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2008/02/21

平成二十年二月月例弘法法話

今日は月例弘法大師。
昨日、病院に行き点滴を投与しての状態だったが、
皆の協力でなんとか乗り切った。
そのときの法話をYOUTUBEで掲載します。

法話1「山を動かす 強き意志」

法話2
「目覚め気付いて
 世界をありのままに
 皆と共に生きていこう
 ・・・ 三帰依 ・・・」

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弥勒菩薩 2月仏部

弥勒菩薩 オン マイタレイヤ ソワカ

[特徴]釈尊が成道した後、五十六億七千万年後に地上に現れ成道し弥勒如来となるという菩薩。現在は、釈尊がこの世に現れる前に居た兜率天(とそつてん)で神々に対して説法している。その名のとおり、大慈心を象徴する。未来仏であることから、救世主として信仰される。

<<メッセージ1>>

可愛い赤ちゃんを見つめるときの心が「慈しみ」。慈の心・慈の言葉・慈の表情・慈の行動は他者も自分をも気持ちよくする。
《解説》人間・動物・植物を問わず、無垢な赤ん坊を見つめるとき、自分自身も無垢な心で笑顔がこぼれる。そのときの心が慈心だ。ありとあらゆるものに、その慈しみの心を向けよう。優しい言葉は慈しみの言葉。感謝の言葉も慈しみの言葉。笑顔は慈しみの表情。喜びもまた同じ。他者を楽にさせたりリラックスさせたり、笑わせたり、喜ばせたり、気持ちよくさせる行動もまた慈しみの行動。悲心を抜苦というのに対し、慈心は与楽という。
大いなる命は、すべてのものを慈しんでいる。その大いなる命の慈心こそ大慈心。その慈しみは、太陽の日のごとく、善悪を超えすべてのものに降り注がれている。
密教の修行では、この慈しむ心を自分が敵対している相手やにくいと感じてきた相手に対しても保つことができるように瞑想をする。その瞑想の繰り返しが、大慈心を心身ともに実感し、そしてそれをすべてのものに振り向けていけるようにしてくれる。

<<メッセージ2>>

あなたの愛情とは、愛欲か?慈愛か?あなた自身が大いなる慈愛に包まれている。他者に慈愛を与える者こそが、大いなる命の慈愛を深く感じられる。
《解説》愛という言葉には二面性がある。すべてを育む大いなる意味と、逆に他者を縛り付けてしまう意味と。あなたの語る愛情とはどちらだろうか。愛欲は甘美な香りがし、人を惹きつける魔力がある。恋愛ものはテレビドラマなどで放送しない日はない。映画も、この恋愛が下敷きになっているものがほとんどである。小説や雑誌も同じように、甘美な味のする恋愛物はあとを絶たない。しかし、よく見つめてみると、そこに説かれる恋愛はほとんどが愛欲であり、相手を縛り付けるものが多い。人を愛し、それゆえに苦しむのはまさに愛欲のなせる業。愛欲は人を捕らえ、傷つけ、苦しめる。愛欲は奪う愛であり、見返りを求める。その見返りがない場合には時には個人的な破滅さえ引き起こすことがある。為政者がこの愛欲におぼれると、政治が混乱し多くの人が苦しめられることになる。
一方、慈愛の番組や映画も皆無ではない。慈愛は燃え上がるものではなく、大きく揺れ動き飲み込むような浪ではない。心の奥深くで細やかな波を作り出すのが慈愛だ。それは暖かく、穏やかで、安心できるもの。慈愛は与える愛であり、見返りを求めないもの。
誰もが愛を求めるが、真に求めるのは愛欲ではない。慈愛なのだ。その慈愛を求め、得られないと感じるがゆえに愛欲におぼれていく。しかし、知って欲しい。大いなる命はすべてのものに分け隔てなく慈愛を降り注いでいる。来る日も来る日も、善悪を超え平等に慈愛を降り注いでいる。私たち自身も、他者に慈愛を振り向けたとき、その大いなる命の慈愛を知る。守護尊カードは語る。本物の慈愛を知るときが来ていると。慈愛は奪うものではない。与えるものだ。そしてそれを与える者こそが、大いなる慈愛に自身が包まれているという事実を知り、慈愛を得ることができる。

