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2013/06/29

高家寺大師堂本尊 銀杏大師 前編

銀杏大師 前編
Ichodaishishokawas
この写真は昭和三十年に湖に沈んだ場所です。
写っている朽ちた木は雷が落ちた銀杏の木。
古来より日本では、雷が落ちた木は、
神がおりた木として尊崇されてきました。
ですからこの木の前には祠が建てられています。
しかし、今はこの場所は湖の底です。
場所は岐阜県大野郡白川村。
ダムの名前は御母衣ダム。
実はこの銀杏の木には
全国に広がる逆さ銀杏の伝説がありました。
ある僧侶が飛騨を訪れた時に、
道端の老婆に水を所望すると、
老婆は谷を降りて水を汲んできてくれました。
その僧侶が事情を聴くと、
そのあたりは水不足で、井戸もなく、
谷を降りないと水が汲めないということでした。
僧侶はあたりを見渡し、
ある地点を見つめ、
そこに手に持っていた銀杏の木の杖を突き刺しました。
そして
「この銀杏の木が大きくなって逆さの芽を吹いたら
 その場所を掘ってご覧なさい」と言い、
老婆が名前を尋ねたら「空海」と名乗ったそうです。
数年後、銀杏の木は逆さの芽を吹き、
そこを掘ると潤沢な水が湧き出る井戸となり、
そのあたりの住民の生活を支えたそうです。
その縁もあり、丹生川の千光寺から
毎年真言僧がやってきて
この銀杏の木に祈りを捧げたそうです。
その木は大木になり、自らは朽ちて子孫を残し、
同じ場所で子孫の銀杏は大切に育てられました。
ある日、この木に雷が落ちました。
木は徐々に朽ちていきましたが、
村人は「逆さ銀杏」と呼んで
大事に守ったそうです。
ところが昭和三十年に
この地が御母衣ダムの底に
沈んでしまうことになりました。(続く)

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