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2014/12/30

大地の餅つき

毎年12月30日は高家寺の五大祭りの一つ

大地の餅つき
今年も大勢の方々に来ていただいた
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高家寺の餅つきの特徴は
・人力で石臼と杵で捏ね杵で搗くこと
・16~17臼ほど三升餅を搗くこと
・ガスを使わず、薪でお米を蒸すこと
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そしてなによりも
玄米餅をつくこと
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玄米餅は白餅に比べ
・三倍水につけ
・三倍蒸し
・三倍捏ね
・三倍搗く
必要がある
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それでも毎年大勢の方々に
来ていただけるのは嬉しいばかり
年末の締めに佳き餅つきとなった
参加の方々に深く御礼を申し上げたい
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※天気は少し雨が降ったが
 まずまずの天気であった

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2014/12/29

仕舞不動護摩 世俗的な望みを包み込んで真理へと誘う

昨日は28日、仕舞不動。
10時からお祈りしました

力強くとも優しい、きれいな二等辺三角形の炎があがりました。

Homa
この日の準備は夜中の二時までかかりました。
護摩壇が一部破損していたところを発見
修復していたために日をまたいでしまって・・・
思わぬ時間がかかってしまいました(^^;;
ただ事前に気づいて良かったと思います
いつもそうですが、
護摩に必要な壇木・二十一支・百八支を切り
それらに墨を塗っている時から
護摩が始まっています
信者さんを前に実際に火を焚く外護摩に対し
この準備をしている段階では
内護摩を修しています

また 不動護摩の部首は般若菩薩
 色即是空 空即是色
 受即是空 空即是受
 想即是空 空即是想
 行即是空 空即是行
 識即是空 空即是識
言葉による枠組みを外し
人の姿をありのままに見ると
この肉体も精神も真理そのものであり
真理そのものは
この肉体や精神を通して
この世俗世界に顕現する
言葉による枠組みを外すと
世俗の世界も真理の世界に
包み込まれているものであり
真理の世界も世俗の世界を通して顕れる
仏が我に入り
我が仏に入り
炎が入り 炎に入る
不動護摩は、
世俗的な望みを包み込み
大いなる(Great)世界に
誘ってくれるようです

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2014/12/25

夫婦誠誡 四年前に結婚式を挙げた夫婦に授けた戒め

昨日は、ある夫婦の結婚記念日でした。

うちのお寺で、新婚夫婦と私たち夫婦の四人のみの式。

その時、高家寺オリジナルの圓満の五箇条、積徳の六箇条でできた夫婦誠誡をお授けしました。

昨日、その式次第を読み直し、その内容に私自身も感じさせられました。

それを以下に記します。一部改変。

***
結婚式次第

先 夫婦入堂
次 導師入堂
次 洒水加持
次 数珠の交換 左手首に互いに掛ける
次 鑑誠

 昼を照らし時を刻む太陽と、夜空を照らし日付を示す月には、各々の役目があります。空は無限に広がり多くの星々からの光を与え、海は清濁を併せ呑み全てを浄化し、各々の役目を果たしています。人に男があり女があり、夫があり妻があります。男女は天地自然の大きな道に則り、与えられた使命がおのおの別であるという道理にこそ、夫婦の道が自ずから生じてきます。

 最初は、外からの雑音などで道を外れることもあるかもしれませんが、気づいたときに直ちに協力し合えば、逆により強き絆が生まれていくもの。夫婦はお互いにお互いの使命の違いを理解し合い、お互いを敬い、お互い慈愛をもって、手を取り合い、各々の足りない部分を補い合って、一家を斉えていくことが肝要です。

 直也くん。あなたは時折決断に苦しむことがありますが、それはあなたの優しさの顕れです。弱き人と共に歩もうとするその視点は上から目線ではなく、まさに平等そのもの。政治家にとって最も大切な資質です。あなたの優しさこそあなたの宝物です。