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十一面観音 2月菩薩部

十一面観音オン マカキャロニカ ソワカ

[特徴]六観音の一。さまざまな姿に変じて、大悲という甘露を注ぎ、煩悩という灼熱地獄から衆生を救う。多くの姿に変ずることを十一の面で表す。十一面のうち前の三面は慈相で楽を与え、左の怒りの三面は悪衆生を観じて悲心で苦を抜き、右の白牙の三面は清き行ないの者を賛嘆し、後ろの笑怒面は大乗の究極の教えを説くことを表し、頂に如来の果徳を乗せる。また、正面の三面は大空の徳を、左の三面は大智の徳を、右の三面は大悲の徳を、最上の如来は慈悲智慧の二徳をも表す。十一面観音に十種の勝利と四の功徳がある。疾病を離れ、如来が摂受し、財物や穀物を獲得し、怨敵に害されることなく、国王が慰問に訪れ、害虫や寒熱の苦しみを受けず、刀や杖で傷つけられず、水に溺れることなく、火に焼かれることなく、若くして死なないという十種の勝利。臨終の際に仏を見、悪趣に生まれず、命数終えるまで死なず、極楽に往生するという四つの功徳がそれである。

<<メッセージ1>>

時・場所・機会を見極める力を得た。物事をしっかりと見つめ、時を逃さず大悲の心で行動へ移そう。
《解説》
良き人も居れば悪しき人も居る。善人も時には間違いを犯し、悪人も仲間には慈悲を施す。時が満ちていなければ物事は成就せず、時が満ちれば自然に物事は導かれていく。色も音も香りも味も触感も合う合わないがあり、その合う合わないも人・時・場所で異なってくる。守護尊カードは、時・場所・機会にあわせて十一面の方便があなたに備わったことを示してくれている。あれこれと考えるのではなく、ありのままに見つめ、行動をすみやかにとろう。

<<メッセージ2>>

無理に何かに合わせていないか?逆に無理やりに何かに合わせさせていないか?自他共に、それぞれの持つ特徴を大切にしよう。
《解説》
どんなに良いものでも、無理に押し付けられたり、逆に押し付けたりすると、受け入れがたいものだ。その人の持つ性格や特徴を見極めよう。自分自身の性格特徴も、同じように見極めよう。また人ばかりでなく、時も、場所も、周りの環境も見極める必要がある。無理に合わせたり、逆に押し付けたりしていないか。無理をしたり、無理をさせたりしないように気をつけよう。無理をせずに、ありのままに物事を見極めたとき、あなたが驚くほどの方便の力を身につけることができる。十一面観音に祈りを捧げれば、その方便は他者を潤し、自らも潤す。

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金剛塗菩薩 2月供養部

金剛塗菩薩 こんごうずぼさつ:オン バザラゲンデイ ギャク

[特徴]不空成就如来が大日如来を塗香で供養するために流出した菩薩。金剛界外四供養菩薩の一。塗香は、身体に塗るお香。身体の香りを清浄にし、清涼な気持ちにさせる。煩悩の灼熱に悶えるものを清涼にすることも意味する。また、塗香は身体に塗るものであるゆえに、身体に保つべき戒をも意味する。戒を身によく保てば、真に安楽な生活をすることができる。その戒は、単なる戒めではなく、厳しすぎず安楽すぎない良き習慣である。この良き習慣を身に着けることを示しているのも金剛塗香の特色である。

<<メッセージ1>>

自らの戒を保つとき。あなたの道に精進するとき。戒も精進も良き習慣づけそのもの。
《解説》
塗香は身体に塗る清涼剤。ただし、過度な香水は塗香ではなく、むしろ他者の鼻につき、清涼ではなく不快な思いをさせる。戒律は良き習慣の担い手であり、心の清涼剤。戒律もあまりにも厳しいと、かえって心身を傷つけてしまう。最初の一歩は少し厳しい戒律で習慣づけることも大切だが、緩めることを忘れてはならない。強く張った弦は緩めることにより、きれいな音を出し、すばらしい弓矢を放つことができる。
またどんな道でも精進していくことで、身についていく。最初は意識付けて精進していかなければ決して身につかない。身に着けるという意味で、塗香はまた精進の象徴でもある。
あなたにあった戒をよく保とう。戒をたもち、あなたの道を精進していくとき。

