« 檀信徒の行事への参詣を一時休止 住職は一人祈ります 新型コロナウイルスに関する高家寺の対応 改一 令和2年4月10日改 | トップページ | 私の言葉に刺激を受け何かに気づかれる方が一人でも居られる限り、能書きを垂れ続けるようと思っている。 »

2020/06/19

厄除け大師の空飛ぶ伝説 江戸末期の高家寺の記録


細野要斎の『感興漫筆』の中の一節に高家寺の記録がある。
細野は、尾張藩の藩校である明倫堂の典籍の職についていたが、その職を辞した翌年の安政五年三月二十一日。まさに弘法大師報恩日正当日。
「川手村を過、加納府下を経、
 府下に幟を立て厄除け大師と題す。
 門前の題に 弘法大師自作尊像 
 と彫刻するを樹。」
その後に伝説が記されている。このときから5、60年前(寛政の頃?)に出開帳するために輿に載せて大坂に行った。ところがその地の人の信心が欠けていたために尊像は飛んで帰ってしまった。大坂に運んだ人たちは盗まれたと思い探したけれどもみつからない。しかたがなく高家寺に戻り報告をすると、住職が扉を開けば弘法大師像は高家寺に戻っていたという伝説である。
(ただしこの頃の住職が誰であったのか記録が途絶えている)
このコロナ禍、改めてこの尊像が厄除けの弘法大師像であり、不思議な伝説を持つ尊像であることを確認する。信心が欠けて飛んでいってしまわないように、信心をもって祈りたい。
Img_0580  

|

« 檀信徒の行事への参詣を一時休止 住職は一人祈ります 新型コロナウイルスに関する高家寺の対応 改一 令和2年4月10日改 | トップページ | 私の言葉に刺激を受け何かに気づかれる方が一人でも居られる限り、能書きを垂れ続けるようと思っている。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 檀信徒の行事への参詣を一時休止 住職は一人祈ります 新型コロナウイルスに関する高家寺の対応 改一 令和2年4月10日改 | トップページ | 私の言葉に刺激を受け何かに気づかれる方が一人でも居られる限り、能書きを垂れ続けるようと思っている。 »