都道府県は
政府の大きな方策を
それぞれの地域に合わせた形にすることが役目。
あえていえばミドルマクロ視点。
政府の方針を多少なりとも具体化すること。

それに対し、市町村は
まさに市町村民に寄り添う存在。
政府や都道府県の方針を
より地域に根ざした形で対応していくべき存在。
いわゆるミドルミクロ視点。

そして各産業の共同体や組合、
もっというと各店舗や各企業はミクロ視点。
自分たちの社会での存在そのものを問われているのが
このコロナ禍後のあり方ではないだろうか?

この視点を忘れて
共同体や組合が考える仕事を政府に押し付けたり
政府はやたらと細かいところまで企画したり
本末転倒なことが多々見受けられる。

多くのマスコミの論調がその最たるもの。
あたかも自分たちは正義かのようにふるまい
家庭の財布の中身まで政府の責任にしている。

私たち日本人一人ひとりがものごとを深く考え
政府にはマクロを求め
都道府県や市町村にはミドルを求め
ミクロを自分たちが工夫し仲間と助け合っていけば
社会全体が強靭なものへと変わっていくように思う。

誰かに求めるのではなく
まずは自分の工夫。
工夫に工夫を重ね、友人知人同士で助け合い、
それでも駄目ならば自治体や政府へと求めていく。
そのような社会への変化が望ましいのではないか。

単に批判に徹する者を信用することなかれ。
自分の立場をわきまえ、
その上で良き提案をするものと共に歩みたいもの。

転禍為福。
より良き社会になることを深く祈りたい!



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新聞のタイトルに惑わされたくないもの 保守系新聞までもがまさかの・・・

目を疑った保守系新聞のタイトル。

「次の首相にふさわしいのは? 
 石破氏がトップ
 産経・FNN合同世論調査」

「保守系の調査で?ウソッ!ありえない!」
と言いたくなった。

記事を読んでみて納得。

「自民党支持層に限れば、
 石破氏は18.7%で
 首相の30.7%に及ばない。
 ただ、立憲民主、国民民主両党の
 支持層からは4割以上の支持を得た。」

なんのこっちゃである。
ようは自民党外の反安倍派が
数字を混乱させているだけだった。

自民党総裁選挙となると、
まだまだ安倍首相が圧倒的に強い。

保守系の産経新聞ですらこの書き方なので
左派新聞は言うに及ばず。

新聞のタイトルに惑わされないようにしたいもの。

 

https://www.sankei.com/politics/news/200413/plt2004130011-n1.html?fbclid=IwAR1ClJmhy8gKjPV2x1xcum7SqIaHgr3adu7oIH49_3pM9IDG5YCnyVJw5As

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2020年4月 4日 (土)

愚策を良策へ:マスク二枚配布に関しての雑感  悪くない政策に変えられるのでは?

安倍総理のマスク二枚配布に批判が相次いでいます。でも本当に単純に批判すべきことなのでしょうか?

実際に一枚もマスクを手にできないために買い物にも行きづらくなっている方がいるのは事実では?

布マスクが届けば、自分で作ってみようとする人が増えるのでは?

批判する人は使わないのでしょうから他者に譲ってあげればよいだけのことでは?

政府からの注意喚起に役立つのでは?

私はそのようにとらえています。決して愚策とは言い切れないと。

そう考えると、一概に批判はできないように思えます。もちろん政府が安直に考えた側面は否めません。それはそれで、注意喚起が必要です。

しかし、今は緊急事態。こんなことで政府批判をしても仕方がありません。寧ろ、こうした緊急時の政府がおこなった愚策だったとしても(私は愚策とは思っていません)、それを活用する国民に知恵があれば、愚策も良策に変身するのではないでしょうか?

単純に批判する方々こそ、私は批判されるべきだと感じます。愚策を愚策として放置せず、良策へと返信させる知恵ある国民でありたいものです。

ちなみに私は昨年に買っておいたマスクを使っています。毎年ある程度確保していましたのでしばらくは大丈夫。ですから政府からのものは年老いた母に譲る予定です。

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2020年3月31日 (火)

私にとって歴史の勉強も又、真言密教を深めるため

最近、江戸時代中期の歴史関係(尾張徳川家七代目 #徳川宗春 )の物書きをしている。新型コロナウイルスのために会合がなくなり、その時間を利用している。
 
書くために調べごとをし、論文や書籍を読んでいるうちに感じたこと。
 
やはり私にとって歴史学は補助的な作業に過ぎない。今まで発見されていなかったことを見つけることは楽しいし、椅子に何時間でも坐って調べているとタイムトリップしたように感じる。また色々と関連した出来事も身の回りに起きてくる。
しかし、何かが足りない。
 