 ひとみさん。直也くんへの愛情故に、時折悩み苦しむこともありますが、それこそがあなたの深みであり強さです。折れそうになった夫の心を常に支える縁の下の力持ち。目に見えぬところでのあなたの努力にはほんとうに頭が下がります。

 お互いがまさにオンリーワン。夫婦生活という人生の旅の途上で、外においては天災人災、内においては煩悩の荒波にのみこまれ、狂乱を示すこともあるでしょう。しかし、手を取り合って人生を全うしてください。

ここに、あなた方に夫婦円満の五つの戒めを説きます。夫婦生活が円滑に進むようにするための良き習慣作りです。

一に お互いに慈しみの心を持ち続けるように。
慈しみの心とは可愛い赤ん坊を目の前にした時の心の底の優しき思いです。お互いが真に慈しみ合えば他者にもその慈しみが溢れ出ていくでしょう。お互いを慈しみ、家族や友人達をも慈しんでください。

二に お互いの苦しみと悲しみを分かち合うように。
苦しみや悲しみは二人で分けると半分になるもの。一人で悩まず、よくよく話し合うことです。話し合わなくとも、誠をもって傍にいるだけで、その苦しみは苦しみでなくなります。あなた方の生きる指針となるでしょう。そして家族や友人達の苦しみや悲しみを抜くことにも意識を傾けるようにしてください。

三に お互いに喜びと楽しみを分かち合うように。
喜びや楽しみは二人で分けると倍増するもの。喜びや楽しみは明るい心を育てます。喜びや楽しみは生きる力となり、ツキをも呼び込んでいくでしょう。

四に お互いに執着を捨て、尊重しあうように。
夫婦といえども親子といえどもそれぞれの役目があります。その役目を理解してください。やきもちをやきすぎたり、互いに縛りあったりしないことが肝要です。執着を離れ、相手を互いにそのまま受け入れたとき、お互いを活かしあう本物の結びつきが生まれます。

五に お互いに誠をもって良い所を常に褒めあうように。
厭なことがあったとしても、それは良きことと表裏一体。人は怒られると萎縮しやすいもの。時には叱ることも必要ですが、出来る限りお互いの良き点を伸ばすためにも誠をもって褒めあうようにしてください。

次に、あなた方の家庭が徳を積んでいくための六つの戒めを説きます。

 一に 得ることよりも与える家庭であるように
豊かな者は得ることよりも与えることに喜びを見出します。真に豊かな生活を望むのならば、与える喜びを知って下さい。

 二に 良き習慣をよく保つ家庭であるように
良き習慣は悪しき習慣の根を絶ち、新たな良き習慣の種を育んでいきます。良い習慣こそ人生の宝であることを知って下さい。
三に 包容力豊かに他者に寛容である家庭であるように
忍耐は尊いものです。やせ我慢ではなく、他者に対して寛容であることは、それ自体がとても美しいものです。美しい人生であって下さい。

 四に それぞれの道をしっかりと歩み続けていく家庭であるように
人にはそれぞれの道があります。比較して異なるからといって、むやみに否定排斥するのではなく、自分の道も他者の道も尊重して、自分の道を迷わず工夫して歩んでいくようにしてください。

 五に 本当に心から望むことに専心する家庭であるように
人生は貴重な時間です。無駄な時間に時を費やすのではなく、本当に心から望むことに時間を割いて、人生を深めてください。

 六に 戒を実生活で活用する家庭でように
どんなに素晴らしい教えも実践してこそものになります。人生の真の宝物をいつでも得るには教えの実践に他なりません。ありのままに世間と自分たちを見つめ、これらの戒めを実践をしてください。

改めて、夫婦の誠の戒めを説かせていただきます。
   圓満之五箇条
一、  お互いに慈しみの心を持ち続けるように。
二、  お互いに悲しみと苦しみを分かち合うように。
三、  お互いに喜びと楽しみを分かち合うように。
四、  お互いに執着を捨て尊重し合うように。
五、  お互いに誠をもって良い所を常に褒めあうように。


