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2008/06/30

千の風になって 続きの詩を作ってみた

今日の法事でお話した法話を記します

昨年末から「千の風になって」が流行し
あちらこちらで歌われています。
残された遺族の心を慰めるものとしては
高く評価されるものなのでしょう。
ところが私はこの歌を聞くたびに違和感を覚え
どうしてもお寺で流す気にはなれませんでした。
その理由は曖昧模糊としているのですが
とにかく違和感があったのです。

あるとき、高野山真言宗管長である師よりお話を伺いました。
本来、死者の魂を死んでまでも利用しようとすることは
今までの日本ではありえなかったという旨のお話です。
もう少し具体的な話だったのですが
その点は割愛させていただきます。

師よりの受け売りかもしれませんが
私なりに納得し
なぜ自分が曖昧模糊としながらも
受け入れることができなかったのかが見えてきました。

そこで私なりに続きの歌をつけたいと感じ
私なりに作ってみました。
今までは死者から遺族への言葉ですが
続きは遺族から死者への言葉です。
安らかに菩提を弔うためのもの。
強くこの世を生きていくと言う決意。
これらがあって初めて私はこの歌が完成すると感じます。
死者をむりやり蘇らせるようなことではなく
死者から何かを得ようとするのではなく
残されたものが死者のために何かをしようとする行為こそ
尊いように思えます。
与えたものこそが与えられる
そのことを真に受け止めて欲しいという思いから
非才ながら詩をしたためました。

誰か作詞の才能があるひとに
私のつたない詩の内容を汲んでいただき
より素晴らしいものへと
完成してもらえると
より日本人の心のあり方を
本来のあり方に戻せるように思います。

********************

あなたのお墓の前で もう泣かない
私はもう大丈夫 強く生きていけます

千の風に
千の風にのって
あの大ききな光に
溶け込んでください

秋には実が落ちて 大地に息づいて
冬が過ぎ去り 次なる命を育む
あなたのおかげで私は目覚めた
今度は私があなたを祈る

あなたのお墓の前で もう泣きません
あなたに感謝の心で ただ祈るだけ

千の風に
千の風にのって
あの大ききな光に
溶け込んでください

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2008/06/21

宝生如来 6月仏部

宝生如来
[読み]ほうしょうにょらい
[真言]オン アラタンノウ サンバンバ タラク

[特徴]金剛界四仏の一。南方の如来。宝が出生するという意味。
宝を生むのではなく、宝が自然に生じてくる如来で、平等性智を司り、福徳を生じる。灌頂・布施を象徴する。四親近は、金剛宝・金剛光・金剛幢・金剛笑。目標や目的。無限の価値などをも象徴する。

<<メッセージ1>>
大いに与えよ。他者を潤す者こそ、真の意味で自らも潤す。

《解説》
密教では宝生如来は、施すことを象徴する。施しのシンボルは水。水がノドの渇きを潤すように、お金や物による施しは肉体的に生きる支えとなり、教えを施すことは精神的に生きる支えとなる。真に価値あるものは何かを見極め、物にせよ、教えにせよ、自らが手にしたものを他者に施そう。他者によく施しをする者こそが、誰よりも自らが最も潤っていくものである。

<<メッセージ2>>

心身ともに乾いていないか?水分を適度に摂り身体に潤いを。仏法を見聞きして心に潤いを。自他共に心身に潤いを。
《解説》
大乗仏教の最初で最大の修行は布施行だといわれる。自ら持てるもの(お金や物でも教えでもよい)を他者に施し、周りを潤すことであなた自身が最大に潤される。心身に潤いを与え、施しの行をおこなおう。そこからあなた自身の真の価値とは何かが見えてくる。お水をお供えすることで、潤いを与え渇きを癒すことに意識を傾けることもできる。潤いは施しに繋がる。心身ともに乾いていたら、宝生如来に施しのシンボルであるお水を供え、自らそれを飲み干そう。法話を聞いたり、書物を読んだり、仏像仏画を見たり作ったりしよう。そして、一人でも多くの人に心身の潤いを与える施しをしよう。

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虚空蔵菩薩 6月菩薩部

虚空蔵菩薩
[読み]こくうぞうぼさつ
[別名]金剛宝・如意金剛・富貴金剛・無尽金剛
[真言]ノウボウ アキャシャギャラバヤ オン アリキャマリボリ ソワカ

[特徴] 宇宙の蔵を意味し、福徳智慧の二資糧を満たす菩薩。金剛宝菩薩と同体。光炎を発する宝珠を象徴とする。また明星(金星)を象徴ともすることあり。あらゆることを憶持する求聞持法の本尊とする(求聞持法は他の尊を本尊にする場合もある)。十三参りはそこから得られた智慧に結び付けられ信仰されている。

