2006/05/09

心の奥底に正直に生きる:『きみに読む物語』を観て

映画『きみに読む物語』(原題THE NOTEBOOK)。この映画は愛を語る物語だが、その点よりも仏教者として見逃せない部分があった。家族のものに祝福される愛よりも、家族構成や貧富の差を乗り越えて、心の底から感じるものを選んだヒロイン。これは頭で考える机上の勉強ではなく、深く心で感じることの大切さを訴えているように思えた。人の心の奥底は実にデリケートだ。そこに社会的な常識を当てはめても、しかも周りのものが納得するものを当てはめても、結果的には人は満足できない。どんなに危ういものでも、どんなに苦労を伴おうとも、自分の心の奥底に正直に生きることのほうがいかに大切かを教えられた。私も高野山へ向かったとき、社会的な成功と、心のうちの充実で迷った。本当に最後の最後まで迷った。結果的には心を優先させた。そうしたことが何度も起きた。僧侶に戻るとき、カミさんと結婚するときなどもそうした基準だった。そのたびに私は心を優先させてきた。しかし、本当は迷うぐらい社会的なものを大切にしている人間なのだということを改めて知らしめられた。私の家内も、また映画の中の主人公の男性も、はじめから社会よりも心を大切にしていた。そう言う意味では、私などよりずっとナチュラルで尊敬できる存在だ。私は結果的には選んでいる。そのことは誇りに思っているが、yはりまだまだ迷い多き人間だ。ナチュラルでない。そのことは自覚せねばならないと感じている。そう考えると、多くの仏教のお坊さんたちは、ナチュラルが何なのか、自分の心の奥底で求めているものが本当は何なのかを自覚していないように思える。気の毒に思えてきた。

愛の物語としてのこの『きみに読む物語』は秀作だ。涙が溢れるほどだ。しかし一方では、心で感じること、その延長線上にある自然との融和、こんなところにも目を向けると、いろいろ気づかせてくれる。どんな映画を観ても、気づくことを忘れないものこそ、仏教者であると私は感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)