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2008/01/22

平成二十年初弘法法話 ハンドボール

初弘法の法話。タイトルはハンドボール。
その内容を以下に記します。

*****************

明けましておめでとうございます。
平成二十年戊子年最初の弘法大師です。

最近、世間を騒がしているハンドボール。
中東のクウェートがオイルマネーという経済力で
実質的に支配しているアジアハンドボール連盟の
不可解な行動に対して
世界アジア連盟がオリンピック予選のやり直しを命じました。

こんなおり、寺子屋の生徒の影響で
私もハンドボールに復帰。
といいましても高校レヴェルでは体力的についていかないので
中学校なのですが
練習に立ち会うようになりました。
なんでハンドボールなのか。
今でこそメタボですが(笑)
中学高校と学生時代は結構いい体型だったんですよ。
ゴールキーパーをしていました。
毎日毎日部活に熱を上げて日々を送った一人です。
そんな縁でハンドボールなんです。

中学校時代は愛知県でとても強いチームでした。
なぜか負けないチームだったんです。
県でも指折りでした。
ところが魔がさしたというのでしょうか
大勝するはずの相手に
大差を途中で詰められ
最後の最後に逆転されてしまったんです。
考えられない負け方でした。

その負けが、この30年の間、
悪夢となってうなされていたんです。
夜中に寝汗をびっしりとかいてきました。
ところが最近は全く夢を見ないんです。
あ、これかぁと感じました。

私がなぜ中学校で負けなければならなかったのか。
「それは今の中学生たちに油断大敵を身をもって伝えるため。」

高校時代は初心者ばかりのチームを
率いねばならなかったのはなぜか?
そしてなぜ小学校時代の交通事故の後遺症が出たのか?
「それはコーチとしての技量を身につけるため。」

そして今の時期になぜか?
「ご両親と年代がほぼ同じであり
 しかも熱を入れるに足りうる中学生たちが
 目の前に現れたということ」

ハンドボールは個人プレーも大切ですし
組織プレーも大切な競技。
どちらか一方だけでは成立しません。
まさに人生の縮図みたいなところがあり
未来を担う子供たちに
大切なことがたくさん伝えることができるスポーツ。

幸い、学校の先生もコーチも技術的に高い方々なので
私はメンタル面を引き受けることになりました。
ここはまさに坊さんの仕事。
実際に、男女ともにミーティングをしてみると
どちらもちょっとしたことで大きく成長してくれました。
面白いくらいに吸収していきます。
おそらくこの内容はハンドボールだけではなく
ありとあらゆる場合に応用できることでしょう。

これで理解していただいたと思いますが
私が行いたいことは
ハンドボールの技術を高めてもらうことではなく
一人の人間として
学ぶべきことを学び
考えることを考え
自立していく人間作りなんです。
そのために私が控えています。

さて皆さんはいかがですか?
子供の頃に遣り残したことはありませんか?
そこにはこれからの人生で
とても大きなヒントが隠されています。
過去に戻るのではなく
その過去を無駄にせず未来に生きるために
大いに過去を応用していく
これが私たちには大切なことだと思います。

このタイミングでハンドボールに再会できたことは
私にとって
心の底より嬉しいことです。
同年代のお父さんお母さんたちの
思いを感じ
その思いに動かされたのも事実です。
そして何よりも
才能ある子供たちが
自分の才能を最大限に高めていってもらうこと
これが私の喜びです。

師匠の管長猊下がおっしゃっておられるように
これからの僧侶は
宗旨宗派を超えて
環境・福祉・教育のいずれかに携わっていかねばならない
ということばを実行しているとも言えます。

これでなぜハンドボールをしているのか
お分かりいただけたと思います。

まぁ和尚のことだから、
こんな偶然の一致のように
いろんなことが起きるんだろうって
思われるかもしれませんが
これは私が偶然の一致を必然と信じているからだけのこと。
私自身が磁石となって
引き寄せているんだと思います。
これは誰でもできること。

平成二十年は戊子年。
戊も子もどちらも繁茂するという意味があり
逆に言うと、伸ばすところは伸ばして
余分な枝葉を切る年でもあります。
私にとってハンドボールは伸ばすべき枝でした。
そしてこのスポーツに出会い
地域密着の活動をすることによって
つまらない余分な時間を切り詰めるようになり
枝葉を切り落とすことができるようになって来ました。

