2017/06/09

戸隠神社 奥社 参道そのものが神そのもの  ゴールも大切だが歩む過程の大切さを教えられる

長野市の戸隠神社 奥社。
一昨日、信者さんたちと詣でる。

この神社は私たちが住む
各務原市の那加地区の鎮守さまである
手力雄神社の元神さま。

2キロの参道は
ゆったりと山を登って行く

妻の叔母は両股関節を手術しており
杖をつかねばならないほど
不自由をしている。
今回は途中で諦める予定であった。
ところが神が彼女を呼んだ。
皆でサポートをしつつ
階段の最も低いところ探しつつ
九十九折しつつ
参道を歩んで行った。
ゆっくりゆっくりと
ゆっくりゆっくりと。
後から来られた
参詣されている方々も
声をかけて下さった。
2キロではあったが
坂も多く、
実際の距離は、
九十九折をしたので
もっとあったかもしれない。

遂に登り切った時
一緒にいたもの全員に
喜びが溢れた。
神が共にそこに居た。

戸隠神社は
ゴールに神がいるのではなく
参道に居られた。
いや参道そのものが
神なのだと気付かされた。

ゴールを目指すことはとても大切。
しかし、
その過程はもっと大切であることを
改めて教えられた。

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2017/06/02

五色の吹き流しの源流を訪ね、これからのあり方を求めて

五色の吹き流しの源流を訪ね、これからのあり方を求めて

昨日、岐阜南ロータリークラブで早朝卓話、午後からは各務原生涯教育。その両方でお話したのが、旧暦の端午の節句(今年は五月三十日)。月遅れの六月五日でもありかと思います。
端午の節句では、元々は五色の糸を肘に掛けて、吹き流すことで厄除けをしたと言います。
五色とは五行(木火土キン水)で、この世界を構成するもののシンボルです。
吹き流しが生まれたそうです。

それではお寺、特に密教寺院ではお祭りができません。そこで、高家寺では五色を五仏と読み替えました。
白は大日如来
青は阿閦如来
黄は宝生如来
赤は阿弥陀如来
緑は不空成就如来
または
黄は地大
白は水大
赤は火大
黒(緑)風大
青は空大
の五大。
その糸を90cmに切り、
金剛界五仏と
胎蔵四菩薩
(普賢文殊聖観音弥勒)
の真言で
祈りを捧げたのちに
檀信徒にお渡しして
厄除けのお守りとしていただいています。
それが以下の写真。
ちなみに私は右巻きに捻りに捻って、組紐のような形にして、ストラップやそのほかに使っています^_^

自動代替テキストはありません。
自動代替テキストはありません。
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、帽子
画像に含まれている可能性があるもの:空、雲

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2016/12/30

大地の餅搗き 2016年

今年も大地の餅つきを実施しました。
延べ人数で120人以上は居られました。
高家寺オリジナル玄米餅や蓬餅
もちろん鏡餅も。
老若男女、全体的に若い餅つきですが
大いに皆一年の締めくくりを
楽しんでいただけたと思います。

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2015/07/14

関ヶ原町に クリス・グレンさん 河村市長 と共に

名古屋市長の河村たかしさん

ZIPFMのクリス・グレンさん

と共に関ヶ原町を訪れました。
こおこの東首塚が徳川宗春と縁があるからです。
昭和17年まで名古屋市東区には日吉山王権現社がありました。
ここの本当の名前は孚式権現。
徳川宗春を祀る社でした。
ところが、これを管理していた某寺院が
徳風会という岐阜県大垣市の任意団体に
この建物をまるごと売却。
関ヶ原の東首塚に移設されました。
ところが太平洋戦争で某寺院は全焼。
孚式権現社は移設されたお陰で無事に残りました。
河村市長にこれを告げると
訪れてみたいということで
関ヶ原町親善大使でもあるクリス・グレンさんと
訪問しました。
関ヶ原町長も同行。
善き道ができたのではないかと思います。