調べごとをしていると、必ず #真言密教 との関連のものが出てくる。不思議なほどに。それを見つけるたびに、自分の本道は歴史学ではなく、真言密教だなぁと改めて感じる。そして真言密教関連の調べごとになっていくと、どんどんと深まっていく。祈りにも繋がる。いつも行き着く先は、信心、慈悲と智慧、そして大菩提心。そしてまた歴史に戻るの繰り返し。
 
私にとっては、歴史学も環境倫理もロータリー活動も、文化センターの講師も、そして住職としての活動も、生きていること全てが真言密教。ここに足りないものはなにもない。
 
これを確認しつつ、歴史学の書き物をすると楽しくて仕方がない。私にとって歴史学もまた真言密教を広め深めるためなんだなぁと、自分を笑いつつ楽しんでいる今日このごろ。

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2020年3月24日 (火)

してはならないことを知り、それを否定し、肯定面を見つける。

「してはならないことを知り、それを否定し、肯定面を見つける。」
 
かつてハンドボールのコーチで初めて試合に臨み二部のグループの決勝まで行った。ところが決勝で相手チームに隠れた反則をされ怪我人が続出した。審判部に何度も抗議したが、「反則もひとつの攻撃方法だ」とあるチームの監督から言われてしまった。
 
そこから考えに考えた。出した結論は、反則を教えること。ただし、自分たちは何があっても絶対に反則を使わないことを条件にした。肘打ち、膝打ち、足踏み、ユニフォームの引張り、足の引掛け、ボールをわざとぶつける等。
 
反則を教えられた本人たちは、自分たちができないので、適当にしか聞いていなかったが、効果覿面であった。相手の反則から上手に逃れるようになっていった。おそらく無意識に反則を回避する思考が身に着いて行ったのだと思う。逆に正々堂々と戦うのが当たり前にな利、とても強くなっていったことはとても嬉しかった。
 
 
インドの政略論であるカウティリアの『実利論』がある。これは友人に教えられた一冊。かつて岩波文庫から出ていた。この中には謀略がびっしり書かれている。使ってはならないものが山ほど書かれている。しかし、知っていなければ謀略を受けたときに対応ができない。
 
今の日本の政治家は、残念ながらこうした訓練を受けていない。だから謀略に弱い。謀略に弱いから思い切った手を打つことも苦手。
 
謀略だけでなく、日本では禁忌とされる核武装論。私も所持には反対だが、核兵器の研究や、もし所持したらどうなるのかという研究と話し合いはとても重要だと思う。その上で、核武装はしないことが重要。検討も何もしないのは無責任。
 
 
知っていることと使うことは異なる。知った上で検討を重ねれば、どんなことでも必ず昇華できるはず。
 
 
今回のコロナウィルスも、幾つかの問題を提起してくれている。
「武漢ウィルス」という表現の善悪・人権と公共の福祉・共和主義と個人主義などの問題も含め、データや根拠に基づき自由に論議すれば、イエス・ノーという二択論ではなく、第三の道を見い出せるのではないかと思う。
 
 
いやなことでも、まずは知ることから。イエス・ノー・グレーゾーンの三者からの検討。そしてそれを乗り越えていく知恵の構築が重要。
 
 
仏教でも、煩悩を徹底的に分析する。その煩悩を用いるのではなく、その煩悩にまみれないようにするために煩悩について学ぶ。密教では、その煩悩をもう少し奥まで踏み込んで考察し、煩悩を一旦は全面否定した上で敢えて肯定面をも見出していく。
 
 
現象は真理の現れ。こうした社会的な問題があるときこそ、それを個人の内面の深化へと昇華させていくのが私たち宗教家の役目。問題に振り回されるのではなく、地に足をつけて自らの本分を果たしたいもの。

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2020年3月18日 (水)

#明智光秀 に関する雑感vol.1 ヒーローにしてはならない人物

明智光秀に関する雑感vol.1
「ヒーローにしてはならない人物」

どんなに格好をつけようと、どんな理屈をつけようと、私は明智光秀を英雄として奉ることに納得できない。


勉強家で、様々な知識を身に着けていたのは間違いない。能吏であり、主君信長の命令を着実にこなす人物であったのも事実で、信長が最もその能力を信頼していたのも間違いない。

また信長の性格から、光秀に対して暴言や暴力もあったであろう。

しかし、しかしである。どんな理由があろうと、多くの味方も附けずに主君を弑逆することは、光秀の全ての功績を打ち消すほどあってはならない行為だと思う。

周の武王は、時を待ち人信を集めた後に、暴君の殷の紂王を討滅した。

明の朱元璋は、平民出身であり、平民を味方につけて勢力を得て明王朝を成立させた。

秀吉は、信長の子孫を奉りつつ、諸将を味方につけ一大勢力となり、関白にまで上りつめた。

いずれも、主に対して弓を引くか恩知らずの行為をしているが、多数の他者を味方につけることを忘れなかった。

光秀は、味方を募ることができなかった。この一点で、信長を討ったことは、私怨であることが分かる。
弑逆してから味方を募るのは論外である。
細川親子が光秀に背を向けたのは当然といえば当然である。つい一年前までは、信長の恩を忘れまじと言っていた人物が豹変したのは、大義がない。