みなさんにとっても
大いなる枝をしっかりと伸ばし
余分な枝葉を切り取るような一年であることを祈ります。
そのヒントが子供のころのやり残し。

どうか守護尊メッセージなどを利用して
自分自身の枝葉をきれいに剪定してみてください。

それと同時に、今しばらくハンドボールに
強烈に熱を上げていく私を
温かく見守っていただければと存じます。

今年もどうかよろしくお願いします。
ありがとうございました。

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2008/01/21

弁才天 1月天部2

弁才天 オン ソラソバテイエイ ソワカ

[特徴]
神話の河サラスヴァティが神格化した女神。水と関連することが多く、龍・蛇との関連も多い。川の流れから発する音から、音楽の神とされ、音楽から芸術の神としても尊崇される。また川の発する美音から、弁舌・言語の神といわれ、学問の神ともされる。弁舌は福財をもたらすということから、財福の神ともいわれ、弁財天と記されるようになった。梵天の妃。七福神の一。

<<メッセージ1>>
自然の姿に目を向け耳を傾けよ。そこには芸術があり、学びがある。自然との繋がりに意識を注ぐとき。そこから得るものこそ、大いに富める財となり大いなる学となる。
《解説》
人が作った芸術は、ほとんどが自然を下敷きにしたもの。自然の色形や、音、香り、味、肌触りが、人の心に雄たけびを上げさせ、それが芸術として結実していく。優れた芸術作品は、それにふれると自然に包み込まれた感覚を覚えるのはそのためだ。芸術の原点は大自然にある。その原点を見つめ、耳を凝らし、鼻で息をし、味わい、大地や植物に触れてみる。芸術品を通した感覚より、一層ダイレクトな自然とのつながりを感じるだろう。大自然には様々なヒントが刻み込まれている。守護尊カードは、あなたにそのメッセージを読み込むときが来ていることを示してくれている。大自然の中で、目を開けよう。耳を澄まそう。鼻に意識を向けよう。微妙な味わいを感じよう。直接触れてみよう。そこに書き込まれた大いなるメッセージとは何かを、しっかりと探し出し、あなたの糧としよう。

<<メッセージ2>>
眼にも、耳にも、鼻にも、舌にも、身体にも芸術を触れさせよう。五感の一つ一つに意識を向けると、新たな世界が広がっていく。
《解説》
美術館に行って絵画や彫刻の本物を見つめてみる。耳栓をしたりして全ての感覚を閉じ、色形だけに集中する。コンサートに行き、本物の音楽を聴く。眼を閉じ音だけに集中する。伽羅や沈香または花などの純粋な香りを嗅ぐ。眼を閉じ耳栓をし、香りに集中する。本当に美味しく、微妙な舌触りと味のする食事を取る。眼を閉じ、耳栓をし、ただただ味に集中する。お茶会などで優れたお茶碗に触れてみる。眼を閉じて、ただただその肌触りに意識を傾ける。このようにして、五感の一つ一つに集中して、自分の五感を確かめる。そこには、対象のものと一体感がある。守護尊カードは、五感の
何か辛いことや悲しいことがあったときこそ、五感の一つにに意識を傾けるとよい。そこに広がる世界はあなたを大きな世界に導き、癒してくれるだろう。

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梵天 1月天部1

梵天 オン ボラカンマネイ ソワカ

[特徴]
十二天の一で上方の守護神。インドのブラフマー。宇宙創造の神。宇宙の根本原理・大宇宙の象徴。釈尊が菩提樹下で成道され、そこに安住されていたのに対し、説法をするように勧めた神。創造主であるために一切衆生の王といわれる。淫欲の心無く、理性的であり、仏教を護持するので清浄とも呼ばれる。仏法守護、鎮護国家、済世利民の天として帝釈天と対をなす。古代インドでは、維持のビシュヌ、破壊のシヴァと共に創造の神として尊崇されていた。

