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2020/03/22

「生き残った命だからこそ」高家寺2020/03/21法話要旨

3月21日の法話 要旨
「生き残った命だからこそ」
世間では新型コロナウイルスの話ばかり。本当に気をつけねばなりませんね。ですからマスク着用を今回はお願いし、話す私が一番泡沫を、飛ばしやすいので念のために法話の間はマスクします。
新型コロナウイルスのために中日文化センターの授業が全部なくなり、結構暇ができました。おかげで宗春の研究が進んでいます。江戸時代は疫病が命取りになることが少なくありませんでした。享保十五年1730年、江戸で麻疹(はしか)が大流行し、将軍継嗣の徳川家重や、松平通春こと宗春も罹患しました。二人は回復したのですが、命を失った人も少なくありません。その一人が宗春の兄である尾張徳川七代目の継友でした。
宗春は39人兄弟でしたが、結果的には40歳を超えることができたのは宗春一人でした。吉宗も兄3人が若くして亡くなっています。昭和の初めまで、多くの人が疫病で亡くなるのは当たり前だったのです。
先ほど話した、宗春の兄を死に至らしめた麻疹ですが、日本原種の麻疹は日本からなくなりました。ご存知でしたか?皆さん、経験者が多いですよね。でも、子供たちはほとんど罹ったことがないんですよ。
さて、この例からも分かりますように、かつては、ほんの数十年前までは、人はウイルスと闘い多くが負けてきました。ところがこの数十年の間に劇的に変化し、インフルエンザにも治療薬が数多く出回るようになりました。そのおかげで生きているのが当たり前となってきて、命の尊さが軽視されるようになったようにも思えます。医学の進歩に倫理観が追いついていないのかもしれません。
私たちがここにこうして生きているのは、そうした数多くの伝染病の中で生き残った命です。何度も何度もご先祖たちは戦いに敗れ、その生き残りが私たちです。
つまりこの命は本当に貴重な貴重なもの。
今日はお彼岸です。新型コロナウイルスが世界的な問題になっている時だからこそ、負け戦の中で命を落とした方々、命を存えた方々の両方の御先祖様を思い、お祈りを捧げられたように思います。
その祈りは亡くなった命の菩提を弔うことはもちろんのこと、生きているものがこの世での使命を終えるまでしっかりとお役目を果たして生きていくことが重要です。そのお役目こそが仏そのものであること。
また、こうした苦しい時だからこそ、そこから学ぶことはすくなくありません。自然や病の猛威に謙虚であること、そしてこの命が本当に尊いものであることを実感していただければ何よりです。
最後に、弘法大師の正当日であるので、もう三回、南無大師遍照金剛、お大師さまの御宝号をお唱えいたしましょう。

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