光秀が信長を討った理由はわかっていない。

歴史作家の加来耕三氏は「精神的な病」「うつ病」論を出されているが、私もその意見に賛成である。加来耕三氏の光秀論は、ほぼ私も同じ意見だったので驚いた。

頑張りすぎて、自分で自分を追い込んでしまい、これ以上動けなくなり、信長の期待に答えられなくなっていき、精神的におかしくなっていったのではないかと思う。その延長線上に本能寺の変があったと私も思っている。

だからこそ、大多数の意見を集合させずに、自分だけの思いで突っ走ってしまった光秀には賛同できない。彼を英雄化することは私怨による裏切りを推奨することになりかねない。

光秀は優秀な人物であったが、引き際を間違えた。頑張りすぎて、自分の能力を超えることまで信長に求められるようになってしまい、引き際を失ってしまった。優秀であるがゆえの悲劇は悲しい。しかしヒーローであってはならない!

今、岐阜では光秀を盛り上げている。しかし、岐阜の名をつけたのは信長であり、光秀を応援することに私は納得できないでいる。

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2020年2月25日 (火)

神仏を前に恥ずかしくなく生きたい

神仏が命じたもの以外、基本的に活動を徐々に停止していこうと決意した。会合も最低限度にするつもり。

今、自分が手を付けていることを、誰かが始めていたら、その人に手渡して、身を引こうと思う。

人に評価されることよりも、神仏の前に立って、恥ずかしくないことをしたい。

 

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対処だけでなく根本原因を見つめる視点が大切:ある北欧の医師の本を読んで感じたこと

ある北欧のお医者様の本を読んで感じたこと。
彼が夫婦でアフリカの貧村に赴き強く感じたのは、目の前の患者への対処ではなく、もっと広い範囲の #公衆衛生 こそが重要であること。
「目の前の患者を治すことこそが医者の使命だ」と強く同僚に叱られたそうだが、公衆衛生に対する考えは変わらなかった。
目の前の患者の治療だけでは、患者の数が減っていかない。その無力感から、より広範囲に目を向けた結果、そもそも病にならない環境を指導していくことこそが、患者の数を減らすことではないかと気づいた。
そこから彼は公衆衛生に尽力し、見事に結果を出し、世界的にも有数な公衆衛生の権威となっていった。
この考え方は、実は公衆衛生にとどまらない。
病も、目の前の病に薬だけで対応するのではなく、普段の食事や呼吸も大切であるのは当然のこと。しかし、人はなかなかそれを事実として受けいれ実行しきれていない。もちろん今苦しんでいることに対応することはないがしろにされてはいけないのも事実だが、より大きな視点も重要。
犯罪も同じで、目の前の犯罪の取り締まりだけではなく、犯罪が起きにくい仕組みを作ること、そこがポイント。小さな例を出すと、スピード違反を取り締まるのではなく、スピード違反をしにくい仕組みこそが重要。そもそも制限速度があるのに、それを遥かに超えるスピードの出る車があり、それを売りにしていることが問題。
政治にも、経済にも、宗教にもいえる。目の前のことは大切で、それに対処することも重要。しかし、個別にではなく、目に見えないもっと広い範囲のことも意識においておかねばならないことが多いのも事実。
こうした視点を忘れないでいたい。

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2019年9月 7日 (土)

他者と何が違うのか? ある田舎真言坊主の独白

他者と何が違うのか?


少し、自問した。


すると、高校時代に大きな転機があったことが分かった。

父が単身赴任海外出張していたバンコクを訪ね、貧民街を伯父と二人で歩いてから人生観が変わった。

それまでは全くの理系で、人を相手にすることが苦手だった。ところが、その貧民街を歩いて、自分の持つ視野の狭さに躓いた。心の奥底に眠っていた自分が目覚めてしまった。

そんな時、本を読む機会が増えた。和訳だがギリシア古典を読むようになり、ついには哲学書に手を出してしまう。ハイデガーだった。さっぱり分からなかったが、読破して喜びを感じる。

そこから、キェルケゴールや、ショーペンハウエルなどの実存系の哲学書にはまっていく。しかし、読めば読むほど、奥底の声が違うと叫んだ。

聖書を読み始めた。旧約から新約を読み始めふた回り読破した時、ヨブ記の特異性に惹かれていった。

そんなある日、本屋でカール・ヒルティを知る。嵌ってしまった。法律学者であり政治家であった彼の根幹は聖書であった。『キリストにならいて』を彼を通して知り、愛読書とした。今思うと恥ずかしながら、パン屋で種無しのパンを焼いてもらい、ワインを買ってきて、一人でイエスを想い、食をしたことも数度ある。

