2008/02/08

オンリーワンの行事が誕生

今年の節分。
昼間に雨が降った。
ぎりぎりまで待ったが、
水蒸気による火傷が心配で
外で行う大護摩火渡りは取りやめ。
そこで急遽、考え出されたことがあった。
これは、W師とN氏のおかげである。

まず、室内で不動三段護摩を焚く。
20080203001 火天に祈り
浪切不動尊に祈る。
諸尊に祈る。

炎が高く立ち上がり
そこに本尊を観想し
我もまた不動尊と観じる。
不動の布字観をなし
その炎の中の不動尊と我と一体であると感じ
まずは自身の煩悩を燃やし尽くす。
2008020300220080203003  そしてその後に、
信者さんに中に入っていただき
護摩札を手渡してもらう。
そこで、立ち上がる炎で
護摩札を直接に焙る。
その最中に不動尊の前に行っていただき
祈りを捧げていただく。
戻ってきたらお札を受け取っていただき
また元の席に戻っていただく。

20080203004  護摩の炉の中の
火の点った護摩木の炭を
得度済みの係りのものと
僧侶であるW師に手渡して
火鉢に移していただく。
20080203005その火鉢を、
本堂の
右手の金剛界曼荼羅の前に五つ
左手の胎蔵曼荼羅の前に三つ
セットしていただく。


次に私が本尊の前に移る。
信者さんに次は真ん中の本堂に入っていただき
お一人お一人に洒水を施し
20080203006 火鉢を跨いでいただいたり
火鉢の間を通っていただく。
そうすることで
両部の曼荼羅の世界に
参入することになる。
途中ですべての観音の元になる聖観音と
すべての観音の行き着いた先の千手観音を
祈っていただく。
また護摩の煙に
身を包んでいただくことで
燻すことにもなる。

五つとは五智。
 東 アシュク 大圓鏡智
 南 宝生 平等性智
 西 阿弥陀 妙観察智
 北 不空成就 成所作智
 中央 大日 法界体性智
三つとは
 仏部  身密
 蓮華部 口密
 金剛部 意密

意味的には不動尊の炎によって煩悩を焼き
右手に持てる智剣によって荒波を切り開き
両部の曼荼羅の世界に入って
ありとあらゆる仏と共に生き
本尊観音菩薩の大悲に包まれていただく。
そして新たな年をより良い年として
迎えていただくように祈るのが
この行事のありかた。
もっと言えば
不動尊と洒水によって目覚めていただき
曼荼羅の世界
観音の大悲の元皆と共に歩むというもの。
この行事の中で
最近、気になり始めていた
三帰依を意味づけさせることができたと思う。

今回の雨はまさに恵みの雨。
おかげで、世界でどこも行われていない行事が
一つ生まれた。
まさにオンリーワンだ。
まだまだ改良点は多々あるし
意味づけももっと深くなっていくことができるだろう。
ここからこれをもっと洗練されたものへと
もって行きたいと思う。

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2006/10/17

不動尊への祈り

不動尊の護摩供養。ここでの祈りの仕方に対する質問がありました。そこで、今回はその方法を記そうと思います。

<心構え>

不動尊は、懺悔を数えて、望を施す仏様です。ですから、まず一つの懺悔を心からお不動様にしてください。そして、その懺悔を思い切りしたの後に、お不動様に心のそこより願う一つの願いをしてください。

手に余分なものを持っていては次なるものを得ることはできません。懺悔により余分なものは仏様に任せてしまい、自分が本当に必要とするものを得て欲しいと思います。

<作法>

丁寧に背筋を伸ばして座り、合掌をします。太鼓がなっている最中に、体中の気が外に出る感覚で、息をゆっくりゆっくり吐き、自然に息を吸います。その際に、最高に美しい気の流れが身体の中に入ってくるとイメージしてください。

最初に懺悔文をお唱えします。そして般若心経。お唱えしている最中は、何も考えずに美しい音の響きが身体から出ているとイメージしてください。

お経が終わりましたら、心の中にお不動様のお姿をイメージし、心の中で一つ懺悔をしてください。特に自分が一番心の中に引っかかっているものを懺悔すると効果が高いようです。そして、お護摩の炎が燃え上がり始めたら、懺悔の業が炎によって燃やされ、願い事が適うとイメージするのです。

あまりにも単純ですが、特別な作法はなく、心で懺悔を唱え、一つの願いに集中する、これがお不動様に祈りを捧げる方法です。するとびっくりするくらい、祈りが適えられていきます。

ノウマク サーマンダー バーザラダン センダー マーカロシャーダー ソハタヤ ウン タラター カン マン

慈救咒をおとなえしながら、祈りを捧げると、その効果はもっと高まりますので、ぜひこの真言は覚えてください。

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2006/08/18

「いのち感謝祭」お施餓鬼・水祭

8月15日お盆であり終戦記念日のこの日。高家寺で「いのち感謝祭」を行った。別名、水祭・お施餓鬼。目に見えないいのちにお供えをし、感謝するお祭。それは餓鬼道に落ちたいのちに対しても、またこの世に生を受けていた人間も動物も植物たちにも、さらにはヒトには感知できないさまざまないのちに対しても。真言宗では相互礼拝・相互供養とい言葉を用いることが少なくない。まさにその精神を施餓鬼会の中に組み込み、施餓鬼会をより大きくしたものだ。