<<メッセージ2>>

身だしなみを整えよう。マナーを学ぼう。良き習慣を身につけよう。良き身だしなみや良き習慣は、心を清涼にしてくれる。
《解説》
悪しき習慣が身についたものは、その習慣を手放すことを恐れている。さまざまな言い訳をして、悪しき習慣を手放そうとはしない。その悪しき習慣は身体に悪臭を染み付かせていく。そして悪しき習慣は煩悩という熱をますます増進させていく。煩悩という灼熱から逃れるためには、身語心の三つを清涼に保つ必要がある。そのうちの身体の清涼を象徴するものが塗香である。塗香は身体に塗るもの。身体に保つべきもの。身体に保つべきものとしては、見た目は身だしなみであり、動作としてはマナーであり、中身としては良き習慣。これらのものが整ってこそ、身体は清涼になり、その薫香が沁みて心の中も清涼になっていく。あなたに合った身だしなみを見つけよう。色も素材もあなたに合わせた身だしなみを探し出そう。マナーを学ぼう。過度なマナーは鼻につくが、洗練されたマナーは気持ちの良いもの。そして、あなたにとって心の奥底から気持ちの良い良き習慣を探し出し、何度も何度も繰り返して身に着けさせていこう。精進することで、習慣は身についていく。最後には意識することもなく、身足並みは整えられ、マナーを身に着け、良き習慣と共に歩むようになる。あなた自身が清涼になるのとどうじに周りをも清涼な気持ちにさせていく。
悪しき習慣を断って、よき習慣をしっかりと身に着けさせる時期がきている。

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愛染明王 2月守護部

愛染明王 :オン マカラギャ バゾロシュニシャ バゾロサトバ ジャク ウン バン コク

[特徴]高野山金剛峯寺は『金剛峯樓閣一切瑜伽瑜祇經』を典拠とする。愛染明王はこの経典を典拠としている。そのために高野山では、不動明王とともに愛染明王を重要視する。菩提心を愛念し、一切衆生を愛憐し、衆生が菩提を厭うことと一切の煩悩をを打ち滅ぼす明王。阿閦如来の四親近の金剛薩埵・金剛王・金剛愛の三菩薩と同体とされる。愛欲も仏の眼から見ると、大慈悲に連なり、そのまま菩薩の位であることを表す。
三つの眼は法身・般若・解脱の三徳を意味し、仏部・蓮華部・金剛部の三部をも意味し、また薩・王・愛の三菩薩をも意味する。忿怒の相は菩提心に違うことに対する怒りを示す調伏の意味。獅子の冠は障碍を降伏し、獅子のごとく畏れがないことを意味する。赤い色は愛欲の色であり、大悲の色。

<<メッセージ1>>

愛欲は、大きな命との繋がりを求めるもの。愛欲そのものは、本来清浄なもの。愛欲にとらわれることなく、その愛欲の持つ力強さに眼を向けよう。
《解説》
人はなぜ他者に愛欲を求めるのだろうか?それは、自らが大いなる命と繋がっていたことを記憶し、その心地よさを知っているがゆえに、繋がりを求めているからだ。その思いは決して汚れたものではない。大いなる命と繋がるという純粋な心なのだ。その思いは、菩提心と表裏一体である。菩提心の一面として大覚を求める心がある。その大覚を求める心と、大いなる繋がりを求める心と差異は無い。愛欲は、本来力強く堅固な菩提心他者をも魅了し、大いなる道を歩んでいく正道へと連なっている。
守護尊カードはあなたに、愛欲に溺れることなく、その思いの本質を見つめなおすことを薦めている。そこにあるのは、生命力あふれる菩提心の世界だからだ。

