2020/02/25

新型コロナウィルスへの高家寺の行事の方針:行事は中止せず行います ただし・・・

#新型コロナウィルス に対して県仏教会にお彼岸の法要を中止にしようかどうかを迷っているという電話があったらしい。
確かにお隣の国で新興宗教が大問題になるような状況を作り出した。
うちのお寺では、法要を中止しない。檀信徒が来られようが来られまいが、今までもほとんどの儀礼儀式は続けている。
ただし、マスクの用意、手の消毒用のアルコールや酸性水などの受付での用意、咳が出ていたり熱がありそうな人にはお帰りいただくなど、できるかぎり注意は払っている。
法要をするか否かは、宗派や仏教会が決めることではないと私は感じている。それは各寺院が決めることなのではないか。その住職の考え方次第だと思う。
#季節の行事 はお寺の基本。だから中止はしない。来るか来ないかは檀信徒の思い次第。もちろん細心の注意はする。これが高家寺のあり方であり、住職の私の方針。
各お寺が明確に方針を打ち出すことも重要かもしれない。

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2018/03/08

高野山の師匠の御自坊より聖観音様を譲り受けました

28795355_957091211105966_6555931603 写真は昨日、高野山の師匠よりお預かりしてきた聖観音さんです。
師匠の御自坊名は補陀洛院。つまり観音菩薩の聖地。そこよりやってこられた聖観音さんです。
アメリカ開教師の高橋成通前官御房が法印就任記念で造られたものだそうです。御縁があり、高家寺でお預かりさせて頂くことになりました。
次の21日はお彼岸ですので、そこで信者さんにご披露します。
すでに祀られていますが、どこに祀られたかは当日のお楽しみに。(^。^)

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2017/01/18

「高家寺 目覚めのつぶやき:  集客ではなく  自ら深めることで充実を!」

「高家寺住職 目覚めのつぶやき
 集客ではなく
 自ら深めることで充実を!」

おはようございます
目が覚めたので
少し坊さんとしての思いを・・・

最近の傾向として
お寺でイヴェントをするケースが増えています

そのことそのものは悪いことではありません

しかし しかし しかし

とても大切なことがごそっと抜けているので
見る人が見れば砂上の楼閣のように見えます

それは集客用のeventばかりが先行

そこには各宗派の高祖や宗祖の教えが
ごっそりと抜けてしまっています

festivalやcelebrationにさえなっていませんから
ましてやceremonyにはなっていません
もっというと本来の意味でのserviceもありません

仏教に限って言えば
慈悲が全くないeventが並んでいるように感じます

同じことをしていても
慈悲を感じさせる行事もあります

それは各行事のメインである住職や副住職が
それぞれの教えの中で
深く祈りこんでいる場合です
・真言や天台ですと本尊との瑜伽でしょうし
・臨済や相当ならば只管や公案の深化でしょうし
・日蓮系ならばお題目を心
 身に染み渡らせることでしょうし
・浄土系ならば念仏を深く深く唱えることです
こうしたことを実践されている方々が
おこなっている行事は
自然と参加者が本尊の慈悲に包まれ
目覚め気づきを促されていくもの。

しかし多くの場合は集客のためだけの
イヴェントごとですので
残念ながら慈悲も気づきも殆どありません

お寺をなんとかせねばならないという思いは
尊いものです

それでも敢えていいたい

お寺を存続させることそのものが
大事ではありません

気づき目覚めのために
仏法を深化させたり広めたりする場

それがお寺であるはずです

そうした意識が希薄すぎる

繰り返します
イヴェントごとを否定しているわけではありません
お寺の維持はとても大切なこと

それでも集客に意識を傾けるのであるならば
その二倍三倍は
それぞれの宗旨宗派の祈りを
もっともっと深める必要があるように思います

祈りが深化すれば深化するほど
外に向かって活動をせざるを得なくなるもの

3のチカラで10のイベントをするのではなく
10の祈りの深みのチカラで
3のセレモニーを充実させたいものです

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再生169回

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2017/01/01

「略儀ながら松三宝」

「略儀ながら松三宝」

正月一日 午前零時
除夜の鐘を打ち終わり
読経開始
法話と
松三宝

松三宝とは
洗米を盛った三方に
昆布を乗せ
それを授与していく伝統的なもの

若い頃は
高野山のお正月はこれから始まった
今でも高野山では
お祝い事があれば
この松三宝の儀式が行われる

人手が足りないので
高野山のようにはいかないが
略儀ながら
一人一人に米と昆布を
すなわち
陸(山)のものと
海のものという
縁起物を
少しずつ分けさせていただく。

