「桃の話し」月例弘法大師法話:平成二十三年四月二十一日
こんにちは。四月二十一日、月例弘法大師報恩日。
今日もよくお詣りいただきました。
さて今日のお話は、
本当は弘法大師の中国でのことをお話しする予定でしたが
東日本大震災もあり
今日がちょうど六七日に当たることもありますので
それにちなんだお話をいたします。
ところで皆さん、今月の五日、
四月五日は何の日だったかご存知ですか?
あ、特になにか特別な出来事があったわけではありません。
いかがですか?
どなたも分からない。
そう、ここに今の日本の問題があるのです。
不思議そうな顔をされていますが
実は四月五日は旧暦の雛祭りだったんです。
それが、東日本大震災とどう関係があるのか
不思議そうにされていますが
それは最後のほうでお話しします。
雛祭りの別名は何でしたでしょうか?
江戸城はじめ大名家では上巳の祭りと言われていましたが、
一般には桃の節句といいますよね。
つまり、雛祭りは桃の花がなければ
意味のない祭りとなってしまいます。
桃の花があるから、桃の節句。
旧暦の三月三日に行わないとあまり意味が無いのです。
古事記は皆さんご存知だとお思いますが
古事記で、イザナギとイザナミは大変仲の良い夫婦で
この日本という国を産んでくださいました。
ところが火の神を産んだ時に、
イザナミは火傷を負い死んでしまい
黄泉の国へ移っていきます。
その時に、イザナギは十束の剣、別名天尾羽張剣で
その火の神の首を跳ねてしまいます。
それほどイザナギの慟哭は激しいものでした。
イザナギは恋しさのあまり、
イザナミを追っかけて黄泉の国へ行きます。
そこでイザナミを見つけ、共にこの世に戻ろうとしました。
イザナミは、この世に戻るまで決して振り向かないように伝えますが
イザナギは我慢ができずに振り向いてしまいます。
そこに居たのは、姿形が崩れてしまったイザナミでした。
イザナギはイザナミから逃れるように逃げていきます。
イザナミは軍団を遣ってイザナギを追いますが
イザナギは十束の剣や櫛などを使って追い返します。
それでも強力な魔物がやってきたときに
あの世とこの世の境目にたどり着き
そこに生えていた桃の木の実を三つ投げつけます。
すると、その魔物たちは退散し、
イザナギは黄泉の国への出入口を塞いでしまいます。
そして桃の木に命じました。
自分を守ってくれた桃の木に感謝し
これからこの国の人が難儀にあったときに
お前の力で日本の人達を守ってやって欲しいと。
桃はそれほど霊力の高い木でした。
だから日本の古い家に行きますと
鬼門や裏鬼門に桃の木を植えてあることがよくあります。
桃の木はそれくらい霊力があると言われているのです。
ちなみに、フランスに住んでいる
女医さんから教えていただいたのですが
桃はフランスでは、ぶつけるという意味があるそうです。
イザナギの故事と一致していて面白いですね。
それにスペインでは平ぺったい桃があるそうです。
柿と形が類似しているのも面白いです。
その桃の花が咲く頃に
桃の梢などを使って身体の穢れを払い
春の新たな生命を賛歌するのが桃の節句。
その桃の梢がいつの間にか人型の紙となり
川での送り雛が生まれます。
そしてさらに、神が人形となり
人形ということで女の子の祭りへと変化して行ったのが
桃の節句、雛祭りです。
ですから、旧暦の雛祭りは
男女問わず、大人子供を問わず
冬のじっとしている身体の汚れを落として
桃の木に、自分を守ってくださることを祈るのが本来のあり方。
桃はそれほどの霊力を有していたと
古代の方々は知っていました。
ここで思い出してください。
桃太郎。
退治したのは鬼。
牛の角に虎のパンツ。まさにウシトラ(艮・丑寅)。
桃太郎は鬼門除けをモチーフにした物語でもあります。
しかも丑寅は、季節で言うと冬の終わり。
方角で言うと、北東を意味します。
気づかれた方が居られるようですね。
そうです。
今回の東日本大震災は、冬の終わりに東北の地でありました。
まさに丑寅の季節に、丑寅の方角です。
で、なぜ福島原発なのか?
この福島という地方は
実は日本第二位の桃の生産地ってご存知でしたか?
不思議な縁ですが
最近、私が尾張七代藩主徳川宗春公の
研究をしているのはご存知かと思いますが
この宗春公の最初の領知が、
福島県の現在の伊達市の梁川町でした。
この梁川は、福島県の北東つまり丑寅鬼門に位置し
東北の雄である伊達藩のお目付け役の藩でした。
つまり幕府の鬼門を護る役目。
そして現在の伊達市梁川こそ皇室献上の桃が採れる
「桃の里」と呼ばれる地域。
なにか次から次へと縁が結ばれていますね。
それとこの中の何人かとご一緒した元伊勢の
宮津にあります籠神社の奥宮の真名井神社。
この入口にある波せき地蔵様の建物には桃が彫ってあり
看板にも「もも」という言葉を記した歌が記してありました。
おそらくこの梁川は、桃をもって
東北の地の鬼門抑えの役割があるような気がしています。
明治までは蚕の産地だったそうで
それがすたって果樹園となったそうですが
今だからこそ、実は桃が必要な地域だったように感じます。
もしこの地域で雛祭りを行い
本来の桃の意味をしっかりと理解したお祭りをしていれば
ひょっとしたら、東日本大震災も違った形になったのかもしれません。
日本人全てが、お祭りを単なるイヴェント化させてしまったことが
東日本大震災で露呈してきています。
このことに気づけなかった私自身にも責任があり
今はなんとか、この桃のお祭りを復活して下さる様に
伊達市の梁川地域に働きかけるつもりで居ます。
桃が、イザナギが命じたように
この国の人の難儀を救って下さる様に
ただただ祈るばかりです。
まだまだ私自身が気づいていないメッセージがたくさんあるようです。
今日のお賽銭箱にハチが篭ったのも
何か大きな意味があるのかもしれません。
皆さんも、大自然が私達に下さっているメッセージが何なのかを
目を見開いて、感じ取ってください。
弘法大師はありとあらゆるものが
私達にメッセージを下さっているとおっしゃっていますが
まさにそれを実感しているこの頃です。
ありがとうございました。
これからメッセージカードを配ります。
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