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2008/08/20

文殊菩薩 8月仏部

文殊菩薩
[読み]もんじゅぼさつ
[別名]文殊師利・金剛利菩薩・一切無戯論如来・妙吉祥・法王子・金剛慧
[真言]オン アラハシャ ノウ
[特徴]普賢菩薩と共に釈迦如来の脇侍。般若波羅蜜・智慧・喜無量心などの象徴。無我無執であることから童子形であり、よく釈尊の教えを受け継ぐゆえに法王子とも呼ばれる。修行者をよく導く菩薩。般若経との関連が深い。戯論を離れ、両極端を離れ、分別心を離れ、中道の象徴でもあり、一切無戯論如来とも呼ばれる。

<<メッセージ1>>

獅子のごとく堂々と歩め。右にも左にも寄ることのない真ん中の道が、そこにある。そこは喜びの道だ。
《解説》
文殊菩薩は、八不(不生不滅・不常不斷・不一不異・不去不來)を表す智剣を持つ。八不とは、両極端に偏ることない智慧だ。両極に偏ったものを鋭い剣(利剣)で断ち切り、中道に導く。釈尊は若き日に享楽の生活を送り、出家した後は苦行に身を投じた。しかし、そのどちらも心を満足させるものではないことを見極め、中道を歩むことが大切であると宣言した。釈尊の法王子である文殊菩薩は、その中道の象徴でもある。安楽なりすぎず、厳しすぎないように生活することが大道を歩むことだ。そこにこそ本物の喜びがある。中道を歩むとき真の喜びを得る。


<<メッセージ2>>

ありのままに観よ。智慧で照らせば、とらわれるものは何もない。それを実感すれば心の奥底から喜びを覚える
《解説》
文殊菩薩の別名は無戯論如来。戯論とは、情にこだわり執着する言説(愛論)と知的にこだわり固定した見解をもつ言説(見論)のこと。情にも知にもとらわれずに、物事をありのままに見ることこそ文殊の智慧。極端な考えを離れ、ありのままに見れば、そこは苦しみの世界から解放された喜びの世界がある。文殊菩薩に祈りを捧げ、自らの煩悩を智慧の鋭い剣で断ち切って、文殊の導きに身を任せよう。極端な考えを離れ、ありのままに見ることによって悲しみや苦しみから逃れられ、そこから大いなる喜びに導かれる。

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白衣観音 8月菩薩部

白衣観音
[読み]びゃくえかんのん
[別名]白処尊 白住処 離垢金剛 普化金剛
[真言]オン シべテイ シベテイ ハンダラバシニ ソワカ
[特徴] 白衣とは清浄な菩提心を示す。純白無垢な心は、諸仏の大悲をよく生じる。この白衣は、智慧を意味する白身白衣、真理を意味する白処、理智二徳を意味する大明白身の三種を象徴する。星宿の部首とされ、また諸魔を防ぎ、悪人の災難から逃れるとされ、天変地異や戦争が起きた際に祈られた。更に、除病・安産・育児など子育て観音としても日本では尊崇されている。女尊。

<<メッセージ1>>

何事にも純粋無垢な気持ちで臨め。無垢な心は星々の力を呼び、災難より身を助けてくれる。
《解説》
白衣観音の白衣は純粋無垢な心を象徴する。白衣観音は星々の部首である。純粋無垢な心を持つものは、その心の中に星々の力を宿すことができる。星の力は大宇宙の力。その力を呼び起こすチャンスを得ているのだ。正邪、善悪、浄穢などの価値判断をすることなく純粋無垢に臨め。そのとき、白衣観音の助けにより星宿の力を最大限に使うことができる。

<<メッセージ2>>

心の穢れを落とし、真っ白な穢れなき心を取り戻そう。無垢な心は星々の力を呼び起こしてくれる。
《解説》
大宇宙の星々は、大いなる力を降り注いでくれている。しかし、それを邪魔するのが心の穢れだ。まずは心を浄化しよう。懺悔し、他者への施しをよくしよう。水は布施の象徴。布施も水も潤いを与えてくれる。水で手を洗い、身体を清め、口を濯ぎ、布施で心を潤そう。懺悔・礼拝し、背負った重荷をその場に降ろそう。そのとき、心は浄化されていく。心が浄化されれば、真っ白な純粋無垢な心を取り戻せる。純粋無垢な心は星々の力を受け入れてくれる。
白衣観音の大悲にあなたは包まれている。心を浄化するチャンスを得たのだ。今すぐに、白衣観音に祈りを捧げ、懺悔礼拝、布施行などにより心を清め、星々の力を呼び起こそう。