この数年、毎年行っている儀礼。

これで高家寺の正月儀礼は終了。

しばらくゆっくりと
体調を整える予定。

画像に含まれている可能性があるもの:1人、座ってる、テーブル、室内、食べ物
画像に含まれている可能性があるもの:1人
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

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2015/06/15

青葉祭に思う 弘法大師生誕祭であるとともに本来は梅雨明けの行事

今日は青葉祭(写真は高野山奥之院のもの)。数年前まで、なんの疑いもなく、この日に弘法大師(空海)の生誕記念日として祝っていました。

ところが、うちのカミさんが旧暦の6月17日であることを知ってから疑問を持つようになってきました。カミさんの誕生日は梅雨が開けてカラッとした強烈に暑い時。梅雨どころかむしろ渇水が心配になるほど水気が少ない日。しかも、梅雨の厄が明けたのを祝う厄神祭(祇園祭・天王祭)も旧暦の6月16日前後。本来の青葉祭とは、梅雨明けをも祝う祭りであり、梅雨の最中ではまずいのではないかと感じるようになりました。(ちなみに師匠は旧暦の6月15日、新暦の7月21日生まれです)

それからは、高家寺では旧暦6月15日の青葉祭を旧暦6月16日の嘉承頂戴や祇園・天王祭と共に、旧暦の6月16日におこなっています。 なにを頑なにと思われるかたもおられるかもしれませんが、本来の意義を見失った儀礼は単純な形式のみであり、いわゆる世間的にいう魂がこもらないもの、背骨が全くない軟弱なものとなりかねません。

ですから小さな小さな地方寺院ですが、その本来の意義の灯火を絶やさないように旧暦の行事を守っていきたいと考えています。

ただし旧暦にこだわらず、二十四節気に合わせて、五節句も旧暦の行事も、お盆のように月遅れなど、太陽暦にも合わせた新たな措置が必要だとも感じています。 季節感を取り戻したいものです。
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2015/05/25

旧暦の花祭り 釈尊を思う

旧暦四月八日の花祭り。
昨年は閏月があったせいか
今年の旧暦はやや遅く感じます。

花祭りは
釈尊の生誕記念日。
今から約2500年前に出生された釈尊。
義成就という名を得られました。

釈尊が気づかれた仏法。
釈尊がこの世に生まれなければ
仏法という真理に気づいた人は
かなり少なかったでしょうし
日本がこのような心豊かな文化を
育むこともなかったでしょう。

釈尊の誕生日を祝うことで
釈尊の生涯を思い
釈尊の教義を思い
釈尊の思いを想う
それが花祭り。

誕生仏の周りを花で飾り
甘茶を掛けるたびに
いろいろと、
考えさせられました。

気づき目覚め(仏)
ありのままに(法)
仲良く平和に(僧)
この基本は
しっかりと守りたいものです。

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2015/04/21

桃の節句 旧暦よりも新暦の月遅れが好いかも

4月21日、今日は月例弘法大師報恩日とともに桃の節句、上巳の節句でした。旧暦三月三日だったのです。

桃の節句はやはり桃の花が咲く季節が良いですね。昨年の閏月のせいで今年は旧暦が遅すぎることもあり季節感がかなりずれていました。来年からは4月3日の月遅れの桃の節句に変更しようと考えています。そうであれば桃の花が満開です。

桃の木は、イザナギを救ったり、桃太郎の話や、天武天皇や徳川家康の桃配山など、霊木として古来より大切にされていた樹木です。この木にあやかるためには、やはりかなり季節感を意識せねばならないと感じています。

旧暦にも欠点があります。行事によっては合いにくいものもあります。その中でも桃の節句は月遅れで新暦の4月3日が好いようです。尾張一宮の真清田神社の桃花祭が新暦の4月3日にしているのは佳き判断だと思います。

今日は、人型の紙に五輪をえがき、名を記してもらい、それに汚れを移していただき、その紙を水で流しました。そのあとは洒水加持をし、桃の梢でお加持。冬のエネルギーを完全に消し去る儀式。最後に皆でチラシ寿司をいただきました。

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2014/07/11

今日は旧暦6月15日、本来の弘法大師の誕生日・青葉祭。明日は本来の厄神祭であり、夏越祭り

今日は旧暦の六月十五日、つまり本来の青葉祭(弘法大師のお誕生日)です。旧暦の六月十六日は、厄神、すなわち牛頭天王須佐之男の祭り日でもあります。この時期は梅雨が間もなく終わり夏のピークを迎える夏越の祭りにも相当します。

