かつてある方が
「世界の宗教が一つになれば良い」
と言われました。
私はすかさず
「統一と和合は異なるのではないですか?」
と尋ねました。
最近、いろいろな場面でこうしたことに出合います。
色に譬えると
統一とは一色に染め上げること
和合とは様々な色がそのままあってもいいし
一部は混ざり合っても良いもの。
政治に譬えると
統一は一党独裁であり
和合とは多種多様な政党を認めるもの
宗教で譬えると
統一とは一つの教えでまとめ上げることであり
和合とはそれぞれの独立性や存在を認めつつ
互いに切磋琢磨する部分と
仲良く手を取り合う部分があること
ところが、どうも最近の流れは
一色に染め上らないとだめだという方向に
多くのことが進んでいるように思えます。
時には先に挙げた例のように
統一と和合を区別せずに考えて
なんでも一つにまとめ上げることが良いように
勘違いする例も少なくありません。
かつての仏教には知恵がありました。
曼荼羅という一つの世界の中に
たくさんの個性豊かな仏を見出しました。
たくさんの仏の存在を見つめるときは
曼荼羅としての一つの全体を見出しました。
あらゆる人が同じように行う世界は
私にはとても合いません。
そういう意味で、団体行動ができない落ちこぼれです。
だからこそ、そうした落ちこぼれの人の気持ちは
痛いほどよくわかります。
いや個性が強い人ほど、
他者の色で染められるものを厭うものです。
宗教の世界でいえば
超宗教や超宗派で世界平和を祈り、
環境問題を考えることは大切なことだと思います。
同じプラットフォームに立って、
そこで討議しあうのは重要。
しかし、それぞれの入口が違う以上、
出口も異なって当然です。
ここのところを勘違いすると、
なんでも「超**」を良しとし、
新たな一色に染め上げ、
「超**」という別の宗教が創出され
新たなヒエラルキーが生まれかねません。
アルネ・ネスというノルウェーの学者が
ディープエコロジーを唱えました。
これも勘違いして
統一化を推し進めようとした人たちがいましたが
アルネ・ネスはプラットフォーム理論を提唱して
多宗教というベースの元
プラットフォームで討議し
そしてそれぞれの手段をこうじていくことを望みました。
私は宗教はじめ
さまざまなことでこのアルネネスの考えが
通用するのではないかと感じています。
統一ではなく和合
そして互いにプラットフォームにて
現実の問題に取り組んで
それぞれの方法を見出していく
私のようなはみ出し者もいきいきと生きられるのは
そんな世界だと感じています。
コメント
多くの宗教がどうやったら和合、統一できるのかと考えてネットサーフィンしていたら、北川和尚の「和合と統一、似て非なるもの」に出会いました。見事な解釈です!非常に広い心を持たれた方なんだろうなと感じました。
「宗教の世界でいえば超宗教や超宗派で世界平和を祈り、環境問題を考えることは大切なことだと思います。」
同感です。そのような世界が一日も早く来ることを願います。
投稿: 今田 忍 | 2018/08/29 09:42