2007/11/28

待つということ

2007年平成十九年11月28日月例不動護摩での法話の一部。

最年長の信者のAさんが、転んで頭の一部を怪我された。そこで、今回の話。転ぶ時のほとんどが、身体が前のめりになり、足が付いてこないとき。何かに躓くときも、基本的には上半身が先に進んでいるときに起きやすい。

これは個人についてだけ言えることではない。30年前に比べて、社会的にも個人的にも時間が短くなった。田舎から東京への出張も、日帰りが多くなっている。新幹線や飛行機が当たり前となった。そこには、一つ一つの地方の駅を止まったり、その地方の景色を見るという情景はない。また宿泊し、ゆっくりとするという余裕もない。かつて江戸末期、福沢諭吉たちは船で太平洋を渡った。あの頃の知識人たちは今の人たちに劣るであろうか?いや、むしろより高度な頭脳を持っていたように思える。

自動車のハンドルも、遊びがあるからこそ用を足す。最近は、どうもこの余裕の部分が少なくなっているのではないだろうか?

今、求められることは「待つ」ということ、まさに一休宗純禅師の「一休」に繋がる。

面白い本に出会った。『待つということ』角川学芸出版 著者は大阪大学教授の鷲田清一氏。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047033960/prpmenade-22  心地よい。文体でとても読みやすい本だった。筆者は、今の時代のアンチテーゼを打ち出した。

Aさんが怪我をされたのも、今日のお護摩に参加された方々へのメッセージかもしれない。深くAさんに合掌をして感謝した。12月師走も眼と鼻の先。だからこそ、この一ヶ月は「待つ」ということを大切にしたいものだ。

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