まずお堂に入る前に水場で手を洗う作法。神道のそれを仏教的に解釈したものだ。柄杓に入れた水の五分の一で衆生の手である左手を洗い、自分自身の身体を清めると観じる。次に仏の手である右手を洗い、仏の御足を洗うと観じる。このときに真言オンサラバタタギャタギャタハンナマンナノウキャロミをお唱えする。次に左手にとった水で口を濯ぎ、言葉を清める。そしてその左手を洗い直し、鏡のように自分の法を照らして、心の中を清めると観じる。最後に柄杓を立てて柄杓全体を洗い、自分だけではなく全ての人を清めると観じる。この作法も、この「いのち感謝祭・水祭」の大切な流れの一環。水は清めを意味し、夏の暑さを取り除く涼を意味し、潤いを意味し、お布施を象徴するもの。そして本堂内に入り、本尊観音菩薩(聖と千手)に対して読経(観音経)と真言によってお祈りをする。次に作法。施餓鬼会ではまず大施餓鬼といってありとあらゆるものに対しての供養を行い、後に小施餓鬼といって個別の供養をするのが一般的だ。しかし、昨今の動静を見ると、大きなものへの供養を最初にするよりも、まず身近なところの供養をし、そしてそれを入り口にさらに広く大きく供養をしたほうが合っているように感じる。そこで今年から思い切って、最初にご先祖様や有縁の過去精霊に対して供養をし、後に大きないのちに対して、さらに世界平和の祈りをこめて供養をすることとした。まず最初に住職の作法。次に縁のある方々のお塔婆を住職のところに持って行っていただき、住職に名前を微音で唱えてもらい、自分自身はその後に洒水作法をしてもらう。そして、供養棚に塔婆を置いて、灯明が灯らない真っ暗な空間で、加持した水を萩の枝をもって供養棚全体に撒き、散華をお供えし、てお焼香をし、餓鬼飯を蓮の葉に移すというもの。意味的には水は潤いという意味でお布施を象徴し、お花は美しいということで忍辱を象徴し、お焼香は続けるということで精進を象徴し、飯は満足するという意味で禅定を象徴する。六波羅蜜の中の四つをこの作法の中で意味づけた。また真っ暗な空間で行ったので、月や星の明かりが頼りになるが、その明かりが以下に大切かを視覚的に分かっていただける行事になったと思う。その意味で、ありのままに観るための明かりということで般若(智慧)も供養全体で象徴していたように思う。また作法を守るということで、勝手な振る舞いをするのではなく、より正しい生活をという意味で戒も象徴している。つまりこの「いのち感謝祭」そのものが六波羅蜜全体の象徴とも言えるようにした。もちろん私自身はできる限り経典儀軌に忠実に諸作法をさせていただいた。

いのちに感謝し、六波羅蜜の象徴を実践し、五感では真っ暗な空間で視覚を意識していただき、五行では秋を迎えるために火のエネルギーを減らす水を多く用いるこの「いのち感謝祭」。少しでも多く、いのちを感じていただけたのならば幸いである。

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2006/05/04

五悔

密教の供養法の最初に五悔と呼ばれる一文がある。常用経典では金剛界礼懺と呼ばれる。大正蔵経十八巻p335cに全文が載るが、常用のものとはかなり異なっている。伝統では、常用のものは蓮華部心軌、如意輪軌、二巻教王経などからの再治本ということである。実際に用いている五悔は、至心帰命、至心懺悔、至心随喜、至心勧請、至心回向の五段からなっている。修法の際には必ず読まれ、晴れの儀式(外向けに行われる儀式)では、唱礼といって、導師が発音(ほっとん)し皆で唱和する。とても大切な一文である。

なぜ五悔が必要なのか?ゆっくりと読んでみると実に味わい深い。仏法僧の三宝に帰依し、仏の法を体現すると深く心に刻み込む。しかし、今まで犯してきた罪業は数知れず、自らの力ではその罪業を消し去ることができないので、その罪業を仏に懺悔し、その重荷を背負っていただく。すると、そこには仏の世界が現れ、歓喜する。この歓喜が永続するように仏に願い、その功徳がすべてに振り向けられるように祈りを込める。これは小さな自分自身を捨て去り、大きな命の意思に乗ることを意味しているとも言える。この文章は普段は流されて読んでしまうことが多い。しかし、この五悔は供養法においては最もゆっくりと味わいながら、心を込めて読むべき文章であろうと思う。

一般信者向けでは、この五悔にあたるのが、懺悔文・三帰・三竟・十善戒。心より自らの罪を懺悔し、それを大いなる命に預け、心身ともに軽やかになり、仏の法を体現していこうというものだからだ。経典はただ単に読めば良いものではない。時にはゆっくり味わい、深く心に刻み込み、その後は何度も何度も読んで行き、より深く心に刻み込み、体現していくものであろう。

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