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金剛華菩薩 8月供養部

金剛華菩薩
[読み]こんごうけぼさつ
[別名]妙色金剛・清浄金剛
[真言]オン バザラホシュベイ オン
[特徴]宝生如来が大日如来を花で供養するために流出した菩薩。花は夏の暑さと冬の寒さを耐え忍ぶがゆえに美しい花を咲かせる。花は忍辱波羅蜜の象徴。また、花が咲き誇る姿は福徳円満・万徳荘厳の象徴でもある。花は美しい色、美しい形、美しい香りも有することから清浄無垢な美を表す。花を咲かせるがゆえに実がなることからも、果を得ることをも示している

<<メッセージ1>>

周りも、あなた自身をも花で飾ると同時に、新たな花の種・苗を植えよう。
《解説》
花は心を和ませる。花には、美・清廉・忍辱・般若波羅蜜(智慧)・荘厳・福徳円満など、さまざまな意味がこめられている。その花を部屋の中、家の内外、そのほか、さまざまな場所に飾りつけ彩らせることで、心地よい空間が生まれていく。同じようにあなた自身にも花を飾りつけよう。それは、忍辱・忍耐かもしれない。大いなる慈悲の心かもしれない。清廉潔白な清き心かもしれない。彩り鮮やかな智慧かもしれない。また、
あなた自身を花で荘厳することで、あなた自身もこの世に咲く花であることを知ることができることを示している。全ての事物がこの世に咲く花であることをも暗示している。あなた自身が花なのだから、その花を次なる場所に咲かせよう。あなたの種・苗を次なる場所に植えるように心がけるように。

<<メッセージ2>>

周りを花で飾ろう。そして同じように、心に花を咲かせよう。辱めを忍ぶ忍耐により、心に美しい花が咲く。あなた自身の花は何なのかを知ろう。
《解説》
一輪の花を置くだけで、その場が和む。花の力は偉大だ。あなたに合った花を部屋に飾ろう。あなたの家の周りに飾ろう。職場や関連した場所を飾り、あなたの大切な人に花を贈ろう。
夏の暑い時期、冬の寒い時期に蕾を膨らませつつ、じっと耐える花。それゆえに秋や春に美しき花を咲かせることができる。同じように、あなた自身も辱めを受けたり、耐えがたきことにであったら、それは花を咲かせる前にあなたにとって大切なの忍辱のときであることを知るように。辱めを受けながらも、忍んでいる姿は美しい。あえて表立って他者に抗わず、自分の内面を深めていく忍耐はとても感動的だ。あなたにとって忍辱しなければならないときが来たのならば、逆に悦ぼう。生まれ生まれ死に死に、何度も繰り返してきた生の中で、あなた自身が積んできた悪業が、その瞬間に果となり、消えていく瞬間こそが、耐え難く辛いときなのだ。その苦しみが、自分の悪行が消える瞬間と知るものは、忍耐をよくし、美しい花を咲かせていく。忍辱をしつつ、あなたが咲かせるべき花とは何なのかを見つけよう。あなた自身が花となり、この世にどんな花を咲かせるのかを見つめてみよう。
部屋をはじめ、周辺を花で飾ると同時に、あなた自身がこの世を彩る花であることを知るときがきている。

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大威徳明王 8月守護部

大威徳明王
[読み]だいいとくみょうおう
[別名]降閻魔尊 持明金剛 炎曼徳迦 六足尊
[真言]オン シチリキャロラワウンケンソワカ
[特徴]五大明王の一。西方蓮華部の守護尊。阿弥陀如来・文殊菩薩の変化した教令輪身。閻魔すなわち死を降伏する明王。六足・六首・六臂がある。六とは六道輪廻(天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の六世界を輪廻すること)から解脱すること、六波羅蜜(六度)をよく満じ、六神通(神足通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通)を成じることを意味する。水牛は水陸を自在に渡るので、生死涅槃を自在に往来することを意味する。髑髏を瓔珞とする。大日如来の智慧である文殊菩薩の化身であり、種種の器仗を持ち、煩悩をよく断じ、悪人・患悪・瘡・怨敵などあらゆる悪を滅する。


<<メッセージ1>>

あらゆる悪害を滅する威徳を得るときが来た。死さえも恐れるものではない。
《解説》
あなたの死とは何か?肉体の死があなたの死を意味するわけではない。あなた自身が、あなたらしく生きていないことそのものが、あなたの死なのだ。しかし、今のあなたは既にあなたの道を歩んでいる。あなたの死を超越したのだ。あなたを根本的に傷つけるものは何も無い。あなたはそれらを滅する威徳さえ身に着けたのだ。心身に辛いことも、あなたにとってはもう悪害ではない。辛いことは、過去のあなたの清算であり、真のあなたの抜苦に過ぎないのだから。あなたは、あなたの本当の死を克服して、あなたの道を歩み始めた。真の死を超越したことを悦び、あなたの命を最大限に輝とき。