現代の太陽暦という人間の都合で作ったものに合わせるのではなく、大自然の運行に合わせた祭りの復古はとても大切に感じています。

ちなみに高家寺では、明日の嘉祥頂戴厄神祭とともに青葉祭を執り行います。

写真は、昨年のもので、腰にぶら下げる茅の輪と十六種類の和菓子です。

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十六種類の和菓子とは、お饅頭は人の頭の代用でもあるので、高家寺では密教としての意義つけをしていますので、十六大菩薩と捉えています。本義は家康公の故事によるのですが・・・。ひょっとすると天海僧正はそれを狙ってていたのかもしれませんが・・・。

茅の輪はご存知のように牛頭天王の伝説にちなんで小さな茅の輪にしています。

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2013/06/29

高家寺大師堂本尊 銀杏大師 後編

銀杏大師 後編
御母衣ダムの底に沈むことになった逆さ銀杏。
これを村人は惜しみました。
そのような中、ある村人が
このことを弘法大師を高祖とする
高野山真言宗の僧侶方に訴えました。
その時、一人の年老いた僧が
その訴えを真剣に聞き
ダムに沈む前の逆さ銀杏の木を
拝みに出かけました。
その僧侶が、岐阜市加納の高家寺住職の
小島良省師(先々代)です。
良省師は戦争で燃えてしまった高家寺を
復興した苦労人で
人々の声を身に沁みたように感じたそうです。
逆さ銀杏を訪れた良省師は
村人に尋ねました。
「この木で弘法大師のお像を彫って
 うちのお寺でお祀りしても良いですか?」
村人は喜んでそれを了承しました。
そしてひとりの篤信家が像を彫ることになり
修行大師像ができあがると
高家寺に修行大師像と
残りの銀杏の木が納められました。
そして銀杏大師と名付けられ大切にされました。
ところが時を経て、良省師が没し
銀杏大師のことを知る人も殆どいなくなりました。
高家寺も平成五年に各務原市へ移動してしまいました。
平成七年、現在の住職となり
高家寺の大師堂の本尊として
毎月二十一日十時から、
この修行大師をご本尊に
月例弘法大師報恩のお祈りをしています。
今では、読経と法話と
毎月変わる12種の中から
一枚の守護尊メッセージカードが授与がおこなわれ、
参詣になられた方々を
銀杏大師が温かく導いてくださっています。
(檀家でなくとも参加可能です。事前予約不要)
また時折不思議な力を発揮され
篤き信仰者を
深い眼差しで見守ってくださってもいます。
日本国中のダムに沈んだ数々の生命や想いの
菩提を祈らんがための
渇水や洪水などの水の自然災害から国を守らんがための
おひとりおひとりの先祖や有縁の方々の
過去精霊の菩提を弔わんがための
おひとりおひとりの心の浄化をするための
今も銀杏大師は祈りのご本尊です。

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高家寺大師堂本尊 銀杏大師 前編

銀杏大師 前編
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この写真は昭和三十年に湖に沈んだ場所です。
写っている朽ちた木は雷が落ちた銀杏の木。
古来より日本では、雷が落ちた木は、
神がおりた木として尊崇されてきました。
ですからこの木の前には祠が建てられています。
しかし、今はこの場所は湖の底です。
場所は岐阜県大野郡白川村。
ダムの名前は御母衣ダム。
実はこの銀杏の木には
全国に広がる逆さ銀杏の伝説がありました。
ある僧侶が飛騨を訪れた時に、
道端の老婆に水を所望すると、
老婆は谷を降りて水を汲んできてくれました。
その僧侶が事情を聴くと、
そのあたりは水不足で、井戸もなく、
谷を降りないと水が汲めないということでした。
僧侶はあたりを見渡し、
ある地点を見つめ、
そこに手に持っていた銀杏の木の杖を突き刺しました。
そして
「この銀杏の木が大きくなって逆さの芽を吹いたら
 その場所を掘ってご覧なさい」と言い、
老婆が名前を尋ねたら「空海」と名乗ったそうです。
数年後、銀杏の木は逆さの芽を吹き、
そこを掘ると潤沢な水が湧き出る井戸となり、
そのあたりの住民の生活を支えたそうです。
その縁もあり、丹生川の千光寺から
毎年真言僧がやってきて
この銀杏の木に祈りを捧げたそうです。
その木は大木になり、自らは朽ちて子孫を残し、
同じ場所で子孫の銀杏は大切に育てられました。
ある日、この木に雷が落ちました。
木は徐々に朽ちていきましたが、
村人は「逆さ銀杏」と呼んで
大事に守ったそうです。
ところが昭和三十年に
この地が御母衣ダムの底に
沈んでしまうことになりました。(続く)

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