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2008/01/10

島津斉彬に観る仏教の心

昨日は『初心者向け般若心経講座』。
ここで話した内容を記す。

NHK大河ドラマで『篤姫』が始まりました。
彼女を養女にするのが、高橋英樹演ずる島津斉彬。
私が最も尊敬する人物の一人です。
彼が居なければ、明治維新はなかったといっても良いほどです。

彼は、誰よりも早く、西洋文明の良い部分に眼を向けていました。
それを学ぶためには経費を惜しまない人でもありました。
しかし、父親の島津斉興は浪費と捉え、
40歳を過ぎるまで斉彬に家督を譲らなかったのです。
その間に斉彬は跡取りとして江戸に居たために
幕閣や諸大名と誼を通じており、
お由羅騒動という父の妾の問題に乗じ
島津家第28代、鹿児島藩第11代藩主となります。
そこから公武合体、富国強兵を進めて行き
列強諸外国に対応する方向を邁進。
途中、自らを批判してきた西郷隆盛を
懐刀として重用する懐の深さ幅の広さを示し、
大久保利通も採用しました。
彼の影響下で、幕閣の改革派も目覚めていき
もちろん西郷や大久保も大きく成長していきます。
斉彬は才能を見込んだ養女の篤姫を13代将軍家定に嫁がせ
次期将軍家を、水戸出身の一橋慶喜にしようとしますが
井伊直弼一派に破れてしまいます。
それを軍備で何とかしようとするのですが
閲兵を行っている段階で倒れ
享年50歳(満49歳)の若さで逝去してしまいました。
明治維新の10年前のことです。

歴史にもしもは禁句ですが
敢えていわば、もし斉彬があと10年長生きしたら
ひょっとすると明治維新も全く異なった形であったかもしれません。
志士たちの非業の死も少なかった可能性があります。
新撰組の悲劇もなかったでしょうし
あのように白虎隊のような悲劇も生まれなかったでしょうし
西郷の城山での悲劇も生まれなかったでしょう。
また明治政府が犯した
廃仏毀釈や新たな支配層という問題も
全く違うものであったと思います。
そうなると大日本帝国そのものが
もっと民主的なものになっていた可能性も否めません。
しかし、歴史は日本が西洋よりも一歩先んじるようなことは許しませんでした。
西郷は大日本帝国のゆがみを感じ取っていました。
だからこそ西南戦争を起こさざるを得なかったのです。
それは誰よりも斉彬の近くに居り
彼の薫陶を受けていたがゆえのことだったように思います。
しかし、大久保は西郷と別の道を歩んでいきました。

もしも斉彬がもう10年長生きしたらとい考えると
私はどうしても明治維新のひずみに着目してしまいます。
明治維新は全てが良かったわけではありません。
そのひずみはやはり深く反省材料になるような気がします。
一方、斉彬によって心の灯火をつけて行った
熱き志士たちの心はやはり評価に値するものと思います。

仏教は中道の教え。
それは極端から極端に振れるものではなく
何者にもとらわれない心で進んでいく道を示した教えです。
私は斉彬の人生の中に、仏教のあり方を見出しました。
日蓮宗の大石寺の大檀越だったそうですが
その影響はどこまでか分かりません。
彼は倒幕ではなく、公武合体を目指し
才ある自分の養女を幕府に嫁がせ
新たな時代を切り開こうとしていました。
そのありかたはやはり仏教的なもののように感じます。
残念ながら時代は過激なものを選び
結果的には弊害の方が多く残ってしまいました。
むしろ振り子のように、大きく改革に触れた後は
非常に保守的な方向に振れてしまったともいえます。
だからこそ、明治維新を金科玉条の如く評価する人と
江戸時代のエコロジーな安定したあり方のほうを評価する人と
両極端に別れがち。
しかし、本当に評価されるべきなのは別なところにあると
私は確信しています。

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