それから、本だけではなく、宗教関連施設を訪ね、僧侶や神父、牧師を訪ねていくようになった。

その途中で、京都国立博物館で初めて曼荼羅(伝真言院曼荼羅と高雄曼荼羅)を見て、時間を失った。一時間、経っていたが私には1分も感じていない状況だった。

弘法大師への思いが募り、高野山に登ってしまう。


私の基本は、この頃にあった。乱読とは言え、多くの西洋古典や西洋哲学書を読んだ。ヒルティの影響が強く、カントやギリシア古典を多読した。聖書を何度も読んだ(通読はニ回)。その時の読書が、その後の密教理解にとても役立った。むしろ、密教を理解するための訓練を、カントやギリシア古典・聖書を通しておこなっていた。これも今思えば、私という自我を形成するために必要な過程であったと思う。

咀嚼する牙は西洋哲学やギリシア古典・聖書によって磨かれていた。


ヒルティを久しぶりに手に取った。岩波の『幸福論』は五冊は買っている。それくらいボロボロになるまで読んだ。書き込みもした。彼の全集も手に入れ、『幸福論』はドイツまで行ってドイツ語まで手に入れ、気になる単語の元の単語を調べるようにもなっていた。そして、いつのまにか、密教という牙でヒルティを読むようになっていた。


このところ、お寺の住職として、流れに流されている感が少なからずあった。

久しぶりのヒルティはそれを元に戻してくれた。


あの時の、心の奥底からの情熱を改めて見つめると、恥ずかしいが、やはり相当な熱量であったと思う。方向も間違ってはいなかった。もう一度、その流れの基本を見直す機会を得たように思う。


明日から変わるわけではない。


しかし、大きな大きな流れの中で生きている自分の個性を見つめ直せたことは大きい。

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2019年6月27日 (木)

知らざる者・遅刻する者・祈らざる者は、あまりにも大きなものを知らないでいる

知らざる者は
たとえ見ていても
知る者が
何が見えているのかを
知らない

遅刻する者は
早く来る者たちが
交流で
何を得ているのかを
知らない

祈らざる者は
大いなる意志と
祈る者との
深き繋がりを知らない

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2019年6月26日 (水)

どんな宗旨宗派にも密教あり

弘法大師の深い教えは、

あらゆるところに密教が有るというもの。

 

どんな宗旨宗派にも密教があり、

そこに触れたものは表面的な密教徒よりも

深い密教者だと私は感じている。

 

密教徒として密教者と手と手を取り合いたい^_^

 

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2019年6月25日 (火)

形式的な宗旨よりも信仰心

広く深い信仰心を持つ人は匂いでわかる。
宗旨宗派を超え手と手を取り合える。

それは人知を超えた感覚。
互いに補完しあえる、
いわゆるオーラや使命があるのかもしれない。

宗派が同じであることよりも、
信仰心の広さと深さを
分かり合える人の方が
心地良い。

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業界人にはなりたくないなぁ

その世界に居続けると、
外から見ておかしいと思えることでも、
何も感じなくなり易い。

それを感じる感性は、
その世界からは異端視されがち。

業界人にはなりたくないなぁ。

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2019年5月31日 (金)

若き日の思い:世俗的な欲望に背を向け、天上の深奥の流れに乗って出家し、いまもまた歩み続けています

若き日の写真を見つけました。若き日のメモを見つけました。若き日の写念仏を見つけました。

高野山に登ると決意したとき、出家を決意したとき、高野山を降りて塾に就職したとき、その塾をやめるとき、止むに止まれぬ思いが身体を駆け巡りました(その思いは一種の狂気なのかもしれません)。

そこには世間的な出世心や金銭的な欲望や単純な知的欲求はなく、遙かなる天上から、深奥なる内なる世界から、その両者から溢れ出てくるエネルギーが私を突き動かしました。そして今もそのエネルギーに乗って生きています。

そのために、ときには世間的な常識から外れることもあります。また世俗的な楽しみが、あまり好きではありません。飲む打つ買い、他者を支配するという世俗的な欲望を理解できません(理解したくもありませんが)。

真言密教の法で祈り、その教えを受け納得し、気付き、目覚め、感じ、体得することほど面白いことは私にはありません。そしてその一端を周りに伝え、共に歩む人と手を携えて歩み、一人でもほんの少しでも共鳴していただくことが至高の喜び。今はただそのために動いています。

寺子屋も、
環境省登録環境カウンセラーも、
中日文化センターの講師も、
ロータリー活動も、
徳川宗春卿のことも、
異宗教間対話も、
すべてが私にとって真言密教という大きな道の中のこと。

こうした道は誰にでも開かれたものではありません。ですから理解してもらえないことが多くあります(残念ながら表面的なお坊さんほどわかってもらえません)。

それでも私は今の道を歩んでいきます。
共に歩もうとする人がいる限り。
私から何かを感じ取っていく人がいる限り。

来月の半ばには、得度して丸34年を迎え、35年目を歩むことになります。あのときの深き強き思いを見つめ直し、その大きな流れに改めて感謝したくなり、こうした投稿をしました。

 

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2019年5月18日 (土)

78:22, 22:78 この比の秘密 雑感

東京オリンピックでミニチュアガンダムが打ち上げられるとのこと。なかなか面白ニュース。一見無駄なようだが、こうしたことで技術が磨かれていくので、悪い話でありません。このガンダムのナンバーはRX-78。この78を見て、ふと思い出したことがあります。

22対78 (前後±1)をご存知でしょうか?