<<メッセージ2>>

愛欲も貪る心も、個人レベルから大宇宙レベルにまで引き上げると、覚りの世界に直結する。愛欲も貪る心も無理に消すのではなく、溺れないようにして上手に活用しよう。
《解説》
愛欲は根本煩悩の貪る心の中でも、もっとも強力なもの。その海に溺れてしまうとなかなか抜け出せなくなってしまう。しかし、その愛欲そのものは本来は清浄なもの。それゆえに、人は愛情を大切にし、その愛情ドラマや小説、舞台に魅了されていく。愛欲とは何なのか?愛欲とは、大いなる命との繋がりを熱く熱く求めるもの。それを眼に見える形で、求めていくのが愛欲であり、愛欲そのものは本来は汚れたものでも穢れたものでもない。愛欲があるからこそ子孫が産まれ、愛欲があるからこそ家族ができ、愛欲があるからこそ共同体が作られ、愛欲があるからこそ、世界平和や幸せを願うことができる。
守護尊カードは、愛欲の危険性を知った上で、あなたに上手に愛欲を制御せよと伝えている。その愛欲が制御されたとき、あなたは心の中も、社会的にも平和な世界へと導かれていく。愛欲は、悟りの世界と直結した、本来清浄なものであることを見つめなおそう。

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大自在天 2月天部1

大自在天 :オン エイケイキ マケイシバラヤ ソワカ

[特徴]破壊と創造の神で、インドのシヴァ神のこと。元々は暴風の破壊面を司るルドラ神で、咆哮・暴悪の意味があった。別名の伊舎那天として八方天の一、十二天の一。東北の守護神。伊舎那は自在・主催の意味を有する。南インド中心に現在でも尊崇される代表的な神。子に歓喜天・韋駄天などがいる。魔衆の統率者。仏教では貪瞋痴の三毒をも象徴する。


<<メッセージ1>>


思いのままに、踊れ、踊れ。あなたを縛るものは何もない。踊れ、踊れ。
《解説》
大自在天は、欲界の最頂部である有頂天の主催者。この色究竟天は、大日経や金剛頂経等の密教経典の説会処でもある。大自在天は、その名のごとく自由自在の神である。また別名のシヴァ神は踊りの神。踊りは破壊と創造を表す。
守護尊カードは、今のあなたには縛るものは何もなく自由自在であることを示している。あなたが思うがままに大いに踊ることを薦めている。それは破壊の行動かもしれない。それは創造の行動かもしれない。今のあなたを思い切り表現しよう。

<<メッセージ2>>

大いに踊れ。思いのまま踊ることで古き自分を壊し、新たな自分を呼び起こせ。破壊をすることは、再生への道。
《解説》
今までの自分を破壊するときがきている。今までの自分にこだわっていると、新たな道は見えてこない。今の自分を壊せ。大いに踊って、今までの自分を忘却のかなたへ投げ捨てろ。新たな道は、破壊の後に始めて出来上がる。古き自分を壊して、新たなあなたを呼び起こせ。守護尊カードが望むのは単なる方向転換ではなく破壊だ。今まで守ってきたものを破壊せよ。破壊の後に、創造せよ。新たな創造は、破壊したものを踏まえたうえで、よりよいものへと進化しているはずだ。守破創の破創の時が来ていることを告げていることを知れ。

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烏摩妃 2月天部2

烏摩妃 うまひ  オン ウマジビ ソワカ

[特徴]
大自在天の妃。大自在天シヴァの最初の妻のサティの転生した者とされる。ヒマラヤ山脈の山の神の娘で、ガンジス河の女神のガンガーとは姉妹。パールバティともいう。心穏やかで、最上の美しさを持った女神。最も美しきヒマラヤとも言われ、力の源泉の象徴。インドで最も人気のある女神の一。後に、ドゥルガーやカーリーなどの暴悪な女神と同一視される。金剛頂経では、欲望の権化として夫と共に、降三世明王に調伏されるが、降三世明王によって再生し、その力をもって仏法の守護神となる。

<<メッセージ1>>

何事にも自然の美を求めよ。良き行い、良き結果には美が寄りそう。自然の美を追求せよ。
《解説》
ヒマラヤ山脈の美しさは、荘厳で力強い。はかない一時の美しさではなく、永遠性のある美しさ。その美しさを象徴するのが烏摩妃。何事も突き詰めていくと、そこにあるのは自然の美。虚飾でもなく、不自然でもなく、一時的なものではない自然の美。守護尊カードは、物事の過程にも、物事の結末にも自然の美を忘れないように告げている。