<<メッセージ1>>
大宇宙と小宇宙(個人の心身)は、根本的には同じものであると知る者は至極の幸福者。
《解説》
梵天が、なぜ説法をためらった釈尊に法を伝えていくことを勧めたのかを観じてみよう。その梵天とは単なるインドの神話の創造神ではない。
大宇宙も命であり、その根本原理は小宇宙である個人の心身と変わりがない。物理学の世界も、天体物理学を追うと量子力学に行き着き、量子力学を追うと天体物理学に行き着く。限りなき近似値を追い求める自然科学でもそうであるように、真理の世界でも大宇宙と小宇宙の合一が求められる。それを体感したものは至極の幸福者といわれる。守護尊カードは、あなたに梵我一如の実覚をするときが来ていることを告げている。

<<メッセージ2>>
小さな自分にこだわっていないか?自分の枠を外そう。宇宙を見上げ、その広大な世界に自分を解き放て。
《解説》
その身体をあなただと思っていないか?あなたはそんな小さな存在なのか?あなたは自分で自分の枠を決め、それを自分自身だと勘違いしていないか?。守護尊カードは、宇宙を見つめることで、あなたの枠を取り外し、より大きな世界にあなた自身を解放するときが来ていると告げている。

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金剛夜叉明王 1月守護部

金剛夜叉明王 オン バザラヤキシャ ウン 

[特徴]
不空成就如来または金剛牙菩薩(摧一切魔菩薩)・虚空庫菩薩の所変で、北方を守護ずる明王。一切の魔を摧破し、一切の悪・煩悩を噛み砕いて飲み込んでしまう。また悟りの道に応じないものや、悟りを邪魔するものを、調伏する。五大明王の一。烏樞瑟摩明王(うすさまみょうおう)と本誓が同じなので、同体とする説もある。天台宗では、烏樞瑟摩明王を金剛夜叉明王の代わりに五大明王とする。

<<メッセージ1>>
下座行を行い、周囲の汚れを落とそう。その下座行こそが、あなたの内なる魔障を摧破する。
《解説》
掃除などの下座行は、周囲環境を浄化していく。周囲環境はあなた自身の心の顕れ。その周囲環境を浄化することで、あなた自身の心身も浄化されていく。掃除はたんなる掃除にあらず。あなたの中の煩悩を摧破する大切な行であることを知ろう。

<<メッセージ2>>
叱られることは、煩悩の摧破であり、心の浄化に繋がる。何への怒りなのかを見つめれば、怒りもまた大切なもの。
《解説》
人を叱る場合には、慈悲が必要。叱る際は烈火のごとく叱らねばならないが、それは人に対してではなくその人のもつ煩悩に怒りを向けることが大切。そうすれば、叱った後に、即座に叱った相手の良い点を褒めることもでき、その人のやる気を削ぐことなく、よりやる気を増進させる。
また逆に、あなたが叱られた場合は、あなたが責められたのではなく、あなたの中の煩悩を噛み砕いてくれていると捉えよう。その瞬間に、あなたが背負ってきた悪業が消え去り、より浄化されているのだ。
精進を邪魔するのは怠惰という魔。その魔を砕くには、怒りは重要。あなた自身に怒りを向けるのではなく、あなたの中の煩悩に怒りを向けよう。あなたがあなた自身を叱ることにより、あなたのなかの煩悩が摧破され、心が浄化されていく。

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金剛舞菩薩 1月供養部

金剛舞菩薩 オン バザラニリテイ キリタ

[特徴]
大日如来が事業活動を司る北方不空成就如来を供養するために流出した供養の菩薩。舞は妙なる動きであり、活動を意味する。その活動は精進することに繋がっている。また舞は六神通(神足通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通)をも象徴する。

<<メッセージ1>>
今こそ実行のとき。物事が障りなくうまく行くとき。舞のように楽しみながら行動をしよう。
《解説》
ものごとがうまくいく活動には、舞のような美しさがある。守護尊カードは、舞のように美しい行動をあなたに促している。すでにその力を得ているということだ。舞の美しさには障りはない。同じようにあなたの行動に、障りはない状態になった。体を動かそう。心の奥底からの楽しみを感じるように体を動かそう。今こそ行動のとき。

