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2020/03/26

新型コロナウイルスの災禍の中で、自分を深化させられるかいなか、ここに生き様がある。

新型コロナウィルスの災禍で、貪瞋痴の三毒を目の当たり。
・スーパーやコンビニで、他者を押しのけて買い物する人たち(貪)。
・そうした他者の行動にむやみに怒りまくる人(瞋)。
・何が起きているのか分からずに、マスコミ情報で動いてしまう人たち(痴)。
こうした現象を目の当たりにしたとき、そうした人たちを慈悲の眼で見つめられるのか、寛容な心を持ちえるのか、ここが大切なところです。
欲望に忠実な既存のマスコミに踊らせられたくないものです。
自分を深めていく機会が訪れています。
こうした出来事が収束したとき、そのときにこそ少しでも高潔であり、広く深い境地に達していたいもの。
全世界共通で生きる死ぬを実体感している。だからこそこの今にしかできないことを一人ひとりが見つめていきたいものです。
写真は、高野山奥の院にある尾張徳川初代義直卿の実母相応院の供養塔です(いま終わり徳川の文章を書いているので載せました。深い意味はありません。)。
高野山の奥の院は常にこの生死を考えさせてくれる場所です。
Photo_20200326155901

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