<<メッセージ1>>
平等とは均一化ではない。各々の特性を生かすことこそ、真の平等である。その特性こそ、最大の宝であることを知ろう。
《解説》
平等とは何なのだろうか?均一化という謝った平等観を捨て去って、各々が持つ特性を生かすことに注意を払おう。特性があるからこそ、価値が生じる。その価値とは、低い高いではない。ダイヤモンドという宝石さえも、人によっては大切な至極の宝石であり、人によっては金属を磨く道具であり、人によっては無用の長物である。同じものでも、人によってその価値は異なってくる。しかし、人によってその価値が異なるからこそ、各々が持つ個性が重要になってくる。人の顔が、全く同じであることはない。群がる蟻も、一体一体個性があるという。制服という服装さえも人によって着こなしが異なり全く別物に見えることがある。自分の価値基準を他者に押し付ける均一化という平等ではなく、個性を見出す平等性に眼を向けよう。平等とは、大きな価値を見出すことでもあるのだ。


<<メッセージ2>>

欲しければ、それ以上に持てるものを他者に与えよ。与えれば思わぬ方向から願い以上のものを得ることができる。
《解説》
何かを手に持っていると、他のものを持つことはできない。物にせよ、考えにせよ、教えにせよ、あなたが持っているものを、他者に与えよう。ただし、それは相手に見返りを求めて与えることではない。取引とは異なる。神社仏閣教会への寄付でも良い。事前団体への寄付でも良い。自らの労働を無償提供することも可能だろうし、教えを他者に語ることも良いだろう。おびえる人の傍に居てあげるのもよい。笑顔で語り、優しい言葉をかけるのも他者への無償の施し。
光が与えれば影ができる。光が強ければ強いほど、濃く深い影ができる。自らの利益を求めず他者に施すものは、あらゆる方向からの光を得て、この深き影から逃れることができる。虚空蔵菩薩は、利益を求めず施しをする者の深く濃い影を照らし出し、影を消滅させる。
すでにあなたは満たされていることを知ろう。欠けていると感じるの、他者に手渡していないからだ。あなたの大切なもので他者へ施しをしよう。そして虚空蔵菩薩に祈りを捧げることで、あなたの影は消えていくだろう。



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金剛索菩薩 6月供養部

金剛索菩薩
[読み]こんごうさくぼさつ
[別名]等引金剛・慈引金剛
[真言]オン バザラハシャ ウン

[特徴]金剛界四摂菩薩の一。金剛界曼荼羅の南門に位地する。大日如来より出で、慈悲心で衆生を仏法に等しく引き入れることを象徴する。

<<メッセージ1>>
慈しみの心をもって、平等に人物事物を招き入れよう。未知なる世界に飛び込み、他者と共に語り、他者と共に行動をするとき。
《解説》
あなた自身は、大いなる命の大慈悲心によってすでに神仏の世界に引き入れられている。あなたは大慈悲心に包まれている。それゆえに、未知なる世界に飛び込んで、慈しみの心をもって、他者と語りと他者と行動を共にしよう。共に語り共に行動することで、自他の区別なく相手もまた大いなる命の大慈悲心に包まれる。

<<メッセージ2>>
すでに縁を得ているにもかかわらず、一歩踏み出すことをためらっていないか?門の前でためらっていないか?思い切って門の中に入ってみよう。
《解説》
門の中に入らねばならないことを知っているのに、門の前でためらう。多くの人がこうした経験をしている。。大いなる命が大慈悲心をもってあなたを中に引き入れようとしている。怖がることはない。すでにあなたは慈しみの心で包まれているのだ。
もう一つあなたには伝えられようとしていることがある。自らが大いなる命の門の中に入るのと同時に、あなた自身が他者を慈しみの心を持って引き入れるときが来ている。未知なるものも既知なるものも、人物も事物も、平等に中に引き入れ、そして自らもためらいを捨て思い切って門の中に入ろう。

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増長天 6月守護部

増長天
[読み]ぞうじょうてん
[別名] 毘廬勒叉善神
[真言]オン ビロダキャヤシャ ジハタエイ ソワカ

[特徴]四天王の一。鳩槃多・毘廬擇などの二十八将の鬼類を眷族とする。般若守護十六善神の一。威徳を増長させることを本誓とし、万物をよく生み出す徳を象徴する。

<<メッセージ1>>
心身ともにエネルギーが増大している。あなた自身を守ると同時に他者をも守る力に満ち満ちている。
《解説》
増長天は南方の守護神である。エネルギーや威徳の増大をも司る。守護尊カードは
あなたがエネルギーに満ち満ちていることを告げている。増長天は鬼神の頭領でもある。あなたの中の鬼神のような力強いエネルギーを昇華しそのエネルギーを自分を守ることはもちろん、他者をも自分のように守ることを求めている。、

<<メッセージ2>>
怒りのエネルギーも、邪な思いも、使い方によっては威徳を増長させる。感情に振り回されることなく、強き思いをよくコントロールせよ。
《解説》
荒々しい感情を押さえつけようとすると、かえってその力で自分自身が振り回されてしまう。その力を押さえつけてはならない。荒々しい感情は大いなる破壊をもたらす。破壊の後に創造があるように、善にも悪にもエネルギーが増大している。破壊をするなら、悪習を破壊しよう。悪癖を破壊しよう。そして新たな習慣づけを行うことで、あなたの中の偉大なエネルギーをコントロールしよう。