<<メッセージ2>>
まずはあなたの型を極めよう。その型を抜け出るとき、あなたは自由自在に動く者となる。
《解説》
ダンスを踊るにしても、武道をするにしても、演技をするにしても、芸事をするにしても、技術ごとをするにしても、何事をするにしても、活動の全ては型から始まる。先人たちが工夫に工夫を重ねてきて生まれた型。その型が出来上がったのには理由があるはずだ。型を修めたものが、その型を破り自由自在の境地を得られる。相撲も型のあるものが強い。剣術も柔術も、華道も茶道も流派がある。演技の世界も踊りの世界も、密教の作法にも流派がある。そこには先人の知恵が凝縮されている。どんな道も、どんな活動も自分の型を持ったものが強い。しかし、その型にこだわりすぎてはならない。他者の型をむやみに批判してはならない。人にはそれぞれの個性があり、型といっても、それはその型は、その型を作った人に合ったものだからだ。人それぞれの型がある。一度は先人の型を真似、身に修め、その後はその型を一度は捨て去る必要がある。型を捨ててもその影響力は、確実にあなたの中に残っている。その捨て去り、先人の型を破ったところで、あなたなりの型が生まれてくる。あなたにはあなたの型がある。その型を見つけ出し、工夫に工夫を重ね、あなたなりの型を作ることが必要だろう。
精進するとは、むやみやたらに続け努力することではない。工夫に工夫を重ねた努力継続こそが精進であり、型を修めることだ。その型には、舞を舞うような美しさが伴う。美しき動きには、強さもしなやかさも伴う。自由自在の舞のような動きになるまで、工夫に工夫を重ねて型を身に修めよう。守護尊カードは、あなたに、型を守り、その型を破り、あなたなりの型を作り出すことを求めている。

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准胝観音 1月菩薩部

准胝観音 オン シャレイソレイソンデイ ソワカ

[特徴]
六観音の一。功徳無量の陀羅尼を尊格化した現れたもの。過去無量の諸仏の母。未来の福徳薄い衆生を憐憫し、菩提心を生じさせる大悲を有す。得度のときの本尊。その救いは、在家出家を問わず、善人悪人を問わず、浄穢を問わないという。七倶胝というのは七千万という意味で、多数を表す。この尊の陀羅尼を唱えることにより、無量の功徳を得られるという。

<<メッセージ1>>
過去の自分を洗い流し、今、第一歩を踏み出そう。未来は大きく開けている。
《解説》
准胝観音は得度のときのご本尊。過去の生き方を変え、新たな道を踏み出すときにお祈りをするのに最適である。過去の無量の功徳を生み出す元を象徴している。あなたの過去はその功徳で洗い流され、新たな一歩を踏み出すことができる。畏れず、思い切って歩み始めよう。未来は大きく開かれている。

<<メッセージ2>>
あなたが今までどのように生きてこようと未来を憂うことはない。
《解説》
准胝観音は、過去諸仏の徳目の母であり、未来の福徳薄い衆生を大悲をもって救う観音である。いままであなたがどのように生きてきたからといって悩み苦しむことはない。准胝観音は在家出家を問わず、善人悪人を問わず、福徳の薄い厚いを問わず、救いの手を差し伸べるからである。あなたは今このときに救われたのだ。過去に生きるのではなく、准胝観音に祈りを捧げ、今を生きよう。今を生きれば、あなたの未来は開けていく。

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釈迦如来 1月仏部

釈迦如来 ノウマク サーマンダーボダナン バク

[特徴]
仏教の創始者である釈尊は紀元前5世紀ごろ釈迦族に生まれた聖者という意味。一般にお釈迦様というが、釈迦とは一族の名前であり、お釈迦様は釈尊の正式な名前ではない。出家前の名前はシッダールタ(Siddhārtha)。漢訳すると成就義。
歴史上の釈尊は、受用身である釈迦如来が、変化身として現象世界のこの世のカピラ城に生身で現れたと密教では解釈する。さらに大乗仏教経典で説法している釈尊は歴史上の釈尊ではなく、受用身の釈尊が変化身として各会処に現れて教えを説いたもの。歴史上の釈尊は五十年間よく説法をしてインド各地を遊行しので、釈迦如来は大日如来の説法の徳を司る。また釈尊は、よい習慣を身に着けさせ、成仏への道を滞りないように出家者在俗者共にそれぞれの戒を受けることを定めた。