<<メッセージ2>>

頭で考えすぎていないか?心から感じることを大切にすると、驚くほどのパワーやエネルギーにつながる。
《解説》
女性エネルギーは生命の躍動。そこは、理知的な思考ではなく、物事を大きく動かす力の源泉。荒々しい波の奥底に、静かで、しかもエネルギッシュな感情の世界が広がる。その世界に通じるためには、表層的な頭の思考を止めなければならない。守護尊カードは、思考を止めることを促している。思考を停止し、深く微妙な感情の世界と一体化したとき、驚くべきパワーを得ることができる。最も美しきヒマラヤは、最も永続的で力強き美であることを大切にしよう。

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2008/02/18

『孫子』実虚三

進不可迎者 衝其虚也
退不可止者 遠而不可及也
故我欲戦 敵不得不与我戦者 攻其所必救也
我不欲戦 画地而守之
敵不得与我戦者 膠其所之也
(竹簡本)

相手の防禦の弱いところを見抜き
攻撃していないぞと見せかけながらも
その部分を崩していくと自然に相手は崩壊していく。
その逆もまた真で
自分たちの防禦の弱いところが見抜かれると
その部分から防禦は崩壊していく。
どんなチームにも弱点は存在する。
攻撃する側は
相手の弱点を正面から攻撃するのではなく
そこから相手が自滅するように持ち込むことを考えると良い。
逆に防御側は
その弱点を弱点と悟られないように
実は強い面を弱点と思わせるように攻撃させと良い。
相手にわざと攻撃させるのだ。
相手の攻撃が分かりよく防げれば
決して攻撃されてもゴールを奪われることはなく
相手は攻め疲れをする。
相手を攻め疲れをさせることこそ最大の防禦となり
逆にこちらの攻撃ともなる。
攻め疲れをすると防禦も弱くなり
相手を力少なく崩すことが出来る。
ハンドボールでは
防禦は最大の攻撃といわれるゆえんである。

また攻撃の後に、すぐに防禦に戻ることが出来れば
相手は速攻をすることができなくなる。
速やかな戻りは、相手の攻撃の意欲を削ぐ。
この速やかな戻りは
自陣の防禦の弱点さえもカバーする。
数度、この戻りの早さを相手に知らしめ
相手の速攻を防ぐと
相手の攻撃意欲は削がれ
数度に一度戻りを遅くしても
相手は速攻意欲がなくなっている。
緩急自在となり
疲労度も相手より少なくなる。

これは何もチームだけの問題ではない。
個人プレーにも、それは通じる。
攻撃にフェイントはもちろんのこと
防禦のフェイントも重要になってくる。
攻撃のフェイントは、左右上下が有効である。
これは良く使われるものであるが
スピードあるものならば
フェイントはより有効になっていく。
また高さがあるものもフェイントは有効だ。
一方、防禦のフェイントとは
相手に防禦がくると思わせることだ。
実質的なアタックがなくとも
相手にアタックが来ると思わせる方法がある。
これは攻撃側にとっては
来ると一度思い込んでしまうと
たとえ来ると分かっていても
二の足を踏んでしまい
一歩の大切さを忘れてしまう。
一歩の大切さを忘れると
オフェンスはもとよりディフェンスも
消極的になり
本来の力が出なくなる。

がっぷり四つで戦うことも大切だが
相手の力を出させなくすることも重要。
それは個人にもチームにも言えること。
ここをよくよく考え身につけて欲しいものだ。

スポーツをすると体位を最重要とするが故に
この兵法を忘れがちになる。
しかし、もともと小兵法という言葉があるように
武術も元々は兵法を必ず学ばねばならなかった。
特に孫子はいろいろな方向から見る事ができる
基本の書物。
今後も同じ文章が出るかもしれないが
ハンドボールと絡めて
いろいろな角度から見つめていきたい。

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2008/02/11

2008節分のビデオの一部を公開

2008年 節分星祭のビデオの一部を
Youtubeに公開しました。
下記の画像をクリックしても再生できない場合は
以下のアドレスをごらんください。
http://jp.youtube.com/watch?v=2ZqI58g6EkQ

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2008/02/08

オンリーワンの行事が誕生

今年の節分。
昼間に雨が降った。
ぎりぎりまで待ったが、
水蒸気による火傷が心配で
外で行う大護摩火渡りは取りやめ。
そこで急遽、考え出されたことがあった。
これは、W師とN氏のおかげである。