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2015/06/21

6月21日は旧暦の端午の節供と月例弘法大師でした

6月21日、日曜日。月例弘法大師報恩日。
この日は、旧暦の端午の節供でもありました。
高家寺では、
三つの由来をお話し、
菖蒲を授与し、
五色糸をお渡し、
蓬蕎麦をいただきました。
端午の節供は、
1)古代中国の楚の国の屈原伝説
2)梅雨前の田植えに向けての
  神なる女性の菖蒲による浄めの儀礼
3)宮中の物忌み月である梅雨に向けて
  薬玉を授与された儀式
という三つの流れがあります。
それに加えて、菖蒲が剣に似て
尚武(しょうぶ)に音が通じるので
武士の男の子供のお祭りともされました。

また五色の吹き流しに代表されるように
五色がとても大切であり、
肘に五色の糸を掛けての厄除け。
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鯉のぼりは幟旗と五色の吹き流しから、
それらが習合して江戸時代に生まれた風習です。

そして、ハーブの女王と呼ばれる
蓬を用いること。
いつもは蓬うどんですが、蓬蕎麦にしました。
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ただし、今年は昨年の閏月のせいで、
旧暦の季節がずれています。
端午の節供に関しては、
むしろ月遅れの6月5日あたりが
良いのではないかと感じます。
来年は旧暦ではなく、
月遅れを体験してみたいなぁと感じました。

いずれにしても、新暦で端午の節供はおかしいのに、
なにも疑問を持たずに
したり顔で祝っている方々を見ると
おかしくて笑えてしまいます。
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そういう私がおかしいのかもしれませんが(^^)

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2015/06/15

青葉祭に思う 弘法大師生誕祭であるとともに本来は梅雨明けの行事

今日は青葉祭(写真は高野山奥之院のもの)。数年前まで、なんの疑いもなく、この日に弘法大師(空海)の生誕記念日として祝っていました。

ところが、うちのカミさんが旧暦の6月17日であることを知ってから疑問を持つようになってきました。カミさんの誕生日は梅雨が開けてカラッとした強烈に暑い時。梅雨どころかむしろ渇水が心配になるほど水気が少ない日。しかも、梅雨の厄が明けたのを祝う厄神祭(祇園祭・天王祭)も旧暦の6月16日前後。本来の青葉祭とは、梅雨明けをも祝う祭りであり、梅雨の最中ではまずいのではないかと感じるようになりました。(ちなみに師匠は旧暦の6月15日、新暦の7月21日生まれです)

それからは、高家寺では旧暦6月15日の青葉祭を旧暦6月16日の嘉承頂戴や祇園・天王祭と共に、旧暦の6月16日におこなっています。 なにを頑なにと思われるかたもおられるかもしれませんが、本来の意義を見失った儀礼は単純な形式のみであり、いわゆる世間的にいう魂がこもらないもの、背骨が全くない軟弱なものとなりかねません。

ですから小さな小さな地方寺院ですが、その本来の意義の灯火を絶やさないように旧暦の行事を守っていきたいと考えています。

ただし旧暦にこだわらず、二十四節気に合わせて、五節句も旧暦の行事も、お盆のように月遅れなど、太陽暦にも合わせた新たな措置が必要だとも感じています。 季節感を取り戻したいものです。
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2014/12/18

法話で拍手をいただく 12月17日 愛知県南知多 岩屋寺にて

法話で拍手をいただく(^^;

岩屋寺。愛知県知多郡南知多町山海字間草109番地にあるお寺。尾張高野山宗という独自の宗派で末寺もいくつか抱えている本山。

ここの後藤御住職とは、我が師匠の元での勉強会仲間。とても真面目で、なかなかの好青年でもある。

先日、我が妻と、うちの信者とともに四人で十二月十七日の月例法要に訪れて、法話をさせていただいた。

独特な行事をされており、とても勉強になった。

ここでさせていただいた法話を以下に。雑多な内容はいつものことなのでご容赦を。また文章にしたのでかなり端折っていることはお許しを。

***
こんにちは。岐阜県各務原市から来ました、高家寺という高野山真言宗のお寺の住職をしています北川と申します。ご紹介で後藤御住職には、とても持ちあげていただいたのですが、がっかりされるかもしれませんのでご了承を(^^)まずは、足を楽にしてください。(間を置く)

