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2006/09/07

現象も真理の一部 この世と来世は一つ

真言密教には「即事而真(そくじにしん)」という言葉がある。事とは現象。真とは真理。つまり現象は真理に他ならないとする考え方である。いや考え方というより、体感できることと言ったほうが良いかもしれない。一般的に頭で考える宗教では真理を聖なるもの、現象を俗なるものと表す。そこには大きな断絶がある。そこから俗を厭い、現象世界を嫌ってしまう。しかし真言密教は逆転させる。真理の世界が絶対世界ならば、現象世界はその一部であり、現象世界も真理の世界と離れているものではないとするのだ。弘法大師はそれを「乾坤は経籍の箱」といい、この現象世界の大宇宙も経典が示された器であるとしている。これはとても大切なことだ。現象世界を真理とかけ離すのならば、この世は不毛となり厭世観のみの世界になってしまう。来世を求める。しかしこの考え方は、来世においても来世を追い求め、いつまで経っても、永久に真理の世界に溶け込むことがない。しかし、この現象世界を真理として体得するならば、この世を大切にし、真理の表現の一部として大切なものとしてみるのならば、この世でも来世でも大切にしていく。明日があるという発想はやはり捨てねばならない。釈尊が輪廻を否定した大きな理由はここにもあるのではないだろうか。来世を追い求める心そのものが実は悟りから隔絶したものに他ならない気がする。弘法大師がこの世で救われずしてという思いを強く持ったのも、来世来世という考え方そのものに潜む危険を感じ取ったのではないだろうか。即身成仏という言葉は意義深い。成るとはbecomeではない。むしろbeの意味合いが強い。既に仏であると知ることこそ、この現象界を真理の一部と見なし、この世も来世も実は二分されたものではなく、この世と来世は一つであるといった世界を実覚することであると思う。

現象世界と真理の世界、ここに線を引くことなく、この世を大切にすることこそが来世を大切にすることでもあり、いついかなるときも大切に生きることに繋がる。『理趣経』に説かれている。菩薩勝慧者 乃至尽生死 恒作衆生利 而不趣涅槃。よくよく感じ取るべきであろう。

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