  積徳之六箇条
一、得ることよりも与える家庭であるように
二、良き習慣をよく保つ家庭であるように
三、包容力豊かに他者に寛容である家庭であるように
四、それぞれの道をしっかりと歩み続けていく家庭であるように
五、本当に心から望むことに専心する家庭であるように
六、戒を実生活で活用する家庭であるように


 以上、圓満の五箇条、積徳の六箇条の、夫婦の誠の誡を授けます。目先の小さなことにとらわれることなく、人生の大きなものを得るように心がけてください。お互いに対する誠意と大いなる命に対する信心と優しさと智慧をもって、病めるときも老いた後も、いついかなる時も、気づきを共有し、ありのままに、仲良く共に力強く進んでください。

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2014/12/23

It's a small world ! 縁と縁でつながって織物のごとくに

It's a small world !

今夕、親友Kさんから久しぶりの電話がありました。お互いに時間が取れないので、次回会う日を約束。
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その直後、今夜、ある異業種間交流の家族忘年会でした。
以前にお会いしたMさんも来られました。お互いになんとなく感じるものがありました。
先日知ったのはMさんのお祖母さんはKさんの家が実家で、親戚だったということです。
そこで、今夜はMさんに挨拶して、そのことをお伝えしたら、ビックリされました。私以上に驚かれたのです。それには理由がありました。

隣におられたMさんこ奥様が、「やっと会うことができた」と嬉しそうにされたのです。
Mさんの奥さんは、うちのお寺の茶室が出来た時に来られたことがあるとのこと。
さらに彼女の妹がわたしの中学の同級生で同じクラスだったTさんでした。しかもそのTさんの旦那さんは、私のグループのHさんの仕事仲間。

なんとも、この世の中、本当に狭いもの。繋がり繋がり生きているものです。Mさんも、その奥様も、私も、互いを見ながら大きく笑ってしまいました。

その様子を見ていたHさんから、世間は狭いということを英語でSmall World というんだよと教えていただきました。

ディズニーの It's a small world は日本語にすると世間は狭いね、もっと意訳すると、縁と縁で繋がっているね、という意味であることを再確認。

神秘とは空を飛んだり、未来を予見することではなく、日常の中にこそあるものだと確認。その表現の一つが It's a small world ということ。

嬉しい繋がりの発見の日でした(^^

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2014/12/18

法話で拍手をいただく 12月17日 愛知県南知多 岩屋寺にて

法話で拍手をいただく(^^;

岩屋寺。愛知県知多郡南知多町山海字間草109番地にあるお寺。尾張高野山宗という独自の宗派で末寺もいくつか抱えている本山。

ここの後藤御住職とは、我が師匠の元での勉強会仲間。とても真面目で、なかなかの好青年でもある。

先日、我が妻と、うちの信者とともに四人で十二月十七日の月例法要に訪れて、法話をさせていただいた。

独特な行事をされており、とても勉強になった。

ここでさせていただいた法話を以下に。雑多な内容はいつものことなのでご容赦を。また文章にしたのでかなり端折っていることはお許しを。

***
こんにちは。岐阜県各務原市から来ました、高家寺という高野山真言宗のお寺の住職をしています北川と申します。ご紹介で後藤御住職には、とても持ちあげていただいたのですが、がっかりされるかもしれませんのでご了承を(^^)まずは、足を楽にしてください。(間を置く)