まずお尋ねします。五十年前からここの信者さんはいらっしゃいますか?(10人ほど手をあげられる)。ありがとうございます。お歳がバレてしまいますね。(^^)冗談はさておき、この話は徐々にとしまして、さて、この岩屋寺と私の関係からまずはお話いたします。
後藤御住職と私は、前高野山真言宗管長猊下の松長先生の元で一緒に勉強をしている仲間です。あるとき、一緒に帰ってきました。私も岐阜ですから、高野山から変える方向が同じですから。そこで、後藤御住職に尋ねると、ここのお寺の御住職とのこと。びっくりしました。と言いますのも、私の母方の亡くなった祖母がこの岩屋寺の信者だったんです。しかもかなり熱心な信者で毎月、おそらくこの十七日に参っていました。私が生まれる直前に、ここの御札を頂いたそうです。覚えられている方居られませんか?五十年前に小さな千枚通しがここでお授けされていたことを?(10名ほどの方々が大きく頷かれた)その御札を母が飲み、私が生まれてきました(不思議話をしました。文章では誤解が生じやすいので中略します)。そうした御縁があり、びっくりしました。

しかも、ここは尾張徳川家の祈願寺。ちなみに紹介にもありましたように、尾張七代藩主徳川宗春公の研究を私はしていますが、宗春は知多が好きで何度も知多半島に来ていますので、ひょっとしたら岩屋寺もそのルートにあったかもしれませんね。さらに、私が高野山で居たお寺ある南院は徳川家霊台の下にあり、今はその三つ葉葵を使っています。私が住職をしているお寺も、譜代で初めて松平姓を許された戸田松平家で、三つ葉葵を許されていました。まさに徳川続き。

こうした偶然の一致が私の周りにも後藤御住職の周りにもいっぱいあります。偶然の一致をよく見つける人は運の良い方々です。どうですかみさん、よく偶然の一致はありますか?つまり後藤御住職はとても運の良い方なのでしっかりとそばに居てくださいね(^^)この偶然の一致を見つけるということはよく物事を見ているということです。ありのままにものごとを見るとは般若波羅蜜多そのもの。ですから大乗仏教の実践をしている人は、当たり前のように偶然の一致をみつけます。不思議は、空を飛んだり、見えないものが見えることではなく、むしろ日常のこうした不思議こそ重要。不思議を見つけると世界はキラキラ光り、手を合わせたくなりますね・・・

***
この後、季節の行事の話を軽くしました。上記は概要なのでもっと細かいのですが・・・。法話を終えましたら、なんと信者さんが拍手をくださいました。法話に拍手、ありがたいことです。

後藤御住職にも深く感謝したいです。まだまだこの日の話は豊富な話題があり、偶然の一致というか不思議話もあり書きたいところですが、その秘密が聞きたい方は、高家寺や岩屋寺におでかけください(^~)

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2014/07/11

今日は旧暦6月15日、本来の弘法大師の誕生日・青葉祭。明日は本来の厄神祭であり、夏越祭り

今日は旧暦の六月十五日、つまり本来の青葉祭(弘法大師のお誕生日)です。旧暦の六月十六日は、厄神、すなわち牛頭天王須佐之男の祭り日でもあります。この時期は梅雨が間もなく終わり夏のピークを迎える夏越の祭りにも相当します。

現代の太陽暦という人間の都合で作ったものに合わせるのではなく、大自然の運行に合わせた祭りの復古はとても大切に感じています。

ちなみに高家寺では、明日の嘉祥頂戴厄神祭とともに青葉祭を執り行います。

写真は、昨年のもので、腰にぶら下げる茅の輪と十六種類の和菓子です。

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十六種類の和菓子とは、お饅頭は人の頭の代用でもあるので、高家寺では密教としての意義つけをしていますので、十六大菩薩と捉えています。本義は家康公の故事によるのですが・・・。ひょっとすると天海僧正はそれを狙ってていたのかもしれませんが・・・。

