2008/04/15

動画:2008年4月12日 若き友人の結婚式 一部写真を掲載 vol-1

平成二十戊子年四月十二日に
高家寺で行われた結婚式の動画です。
媒酌人は住職夫婦。
戒師は住職。

新郎新婦は住職夫婦の若い仲間です。


・住職による祝福の護摩
・入堂・導師作法


・・導師表白
・新郎新婦席替え(イザナギ尊・イザナミ尊の故事による行道)
・新郎新婦の水晶念誦の交換


高家寺で行われた若きカップルの
手作り結婚式のビデオ vol.3
・導師が新郎新婦に道を説き示す(高家寺夫婦誠誡1)



・導師が新郎新婦に道を説き示す(高家寺夫婦誠誡2)


・導師が新郎新婦に道を説き示す(高家寺夫婦誠誡1)
・新郎新婦の誓いの署名
・三々九度
・戒師によるお話
・退堂

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2006/09/07

現象も真理の一部 この世と来世は一つ

真言密教には「即事而真(そくじにしん)」という言葉がある。事とは現象。真とは真理。つまり現象は真理に他ならないとする考え方である。いや考え方というより、体感できることと言ったほうが良いかもしれない。一般的に頭で考える宗教では真理を聖なるもの、現象を俗なるものと表す。そこには大きな断絶がある。そこから俗を厭い、現象世界を嫌ってしまう。しかし真言密教は逆転させる。真理の世界が絶対世界ならば、現象世界はその一部であり、現象世界も真理の世界と離れているものではないとするのだ。弘法大師はそれを「乾坤は経籍の箱」といい、この現象世界の大宇宙も経典が示された器であるとしている。これはとても大切なことだ。現象世界を真理とかけ離すのならば、この世は不毛となり厭世観のみの世界になってしまう。来世を求める。しかしこの考え方は、来世においても来世を追い求め、いつまで経っても、永久に真理の世界に溶け込むことがない。しかし、この現象世界を真理として体得するならば、この世を大切にし、真理の表現の一部として大切なものとしてみるのならば、この世でも来世でも大切にしていく。明日があるという発想はやはり捨てねばならない。釈尊が輪廻を否定した大きな理由はここにもあるのではないだろうか。来世を追い求める心そのものが実は悟りから隔絶したものに他ならない気がする。弘法大師がこの世で救われずしてという思いを強く持ったのも、来世来世という考え方そのものに潜む危険を感じ取ったのではないだろうか。即身成仏という言葉は意義深い。成るとはbecomeではない。むしろbeの意味合いが強い。既に仏であると知ることこそ、この現象界を真理の一部と見なし、この世も来世も実は二分されたものではなく、この世と来世は一つであるといった世界を実覚することであると思う。

現象世界と真理の世界、ここに線を引くことなく、この世を大切にすることこそが来世を大切にすることでもあり、いついかなるときも大切に生きることに繋がる。『理趣経』に説かれている。菩薩勝慧者 乃至尽生死 恒作衆生利 而不趣涅槃。よくよく感じ取るべきであろう。

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2006/05/09

心の奥底に正直に生きる:『きみに読む物語』を観て

映画『きみに読む物語』(原題THE NOTEBOOK)。この映画は愛を語る物語だが、その点よりも仏教者として見逃せない部分があった。家族のものに祝福される愛よりも、家族構成や貧富の差を乗り越えて、心の底から感じるものを選んだヒロイン。これは頭で考える机上の勉強ではなく、深く心で感じることの大切さを訴えているように思えた。人の心の奥底は実にデリケートだ。そこに社会的な常識を当てはめても、しかも周りのものが納得するものを当てはめても、結果的には人は満足できない。どんなに危ういものでも、どんなに苦労を伴おうとも、自分の心の奥底に正直に生きることのほうがいかに大切かを教えられた。私も高野山へ向かったとき、社会的な成功と、心のうちの充実で迷った。本当に最後の最後まで迷った。結果的には心を優先させた。そうしたことが何度も起きた。僧侶に戻るとき、カミさんと結婚するときなどもそうした基準だった。そのたびに私は心を優先させてきた。しかし、本当は迷うぐらい社会的なものを大切にしている人間なのだということを改めて知らしめられた。私の家内も、また映画の中の主人公の男性も、はじめから社会よりも心を大切にしていた。そう言う意味では、私などよりずっとナチュラルで尊敬できる存在だ。私は結果的には選んでいる。そのことは誇りに思っているが、yはりまだまだ迷い多き人間だ。ナチュラルでない。そのことは自覚せねばならないと感じている。そう考えると、多くの仏教のお坊さんたちは、ナチュラルが何なのか、自分の心の奥底で求めているものが本当は何なのかを自覚していないように思える。気の毒に思えてきた。

愛の物語としてのこの『きみに読む物語』は秀作だ。涙が溢れるほどだ。しかし一方では、心で感じること、その延長線上にある自然との融和、こんなところにも目を向けると、いろいろ気づかせてくれる。どんな映画を観ても、気づくことを忘れないものこそ、仏教者であると私は感じる。

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