日本に周知させたのは、日本マクドナルドの創業者藤田田。そしてらこの藤田の理論を気に入り、藤田の下まで走ったのが孫正義。

ここで22と78に纏わる話をすると。

正方形を描き、その正方形に内接する円を描きます。すると、その円と正方形の間の余白と、円の面積比はおよそ21.5対78.5になります。およそ22対78です。

空気の成分は、窒素以外の気体 対 窒素 は22対78 です。

新生児の身体の水分75〜80%。ここでも 水以外 対 水分で22対78はおよそのところで成立しています。

78は12番目の三角数です。1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12=78

78も22も楔数(相異なる素数の積〈掛け算〉)でできています。
2×6×13=78 2×11=22

原子番号22はチタン 78は白金

タロットカードの総数は78

タロットカードの大アルカナは22

ヘブライ語のアルファベット数は22

ウルトラ兄弟の故郷はM78星雲

懐かしのレコードのSP盤は78回転

まぁ、偶然にしてはなんとなく傾向のある数字の様です。もちろんこの数字にとらわれると色々問題も生じます。ここが、この78とら22の面白いところ。

この適用も、まぁまぁというか、78%、敢えて八割弱くらいの気持ちで利用すると、とても良いのではないでしょうか?

一例を挙げると、「隣の三尺」。お隣同士もお互い気を遣おうという意味ですが、この22 78を利用できるのではないでしょうか。つまり、親しき仲にも礼儀あり。2割強の意識。手と手を繋ぐ程度。一方、親子や夫婦でも78程度が限度。その枠を超えず相手を尊重することができれば良い距離感になると思います。

商売でも、500円で110円のお釣りがあったり、1000円で220円のお釣りがあったり、また7800円というのは、売れ筋になりやすいそうです。

ただし、なんでもこれが適用できるかというとそれは否です。 こうしたものがあると万能だと思いやすいのですが、残念ながらそういう発想がこの22 78 が分かっていない証拠だと思います。

私個人のことで言えば、伝えたいことの核になる二割より少し多く表現して、その八割弱%を理解していただければ、時には逆に八割弱表現して二割強理解していただければ嬉しいと思いながら、講演や講義をするようにしています。

人との付き合いも、檀信徒や所属している会員とは二割強を超えないようにしています。寺子屋の生徒に対しても二割以上教えこまない、八割弱は自分で解けるように意識しています。これは自立しているからこそお互いに助け合える、二割強程度は手と手を取り合うためには、八割弱は自立していることが大切だと思っているからです。
このように自分なりに応用をしています。

繰り返しますが、なんでもこれを適用することは危険です。自分の気持ちの中で、この78 22を上手に使い、それぞれの工夫の中で利用することも可能かとおもいます。

他の数字も同じで、その数字の持つチカラに目覚めると、自分を深め広げることができるように思います。他に 21 28 3 5 7 は私がよく利用する数字です。

さて、どんな数字を利用されていますか?

 

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2019年4月 3日 (水)

元号 令の漢字の使い方を知らない人の批判は、悲しくなってきます。もっと事例を勉強すべし!令和は、「佳き和」で、良い名です!

元号のこと雑感

令の文字は下に付けば命令の意味が付与されます

例を示すと、司令・号令・政令・辞令などなど。

一方、上に付けば、良い・麗しいという意味に。例を示すと、令月(よい月)・令日・令士(りっぱな男子)・令嬢・令夫人・令節(よい節日)・令慈(他の母の尊称)・令色(優しく美しい顔・姿)・令人(りっぱな人)・令顔(美しい顔)令聞(名誉・よき評判)・令望(よい人望)等。

もちろん、令格などの例外もありますが、基本的には上記は成り立っていると思います。

それを調べもせずに批判する輩は、無知としか言いようがありません。令和・・・よき名だと思います。

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2019年3月 7日 (木)

気比神宮 再訪

福井県敦賀市の氣比神宮を訪れた後にある会合に参加しました。同じテーブルに偶然にも氣比神宮の総代さんお二人。
昨日まで生活と密着した神様と単純に理解していましたが、七柱おられることを教えていただきました。八幡神も含まれています。
真言宗の根本道場東寺の一つは鎮守は八幡さまです。一方で高野山は四社明神を祀り第三柱を氣比明神としますが、この中に八幡神抱えているのはなかなか面白いなぁと感じさせられました。
今日は氣比明神に導かれた、そんな感じを受けました。