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韋駄天 6月天部1

韋駄天
[読み]いだてん
[別名]陰天・私建陀・塞建陀・違陀天
[真言]オン イダテイタ モコテイタ ソワカ

[特徴]増長天の八将の一。伽藍の守護神として尊崇される。シヴァ神(大自在天)の子で、六人の乳母に育てられたために六つの顔を持つ。鬼神の首領。韋駄天の韋は建の誤写とされ、そこから韋駄天という名前が生まれたという。俗説で、捷疾鬼が仏舎利を持って逃げた際に、これに追いつき取り戻したことから足の速い韋駄天走りという言葉が生まれた。経典では塞建陀の名が使われる。

<<メッセージ1>>
韋駄天の足を得た。すべてのものに追いつくことができ、すべてのものが追いつけない。まさにスピードアップのときだ。
《解説》
韋駄天走りは経典に根拠があるものではなく、伝承の中で生まれた言葉。ギリシア神話のヘルメスになぞらえ、足の速い神として尊崇されている。韋駄天を情報の象徴と捉えてもよい。
あなたは走ることを求められている。今、あなたには韋駄天が守っているから安心だ。今またはこれから行うことをスピードアップしても良い時期だ。アクセル全開で、前に進め。

<<メッセージ2>>
情報を手にしているのに放っていないか?素早い足を持っているのに、遅れていないか?止まっていないか?情報を見つめなおし、その足で素早く走るときがきている。
《解説》
どんなにすばらしい情報があっても、それを使わなければそれは情報ではない。情報は英語に直すとintelligennce。つまり知性を意味する。使ってこそ情報だ。その情報を素早く使うときがきている。寝ていたり座っているのならば、立ち上がって情報を使え。とまっていたり、遅れているのならば、素早く行動せよ。素早い動きと情報の活用があなたに求められている。

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鬼子母神 6月天部2

鬼子母神
[読み]きしもじん
[別名]訶利帝母・歓喜母・天母・青色鬼・愛子母
[真言]オン ドントマリギャキテイ ソワカ

[特徴]。
半支迦という夜叉の妻で五百人の子供が居た。鬼子母神は人間の子供を捉えては食べていた。それをとめるべく釈尊は彼女の末娘を隠してしまう。それに怒り狂った鬼子母神だが、一子を思う母の心を釈尊に説法され、子供を返してもらった後は、子供の守護神となり、仏法を守る善神になったという伝説がある。五百人の子供が居ることから、子授けや出産・育児の象徴でもある。人の子を食べることを諦めたために、そのかわりに赤い血のような果汁を出す柘榴を好んで食べるようになった。

<<メッセージ1>>
母親が一子を思うような慈しみの心で、事物を育てよう。
《解説》
母は自分の肉体の一部として子を産み、育てる。その愛情の深さは計り知れない。自分の命よりも、もっともっと大切に思うからだ。この愛情を、自分の子や家族ばかりでなく、他者へも、また居他の生き物へも、そしてありとあらゆる事物へと広げていくとき、大いなる慈母の心となる。
ありとあらゆる事物に対し、自分の子供のように見つめたとき、あなた自身が大いなる命の最大限の愛情の深さを実感する。守護尊カードは語る。その慈母の心を、ありとあらゆるものに向け、あなた自身が最大限の慈母の心を知るとき来ていると。

<<メッセージ2>>

自分の中の悪鬼を探し、そのエネルギーを昇華せよ。子や家族を愛するのは自分ばかりではない。他者もまた同じように、子を愛し家族を愛するものであることを知ろう。
《解説》
鬼子母神は自分の子さえ良ければ好いという考えで、人間の子を食らってきた。その独善的な考えも、実は自分と自分の子の愛しさゆえの蒙昧であった。子供や家族への愛情は人の心を潤すが、一方では他者はどうなってもいいという排他主義の裏面もあることを知らねばならない。釈尊に出会うまでの鬼子母神は、まさに愛ゆえに盲目になった鬼女であった。しかし、自分の子が行方不明になり、半狂乱と成ったときに初めて知る。自分に子を食らわれた親は、今の自分と同じように半狂乱になったに違いないと。そこから彼女は大きく変化し、すべての子供の守護神となり、母親の愛情のシンボルとなっていく。
最初は、自分の子供のみ、家族のみの愛情であってもよい。その愛情をとことん追求することも時には大切だ。しかし、子供や家族を愛するのは自分だけではない。他者もまた同じであることを知るときが来ていると、守護尊カードは語っているのだ。
自分の中の愛に溺れた鬼女の側面を見つめよう。そして、その愛情は実は大慈心と表裏一体であり、他者の気持ちを知り、他者をもその愛情で包もうと決意したとき、あなたの中の鬼女は消え、誰よりも愛情深い慈しみに満ちた存在となるだろう。

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