<<メッセージ1>>
自らに律する戒を持とう。戒とは 安逸にならず 厳し過ぎず、無理のない良い習慣を身につけること。良い習慣は、真の楽な生き方に導いてくれる。
《解説》
仏教徒であるためには戒を授かったほうが良い。本来は自分自身で決め事をする戒がもっとも大切なことであるが、師より戒を授かることにより、修行者として心を引き締められる。師より戒を授かることは重要である。戒というと、厳しいイメージがあるが、仏教の戒は厳しすぎず安逸すぎないことを保つものだ。厳しすぎる行為は自らの肉体を痛め、それと共にかたくなな精神を養ってしまう。また安逸な生活は、自堕落となり、真の教えを受け入れる器をせばめてしまう。弓や弦は張りすぎず、緩めすぎず。しかし、放っておくと徐々に緩んでいく。まさに適度に保たねばならない。それと同じように、良き習慣を身につけ、安逸に流れてしまわないようにすることが戒を保つことである。

<<メッセージ2>>
悪しき習慣を取り除こう。安逸すぎず、厳しすぎず、無理のない良い習慣が、悪しき習慣より身を守ってくれる。
《解説》
悪しき習慣は、身語心の三つを傷つけていく。その悪しき習慣より身を守るのが、良き習慣だ。良き習慣は、真に楽な生き方を与えてくれる。密教には、その一つの例として十善戒がある。殺さない、盗まない、淫らなことをしない、嘘をつかない、飾りすぎた言葉を言わない、悪口を言わない、二枚舌を使わない、貪らない、怒らない、間違った見方をしない。それをもっと積極的に進めると、自他共に命を活かす、布施をする、生活を律する、正直でいる、正確な言葉を言う、他者を褒め称える、筋の通った話をどこでもする、執着せず手放すものは手放す、笑顔・優しい言葉・穏やかな心を保つ、正しい教えを積極的に学び身に着けることである。悪しき習慣を絶つ決意をしたら、釈迦如来に祈りを捧げ、良き習慣を身にまとい、まずその一つを実践しよう。守護尊カードは、悪しき習慣を絶つ決意をし、仏の教えに参入し、自ら戒を保ち、中道の道を歩むことを伝えている。

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2008/01/10

島津斉彬に観る仏教の心

昨日は『初心者向け般若心経講座』。
ここで話した内容を記す。

NHK大河ドラマで『篤姫』が始まりました。
彼女を養女にするのが、高橋英樹演ずる島津斉彬。
私が最も尊敬する人物の一人です。
彼が居なければ、明治維新はなかったといっても良いほどです。

彼は、誰よりも早く、西洋文明の良い部分に眼を向けていました。
それを学ぶためには経費を惜しまない人でもありました。
しかし、父親の島津斉興は浪費と捉え、
40歳を過ぎるまで斉彬に家督を譲らなかったのです。
その間に斉彬は跡取りとして江戸に居たために
幕閣や諸大名と誼を通じており、
お由羅騒動という父の妾の問題に乗じ
島津家第28代、鹿児島藩第11代藩主となります。
そこから公武合体、富国強兵を進めて行き
列強諸外国に対応する方向を邁進。
途中、自らを批判してきた西郷隆盛を
懐刀として重用する懐の深さ幅の広さを示し、
大久保利通も採用しました。
彼の影響下で、幕閣の改革派も目覚めていき
もちろん西郷や大久保も大きく成長していきます。
斉彬は才能を見込んだ養女の篤姫を13代将軍家定に嫁がせ
次期将軍家を、水戸出身の一橋慶喜にしようとしますが
井伊直弼一派に破れてしまいます。
それを軍備で何とかしようとするのですが
閲兵を行っている段階で倒れ
享年50歳(満49歳)の若さで逝去してしまいました。
明治維新の10年前のことです。

歴史にもしもは禁句ですが
敢えていわば、もし斉彬があと10年長生きしたら
ひょっとすると明治維新も全く異なった形であったかもしれません。
志士たちの非業の死も少なかった可能性があります。
新撰組の悲劇もなかったでしょうし
あのように白虎隊のような悲劇も生まれなかったでしょうし
西郷の城山での悲劇も生まれなかったでしょう。
また明治政府が犯した
廃仏毀釈や新たな支配層という問題も
全く違うものであったと思います。
そうなると大日本帝国そのものが
もっと民主的なものになっていた可能性も否めません。
しかし、歴史は日本が西洋よりも一歩先んじるようなことは許しませんでした。
西郷は大日本帝国のゆがみを感じ取っていました。
だからこそ西南戦争を起こさざるを得なかったのです。
それは誰よりも斉彬の近くに居り
彼の薫陶を受けていたがゆえのことだったように思います。
しかし、大久保は西郷と別の道を歩んでいきました。