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2019年3月 5日 (火)

踏切で老婆が立ち往生 その時

各務原市のとある踏切。
ある老女が歩行補助車に野菜を載せて渡っていた。

私は踏切手前二番目の車。

老女の歩行補助車の車輪が踏切線路の間に挟まり、立ち往生された。

私は渋滞の非難を覚悟に、車を降りて助けようとした。

すると、前から来た小学生たちがその様子を見てその老女を助け出した。四年生くらい。

困った人を見逃さずに助けた子供達の行為が嬉しかった。

その様子を見て、私は子供達に「ありがとう」と伝えて、車のドアを閉めた。

ただ寂しかったのは、バックミラーを見ると、その老婆は小学生に挨拶するもなく、立ち去ってしまった。

一方、小学生は私の車に手を振ってくれた。私は何もできなかったのに。

子供達に多くのことを教えられた数十秒であった。

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2019年2月14日 (木)

心からの叫びが時に病を癒す

最近、末期癌から復帰した方々の声を数回聞いたことがあります。

ふたつのパターンがある流ように感じます。それを紹介。

一つは、今の現状を嘆かずに、数々の日常の出来事に心の底より喜びを表現した場合。偶然の一致が起きた時に、神の奇跡、神仏のお導きと、目に見えないものに深く感謝した場合。

もう一つは、絶望のあまり、心の奥底から、絶叫し、目に見えない神仏に助けを求めた場合。

いずれにしても目に見えない神仏に繋がりを得たり求めた時に、奇跡的なことが起きるようである。

こうした時に絶対的に大丈夫とは言えませんし、他にも要因があるのでしょうが、それなりに考慮すべきものかと思います。

不思議を呼び起こし体験することができる人と、できない人との差は、日常や緊急時の心のあり方に秘密があるように思えてなりません。

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2019年2月13日 (水)

本堂で本尊様にお供えする

読経や声明(しょうみょう)と、
コンサートホールで
本尊様に背を向け
観客に聴かせるそれらと
同じだろうか?
それを理解していれば
ホールもまた入り口。

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2019年1月26日 (土)

「他山の石」  あれ?なにか変。よくよく見ると・・・

「他山の石」

ある真言のお坊さんが、画師に仏画を描いてもらったそうです。その仏画をネットで拝見。説明では胎蔵大日如来と公言されれていました。

しかし・・・あれ?なにか変。よくよく見ると・・・

・身体の色が白色
・月輪の中に蓮華が描かれる
これは金剛界大日如来のもの

胎蔵大日は
・身体は肌色・・・または黄金色
・蓮華の上に月の輪が載っている

もししこの絵のとおりならば、それは胎蔵大日ではなく、仏眼(胎蔵大日が金剛界の三昧に入る)とするのが正確です。

また細部ですが
・八葉白蓮華ではなく五色の多弁の蓮華
・宝冠が単純すぎる
これは如法に描かれていない

素人がこうした物を作るのは仕方がないと思うのですが、プロが喜んでいるのを見ると悲しくなります。

だからといって。知己ではない方の物ですから直接にお伝えすることはできません。

またそれを描いた方も、描いていただいた方も喜んでおられるので、一概に間違いだと糾弾することもできません。

なんとなく過去の一字金輪や仏眼など、いずれかの作品を真似ているのでしょう。

こうした作品を作る場合、自分勝手に作るのではなく、仏画や仏像に秀でた方にアドヴァイスを頂くことはとても重要に思えます。

仏像や仏画に限らず、あらゆる分野で自分勝手に物事をする方が増えています。

知っていて省略するのと知らずに省略するのとは大きく異なります。

私自身、その作品を見て、顧みて、知らずに省略したり真似たりしてはいないかチェックしたいと感じました。

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2019年1月25日 (金)

東洋大の看板撤去に関して

東洋大の学生が、竹中平蔵氏の授業を辞めるようにと「竹中平蔵による授業反対」の看板を立てた。それを大学側が撤去し、職員が学生に警告し、それを脅しと捕らえたという。
たとえ自分が気に入らない相手であろうと、公の場で大学の教師を批判する際に、呼び捨ては如何であろうか?品がないのではないか?
また授業が反対であるのならば、もっと別の方法での反駁も可能。
学長先生はとても真摯な方。それなりの態度で筋を通せば、成否は別として話を聞いてくれたはず。
大学職員の対応を批判するのは、この学生の行為の不当性から目を逸らすためのものなのではないだろうか?
あくまでも大学職員の言動を、大学其の者の発言のように報道することに悪意を感じてしまうのは私だけだろうか?

