「限りある生命だからこそ」3月28日 高家寺 不動護摩法話要旨
アマゾンプライムのビデオを観ました。「 #スタートレック・ピカード 」。 #ピカード とは人の名前で35年前に制作された #新スタートレック 、英語名でStartrek The Next Generation 略称TNGの主人公で、Enterprise NCC-1701D/Eの艦長だった人物が、時を経て宇宙艦隊の提督も引退し、十五年ほど経っての物語。人生も最晩年になってのことです。
このTNGは私の人生に大きな影響をもたらした作品で、バッジやパワーポインターとなる銃も持っています。
そのピカードが昨日、第一期の最終回で死んでしまったんです。えーっです。第二期第三期も決まったと言っていたので。でもよくよく思い出してみると、回収と言うのですが、ちゃんとネタ仕込が前もってしてあることに気づきました。死んだけと死ななかった?死んでるけど死んでいない?
詳しい話は横に置いておいて、ピカードが死んでしまったときに、元の部下で、ピカードを助けるために死んでしまった #データ (映画の中で)が出てきました。彼はアンドロイドです。あっ、ネタバラシになりますね。ごめんなさい。ただこの中で、データがピカードに語ったのが、「死ぬべき命が人の命に意味を与える」「平和や愛、友情を人は大切にします。 #限りあるもの だと知っているからです。」
ここからは私の言葉です(^^)。
人は不完全です。だから周りの環境に合わせて変化していけます。もしも完璧だったら、変化はできません。この不完全こそが生命の営みそのものなのではないかと思います。不完全だからこそ、倫理的に欠けている部分があるからこそ、より正しく生きたいと感じるのではないでしょうか?生まれた限りには必ず死があります。逆に言えば死があるからこそ生きるのであって、自分自身でその生に意味を見出し生きていくのが人間だと思います。不完全だから命に限りがあり、子孫を繋いでいく。その限りある生命だからこそ美しい。花も造花よりは生花のほうが美しいですよね。
この限りある生命の不完全な生き物だからこそ、お互いに欠けたところを補い合い、お互いに支え合えるように思います。自分ひとりではできないことがある。だからこそ相互礼拝、相互供養の実践、すなわち曼荼羅的のように互いに良き影響を及ぼしながら生きていたいものです。
今回の新型コロナウィルスのことで、世界中の人が死を間近に感じているのではないでしょうか?このような病はなくなったほうが良いのが当たりまえですが、広がってしまった今だからこそ、亡くなってしまった尊い犠牲があるからこそ、生き延びている私たちは生死を考え、それを実際の生活の中に活かすことが大切だと感じます。
スタートレック・ピカードは良い時に放送がありました。キリスト教圏で生まれたスタートレックのTNGは仏教的な思想があちこちに散りばめられていますが、それは全人類に共通な思いがあるからなのでしょう。
21日の弘法大師報恩日にもお話したことですが、歴史を調べてみますと過去に実に多くのご先祖様たちが疫病に負けて亡くなっています。しかしいまここに居る私たちはその疫病という厄災から逃れて命を繋いできた命の結晶であるということをまずご自覚いただければと思います。
新型コロナウィルスにも関わらず、こうしてお越しいただいた方々の思いを強く感じています。マスク着用、入場時のアルコール消毒、咳や熱のある方はご帰宅いただくなど、不便をおかけしていますが、ご協力いただいたことに深く感謝いたします。席もできる限り離していただいていますし、寒かったかも知れませんが扉も開けて開放空間にしてありますことご了承いただいたことに感謝致します。
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