まずお尋ねします。五十年前からここの信者さんはいらっしゃいますか?(10人ほど手をあげられる)。ありがとうございます。お歳がバレてしまいますね。(^^)冗談はさておき、この話は徐々にとしまして、さて、この岩屋寺と私の関係からまずはお話いたします。
後藤御住職と私は、前高野山真言宗管長猊下の松長先生の元で一緒に勉強をしている仲間です。あるとき、一緒に帰ってきました。私も岐阜ですから、高野山から変える方向が同じですから。そこで、後藤御住職に尋ねると、ここのお寺の御住職とのこと。びっくりしました。と言いますのも、私の母方の亡くなった祖母がこの岩屋寺の信者だったんです。しかもかなり熱心な信者で毎月、おそらくこの十七日に参っていました。私が生まれる直前に、ここの御札を頂いたそうです。覚えられている方居られませんか?五十年前に小さな千枚通しがここでお授けされていたことを?(10名ほどの方々が大きく頷かれた)その御札を母が飲み、私が生まれてきました(不思議話をしました。文章では誤解が生じやすいので中略します)。そうした御縁があり、びっくりしました。

しかも、ここは尾張徳川家の祈願寺。ちなみに紹介にもありましたように、尾張七代藩主徳川宗春公の研究を私はしていますが、宗春は知多が好きで何度も知多半島に来ていますので、ひょっとしたら岩屋寺もそのルートにあったかもしれませんね。さらに、私が高野山で居たお寺ある南院は徳川家霊台の下にあり、今はその三つ葉葵を使っています。私が住職をしているお寺も、譜代で初めて松平姓を許された戸田松平家で、三つ葉葵を許されていました。まさに徳川続き。

こうした偶然の一致が私の周りにも後藤御住職の周りにもいっぱいあります。偶然の一致をよく見つける人は運の良い方々です。どうですかみさん、よく偶然の一致はありますか?つまり後藤御住職はとても運の良い方なのでしっかりとそばに居てくださいね(^^)この偶然の一致を見つけるということはよく物事を見ているということです。ありのままにものごとを見るとは般若波羅蜜多そのもの。ですから大乗仏教の実践をしている人は、当たり前のように偶然の一致をみつけます。不思議は、空を飛んだり、見えないものが見えることではなく、むしろ日常のこうした不思議こそ重要。不思議を見つけると世界はキラキラ光り、手を合わせたくなりますね・・・

***
この後、季節の行事の話を軽くしました。上記は概要なのでもっと細かいのですが・・・。法話を終えましたら、なんと信者さんが拍手をくださいました。法話に拍手、ありがたいことです。

後藤御住職にも深く感謝したいです。まだまだこの日の話は豊富な話題があり、偶然の一致というか不思議話もあり書きたいところですが、その秘密が聞きたい方は、高家寺や岩屋寺におでかけください(^~)

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2014/12/17

マクロコスモスとミクロコスモス 岩波新書「密教」を講義して

12月16日 今年最後の「理趣経の会」
ご近所さんが集まっての勉強会と食事会

師匠の松長有慶先生著『密教』(岩波新書)を使って。
今回はp.47-p.53 「マクロとミクロの対応」
内容は本に書いてあるとおり。

今回は少し脱線して
星占術の内容を語る。

日月火水木金土の七曜は誰もが知るが
羅睺と計都は知る人が少ない。

たまたま私は西洋占星術を少し齧ったことがあり
そこではドラゴンヘッドまたはドラゴンテイルという。

地球を中心とした天球上を
太陽も月も運行しているように見える。
そこから計算した軌道図が
太陽の軌道は黄道と言い
月の軌道は白道という。
白道と黄道の交点を羅睺と計都とする。
この交点の一点に太陽と月があるときは日蝕になり
反対にあるときは月蝕になる。
そのために羅睺と計都は日蝕と月蝕を司り
凶星とされることもあった。
それをインドの神話では
天部の神々がアムリタ(甘露)を飲んでいた時
阿修羅族である羅睺が隠れ混じってそれを飲み
永遠の命を得てしまった。
それに気づいた日天(スールヤ)と月天(チャンドラ)は
この世界の維持につとめるヴィシュヌに告げ口し
ヴィシュヌは輪(チャクラ)で羅睺の首をはねてしまった。
しかし羅睺は永遠の命を得てしまっているために
天に上って日と月に蝕をおこすとしている。

