« 666獣の数字に関しての随想 | トップページ | 宗教にとらわれない宗教心の場 »

2006/06/04

マドンナの宗教性

マドンナのコンサートをロサンゼルスで観た。そのある部分で、とてつもなく宗教性の高い映像が流れた。

一つの細胞が分裂し、二つになり、四つになり、八つになり、無限に増えていく。そしてその細胞がある形を作っていく。ユダヤの星、イスラムを象徴する三日月と星、仏教を象徴する金剛輪、キリスト教を象徴する十字架、道教を象徴する陰陽印、ヒンディーを象徴するオームというデーヴァナーガリー文字。これら、各宗教のシンボルにその細胞は集まっていく。そして、それららが、時にはぶつかり合っていくのだが、ついにはそれらが重なったり調和していく。そして最後にはそれらが寄り集まり、シンボルは消えうせてとてつもなく大きな一つの細胞に戻るというもの。

これは意味深であった。しかもマドンナは、自分が十字架に架けられて歌を歌っていく。これは既成の宗教に対する明らかな挑戦状と、そして意思表示だ。彼女はユダヤ教の密教ともいうべきカバラを信仰している。しかも少し異端と見られるカバラだ。それでも彼女は土曜日というこの日に、敢えて自宅のあるLAでコンサートをした。今のLAの象徴でもあるステープルスセンターにおいて。ユダヤ教では土曜日は聖日とされる。この日にコンサートなどとんでもない。しかし、彼女はそれを乗り越えてコンサートを開いた。さらに、キリスト教のシンボルである十字架に自らを張りつけさせた。逆に言えば、彼女は既成の宗教の問題点を曝け出させ、逆に細胞の映像を盛り込むことで、宗教とは一つであり、そこからそれぞれの民族や地域時代によって変化して行った宗教をそれぞれ認め、さらにそれらは対立を超えて大きな一つの細胞なんだということを訴えていたような気がする。特にシンボリックだったのがユダヤの星と、イスラムの月と星が重なって仲良くしているときだった。マドンナは自分はカバラを猛烈に信仰しているが、それ以上にもっと大きな命をあの小さな身体で大きく表現しているのかもしれない。それはユダヤ教という小さな殻に閉じこもるものでもなく、キリスト教という枠に縛られることもない、大きな命を実感するという意味で、彼女なりの感性の賜物だ。

私も宗教家である。だからこそこのマドンナの挑発に乗ってしまった。ふとわれに返り周りを見た。この映像に皆が絶叫し拍手した。そこに居た二万人以上の人がマドンナに賛同した。すごい感性だった。まさにこれぞ真言の深みと感じることさえできる雄たけびだった。どんな強力な宗教家といえども、一日で二万人以上の人に大きなメッセージを与えることは難しい。しかし彼女はそれを自分の歌手生命をかけてまでなしていった。私は彼女に頭を下げた。感謝した。このコンサートが終わるころまでに、どれほどの人がこの影響を受け、宗教対立の愚かしさを感じてくれるのだろうかと思うと、少し涙さえ出てきた。マドンナに感謝したい。そしてそれに直接的にも間接的にも影響を及ぼしていてくださるプライベートシェフのマクロビオティックの旗手でもある西邨まゆみさんにも深く感謝したい。

この内容は私なりに掘り下げて、九月に行われる国際密教学術大会で発表をしようと思う。

|

« 666獣の数字に関しての随想 | トップページ | 宗教にとらわれない宗教心の場 »

コメント

。しかし彼女はそれを自分の歌手生命をかけてまでなしていった。私は彼女に頭を下げた。感謝した。このコンサートが終わるころまでに http://www.cheapwatches4sale.com/ 、どれほどの人がこの影響を受け、宗教対立の愚かしさを感じてくれるのだろうかと思うと、少し涙さえ出てきた。マドンナに感謝したい。

投稿: replica watches | 2010/09/08 10:14

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65354/10390034

この記事へのトラックバック一覧です: マドンナの宗教性:

« 666獣の数字に関しての随想 | トップページ | 宗教にとらわれない宗教心の場 »