もしも斉彬がもう10年長生きしたらとい考えると
私はどうしても明治維新のひずみに着目してしまいます。
明治維新は全てが良かったわけではありません。
そのひずみはやはり深く反省材料になるような気がします。
一方、斉彬によって心の灯火をつけて行った
熱き志士たちの心はやはり評価に値するものと思います。

仏教は中道の教え。
それは極端から極端に振れるものではなく
何者にもとらわれない心で進んでいく道を示した教えです。
私は斉彬の人生の中に、仏教のあり方を見出しました。
日蓮宗の大石寺の大檀越だったそうですが
その影響はどこまでか分かりません。
彼は倒幕ではなく、公武合体を目指し
才ある自分の養女を幕府に嫁がせ
新たな時代を切り開こうとしていました。
そのありかたはやはり仏教的なもののように感じます。
残念ながら時代は過激なものを選び
結果的には弊害の方が多く残ってしまいました。
むしろ振り子のように、大きく改革に触れた後は
非常に保守的な方向に振れてしまったともいえます。
だからこそ、明治維新を金科玉条の如く評価する人と
江戸時代のエコロジーな安定したあり方のほうを評価する人と
両極端に別れがち。
しかし、本当に評価されるべきなのは別なところにあると
私は確信しています。

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2008/01/02

2008年戊子年新春法話

母方に大叔母が居る。
彼女は私の第二の母とも言うべき存在。
独り暮らしをしているので、毎月通っていて、
大晦日にも必ず顔を出している。
お買い物やお話し、お食事を共にするのが常だが
今年は庭の樹木の剪定を行った。
恥ずかしい話だが、私は剪定などしたことがない。
私の父は庭弄りが好きで、剪定をよくするが
時には木を丸坊主に近くしてしまうので
剪定に対して少々偏見を持っていた。
そして、今回の剪定を行い
伸びすぎてしまった枝葉が良くないことをある程度実体感し
枝葉を切ることの大切さを知る。

今年の年初法話を考えるために、干支を調べ始めた。

2008年平成二十年は戊(つちのえ)子(ね)年。
この戊は草木が繁茂する姿を現し、
茂の草冠を除いた文字で、それをあらわしている。
子は孳の下の部分を取り出した文字。
孳とは生む。増やす。増える。
の意味を持つ。
戊も子も共に増えていくことを表す文字で
大いに繁盛していくという意味もあれば
いわゆる行きすぎた繁茂も意味することもある。
草木が繁茂することは大変素晴らしいことだが
時にはそれが行き過ぎると、逆に影を作り
さまざまな悪弊が生じてくる。
人間の手で植わったものは、ある程度繁茂したら、
剪定をしていく必要がある。
戊子の年は、何事も行き過ぎた部分を修正して行き
伸びすぎた枝葉を落とす年でもある。
戊には斧型の刃が付いた矛を意味する言葉でもあり
まさに繁茂しすぎた部分を剪定することも意味している。

放っておいても繁茂していく年だからこそ
自分自身のこと、
自分の周囲のこと
社会のことなど
行き過ぎた部分にメスを入れていくことこそ
この戊子年には大切なことと言える。

高家寺の本堂の左方には不動尊が
右方には弘法大師が祀られており
毎月28日に不動尊、21日に弘法大師の
月例行事を行っている。
般若心経秘鍵弘法大師は文殊菩薩の智剣を握っている。
不動尊も般若利剣を右手に執っている。
この般若の利剣こそが、この行き過ぎた世の枝葉を落とす剣。
不動尊と秘鍵大師を祀るおてらだからこそ
今年はしっかりと祈りを捧げて行きたい。

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2008/01/01

2008年戊子年新春法話 YouTube

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

戊子年 その意味を解き明かす
新春法話をYouTubeで挑戦してみました。

以下の画像をクリックして動かない場合は
前半: http://jp.youtube.com/watch?v=SzNpM-Hpy5E
後半: http://jp.youtube.com/watch?v=gP5eMjycvB8
をクリックしてみてください。YouTubeの画面が開いて、見ることができます。


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