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2019年1月24日 (木)

一見、キレイに見えることでも、どこか心地悪さがあるものは・・・

最近、いろいろなところで感じること。

一見、キレイに見えたり、格好良かったりするんだけど、どこか心地悪さが残るもの(者・物)が多い。

こうしたものの殆どが、見せかけや偽物。

心の奥底の感覚に正直に見ると、今まで見えなかったものが見えてくる。

ありのままに物事を見る・・・これぞ、般若波羅蜜多!

この感性をもっともっと大切にしていたい。

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2019年1月23日 (水)

メドベージェワとザギトワというフィギュアスケートの二大女王。彼女たちが、まるでアニメのフィギュア(人形)のように。

メドベージェワとザギトワというフィギュアスケートの二大女王。彼女たちが、まるでアニメのフィギュア(人形)のように。(笑)

安倍首相がロシアに訪問したこのタイミング。このCMは時流を見るに敏感で面白い。政府の対話以上に、両国の交流につながるのではないかと感じる。

このCMの企画者は、なかなかの策士^_^

https://www.asahi.com/articles/ASM1Q51VVM1QUTQP00T.html?fbclid=IwAR3SuzJ72r6b6_ZFU2zkNeVIprZ4_agZpfW6e0Osa5lZzIZAdbHVtHfuGeM

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グリーンランドの氷の問題が発表されました。温暖化という言葉では解決できないほど、地球の気候変動は大きくなっています。季節感をなくしつつある人間は、この気候変動の責任の一翼を担っているのは明白。

グリーンランドの氷の問題が発表されました。温暖化という言葉では解決できないほど、地球の気候変動は大きくなっています。季節感をなくしつつある人間は、この気候変動の責任の一翼を担っているのは明白。
タイタニック号が氷山への衝突コースにあっても、船内は遊興に耽っていたのと同じような気がします。

一人一人がいち早く目覚めること、それを深く望んでいます。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35131622.html?fbclid=IwAR3FuM3lbsRnh-ZZZ-FiiJqm3ORRiH5oSbTUPrE0cE1WmCj7eV6-mS1AB4M

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2019年1月19日 (土)

宗春卿のお墓詣り。名古屋平和公園。今年は年末に大きな企画を予定。宗春卿が正しく認識されることを祈るばかり。

1月18日に、宗春卿のお墓詣り。名古屋平和公園。日暮れ時。訪れる人も少ない。

鵜沼石を用いていることもあり、とても目立つ。卿の事績を思い出す。「民こそ全て」

この数年、宗春卿に導かれている。多くの出会い、多くの場所、多くの物。憑かれているのではないかと思えるほどの偶然の一致の数々。「民こそ全て」の想いを改めて胸にきざむ。

今年は年末に大きな企画を予定。宗春卿が正しく認識されることを祈るばかり。

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2018年11月 8日 (木)

奥義を得るには

誰もが奥義に達するわけではない。
またあるレベルの犠牲や努力もなしに、
奥義は得られない。
しかも奥義は言葉では伝わらない。

シンボルを体得すると、
時や場所を超えて
奥義は目の前に現れる。

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2018年11月 7日 (水)

師が弟子を選ぶのではなく弟子が師を選ぶ

最近の密教に危機を感じています。それは、伝えられる者があるレベルの犠牲や努力を払って求めるものであり、伝える者が公募して教えるものではないからです。

「師匠が白いものを黒いと言ったら弟子はそれを受け入れなくてはならない。しかし、白いものを黒という師匠は問題。白いものを白いと言える師匠を選ぶべき。師匠が弟子を選ぶのではなく、弟子が師匠を選ぶもの。」
これは我が師が、密教の師弟関係を述べたものです。本当にこれは大切なことです。

ところが最近の傾向として、この人に学びたいということで、入門したり伝授を受けたり、受講することが少なくなってきました。資格要件があるとは言え公募された学院や伝授会・講義伝で学ぶことが殆ど。こうした公募されたものの中では、一人一人の機根(能力や縁)に合わせて、師匠は特殊な言葉を使うことができません。あくまでも汎論的な表現にとどまり、一人一人の奥深くに届く象徴を用いにくいのが現状ではないでしょうか?

多人数で学ぶのではなく、少人数で学ぶ。こうした機会が減っていることが、真言宗や天台宗の弱体化に繋がっているように感じます。
真言や天台の教えが弱まっているのではなく、それを受け継ぐ者の意志が弱いというのが根っこのように思います。

仰ぎ願わくば、各寺院のご住職方がもっと門戸を開いて少人数の教えを伝えていける体制が欲しいところです。
さらに受け継ぐ者は犠牲を払ってでも受け継ぎたいという思いを強くて持つことが肝要です。

師弟教育を考えた時、こうした根本を見忘れたくないものです。

繰り返します。密教の教えが弱くなったのではありません。それを受け継ぐ者の意志、ここに問題があります。

我が師は、今でも月に一回、ご自宅で少人数の輪読会を開いてくださっています。これに参加するには、時間をかなり割かなければなりません。時間的にも経済的にも労力的にも大きな犠牲を払い、我が師匠に学びたいと強い意志を持ってこうした会に積極的に参加しているメンバーには深く敬意を覚えますし、それぞれがしっかりと尊敬すべき活動をしているのも事実です。そして何よりも、一人一人の参加者を深い懐で見守ってくださり、受け入れてくださる師匠には、心の底より感謝しています。

こうした場が、世界のあちこちで営まれること、祈るばかりです。

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2018年9月20日 (木)

定期的な祈りは何故必要?