まず、室内で不動三段護摩を焚く。
20080203001 火天に祈り
浪切不動尊に祈る。
諸尊に祈る。

炎が高く立ち上がり
そこに本尊を観想し
我もまた不動尊と観じる。
不動の布字観をなし
その炎の中の不動尊と我と一体であると感じ
まずは自身の煩悩を燃やし尽くす。
2008020300220080203003  そしてその後に、
信者さんに中に入っていただき
護摩札を手渡してもらう。
そこで、立ち上がる炎で
護摩札を直接に焙る。
その最中に不動尊の前に行っていただき
祈りを捧げていただく。
戻ってきたらお札を受け取っていただき
また元の席に戻っていただく。

20080203004  護摩の炉の中の
火の点った護摩木の炭を
得度済みの係りのものと
僧侶であるW師に手渡して
火鉢に移していただく。
20080203005その火鉢を、
本堂の
右手の金剛界曼荼羅の前に五つ
左手の胎蔵曼荼羅の前に三つ
セットしていただく。


次に私が本尊の前に移る。
信者さんに次は真ん中の本堂に入っていただき
お一人お一人に洒水を施し
20080203006 火鉢を跨いでいただいたり
火鉢の間を通っていただく。
そうすることで
両部の曼荼羅の世界に
参入することになる。
途中ですべての観音の元になる聖観音と
すべての観音の行き着いた先の千手観音を
祈っていただく。
また護摩の煙に
身を包んでいただくことで
燻すことにもなる。

五つとは五智。
 東 アシュク 大圓鏡智
 南 宝生 平等性智
 西 阿弥陀 妙観察智
 北 不空成就 成所作智
 中央 大日 法界体性智
三つとは
 仏部  身密
 蓮華部 口密
 金剛部 意密

意味的には不動尊の炎によって煩悩を焼き
右手に持てる智剣によって荒波を切り開き
両部の曼荼羅の世界に入って
ありとあらゆる仏と共に生き
本尊観音菩薩の大悲に包まれていただく。
そして新たな年をより良い年として
迎えていただくように祈るのが
この行事のありかた。
もっと言えば
不動尊と洒水によって目覚めていただき
曼荼羅の世界
観音の大悲の元皆と共に歩むというもの。
この行事の中で
最近、気になり始めていた
三帰依を意味づけさせることができたと思う。

今回の雨はまさに恵みの雨。
おかげで、世界でどこも行われていない行事が
一つ生まれた。
まさにオンリーワンだ。
まだまだ改良点は多々あるし
意味づけももっと深くなっていくことができるだろう。
ここからこれをもっと洗練されたものへと
もって行きたいと思う。

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2008/02/05

目覚めて ありのままに 共に 生きていこう

仏教には三帰依と呼ばれる文章があります。

パーリ語では
ブッダンサラナンガッチャーミ
ダンンマンサラナンガッチャーミ
サンガンサラナンガッチャーミ

日本で使用する漢訳では
自帰依仏
自帰依法
自帰依僧

現代語訳すると
仏(仏陀)に帰依します
法に帰依します
僧侶(僧伽)に帰依します
とされることが多いと思います。

この文章を私の親友のW師は別の表現をしました。

目覚めて生きていこう
世界を生きていこう
人々と共に生きていこう

ショックでした。
というより、
これだ!と私は感じたのです。

W師はインドに足掛け8年生活し
ジャイナ教の古典文献を
世界で初めて英訳して紹介し
プーナ大学よりPh.D博士号を取得した逸材です。
サンスクリットをよく知る人物であるがゆえに
サンスクリットの直訳ではなく意訳をしました。

この意訳はとても深く味わい深いもの。
むしろ釈尊自身は
こうしたことを語っていたのではないかと思えます。

仏教の本来の教えは
 仏(仏陀)に帰依します
 法に帰依します
 僧侶(僧伽)に帰依します
という少々抹香くさい教えではなく
もっと単純に、もっと明瞭に、もっと明るく
 目覚めて生きていこう
 世界を生きていこう(ありのままに生きていこう)
 人々と共に生きていこう
というものだと私も感じています。

弘法大師の言葉に
 古人の跡を求めず
 古人の求むるところを求む
というものがあり、それを思い出しました。

この漢訳・和訳とW師の意訳の違いを
感じていただけますか?

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