茅の輪はご存知のように牛頭天王の伝説にちなんで小さな茅の輪にしています。

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2013/06/29

高家寺大師堂本尊 銀杏大師 後編

銀杏大師 後編
御母衣ダムの底に沈むことになった逆さ銀杏。
これを村人は惜しみました。
そのような中、ある村人が
このことを弘法大師を高祖とする
高野山真言宗の僧侶方に訴えました。
その時、一人の年老いた僧が
その訴えを真剣に聞き
ダムに沈む前の逆さ銀杏の木を
拝みに出かけました。
その僧侶が、岐阜市加納の高家寺住職の
小島良省師(先々代)です。
良省師は戦争で燃えてしまった高家寺を
復興した苦労人で
人々の声を身に沁みたように感じたそうです。
逆さ銀杏を訪れた良省師は
村人に尋ねました。
「この木で弘法大師のお像を彫って
 うちのお寺でお祀りしても良いですか?」
村人は喜んでそれを了承しました。
そしてひとりの篤信家が像を彫ることになり
修行大師像ができあがると
高家寺に修行大師像と
残りの銀杏の木が納められました。
そして銀杏大師と名付けられ大切にされました。
ところが時を経て、良省師が没し
銀杏大師のことを知る人も殆どいなくなりました。
高家寺も平成五年に各務原市へ移動してしまいました。
平成七年、現在の住職となり
高家寺の大師堂の本尊として
毎月二十一日十時から、
この修行大師をご本尊に
月例弘法大師報恩のお祈りをしています。
今では、読経と法話と
毎月変わる12種の中から
一枚の守護尊メッセージカードが授与がおこなわれ、
参詣になられた方々を
銀杏大師が温かく導いてくださっています。
(檀家でなくとも参加可能です。事前予約不要)
また時折不思議な力を発揮され
篤き信仰者を
深い眼差しで見守ってくださってもいます。
日本国中のダムに沈んだ数々の生命や想いの
菩提を祈らんがための
渇水や洪水などの水の自然災害から国を守らんがための
おひとりおひとりの先祖や有縁の方々の
過去精霊の菩提を弔わんがための
おひとりおひとりの心の浄化をするための
今も銀杏大師は祈りのご本尊です。

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2013/06/28

苦しく辛い時こそ感謝を 嘉祥頂戴の儀式にみる家康の知恵

今日の月例護摩での法話は、
・善因楽果・悪因苦果:
 苦しい時こそ感謝し、新たな善因を
・徳川家康と三方ヶ原の戦い
 嘉祥頂戴の儀式
 最大の厄災に感謝
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その一部の、
嘉祥頂戴について以下に記します。
*****
嘉祥頂戴の儀式は、
厄神の日である旧暦の6月16日。
今年でいうと、7月23日です。
梅雨が終わり最も厚い時節。
だからこそ、元々は暑気払いの儀式として
厄神の天王祭が行われたようです。
徳川家康が三方ケ原の戦いの前に
羽入八幡で戦勝を祈願しました。
家康は裏に「十六」と鋳付けられた
嘉定通宝を拾い縁起を担いだといいます。
その時に家臣から手製の菓子が献上されました。
結果的に三方ケ原の戦いで、
家康は武田信玄に大敗を喫しますが、
家康最大の危機も去っていきました。
家康はその負け戦の時の絵を
一生大切にしました。
嘉定通宝という名と、
刻まれた十六という文字、
最大の厄災から逃れたこと、
そして厄神を祀る六月十六日の天王祭などから、
公家たちの嘉祥の儀式などを習合させて
江戸幕府では嘉祥の頂戴を盛大におこないました。
ここに家康の面白さがあります。
最大の厄災を
最大の感謝日にしてしまったということです。
家康は 欣求浄土厭離穢土 とい言葉を
旗印にしていましたが
穢土 の音と同じ 江戸に幕府を起きました。
すなわち穢土を浄土に変えるという
決意表明だったようにも思えます。
このように厄災を変身させてしまった家康
または天海僧正などの側近の知恵には
眼を見張るべきものがありますね。
さすがに苦労人
現実社会をしっかりと見つめた
措置のように感じます。
現代人もこの知恵に大いに学びたいものです。

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