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2006/10/22

2006年10月21日 月例弘法大師での法話の概要

2006年10月21日

(1)御神籤で引いていただいた番号にあわせて守護尊カードを授与。今回は吉祥天が誰にも渡らなかった。美の神は今回は誰にも降臨しなかったようだ。また面白いことに夫婦同じカードになることが多かった。

以下法話の概要
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(2)高野山の勧学会三年目を無事に終了。皆様が支えてくださったおかげです。改めて御礼申し上げます。
28日の最終日に大伽藍の御影堂の内々陣にある巻物の過去帳に、金剛峯寺上段の間で記名させていただきました。平成18年 高家寺 大法師宥智 花押 尾張産。
高家寺370年の歴史で初めて記名をさせていただけたことは望外の喜びです。これで信者のお一人お一人が高家寺を通して、高野山の御影堂にご縁ができたわけです。今後高野山に上られたら必ずおまいりしてください。高家寺と記名できたことは私一人のことではなく、皆さんと共にと言う意味が深くこめられています。

(3)11月15日に高野山金剛峯寺で師匠の入山式が執り行われます。来年の四月の晋山式は多くの役職者が参加されますが、入山式は内々のものであり、弟子であり住職をしていると言うことで師匠よりお声を掛けていただきました。これも皆さんを代表していくわけですから、高野山真言宗の管長様に私一人を挟んで縁があるということを心に刻んでおいてください。

(4)今後も、それらの栄誉に見合った僧侶となるように精進していきますので、皆様もご協力よろしくお願いしたい。

(5)苛め問題 この近くの桜ヶ丘中学校にもあるようです。学校側はなかなか把握していないのが現状。
苛めは学校だけでなく自分も体験してきました。複数のお寺さんからされたこともありますし、会社でもそうでした。しかし振り返ってみると虐めかどうかは今は分かりません。それがあったから今の自分が居るわけですし、相手には相手の理屈があるのでしょうから、一概に苛めであったとは言えないのです。しかし、当時の私は虐めと明らかに思っていました。
その頃の私も弱かったです。そして今の学校の先生も親も弱くなってきているようです。
柔道やプロレスでは最初に受身を教えます。受身とは負け方を教え、負けても折れない心身を作っていくというもの。これを教えていくことが本来の教育なのではないでしょうか?これは学校でも家庭でも同じことです。
少し関係ない話をします。戦後、日本の山林は杉林ばかりになってきました。杉はまっすぐ伸びて、一見とても格好いいし、様々な分野でお金に換算される道具。しかし、風に折れやすいのも事実。まっすぐ剛毅に立つと折れやすくなります。
一方、最近少なくなってきた柳の木。かつての日本ではあちこちに見られた霊木です。この柳は風に揺られても決して折れることのない、しなやかさを持っています。一見ひ弱ですが受け流すことを体としているのです。
私達に求められるのは、杉のような生き方ばかりで柳のような生き方はあまり望まれない傾向が出てきました。しかし、本当は柳のように折れない心こそが大切なような気がします。
樹木だけでなく、苛められても折れない心作りが重要、ここに教育の重要性があるのではないかと感じています。

(6)ここからが仏教的なお話です。苦しみや悲しみ、四苦八苦と言う言葉があるように、この世は苦に満ちています。
自分の生まれる前の過去から背負ってきた悪業。そして今生での悪業の結果として、そうした苦が生じます。
この苦しみに対する思いによって道が二つに分かれていくことを意識されているでしょうか。
一つは自分にとって都合の悪いことに文句を言い、嘆き悲しみ、不平不満や愚痴を言う道。その文句や嘆き、不平不満や愚痴が新たな悪業となってさらに多くの悪業を作って行きます。まさに核分裂のようなもの。悪循環を迎えていきます。
一方、もう一つの道はこの都合の悪いことが起きたら、自分の悪業が消える瞬間だと思い、大いなる命に感謝することです。そうすると過去の悪業は悪業でなくなり、その人にとってとても大切なものになって行きます。すると新たな悪の結果が生まれなくなっていきます。そうすると過去の悪業は悪業でなくなり、自分を深めるよき因縁に変化していきます。
つまり全て自分次第ということ。先ほどの話と連動しますが、線香が燃え続くように、精進し繰り返し繰り返し、感謝の道を歩むことを実践していくことで、新たな悪業を積むことはなくなっていくように思えます。
その方法論の一つとして、懺悔があります。高野山でも懺悔があります。お不動様も懺悔を数えて望を施すと言われるように、自分の過去からの悪業を懺悔し、それらを大いなる命(仏)に預けてしまい、悪業から解放されることが大切だと思います。

(7)今後、28日の不動尊の護摩では、一つの懺悔を心中でしていただき、一つの願いを込めて祈っていただく、一懺悔一願祈祷を実践して行こうと思います。懺悔で抜苦し、一願で与楽する。それを今後の護摩に生かして行こうと思います。

もう一度繰り返します。柳のようなしなやかな生き方、受身の取り方、苦に出会ったときの心のおき方、一懺悔一願、このことを今日はお持ち帰りください。
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上記が、平成十八年十月二十一日の法話の概要です。

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2006/10/17

不動尊への祈り

不動尊の護摩供養。ここでの祈りの仕方に対する質問がありました。そこで、今回はその方法を記そうと思います。

<心構え>

不動尊は、懺悔を数えて、望を施す仏様です。ですから、まず一つの懺悔を心からお不動様にしてください。そして、その懺悔を思い切りしたの後に、お不動様に心のそこより願う一つの願いをしてください。

手に余分なものを持っていては次なるものを得ることはできません。懺悔により余分なものは仏様に任せてしまい、自分が本当に必要とするものを得て欲しいと思います。

<作法>

丁寧に背筋を伸ばして座り、合掌をします。太鼓がなっている最中に、体中の気が外に出る感覚で、息をゆっくりゆっくり吐き、自然に息を吸います。その際に、最高に美しい気の流れが身体の中に入ってくるとイメージしてください。

最初に懺悔文をお唱えします。そして般若心経。お唱えしている最中は、何も考えずに美しい音の響きが身体から出ているとイメージしてください。

お経が終わりましたら、心の中にお不動様のお姿をイメージし、心の中で一つ懺悔をしてください。特に自分が一番心の中に引っかかっているものを懺悔すると効果が高いようです。そして、お護摩の炎が燃え上がり始めたら、懺悔の業が炎によって燃やされ、願い事が適うとイメージするのです。

あまりにも単純ですが、特別な作法はなく、心で懺悔を唱え、一つの願いに集中する、これがお不動様に祈りを捧げる方法です。するとびっくりするくらい、祈りが適えられていきます。

ノウマク サーマンダー バーザラダン センダー マーカロシャーダー ソハタヤ ウン タラター カン マン

慈救咒をおとなえしながら、祈りを捧げると、その効果はもっと高まりますので、ぜひこの真言は覚えてください。

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