農林水産省によると日本の食糧自給率は現在カロリーベースで40%。生産ベースで70%となっている。農林水産省はこのカロリーベースの食糧自給率を10年後に45%、できれば50%以上にするという政策を発表した。ようやく動き始めたという声も聞く。しかし、ここに大きな落とし穴がある。それは、その数値は現状をベースに考案されたものであり、そこに国家が持つべき青図がまったく見えてこない。http://www.kanbou.maff.go.jp/www/jikyu/report16/rep16-1.pdf に記されているのは、今までの流れと、その延長であり、国家がどういう国であるべきか、そしてそのためには国家がどのような施策をするのかという観点が欠落しているように思う。お役人の仕事だから仕方がないといえばそのとおりだが、ここには政治家の息吹を全く感じない。日本は政治家不在の国家のようにさえ感じる。
かつてケネディが大統領に就任した際に、彼はこれからあるべきアメリカ合衆国を明確に打ち出した。それは現状から未来を語るのではなく、未来から現状を語ったものだ。国民に負担を求めたにもかかわらず、彼のこの就任演説は後世に多大な影響を与えた。それを意識して、中田横浜市長は未来から現状を語る格調高い就任演説をした。これこそが政治家の仕事である。
実は、この未来から現状を語るというのは政治だけのことではない。仏教では因果の法則が説かれるが、因が現状であり、果を未来と捉えることもできよう。多くの仏教は因から果を目指す修行を行っている。悟り・仏の世界とは非常に遠い世界であり、そこへ歩んでいくのが人生であるとしている。ところが密教はそれを逆転させた。果の世界より因の世界を見つめるという大転換をさせたのだ。ここに密教の眼目の一つがある。言葉を変えれば、未来より現状を語るということだ。
この視点は密教だけのものではない。精神界では私たち宗教家が未来の世界から現状のことを語らねばならないだろう。政治行政においては政治家が未来から現状を語る必要性を感じる。経営においても経営者は未来から現状を語るものが成功を収めているようだ。人の心を突き動かすものは現状からのありきたりのものではない。現状から見ると誰もが不可能と思えることをこなすものこそが社会を真にリードしていくように思える。
現状から未来を語るリーダーは、実務家・マネージャーであってもリーダではありえない。この未来より現状を語ることこそ、どの時代でも社会をリードする人には求められる。そのことをリーダーは肝に銘じていく必要があろう。
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