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2020/03/31

「限りある生命だからこそ」3月28日 高家寺 不動護摩法話要旨

アマゾンプライムのビデオを観ました。「 #スタートレック・ピカード 」。 #ピカード とは人の名前で35年前に制作された #新スタートレック 、英語名でStartrek The Next Generation 略称TNGの主人公で、Enterprise NCC-1701D/Eの艦長だった人物が、時を経て宇宙艦隊の提督も引退し、十五年ほど経っての物語。人生も最晩年になってのことです。

このTNGは私の人生に大きな影響をもたらした作品で、バッジやパワーポインターとなる銃も持っています。

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いわゆるヲタクで、トレッキーと言います。

そのピカードが昨日、第一期の最終回で死んでしまったんです。えーっです。第二期第三期も決まったと言っていたので。でもよくよく思い出してみると、回収と言うのですが、ちゃんとネタ仕込が前もってしてあることに気づきました。死んだけと死ななかった?死んでるけど死んでいない?

 

詳しい話は横に置いておいて、ピカードが死んでしまったときに、元の部下で、ピカードを助けるために死んでしまった #データ (映画の中で)が出てきました。彼はアンドロイドです。あっ、ネタバラシになりますね。ごめんなさい。ただこの中で、データがピカードに語ったのが、「死ぬべき命が人の命に意味を与える」「平和や愛、友情を人は大切にします。 #限りあるもの だと知っているからです。」

ここからは私の言葉です(^^)。
人は不完全です。だから周りの環境に合わせて変化していけます。もしも完璧だったら、変化はできません。この不完全こそが生命の営みそのものなのではないかと思います。不完全だからこそ、倫理的に欠けている部分があるからこそ、より正しく生きたいと感じるのではないでしょうか?生まれた限りには必ず死があります。逆に言えば死があるからこそ生きるのであって、自分自身でその生に意味を見出し生きていくのが人間だと思います。不完全だから命に限りがあり、子孫を繋いでいく。その限りある生命だからこそ美しい。花も造花よりは生花のほうが美しいですよね。

この限りある生命の不完全な生き物だからこそ、お互いに欠けたところを補い合い、お互いに支え合えるように思います。自分ひとりではできないことがある。だからこそ相互礼拝、相互供養の実践、すなわち曼荼羅的のように互いに良き影響を及ぼしながら生きていたいものです。

今回の新型コロナウィルスのことで、世界中の人が死を間近に感じているのではないでしょうか?このような病はなくなったほうが良いのが当たりまえですが、広がってしまった今だからこそ、亡くなってしまった尊い犠牲があるからこそ、生き延びている私たちは生死を考え、それを実際の生活の中に活かすことが大切だと感じます。

スタートレック・ピカードは良い時に放送がありました。キリスト教圏で生まれたスタートレックのTNGは仏教的な思想があちこちに散りばめられていますが、それは全人類に共通な思いがあるからなのでしょう。

21日の弘法大師報恩日にもお話したことですが、歴史を調べてみますと過去に実に多くのご先祖様たちが疫病に負けて亡くなっています。しかしいまここに居る私たちはその疫病という厄災から逃れて命を繋いできた命の結晶であるということをまずご自覚いただければと思います。

新型コロナウィルスにも関わらず、こうしてお越しいただいた方々の思いを強く感じています。マスク着用、入場時のアルコール消毒、咳や熱のある方はご帰宅いただくなど、不便をおかけしていますが、ご協力いただいたことに深く感謝いたします。席もできる限り離していただいていますし、寒かったかも知れませんが扉も開けて開放空間にしてありますことご了承いただいたことに感謝致します。

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2020/03/26

新型コロナウイルスの災禍の中で、自分を深化させられるかいなか、ここに生き様がある。

新型コロナウィルスの災禍で、貪瞋痴の三毒を目の当たり。
・スーパーやコンビニで、他者を押しのけて買い物する人たち(貪)。
・そうした他者の行動にむやみに怒りまくる人(瞋)。
・何が起きているのか分からずに、マスコミ情報で動いてしまう人たち(痴)。
こうした現象を目の当たりにしたとき、そうした人たちを慈悲の眼で見つめられるのか、寛容な心を持ちえるのか、ここが大切なところです。
欲望に忠実な既存のマスコミに踊らせられたくないものです。
自分を深めていく機会が訪れています。
こうした出来事が収束したとき、そのときにこそ少しでも高潔であり、広く深い境地に達していたいもの。
全世界共通で生きる死ぬを実体感している。だからこそこの今にしかできないことを一人ひとりが見つめていきたいものです。
写真は、高野山奥の院にある尾張徳川初代義直卿の実母相応院の供養塔です(いま終わり徳川の文章を書いているので載せました。深い意味はありません。)。
高野山の奥の院は常にこの生死を考えさせてくれる場所です。
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2020/03/22

「生き残った命だからこそ」高家寺2020/03/21法話要旨

3月21日の法話 要旨
「生き残った命だからこそ」
世間では新型コロナウイルスの話ばかり。本当に気をつけねばなりませんね。ですからマスク着用を今回はお願いし、話す私が一番泡沫を、飛ばしやすいので念のために法話の間はマスクします。
新型コロナウイルスのために中日文化センターの授業が全部なくなり、結構暇ができました。おかげで宗春の研究が進んでいます。江戸時代は疫病が命取りになることが少なくありませんでした。享保十五年1730年、江戸で麻疹(はしか)が大流行し、将軍継嗣の徳川家重や、松平通春こと宗春も罹患しました。二人は回復したのですが、命を失った人も少なくありません。その一人が宗春の兄である尾張徳川七代目の継友でした。
宗春は39人兄弟でしたが、結果的には40歳を超えることができたのは宗春一人でした。吉宗も兄3人が若くして亡くなっています。昭和の初めまで、多くの人が疫病で亡くなるのは当たり前だったのです。
先ほど話した、宗春の兄を死に至らしめた麻疹ですが、日本原種の麻疹は日本からなくなりました。ご存知でしたか?皆さん、経験者が多いですよね。でも、子供たちはほとんど罹ったことがないんですよ。
さて、この例からも分かりますように、かつては、ほんの数十年前までは、人はウイルスと闘い多くが負けてきました。ところがこの数十年の間に劇的に変化し、インフルエンザにも治療薬が数多く出回るようになりました。そのおかげで生きているのが当たり前となってきて、命の尊さが軽視されるようになったようにも思えます。医学の進歩に倫理観が追いついていないのかもしれません。
私たちがここにこうして生きているのは、そうした数多くの伝染病の中で生き残った命です。何度も何度もご先祖たちは戦いに敗れ、その生き残りが私たちです。
つまりこの命は本当に貴重な貴重なもの。
今日はお彼岸です。新型コロナウイルスが世界的な問題になっている時だからこそ、負け戦の中で命を落とした方々、命を存えた方々の両方の御先祖様を思い、お祈りを捧げられたように思います。
その祈りは亡くなった命の菩提を弔うことはもちろんのこと、生きているものがこの世での使命を終えるまでしっかりとお役目を果たして生きていくことが重要です。そのお役目こそが仏そのものであること。
また、こうした苦しい時だからこそ、そこから学ぶことはすくなくありません。自然や病の猛威に謙虚であること、そしてこの命が本当に尊いものであることを実感していただければ何よりです。
最後に、弘法大師の正当日であるので、もう三回、南無大師遍照金剛、お大師さまの御宝号をお唱えいたしましょう。

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