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2009/12/24

『不増不減経』に説かれる僧侶

『不増不減経』というお経があります。

このお経は、短いお経で、漢文しか存在しません。
チベット訳やサンスクリットのある
『宝性論』という論書にかなりの量が引用されており
インド撰述のお経であることは間違いありません。

主要な内容は、生きとし生けるものすべてが仏であり
この世俗世界と離れて
聖なる世界があるわけではないことを
説いている
内容的にも面白い経典です。

この中で、当時の僧侶批判がなされています。
 若我滅後5過五百歳。
 多有衆生愚無智慧。
 於佛法中雖除鬚髮。
 服三法衣現沙門像。
 然其内無沙門徳行。
 如是等輩實非沙門自謂沙門。
 非佛弟子謂佛弟子。而自説言。
 我是沙門眞佛弟子。
 如是等人起増減見。
 (大正十六巻 466b)
この部分の大意は
私(=仏陀)の入滅後、五百年を経つと
愚かで智慧の無い人たちが多く現れる。
仏道の規則に従って、髪の毛を剃り
法衣を着て僧侶の姿をしてはいるが
内面的には僧侶としての徳を積んでいない。
本当の意味での仏教者ではないにも関わらず
自らを僧侶と呼び
本当の意味での仏の弟子でもないのに
自らを仏の弟子だと言いふらす。
そして「自分こそが仏の弟子である」と主張する。
このような者たちが、
ないものをあると言ったり
あるものをないと言ったり
間違った見解を多くなしている。

千五百年以上も昔に記されたお経ですが
まるで今の仏教の僧侶たちのことを表しているように感じます。
私自身もドキッとさせられる内容です。
いつの時代もそんなに変わるものではないのかもしれません。
人がいないと嘆くのではなく
自分自身がどうなのか
そこが問題であると言われている気がします。

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