西洋ではヘッドは現在の課題、
テイルは過去の課題とすることもある。

他にも二十八宿と
四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)の関係を話し
十二星座と十三星座の問題も語った。

そして本の流れに基づいて
梵我一如を伝え、
我という言葉の枠組みを解放すると
梵我一如となることを伝えた。

それに引き続いて
煩悩即菩提・俗諦即真諦さらに
現象世界を意味する一切法も
真理を表す法性も
ともに「法dharma」という言葉を使うことを伝える。

言葉によって縛られる枠組みを解放した時
般若心経の中で解かれているように
五蘊即空 空即五蘊
となることにも連なることを話す。

最後は如来蔵。
覚る因子があるからこそ覚り得る。
ここに日本仏教の
最大のポイントが有るとも伝えた。

繰り返し繰り返し、
語り口を変えながらも伝えているが
やはり染みわたるのか
師匠の本が良いこともあり
皆がハッとしていただけることが
少なくない回であった。

佳き年の締めくくりになったことが嬉しい。

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2014/12/16

「死んだらどうなるのか?」という質問に対して

昨日、訪ねて来られた方から質問がありました。
質「死んだらどうなるのでしょうか?」

応「多くの宗教家は、それぞれの宗派の教えに従い千差万別の答えがあると思います。同じ宗旨であっても、一人ひとりで異なる答えがある質問かもしれません。
般若心経に、五蘊皆空とありますよね。あの五蘊とは、色すなわち肉体を意味し、受想行識とは精神作用を意味するものです。その肉体と精神作用が縁により集まり出来あがったのが一人の人間。だから死んでしまえば、五蘊はバラバラとなってしまう。これが世間的な応えの一つです。
次に喩え話をします。その死んだらどうなるの主語は何でしょうか?色(しき)?受想行識の精神作用?」

質「魂でしょうか?」

応「今こうして私が話し、新たな知識を得た瞬間に変化が起きていますよね。つまり変わらない魂はないということ。川の流れで喩えると、目の前に川はあるとします。世間的にはそこに川があるといいます。でも、その川に流れる水は常に変化して同じものは二度とない。それでも川はあるのでしょうか?」

質「それでも川はあると思います」

応「土に指で溝を作り、底に水を流したとします。これは川ですか?」

質「川ではありません」

応「どちらも、常に水が流れている。その違いは何ですか?川にしろ用水にしろ、指で掘った溝にしろ、どれもが同じように水が流れるもの。それを川とか用水とか規定するのは人間の言葉ではないでしょうか?同じように、自分であるとか魂であるとか、あたかも固定した我というものがあるように勘違いしがちですが、それも言葉によって仮に規定したものにすぎないのではないでしょうか?」

質「それならば輪廻があるとなぜいうのでしょうか?」

応「輪廻は、生まれ変わりだけでなくて、この一生涯にも起きていませんか?同じようなことを繰り返してしまう。これも輪廻。あらゆることから自由になるのが解脱。また川の喩え話をしますね。水が流れ落ち、たくさんの水が集まり川の流れが出来上がります。そして、たくさん集まった水は色々なものを運んで、どこへ向かうのでしょうか?」

質「海です」

応「川を一人の人間の一生と考えるといかがですか?たくさんの水が集まった姿が自分であり、それが海の中に溶け込んでいく。その海の水もまた蒸発して再び雨となり大地に降り川となっていく。」

質「あっ、今までの私は言葉の枠組みにとらわれていただけで、そもそも魂がどうなるのという質問自体が既に執着を起こしてしまっているということなのでしょうか?」

私はにっこりと笑いました。実はこの話はまだまだ続きがありますし、唯識の八識の話もしましたし、四苦八苦の苦の意味も伝えました。また亡くなった方々にこだわることがどういうことになるのかも伝えました。実際はここに書いたこと以上に深いところまで話ができたのですが、それは又の機会に。きょうはここまでとします。

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