<<メッセージ2>>

死を恐れていないか?何かに縛られていないか?死を知り、煩悩を知れば、死を超え、煩悩の鎖から逃れられる。
《解説》
あなたは肉体の死を恐れていないか?肉体はいつかは必ず滅びる。その死をむやみに恐れると、あなたの本当の死が見えなくなる。あなたが畏れるべきは、何かに縛られることだ。何かに縛られることは、あなたの道を邪魔することであり、それこそがあなたの本当の意味での死を意味する。ありのままに見つめよう。あなたを縛っているものは何かを。あなたを縛っている鎖が何かを知れば、その鎖が永続的なものではないことを知ることができる。その鎖は、智慧の剣で断ち切ることができるはずだ。ありのままに観よう。智慧の剣で、あなたの鎖を断ち切ろう。その鎖こそが、あなたの死であることを知ろう。鎖が断ち切られたとき、あなたは死から解放される。あなたの鎖を断ち切り、あなたの真の生を活かすとき。今、あなたはあなたの死を乗り越え、本物の生を活かすチャンスに恵まれたのだ。死を乗り越えるチャンスを得たあなたは実は最大の幸福者なのだ。

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羅刹天 8月天部1

羅刹天
[読み]らせつてん
[別名]羅刹王
[真言]オン ヂリチエイ ソワカ
[特徴] 十二天の一、八方天の一で、西南の護法神。羅刹には三種類がある。藥叉鬼神がその一。その二は無信仰な類。第三が墓場などを彷徨い、人を食らう鬼神。その羅刹の王が羅刹天。破壊・滅亡を司る神で、その破壊滅亡の力で、畏れることの大切さを示すことを本誓とする。その破壊の力によって一切の業苦をも取り除く神。

<<メッセージ1>>

自然は時に猛威を古い破壊をもたらす。しかし、その本質を見極めれば、破壊は創造の始まりであることを知る。
《解説》
暴風雨は樹木をなぎ倒し、建物をも破壊する。時には山さえも崩してしまう。大自然の破壊する力は、あまりにも圧倒的だ。その破壊の力は、大自然に対する畏敬の念を抱かせる。破壊は単なる破滅ではない。畏敬の念が生まれるということは、そこに信仰心を抱かせ、深める担い手にもなることを示している。人はいま環境破壊を進めている。大自然の破壊だ。その破壊は、次は大自然の猛威となって返ってくる。そのことは覚悟をせねばならない。自らが犯したことは、自らが刈り取らねばならないからだ。そのために、大いなる命は、大いなる慈悲の心を持って、時には破壊的なことをもたらす。その破壊が、実は自らの罪障の破壊にも繋がっていると知れば、破棄的なことにも感謝できる。大自然の破壊力に大いに感謝しよう。それは私たちが背負った罪障の破壊でもあるからだ。大いなる命は、人の恣意を超えた形で、衆生を救っていることを知るように。

<<メッセージ2>>

破壊は創造の始まり。今まで固執してきたことやあなたの小さな枠組みを破壊するときが来た。
《解説》
あなたのなかの固執しているものは何なのか?なぜ固執しているのか?あなたの枠組みは何なのか?多くの場合は、その枠組みに固執することで自分が自分であることを保とうとしている。しかし、その枠組みは本物の自分ではない。幻想を作り出し、新たな苦を作り出していく枠組みだ。その枠組みへの固執を破壊しよう。あとのことは考えなくてもよい。破壊することで、そのあとは自然に創造が始まる。あなたの枠組みを一層大きなものへ切り替えるときが来ている。

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恵比寿 8月天部2

恵比寿
[読み]えびす
[別名] 夷、戎、蛭子、恵比須、恵比寿
[真言]南無恵比寿(なむえびす)[特徴]七福神の一。日本の神。伊邪那岐・伊邪那美の両神の最初の子である蛭子と同体。海の向こうからやってきた神。大漁・商売繁盛・豊穣の神。

<<メッセージ1>>

「釣りして網せず」暴利を貪ることなく、清い心で財物を得よう。
《解説》
恵比寿は大漁の象徴である。しかし、手に持っているのは網ではなく釣竿である。網は、暴利を貪るシンボルであり、釣竿は適量を得ることである。自然は、その再生能力の範囲ならば、自然より利益を得ることを許している。しかし、それを超えると、循環システムに狂いが生じ、おおいなる災いをもたらしてくる。
心の一番奥底の微妙な心に従えば、決して暴利を貪ることはない。自らの心の奥底に従い、暴利を貪ることないように利益を得ていこう。

<<メッセージ2>>

生き続ける限りリベンジは可能だ。諦めることなく工夫を凝らして再チャレンジしよう。
《解説》
恵比寿は、失敗作として一度は親神に捨てられる。しかし、再び沿岸に漂着し、財物をもたらす神として、大いに祀られている。これは一失敗をしたからといって諦めてはならないというメッセージを含んだものだ。どんなことであっても諦めることなく再チャレンジしよう。その再チャレンジは、前のままではなく、工夫を凝らして、新たな形にしていくようにするとき。諦めかけていたことに、諦めずに、工夫を凝らして再チャレンジしよう。

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