高家寺では毎月21日の月例弘法大師報恩日としてお祈りをしています。

毎月、何故に定期的にお祈りをするのでしょうか?

私たちは現実世界の中で生活しているからです。現実世界では、煩悩の泥の中で生きて行かねばなりません。
その泥に汚染されずいるためには、定期的な浄化が必要です。部屋を使えば必ず部屋は汚れるので、掃除が必要であるのと同じです。

お坊さんは毎日の祈りで、浄化しています。ただなかなかそれは檀信徒には難しいもの。

だからこそ、檀信徒の方々には、せめて月に一度は、祈りで浄化してもらうことが最大の狙いです。

また、皆で祈ることで自分一人ぼっちではないということを感じてもらいながら、浄化をしてもらいたい、というのが高家寺の月例弘法大師報恩日の狙いの一つです。

その浄化とともに、ご縁のある方々の菩提を祈ることができますので、これもまた狙いの一つです。

高家寺に限ることではありません。ご縁のある寺社に定期的に訪れて、普段の生活の煩悩というドロを浄化されてはいかがでしょうか。

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2018年4月 4日 (水)

#銀河英雄伝説 Die Neue These が始まった。前作を見た人はおそらく少なからず違和感を覚えるだろう。それでも・・・

#銀河英雄伝説 Die Neue These が始まった。前作を見た人はおそらく少なからず違和感を覚えるだろう。主要キャラクターの絵がかなり変化している。良い意味での一人ひとりの人間的臭みが表現されていた前作。それに比べ、今回は時代に合わせてか、人間的な臭いを感じにくくなっている。
しかし、原作が優れていることもあり、今回は今回で楽しめそうな気がする。声と絵に慣れるには数回掛かりそうだが、それでも純粋にこの話を楽しみたい。
特に、独裁による問題とその超克、民主主義の良さと衆愚という酷さをもう一度考えてみたい。今の時代にとても重要だから。
http://gineiden-anime.com/

今回はあっさり過ぎ去ったが、次回で、アスターテ会戦でのラップの無念さをどこまで描くんだろうか・・・ジャン・ロベール・ラップの死は恋人ジェシカの人生を狂わせる。平和運動に傾斜していくジェシカと、主人公ヤン・ウェンリーの人生にも多大な影響を与えていく。だからこそラップの死は重要な場面。さて、どうするのか?

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2018年3月29日 (木)

貴乃花親方への罵声を浴びせたのは誰だ!悲しい相撲協会

貴乃花親方が親方衆に謝罪した。その時に、貴乃花親方に罵声を浴びせた親方たちがいたという。
https://www.nikkansports.com/m/battle/sumo/news/201803290000085_m.html
この記事で不可思議に思った。
・怒号を浴びせかけた親方が誰であり、何と言ったのかが記されていない。
・誰も貴乃花親方をかばうことはなかったのか?

彼の問題は問題としてあるが、これでは貴乃花親方の公開処刑と同じこと。

またマスコミも、こうした記事を公正に記すには、罵声を浴びせたのは誰なのか。何を言ったのかを明確にせねばならないように思う。

親方衆は、こうしたマスコミの姿勢をいいことに、個人では何も言わず団体になったときのみ罵声を浴びせるものは、人格を疑う。そちらのほうがよっぽど問題。

貴乃花は弟子をかばい自らが矢面に立った。全ての恥を飲み込んでいるのは間違いない。一大親方だからこそできる、全てを受け切る対応。それが見えない親方衆は、所詮独りでは何もできない小者ばかりなのだろう。

国技のこの状態は、国会がつまらないことで足を引っ張る衆愚政治に陥っていることと、関係がないのではなく大いに関係しているように思う。今の日本の暗部であり病巣が露出してきているのではないだろうか?

自分の周辺でも気をつけていたいものだ。

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2018年3月 9日 (金)

民主制と独裁制 それぞれの優劣どこにあるのか?

独裁政権が増えつつある昨今。

欲望でできた歴史の長い独裁制。
歴史が浅く人間の理性でできた民主制。
単純に後者が良いとするのではなく、
何において優劣があるのか、
しっかりと見極めなければならない時代なのかも?

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«知ると知らざると・・・「富貴について」